人生、あせらず楽しもう!

御覧いただきまして、ありがとうございます。今の日本人には「感謝と謙虚」が必要です。権力によってメディアコントロールされたテレビや新聞に惑わされないために自分で調べて分析する事が大切です。何事も決して周囲に押し流されてはいけません。真実は自分で見つけ出すものです。

路線バスが「蘆山寺通」を日に1000回近く通ります!

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 片側一車線の「蘆山寺通」に京都市バスの12号系統、15号系統、50号系統、52号系統、55号系統、59号系統、M1号系統、快速立命館、急行102号系統、そして回送車。さらに西日本JRバス高雄京北線の二系統や立命館大学シャトルバスも含めると、日に往復で1000回近く路線バスが通ります。ほんとうに路線バスの騒音(爆音)がうるさいです。

 

これだけ市バスや西日本JRの路線バスが道路を交互に通行すると非常に危険です。市バスの運転手の中には、すれ違う時には一旦停止してやり過ごしている人もいます。つい先日も、人身事故が起きました。そのうち、バス同士の正面衝突が起きるかもしれません。そこで、それぞれのバスの時刻表(平日)から日の本数を調べました。

 

京都市バス

12号系統(69本)、15号系統(37本)、50号系統(73本)、52号系統(9本)、55号系統(34本)、59号系統(62本)、急行102号系統(18本)、快速立命館(30本)、立命館ダイレクト(2本)、M1号系統原谷行き(26本)立命館行き(31本)北大路BT行き(5本)※2023年現在のものではありません。

 

西日本JRバス

高雄京北線(54本)、快速立命館(JR28本:市交26本 合計54本)

※2023年現在、西日本JRバスの「立命館ライナー」は京都市バスの「快速立命館」となり、運行委託で西日本JRバスの運転手が運行しています。運行委託とは、市バスの整備と運転手を民間バス会社に任せることです。実質、バス運転手の偽装請負契約です。

 

立命館大学シャトルバス

運営バス会社:ヤサカ観光バス(20本)

 

立命館発が412本立命館着が462合計すると873回 「蘆山寺通」を通ります。これ以外にも回送車や立命館大学シャトルバスが通行しますので、通常900回以上は路線バスが通ります。改めて正確に計算すると、すさまじい数の路線バスです。一週間で6300台近くの路線バスが片側一車線の「蘆山寺通」を走行します。道路がすぐ傷みます。朝晩は数秒毎に路線バスが走ります。ご存じでない方がほとんだと思いますが、「蘆山寺通」は大通りではありません。

 

京都市内のメインストリート(大通り)以外の道路でこんなにたくさんの路線バスが通る場所は珍しいと思います。はっきり言って、路線バスによる騒音・振動・排気ガス、さらに路線バス事故が何度か起きた後、運転手が注意喚起音を鳴らしまくるようになり警音器の公害まで起きています。空港周辺の騒音問題と変わりません。おそらく、それ以上です。なぜなら立命館大学が夜の九時過ぎまで授業をしていますので、夜遅くまで市バスが何台も走ります。安眠妨害です。さらに注意喚起音「ピンポン!バスにご注意ください」という耳障りな音声警音器を鳴らすようになり一日中うるさいです。

 

以前は、静かだった「蘆山寺通」が京都市交通局の恣意的な市バス経路変更で本当に騒音がひどいです。さらに以前よりも排気ガス臭くなりました。京都市はCO2排出を減らすどころか、路線バスによって二酸化炭素を増やしているのです。京都市交通局は沿線住民の住環境を破壊しています。京都市交通局という役所の信じられないやり方です。金閣寺立命館大学の要望を受け入れて住民の事は完全に無視です。

 

朝夕の混雑する時間帯(特に朝七前から八時半前後まで)は、なんと1分間に三台以上の市バスが両車線を走行しています。中には三台連続で団子状態で走行する時も普通にあります。夜(特に十八時半から二十二時半頃)も同じです。そんな時に緊急車両が通行すれば、進路妨害になります。これは京都市交通局による恣意的な市バス経路変更と立命館大学への増便の結果なのです。夜中に「ピンポン・・・」と注意喚起音を鳴らされると目が覚めます。朝も同じです。

 

金閣寺前の「木辻通」の観光客渋滞による市バス遅延や混雑を解消する対策として、本数が多い12号系統と59号系統、さらに急行102号系統のすべての路線が「蘆山寺通」を通行することになりました。従来から「蘆山寺通」を通行する路線バスも合わせると、なんと12種類の路線バスが「蘆山寺通」を走っています。コロナ禍が収まり、これに観光バスが加わると恐ろしいことになります。さらに立命館大学シャトルバスも夜遅くまで通行しています。一体、京都市交通局は何を考えているのでしょうか。自分達の都合だけで権力を行使し、勝手なことをします。沿線住民の事など何ひとつ配慮されていません。

 

京都市交通局は市バスの運行数は把握していますが、鉄道会社の運行管理システムのように、時間帯によって各道路に何台バスが通行しているかまでは把握していないと思います。「蘆山寺通」が路線バスで混み合っていることがわからないのです。もちろん西日本JRバスも同じです。両者ともバス運転手からの情報しかなく、周辺住民が困っていることなど知りません。市議会議員も同じです。何のために政治家がいるのでしょうか。利権や集票が絡まない事には無関心です。役所も政治家もバス会社も、ツイッターに自分達の記事を載せるという事は、何が起きているかも知っているはずです。

 

「蘆山寺通」は市バスの専用道路ではありません。住宅街の中の一般道路です。これだけの数の路線バスが過剰運行すると、道路がすぐにガタガタになり傷みます。それによる大型車両の通行時に発生する振動が家に伝わり、精神衛生上も建物の構造上も良くありません。うるさくて寝れず熟睡ができなくなります。もちろん、排気ガスも増えています。部屋の中が以前より排気ガス臭くなりました。これは騒音振動公害と局地的な大気汚染(排気ガス)という社会問題です。

 

京都市交通局はこの問題を真剣に考えないといけません。市バスの旅客収入や大学の交通アクセスを優先することばかり考えないで、市バスが走る道路の沿線住民にもっと配慮するべきです。恐ろしく慇懃無礼な役所です。結果的には何もしないのです。見て見ぬふり、知らぬ存ぜぬです。少ない犠牲で自分の手柄や成果を上げるのが日本の役人と政治家の考え方です。

 

京都市は、観光のため、大学のため、高齢者のため、という大義名分を利用して、京都市内を路線バスだらけにします。「市民の足」のことばかりで、沿線住民の住環境は無視です。そんな公営企業は要りません。税金の無駄使いです。京都市交通局が完全民営化すれば、立命館大学のために、こんなに多くの赤字重複路線を継続させることは民間バス会社ではできないはずです。

 

この事実を見過ごし放置すことは断固できません!!

 

京都市交通局の「地下鉄・バスなび」は偏向マップ?

 京都市交通局が作成し配布している「地下鉄・バスなび」というマップがあります。

 

https://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/cmsfiles/contents/0000019/19770/JPN2020(MAP)0300.pdf

 

但し書きに「このマップは、観光地を結ぶ主な市バス路線を抜粋して掲載しています。」と書かれています。しかし、京都市内は観光地だらけなので、実際に運行している市バスの路線を省くのは、おかしいと思います。

 

立命館大学衣笠キャンパスは、仁和寺金閣寺、特に龍安寺が近く、言い換えれば、立命館大学を発着、もしくは通過する市バスは観光地にアクセスできる路線バスなのです。それにもかかわらず、京都市交通局の「地下鉄・バスなび」というマップには、蘆山寺通を走る15系統、52号系統、55号系統、M1号系統などが掲載されていません。京都市交通局にとって都合がいいように作成されているようにしか思えないのです。

 

つまり、いかにも「蘆山寺通」を通行する市バスが少ないように見せかけているのです。「地下鉄・バスなび」には、12号系統、50号系統、59号系統、急行102号系統しか通行していないように見えますが、実際は昔から通行している15系統、52号系統、55号系統、M1号系統もあり、二倍の運行数です

 

そのために「蘆山寺通」を過剰運行する路線バスの騒音と振動、排気ガス(CO2)が激しく、道路が傷んでいくのです。このマップを何も知らない人が見れば「蘆山寺通」は特に何も問題がない道路だと思います。これが京都市交通局の狙いなのです。

 

もっと言えば、「馬代通」「小松原通」がマップに明記されていません。なぜでしょうか?「京都マラソン」のコースになっている道路だからでしょうか。

 

京都市内には、学生数が数万人のマンモス大学がいくつかあります。その中で交通アクセスが少ない大学の利便性を高める交通手段としては、路線バスしかありません。調べてみると、京都産業大学立命館大学がそれに該当します。※実際は、立命館大学は交通アクセスは悪くない。京都駅から遠いだけです。

 

まず、京都産業大学が終点のバスは、民営の京都バスの30系統(コロナ禍運休中)、32系統(3本)、34系統(3本)、快速35系統(コロナ禍運休中)、36系統(コロナ禍運休中)、40系統(35本)、特40系統(6本)です。京都市バスは北3系統(82本)だけです。

 

次に、立命館大学京都市バスがほとんどで12号系統(69本)、15系統(37本)、50号系統(73本)、51号系統(82本)、52号系統(9本)、55号系統(34本)、59号系統(69本)、快速立命館(30本)、立命館ダイレクト(2本)、M1号系統(31本)とこんなにたくさんあります。さらに西日本JRバスの高雄京北線が二系統(97本)もあります。合計すると恐ろしい数(436本)です。 

 

そんなに立命館大学の学生数は多いのでしょうか?

平成22年10月18日の立命館大学衣笠キャンパスへの交通アクセス改善プロジェクトの資料によると「立命館大学衣笠キャンパスには、現在約18000人の学生が在学し、教職員については約1300人が勤務」とあります。京都産業大学より5000人程多いだけです。むしろ、京都産業大学の方が不便な場所にあり、メインストリートの北大路(地下鉄北大路駅)から十数キロもあり、歩いて行くのは無理です。

 

立命館大学は、西大路通から歩いて10分ぐらいの距離です。西大路通には、いくらでも市バスが走っています。わざわざ立命館大学を発着にしなくても、北大路から西大路の大通りを走る既存の循環路線だけ充分なのです。にもかかわらず、立命館大学行きのバスの便数は、京都産業大学行きのバスの便数の三倍以上です。何か変です。裏に何かあると思います。これは立命館大学の政治ロビー活動による政治バス路線なのです。

 

京都市交通局は、立命館大学にアクセスする市バスの系統を増やせば、それだけ乗車人数を増やせる(増収・増客)という発想で物事を考えていると思います。しかし、それは費用対効果を全く考慮していません。路線バスでは1万人以上の学生数には対応できないのです。鉄道でないと大量輸送は無理です。

 

京都市営バスは公営企業(=役所)だから、採算度返しでこのようなことができるのでしょう。つまり、赤字でも運営できるのです。民間バス会社であれば、不採算路線はすぐ廃止します。コロナ禍で京都バスは京都産業大学行きの路線バスを何本か運休しています。京都産業大学へのアクセスも、乗車率が高い北3系統(なぜか赤字路線)を京都市バスは絶対に民間に委託しません。乗車率が非常に低い路線を京都バスに任せているのです。

 

なぜ、京都市交通局立命館大学をまるで贔屓するかのように、これだけの市バスを運行するのでしょうか?これについては、以前のブログで書きました。 これからも書きます。

 

「なぜ、京都市バス金閣寺前を通らなくなったのか?2」

https://ilnyc.hatenablog.jp/entry/2020/06/29/224933

 

ちなみに、現在のコロナ禍で立命館大には学生はいません。オンライン授業で通学していません。 市バスは走れば走るほど赤字が増えるのです。しかし、減便も運休もしません。なぜでしょうか?龍安寺仁和寺も観光客はいません。何か変です。民間バス会社である京都バスは、京都産業大学行きのバスを運休しています。

 

京都市内にこれだけの大学の数がなければ、おそらく京都市交通局は財政が逼迫して、大阪市営バスのようになっています。むしろ、もう既に同じ状況になっているのに、経営状態を隠しているのです。

 

何度も書きますが、市民のための公共サービスが、いつのまにか売上ばかりを追い求める公営企業(=役所)に変わり、沿線住民の事よりも大学や観光を中心にした経営計画になってしまったのです。

 

本来、地方自治体は観光客よりも地域住民、市民の生活の方が大事なのです。観光客や学生は一時的なもの、時間が経てばいなくなります。でも、地域住民は何があっても、そこにいます。嫌なことがあっても、嫌なことをされても、逃げられないのです。

 

しかし、日本政府も京都市も観光を重視します。それは、人口減少多死社会において、国内外、特に海外の中国や韓国からの観光客が日本に莫大なお金を落としていってくれる事に依存しないと経済が回らなくなっているからです。観光客を当てにした国はいずれ衰退します。ギリシャやスペイン、イタリアなどを見ればよくわかります。衰退しているのです。産業が消えて行っているのです。その証拠にすごい失業率です。

 

京都市交通局「安全報告書 運輸安全マネジメントに関する取組状況」を読んで感じたこと、

京都市交通局は「安全報告書 運輸安全マネジメントに関する取組状況について」という報告書を掲載していますが、そのなかに環境対策について一言も記述されていません。安全運転の土台となる環境保全に対する取り組み姿勢がありません。市バス運営側の都合(安全運転)ばかりで、周辺住民への配慮(環境保全)が全く考慮されていません。ちなみに、この資料の表紙の写真は立命館大学正門の前で撮られたものです。すぐにわかりました。何か意味があるのでしょうか。

 

都営バスの東京都交通局のサイトには、環境に対する基本理念や方針などがしっかり明記されています。日本を代表する観光都市のバス運営団体として、こんなにも違いがあるのは非常に残念なことです。京都市交通局のサイトには「増収・増客」のページはあっても、環境保全対策のページがひとつもありません

 

東京都交通局では、基本方針の中で「環境関連の法規制等を遵守し、資源・エネルギーの適正管理を行い、環境の保全に努めます。」「環境目的及び環境目標を設定し、その達成に努めます。そして、実施状況を定期的に調査し、見直すとともに継続的改善及び汚染の予防に努めます。」とあります。

 

以前のブログの中で、公共交通機関である以上は、収益よりも、平成5年に制定された環境基本法( 第一条)「環境の保全について、基本理念を定め、国、地方公共団体、事業者及び国民の責務を明らかにするとともに、環境の保全に関する施策の基本となる事項を定めることにより、環境の保全に関する施策を総合的かつ計画的に推進し、現在及び将来の国民の健康で文化的な生活の確保に寄与するとともに人類の福祉に貢献することである。」を優先するべきです。条文だけが立派ではダメなのです。それが実行できている社会でないといけません

 

既に20年前に東京都交通局は、環境マネジメントシステム要領やコンプライアンス推進委員会設置要綱をまとめています。実際にそれが順守されているかは別として、環境保全に対する姿勢や法令順守に対する取組みを明確にしています。

 

京都市交通局は、はっきり言って遅れていますし劣っています。その理由は、収益(旅客収入)重視の恣意的な「攻めの営業」ばかりに固執しているからです。環境を無視して周辺住民の住環境を破壊し、公営団体が収益を過度に重視する姿勢は、法治国家として民主主義に反する行為だと思います。そんなに収益を重視したいのならば、大阪市営バス大阪シティバスとして民営化したように規模を縮小するしかないと思います。もちろん、京都市バスが民営化すると財政面で京都市やその背後にある日本政府の財政支援に頼ることはもうできなくなります。

 

大阪市営バスの平成29年度の「バス事業 引継ぎ(民営化)プラン (案)」は非常にわかりやすくまとまっています。京都市交通局も是非参考にするべきです。大阪市営バス債務超過がひどく、職員の給与カットや転籍など積極的にスリム化に取組んでいます。民営化するということは、こういう厳しい現実が待っています。日本の公務員特有の身分職の保障などというものはありません。

 

京都市交通局のサイトを見ていると、何かに取り付かれているように感じます。それが結果としてアニメという若者向けの宣伝広告です。行政処分を受けている日本郵政と重なり合います。また、京都市交通局の資料全般に言えることですが、毎回代わり映えのしない営業会議資料を見ているような感じです。まったく工夫がないのです。大阪市営バス東京都交通局と全然違います。

 

京都市交通局の平成30年度の「京都市交通事業白書」には「84系統のうち33系統が黒字、51系統が赤字となりました」と書かれています。つまり、実質的に京都市バスの半分以上が赤字路線ということです。それを何とか黒字路線で補填しているようですが、本当に市バス事業が黒字なのかどうか疑わしいです。なぜなら、よくあることですが、嘘の数字で資料が作成されていれば、真実はわからないからです。ほとんどの企業の数字は粉飾されています。しかし、致命的な粉飾決算をする企業には、特徴(悪い癖)があります。いずれその時が来ればわかります。メッキはいずれ剥がれます。

なぜ、京都市バスは「馬代通」を通行したくないのか?1

京都市交通局金閣寺前の交通渋滞を回避するために市バス12号系統や59号系統などを「木辻通」ではなく「蘆山寺通」へ通行するようにしましたが、実はJRバスは市バスより数年前にこれを実行していました。その理由は、渋滞で定時運行ができないからでしょうか?本当の理由はわかりません。

 

コロナ禍では「木辻通」を走る観光バスもタクシーもほとんどありません。しかし、今まで観光バスや路線バスが「木辻通」を大量に通行していたため、道路が擦り減りガタガタになっているところがあります。それは今も修復されていません。周囲の住民も無関心、京都市交通局京都市建設局の土木事務所も無関心です。もちろん金閣寺もです。役所は市民からの陳情が無い限り、自発的に道路舗装工事はしないのです。今なら観光客もいないので、道路舗装工事をするのには絶好のチャンスですが、誰も行動を起こしません。なんと無関心なのでしょうか。

 

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なぜ、京都市交通局は市バスを「馬代通」に通行させたくないのでしょうか?

これについては、以前のブログでも書きましたが、「馬代通」が「京都マラソン」のコースになったからかもしれません。「京都マラソン」が開催される前に、ランナーが金閣寺前の「木辻通」を走るのか、それとも「蘆山寺通」を走るのか、気になっていました。なぜなら、ただでさえも市バスが山盛り通行する「蘆山寺通」にランナーが何万人も走れば、道路はさらに傷み悪化するばかりです。結局、予想外に「馬代通」から「小松原通」そして平野神社の前の交差点を北上するという迂回コースになりました。これには何らかの力が働いた結果だと思います。仁和寺から北大路に向かうには金閣寺前の「木辻通」が一番の近道なのです。おそらく金閣寺京都市に「金閣寺前が騒がしくなるのは困る、観光客の集客に影響が出るから他の道路を走れ」と言ったのでしょう

 

ラソンコースが決定した後、京都市衣笠山沿いの観光道路である「きぬかけの路」や「馬代通」「小松原通」の道路状態を入念に確認して修繕していました。交差点の歩道も新しく作り直したりしていました。何度もブログに書きますが、マラソンコースに決まる前は道路が陥没していようが、ヒビ割れがあろうが、歩道が崩れていようが、京都市建設局も京都市交通局も見向きもしませんでした。上からの鶴の一声で変わりました。その変わりようには本当に驚かされます。京都市の代表的な「スポットライト行政」です。公園のトイレなど見栄えがする所だけを優先させるのです。決して市民目線ではありません。日本の役人中心の社会主義ならではのやり方です。

 

以前、「蘆山寺通」の道路修繕工事を陳情した時、現場に来た耳にピアスをした京都市職員の男性が「舗装し直しても、また舗装せんとダメですわ」と、いかにも面倒臭そうに言われたことがあります。公務員特有の仕事を増やしたくない症候群です。住民がなぜ連絡したのか、その真意を汲み取っていないのです。道路がガタガタで夜も眠れない程に市バスやトラックが通過する度に家が振動するから堪りかねて連絡したのです。

 

しかし、このマラソンコースの決定でも、いろいろあったように思います。普通に考えると「きぬかけの路」をまっすぐ走るコースになると誰もが思います。金閣寺の前から「西大路通」に出るコースです。おそらく、金閣寺の利害が京都市に関与したのだと思います。金閣寺の高僧が「観光客がたくさん来る金閣寺の前の道路をマラソンコースにするな」と言ったはずです。なぜなら、マラソンが開催されている時間帯は道路が封鎖され通行禁止となり、金閣寺に来る観光客が減り困るからです。観光客が少しでも減れば、金閣寺の収益が減るからでしょう。※後になってわかってきましたが、金閣寺の高僧と日本共産党にはつながりがあります。その事を後のブログに書いています。

 

市バスの経路変更にしても、マラソンコースの選定にしても、金閣寺の言い分がかなり影響しているように思います。なぜ京都市交通局京都市も、金閣寺の我がままを聞く必要があるのでしょうか?これは金閣寺、つまり相国寺足利将軍家鹿苑寺-金閣寺慈照寺-銀閣寺 )の権威があるからです。特に京都市政治が宗教に歯向かえない状態が今も続いているのです。古都税反対の拝観停止問題の時からです。それ以来、宗教が政治を利用するようになったのです。※後のブログで徐々に実態がわかり始めました。

 

どこの役所も権力者の利害が関係することを率先しますが、庶民が関わる事は無関心で後回しです。なぜそうなるのか?それは役人の出世にかかわる「手柄」があるからです。庶民の事など、どうでもいいのです。選挙に影響する事を最優先する市会議員、そして手柄を優先する役人、京都市にはそんな特権階級しかいません。議員や役人が市民のためにというのは美辞麗句です。当選しなければ政治家はタダの人間です。役人も出世できなければ、ただのサラリーマンです。

 

以前、法務局に後見人の手続きをしに行った時、参考資料を一枚コピーして欲しいと言ったら、若くて何も知らなさそうな偉そぶった係官が「国民の血税は1円たりとも無駄にできません」と断られました。こちらが困って相談に来ているのに、何という傲慢な態度だと思いました。それ以来、公務員つまり政府(お上)というのは、いざという時に何の当てもにならないと確信しました。彼らは自分の保身(出世)と蓄財にしか興味がなく、庶民をバカにし、市民には関心がないのです。国民は税金を納める家畜だと思っているのです。「そんなに血税を無駄にしたくないのなら、公務員の厚遇を止めればいいだろ!」と言いたかったです。

  

昔、公立高校の教師になった同級生が選挙前に私のところに来て、公明党の立候補者に投票してくれるよう粘り強くお願いしました。そこで「公務員が選挙活動をして良いのか?教師という立場でこのような活動をして良いのか?」と逆に詰問した後は来なくなりましたが、他でもしていると思います。このように地方公務員という立場でも、創価学会への熱心な活動が今も日常茶飯事に行われているのだと思いました。本当にしぶとい勧誘でした。宗教とは恐ろしいものです。※「自治労の正体」森口朗著を読んで、なるほどなと思いました。日本という国には決して民主主義社会ではありません。

  

話は元に戻し、なぜ「馬代通」に京都市交通局は市バスをもっと数多く通行させないのか?必ず真実があるはずです。これは京都市から京都市交通局へ「京都マラソン」のコースの道路保全を言われているようにも思います。あまり市バスを「馬代通」に通行させるなと。確かに「馬代通」は市バスの51号系統や急行102号系統、快速205号系統(快速立命館の復路)などが通行していますが、その本数は極めて少ないです。市バスが「馬代通」を通行しているのは、めったに見たことがありません。乗用車もほとんど走っていないほどのガラガラの道路です。道路舗装面も綺麗な状態です。※後になって見方を変えると、もしかすると「馬代通」には立命館の施設がいくつかあります。これが関係しているのではないかと思いました。さらに京都府警の小松原派出所もあります。警察による路線バスの取り締まりを気にしているのではないかとも思います。

 

以前、「馬代通」から「小松原通」を曲がる角に電柱が道路側に傾いていたことがありました。これも「小松原通」がマラソンコースに決まった後かどうかは、よく覚えていませんが、その三差路の道路幅や歩道が作り直されていました。これは市バスの運行ルートになったからなのでしょう。市バスが曲がれるように道路を改修したのです。

 

いづれにせよ、路線バスの「蘆山寺通」への集中運行、市バスの山盛り通行を止めさせるためには住民が立ち上がらないといけません。京都市交通局は借金(莫大な地下鉄の有利子負債)を返済しないといけないため、売上(旅客収入)を上げることに必死です。道路保全や沿線住民の住環境への悪影響など、まったく眼中にはありません。京都市交通局にとって「蘆山寺通」という道路は、京都市のものであって市民のものではないのです。だから、市バスをどこに走らせようが、道路をどう使おうが問題はないと考えています。沿線住民の市民をバカにしているのです。環境基本法憲法十三条も意味をなしません。これでも民主主義国家なのでしょうか。日本は役所の好き勝手ができる天皇制の官僚統治型社会主義国です。そして政治家も国民を無視して好き勝手できる。何か変な国です。恐ろしい村社会です。

 

なぜ、京都市交通局は頻繁に市バス運転手を募集するのか?1

民間企業が社員を増やす場合、通常は経常利益が増えている時です。もしくは、従業員の定着率が悪く離職率が高い時、さらに従業員の平均年齢を下げるために早期退職を促し「若返り」をする時です。自然減による従業員募集なのか、それとも体力による年齢制限があるための欠員補充の募集なのかをよく見極めないといけません。でないと、先々で損します。 

 

一番怖いことは、売上を上げるための増員募集です。これは用心しないといけません。バブル経済の時によくありました。もし売上が予想に反して上がらなかった場合、真っ先に首を切られるのは下(若者)からです。つまり、入社したての従業員です。バブルがはじけた時には日本でも整理解雇(欧米では日常茶飯事)が増えました。そして、もっと怖いのは通年募集している会社です。これはバス会社だけでなくタクシー会社や運送会社などによくあります。昔から慢性的に人が足りないのです。いわゆる従業員の出入りが激しい会社です。何らかの理由で、すぐ辞める人が多い会社です。そのような会社には必ず何か就労上で不利な事(給与や待遇)があります。結論は、頻繁に募集するところは就職先としては要注意です。

 

人間は45歳前後から誰しも老眼になったり、体の機能が徐々に衰えていきます。一般的にブルーカラー(肉体労働)の仕事は、ホワイトカラー(頭脳労働)の仕事に比べると体力的に限界があるため定年の年齢が早いです。これは自衛隊員が代表的な例です。おおよそ55歳です。身体能力が極端に落ちていきます。タクシー運転手で70代でも現役の方はいますが、大型バスの運転手で70代の方はおそらくいません。そんな高齢者にバスを運転させている会社は危機管理能力がゼロです。バス運転手は60歳から65歳が定年になると思います。これはトラック運転手も同じです。日本は労働者が減っているので高齢者を働かせて補填しようとする政策をしていますが、それには限界があります。

 

京都新聞の記事のような高速バスや路線バスの運転手が体調不良になる確率は、トラックやタクシー運転手より高いです。これはバス運転手が運転だけしているために体を動かさないからです。おそらく体を一番使うドライバーはトラック運転手です。本当にすぐ痩せます。10トントラックに満載されている荷物(野菜やタイヤなど様々)をフォークリフトを使わずに手で降ろしたり手で積んだりすることが普通にあります。しかし、これが運動不足解消には効果があります。一方、バス運転手はプログラマーと同じで一日中パソコンの前に座っているようなものです。運動不足からくる肥満、そして糖尿病さらに合併症(心臓病や癌)を誘発し、病気になりやすくなります。

 

そして、何より怖いのが「居眠り運転」です。勤務体制に関係なく長時間運転していると睡魔が襲ってきます。高速などの単調な直線道路は要注意です。目が覚めた時には事故が起きていたという事は決して珍しい事ではありません。ほとんどノーブレーキで前方のクルマや塀に突っ込みます。なぜなら運転しながら寝ているからです。昔、一般の道路でトラックが対向車のトラックやクルマと激突する瞬間を目撃した事があります。完全に運転手は寝ています。次の瞬間、雷が落ちたような衝突音が鳴ります。ほんとうに恐いです。信号待ちや高速の渋滞で停車している時に、後から居眠り運転の大型トラックやバスに突っ込まれるのは想像を絶します。

 

京都市交通局が、なぜ緊急停止ボタンを今頃になってバスに付けるのでしょうか?過去にも何度か市バスの運転手が運転中に意識を失い、電柱や民家に突っ込んでいます。すべてのバス会社で同じようなことが同じだけ起きるのでしょうか?そのようなことはないと思います。これは、やはり、その組織の勤務体制に何かの問題(長時間運転による過労)あるからです。京都市交通局の「攻めの営業」(増収・増客)により、車両と同じように運転手も酷使されているのかもしれません。つまり、法令違反です。京都市バスのエンジン音が異常にうるさいのは、車両が古くなったバスを酷使しているからです。国土交通省が言うように、古いバスほど火災炎上しやすいのです京都市バスの車両が乗客を乗せたまま炎上しない事を祈ります。正直、荷物を運ぶ運送業とは違い、人を乗せて運転する商売は恐いです。何かあった時にはカネでは解決できないからです。荷物ならカネで解決できますが、人命はカネで解決できません。

 

※この後のブログ記事と無関係ではないと思います。京都市バス労務体制に何か問題があるように思います。物事には必ず因果関係があります。

京都市バスの運転手に新型コロナ感染者が多いのは、なぜでしょうか。 - 人生、あせらず楽しもう!

※さらにその後のブログ記事で民間バス会社への市バス運行委託問題と関係していることが判明しました。

京都党のコラム「京都市バス赤字転落を受けて」を読んで思ったこと。 - 人生、あせらず楽しもう!

 

なぜ、京都市バスが金閣寺前を通らなくなったのか?2

京都市バス金閣寺前を通行しなくなった理由が渋滞によるものだと思っていましたが、この京都新聞の記事を読むと、何か「きな臭さ」を感じます。

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昔、古都税(古都保存協力税)というものが、昭和60年から昭和63年まで、京都市条例で市内にある神社や寺の拝観料に税金が課せられていました。それに対して神社や寺が「課税するのなら拝観は停止する」と反発したことがあります。それ以来、宗教法人から京都市は税金(固定資産税ですら)を徴収できなくなったのです。これで京都市は大事な税収源が消えてしまったのです。これは大打撃だと思います。もっと言えば、権力(市)が権威(寺)に屈したのです。もし、現在も古都税が課税できていたら、京都市もゴミ専用袋を販売したりしなくても良かったのです。税収も増えていたのです。逆に言えば、神社仏閣は宗教(信仰)であるならば、無料拝観にすればいいのです。拝観料を取るから、税金を徴収されるのです。いずれにしろ、京都市も宗教法人も観光産業と同じです。結局、お金儲けがしたいわけです。人助けより我が身の贅沢です。なぜ、京都に寺が多いのか?それは、昔も今も人をだましてカネ儲けするためです。坊主や神主は宗教という詐欺商法で人を騙している詐欺師です。

 

ちなみに、この時に京都市教育委員会の職員(後に京都市教育委員会教育長)だったのが、現在の門川市長です。彼は市議会で着物と白足袋姿で登場しています。京都の市会議員に元教師という方が何人かいますが、その方々も着物と白足袋姿です。右にならえです。何か意味があるのでしょうか?これは政治が宗教に屈服した姿なのです。京都市は、いまだに中世時代です。斜陽産業の西陣織にこだわっているのです。今時、着物のような古い衣類を着る習慣などありません。

 

もうひとつ、金閣寺道(西大路側)に乗用車専用の駐車場がありますが、昔そこは京都厚生年金会館(ホテル)が建っていた場所です。それが、何十年か前に壊されて今の状態になったのです。年金会館があった土地が元々金閣寺のものだったかどうかはわかりませんが、おそらく金閣寺が儲けたお金で国から安く買い上げたと思います。金閣寺の周辺には昔から民家が多くありました。それを地上げしていると思います。その駐車場の敷地内に京都銀行金閣寺支店と金閣寺郵便局が数年前に移転しました。おそらく、その土地は定期借地だと思います。これも、金閣寺が不動産収入を得るために駐車場の面積を減らしたのかもしれません。今も金閣寺周辺に新たな駐車場ができています。もちろん、所有者は金閣寺です。なぜ、ホテルを壊したのかは疑問に残ります。

 

さらに、立命館大学衣笠キャンパスです。もともと清朝最後の皇帝 宣統帝 溥儀(満州国皇帝 康徳帝)が二度目に日本に公式訪問(1939年)した際に、当時50万円を立命館大学に寄付し、その内の20万円で立命館大学が衣笠学舎の広大な敷地(衣笠山の裾野に広がる林)を手に入れたのです。その後、立命館大学は、さらに敷地を拡張するために等持院の一部の土地や周辺の民家を地上げしていき、記念会館や国際平和ミュージアム孔子学院:米国では中国公館として認定)、体育館などを建てたのです。現在、立命館大学衣笠キャンパス周辺には学部移転により学生数が減少した結果、未使用の駐輪場があちらこちらに点在しています。しかし、なぜ溥儀が立命館に寄付したかはなぞですが、立命館と中国、当時は満州国(溥儀は清朝の末裔)との関係があった事は、この後に書きます。

 

戦後まもない頃、衣笠キャンパスの敷地にはプロ野球の球団(松竹ロビンス:昔の大洋ホエールズ、現在は横浜DeNAベイスターズ)のフランチャイズ球場があったのです。これも大学を有名にするための立命館の営業戦略(売名作戦)だったかもしれません。なぜ、あんなところにグラウンドではなく、球場を作る必要があったのかを考えれば、よくわかります。

 

立命館大学には、2005年から日本で最初の孔子学院(国際平和ミュージアムと同じ建物)が馬代通沿いにあります。2007年4月13日には、立命館大学衣笠キャンパスに中国の温家宝が訪問しています。世界で500以上の大学に孔子学院(表向きは国際平和ミュージアム、米国では中国公館として認定)があります。ちなみに、中国の王毅外相は日本語がペラペラです。そして立命館大学名誉博士孔子学院にも訪問しています。中国(中国共産党)べったりの大学であることがよくわかります。

 

立命館は、昔は満州国満州事変の軍事作戦の指導者であった石原莞爾<元陸軍中将>が教授として衣笠キャンパス内に住んでいた)、今は中国政府(=中国共産党、Chinese Communist Party: CCP)との関係が非常に濃い大学です。満州国の溥儀がなぜ立命館に寄付したのかは、立命館大学の年表の中で書かれていますが、少なくとも立命館満州国との関係があったからです。溥儀は日本の関東軍石原莞爾満州人脈)に何度となく助られています。寄付はそのお礼という事ですが、東京裁判では溥儀は日本軍に拘束されていたと言っています。これらの背景には、満州国に関わった西園寺公望の存在(満州人脈)があるからでしょう。公家出身の西園寺公望は、伊藤博文内閣の後継内閣、伊藤博文は韓国に没頭した人間です。満洲の技術者養成を目的につくられたのが北大路にあった「立命館日満高等工科学校」(立命館大学理学部の前身)です。その後、全学部が広小路(立命館大学発祥地)から衣笠に移転して巨大化し、現在も少子化の中で立命館大学が日本全国に拡大しています。その背後には、今も中国政府(中国共産党)がいるのではないかと疑いたくなります。世界各地にあるチャイナタウンが脳裏をよぎります。徐々に他国の内側から浸透していく中華思想の姿です。漢字を使っている国は、すべて中国の領土だと彼らは捉えています。つまり、日本人も中華民族なのです。

 

さらに金閣寺ウィキペディアで調べると、それこそ三島由紀夫の小説「金閣寺」ではないですが、鎌倉時代に藤原公経(西園寺公経)が西園寺を建立し、それを足利義満が領地と交換に西園寺を譲り受け、改築と新築によって金閣寺を建てたとあります。西園寺記念館を立命館大学の敷地内ではなく、金閣寺の西側に建てたのが動かぬ証拠です立命館大学は「金閣寺は元は西園寺家のものだ」という事を主張したいわけです。満州(中国)経営に関与した西園寺公望、そして足利義満金閣寺は元は西園寺家の寺、衣笠は立命館大学創始者ゆかりの土地だから拘ったのでしょう。中国と金閣寺の間に西園寺(立命館)が入る図式が完全に出来上がります。実は金閣寺の高僧(臨済宗相国寺派管長 有馬頼底)は日本共産党シンパなのです。そして、追記になりますが、日本共産党金閣寺を擁護しているのです。下記の「しんぶん赤旗」を見て正直驚きました。日本共産党政教分離に反する事をしているのです。

日曜版22日号/共産党躍進で国保料引き下げを/臨済宗相国寺派管長 有馬頼底さん 9条への思い

志位委員長が有馬臨済宗相国寺派管長と懇談

北山大塔の存在可能性/金閣寺 穀田氏「重文に指定を」

  

話は元に戻し、京都市(交通局)と金閣寺、そして立命館大学の三角関係。市バス運行経路や系統数には、この三者の利害関係が時代を超えてあるように思います。立命館大学生や教職員の通勤通学定期の莫大な販売額、金閣寺の七重塔の創建計画による拝観料売上の増大、それによる市バスの旅客収入増加、これらと京都市交通局の市バス運行経路変更(金閣寺前の廃止)や市バス増便(立命館大学行きの系統数)には何かあるように思います。単純に渋滞による定時運行が困難である理由だけで経路変更などをしたとは思えないふしがあります。もし渋滞が原因ならば、もっと以前にしているはずです。何かが京都市交通局に政治的圧力をかけたと思います。つまり、権力を使った政治バス路線なのです。

※後でわかりますが、立命館大学教授による市バス増便のロビー活動(私的な政治活動)、そこには日本共産党が関わっていると思います。さらに金閣寺の高僧が市バスの経路変更を京都市に要望した事もうかがえます。後のブログで書いています。

 

これは推測ですが、京都では政治が宗教に屈したと書きましたが、その結果、市バスが金閣寺前を通れなくなったのかもしれません。すなわち、京都市交通局も含め、京都市金閣寺には近づきたくないという意思表示かもしれません。※後でわかりますが、金閣寺から仁和寺までの歩道を京都市建設局が石畳にしています。これと市バスの経路変更には関係があると思います。後のブログで書いています。

 

立命館大学の映像学部と京都市交通局との企業連携による市バスPR映像の制作は、見方を変えれば「官民癒着」ではないのでしょうか。公営企業である市バスが私立大学と連携し、学生の人材育成という名目で「広告業務」の一部を委託しています。都営バスや大阪シティバス(前大阪市営バス)で環境保全PRや職場見学のようなものはありますが、京都市バスの収益につながる広報の一部を任せていたというのは問題があると思います。これは癒着と言っても、おかしくない事です。※市バスの快速立命館の増発や52号系統の復活も立命館大学京都市交通局との特別な関係が怪しいです。

 

国家公務員 倫理規程論点整理・事例集(令和2年新装版)

https://www.jinji.go.jp/rinri/04zentaiban_r2.pdf

 

京都市長の門川氏は立命館大学の法学部二部(夜学)卒です。市長選挙などの時に京都市職員以外にも立命館大学関係者の組織票(学生も含めた)を持っているのかもしれません。ちなみに京都市出身の日本共産党穀田恵二氏は元立命館大学の職員です。選挙前になると立命館大学周辺を選挙カーで周回します。そして、前市長も元京都市教育会委員長です。その立命館大学の昔の理事長であった西村氏は、同時に京都中央信用金庫の理事長でした。つまり、立命館大学の授業料や入学金などの数百億円の資金が京都中央信用金庫にプールされるのです。それによって預金量が増えます。「産学連携」とよく言われますが、その実態はカネの絡んだ利害関係があると思います。世間を騒がしている京都大学の有名な学者達がしていることを見るとよくわかります。結局、何をするにもカネがないと何もできないのです。頭脳だけではダメなのです。だから、寄付に頼るわけです。

 

今の日本には、権力者の言いなりになる雰囲気が蔓延しています。そこには、正義も公平も何もありません。あるのは「お金」だけです。なぜなら、「お金」で人の心も買えるからです。信仰心を利用して収入を得る僧侶や神主からは税金を取らずに、庶民からは等しく税金を取る。こんな不公平が許される社会はおかしいと思います。

 

いまだに日本、特に京都市政教分離もされていない中世の身分社会です。鎌倉時代からの西園寺ゆかりの地である衣笠に立命館、そして室町時代足利義満金閣寺。明治時代には、西園寺公望も含め貴族(公家出身や皇族・華族など)というだけで選挙なしで議員の資格を持ち、何もしなくても政府から毎月カネがもらえたのです。これが廃止されたのは、なんと戦後の昭和時代です。そんな大昔の話ではありません。

  

2020年6月29日 午前8時35分頃、「蘆山寺通」で人身事故発生。

私の予想通りに「蘆山寺通」で人身事故が発生しました。これも京都市バスが「蘆山寺通」を山盛り通行しているから起きたのです。加害者のドライバーも京都市バスに言及しています。市バスが死角になったり、市バスに気を取られて、歩行者や自転車にドライバーが気付かないのです。市バスが当事者でなくても、市バスのバス停付近で起きた事故です。いわゆる危険なバス停なのです。

 

これが、私が恐れていた京都市バスの過剰運行による二次災害なのです。今後も「蘆山寺通」への市バス集中通行を京都市交通局が見直さない限り、再び事故が発生します。恐ろしいのは、交通死亡事故が発生することです。 

 

京都市交通局の言い分なら、「市バスと衝突していないから、我々には関係がない」と素知らぬふりをするでしょう。しかし、市バスの恣意的な経路変更により、特定の道路が過剰運行となり起きた事故なのです。災害には、一次だけでなく二次三次とあります。犯罪には、故意も過失も裁かれます。直接的に犯罪に着手しなくても、間接的な教唆犯や幇助犯も刑罰の対象(共謀共同正犯)です。

 

京都市交通局が交通事故を発生しやすくなる潜在的な環境を作り出していることは、行政上の処分対象になりますそれは過失であってでもです。なぜなら、京都市交通局の上層部が、恣意的な「攻めの営業」により、周辺住民の事より市バスの定時運行や旅客収入増加を重視し、「蘆山寺通」への市バスの過剰運行を許可したからです。国土交通省 近畿運輸局 京都運輸支局が許可したからと言い逃れはできません。京都市交通局が当事者だからです。

 

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小中学生の通学路「蘆山寺通」に京都市バスが山盛り通行する。

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コロナ禍の緊急事態宣言の緩和により、小中学校などの授業が平常に戻りつつありますが、その結果、朝の登校時間帯に市バスの経路変更に伴う「蘆山寺通」への市バス集中通行が原因で人身事故が発生する可能性があります。なぜなら、市バスのクラクションや音声の注意喚起音「ピンポン!バスが通過します」(頻繁に使用されると近所迷惑です)が増え始めているからです。これは兆候のひとつです。

 

以前から「蘆山寺通」は朝の通学時間帯に立命館大学行きの市バスが集中することにより渋滞が発生していました。その渋滞の長さは、なんと立命館大学から西大路通までに及ぶ 600m でした。この事実は京都市交通局も知っています。なぜなら、快速立命館と呼ばれる快速205号系統と快速202号系統の行きは「蘆山寺通」、帰りは「小松原通」を通行させているからです。おそらく朝の「小松原通」は立命館大学への通勤通学生であふれているので、市バスを通行させると危険だからなのでしょう。それなら、「蘆山寺通」も同じです。小中学生の通学路(衣笠中学校には特殊支援学級があります)です。特殊支援学級の児童も通学しています。

 

誰かが警察に言わない限り、この「蘆山寺通」の大渋滞を警察も知りません。コロナ禍が落ち着いて立命館大学の授業が平常に戻り、さらに今回の市バスの経路変更と重なれば、どれ程の渋滞が発生するか想像もつきません。そして、それに観光バスが加われば恐ろしいことになります。

 

金閣寺前の道路は、ここ数年の観光客の増大により、観光バスや観光目的の乗用車が非常に多くなり渋滞が常態化していました。そこで、京都市交通局は市バスが時刻表通りの定時運行できないので、金閣寺前の道路である「木辻通」を通らずに「蘆山寺通」を通行するように恣意的に変更したのです。

 

金閣寺永観堂周辺での経路変更の実施について(2019年10月25日)

https://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/page/0000259039.html

 

その結果、従来の市バスの通行台数に加え、新たに「蘆山寺通」を通行する市バスも加わり「蘆山寺通」の市バス通行台数が著しく増加しました。周辺住民に何の説明もなく配慮もななく、京都市交通局の一方的で恣意的な市バス運行経路の変更により「蘆山寺通」は市バスの騒音・振動・排気ガス(CO2)が早朝から深夜まで一日数百回も続きます。そのうち道路はガタガタに傷み、停車中の市バスを追い越そうとする車が対向車やバイク、人と衝突する事故が発生しかねません。いつから「蘆山寺通」は市バス専用道路になったのでしょうか? 

 

不思議なのは、金閣寺前の「木辻通」沿線住民には説明会を2020年3月3日に開いているのですが、肝心の市バス通行量が増える「蘆山寺通」の沿線住民に説明会がなかったことです。通常、両方の説明会をするのが当然だと思います。これは何か変だと思います。不思議です。「木辻通」の周辺住民で京都市京都市交通局に対して風当たりが強い人物でもいるのでしょうか。つまり、役所が無視できない権力者がいるのでしょうか?何か変です。

 

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 ※この記事は一年以上前の記事のためかどうかわかりませんが、既に消されています。

 

京都市交通局、ならびに京都府警交通部は事故を未然に防止するためにも、今回の京都市バスの経路変更に伴う路線バスの通行量や道路の一時的な渋滞状況を調査し再考するべきだと思います。事故が発生してからでは遅いです。子供は突然道路に飛び出したりします。

 

日本の役所は、何事も被害(事件事故)が発生しないと行動しません。予防ができません。しかも、縦割り行政なので他省庁とのヨコ連携がほとんどありません。例えば、防衛省と外務省、国土交通省警察庁、警察官僚と外務省など。ほとんどの省庁で人事交流はあっても情報連携がありません。本当に良くないことです。非効率です。結果、後手後手となり国民が被害を被るのです。

 

コロナ禍、京都市バスは走らせれば走らせるほど赤字が増える。

this.kiji.is

この記事は、京都市交通局の恣意的な「攻めの営業」方針がいかに間違っているかを証明するものです。 

 

「(中略)現状では電車を走らせれば走らせるほど赤字になる。もちろん、走ってなんぼの商売だし、社員も走らせたいと思っている。ただ経営としてはお客様の減少に合わせて事業のサイズを再検討せざるを得ない。それでも公共性を踏まえて市民から維持を要請されるのであれば、教育や水道といった公共インフラと同様に、維持の在り方を考える必要がある。それ抜きに営業しろと言われるのはなかなか厳しい。(中略)

「(中略)地方鉄道は長期的にみるとお客様が減っていくビジネスだ。公共交通は今よりもっと社会的弱者のものになっていく。子どもたち、自転車に乗れない体の不自由な人たち、高齢者といったサービスの受益者だけが運賃を負担する形ではビジネスを持続できない」

「ここ数年、交通と言えば訪日観光客を運ぶ議論が中心だったが、まずは住んでいる人たちのために交通はある。そこから街や交通の議論をスタートしないと。住んでいる人が快適なら観光客も居心地がいい。世界中の都市計画で、住民の健康を重視する傾向が強まっている。新型コロナは、街の在り方を問うきっかけにもなった。(中略)」

 

この記事は、地方鉄道の課題ですが、京都市バスも地方都市である以上、同じようになって行きます。つまり、少子高齢化です。

京都市バスは、街に観光客も学生もいないのに、ただ時刻表通りにバスを走らせても、騒音と排気ガス(CO2)をまき散らしているだけで何の効果もありません。税金の無駄遣いです京都市交通局は、経営戦略を練り直し即効性をもって実行するべきです。「役所仕事」の特徴である、縦割り・画一的・遅い・上から目線・恣意的・親方日の丸では、いつまで経っても時流に遅れます。その結果、市民が犠牲となるのです。

 

記事にあるように住んでいる人が快適なら観光客も居心地がいい」という表現は、現場を知っている人だからこそ言える表現です。現場を知らない机上の空論では、良い結果は出ません。市バスが走る道路の周辺住民が迷惑しているのなら、必ず観光客にも迷惑なはずです。「蘆山寺通」を山盛り通過する市バスの騒音、排気ガスは、地域住民だけなく観光客にも迷惑なのです。「京都の道路は、こんなにガタガタで排気ガス臭く、市バスが山盛り走って危ない」というイメージを観光客に持たれるわけです。これが世界遺産の街かと落胆されます。そうなると観光客は二度と来ません。悪評は世界に拡散されます。以前、ハワイに住む中高年の日本人ガイドの方から現地で次のように言われたことがあります。「京都には二度と行きたくない。落胆した」と。

 

路線バスと電車で多少の違いはあるにしろ、この記事の真鍋氏は、科学的に分析されています。素晴らしい洞察力です。日本人特有の精神論的な経営戦略は一切含まれていません。日本だけを見るのではなく、世界の状況も見据えて考えを持たれています。

京都市交通局は、この考えを本当に見習うべきです。平成時代の「失われた30年」に流行っていた「攻めの営業」という旧態依然の経営スローガンではなく、真鍋氏のような科学的な分析発想をもてる人がひとりでも多く役所に増え、それが実行できる役所の変革がなければ、日本の地方自治体だけでなく、日本という国家の存続にかかわってくると思います。日本という国には、昔からとにかく動きが遅い国です。どんどん抜かされていきます。見るに見かねて動き出したのが幕末の若き武士達です。

京都市交通局の資料で、京都市バスの現状を調べました!2

平成30年度の京都市交通局の「京都市交通事業白書」には、次のように説明されています。

 

市バス事業の経常損益
経常収入217億円

内訳)運送収益204億円

   その他13億円 

経常支出198億円

内訳)人件費77億円

   経費(管理の受委託、燃料費、修繕費)102億円

   減価償却費等17億円

   その他2億円

経常黒字19億円

 

過去の旅客収入の推移から見ると、おそらく運送収入(運賃売上)が185億円ぐらいを切ると実質赤字経営になるということです。間違いなく、コロナ禍で令和2年は大赤字です。令和3年も続きます。

 

そして、問題の地下鉄事業です。支払利息でなんと!54億円、減価償却費等130億円、人件費54億円、経費(動力費、修繕費等)71億円です。人件費と経費を足すと固定費が125億円、一方の市バス事業では179億円です。地下鉄事業の運送収入は258億円です。しかし、内訳には一般会計補助金(税金補填)が18億円入って、経常黒字25億円です。本当の黒字は7億円です。市バス事業にも大きな構造的な問題があります。それは固定比率が90%以上なのです。これはコロナ禍などの不測の事態が起きて旅客収入が激減すると莫大な赤字になるのです。

 

地下鉄事業は大きな荷物を背負っています。負債として3529億円の企業債等残高(市民への借金)に加え、314 億円の累積資金不足があるようです。合計した有利子負債は、なんと!3843億円と全国の公営地下鉄の中でも一番厳しい経営状況のようです。京都市の財政にとって、莫大な借金です。さらに車両更新等に740億 円もの多額費用が継続的にあるようです。これは京都市の都市計画投資の大失策です。このままの状態だと、デフォルト(債務不履行)の懸念が生じると思います。

 

地下鉄事業の職員数627人、市バス事業の職員数927人です。一人当たりの人件費は両方とも850万円前後です。人件費が高過ぎます。平成29年度の「京都市交通事業白書」に職員数の推移があり、市バス事業の損益分岐点である旅客収入が185億円ぐらいの時の職員数は、おおよそ800人前後であることがわかります。つまり、現在約127人も多いのです。それでも、バス運転手を新たに募集しています。そんなにもバス運転手の出入りが激しいのでしょうか。

 

今後、数年はコロナ禍で間違いなく観光客は激減状態のままです。旅客収入は低迷します。もちろん、大学生などの通学もです。ということは、運転手含め職員数を増やすと赤字幅が大きくなります。規模を拡大するのではなく縮小して、市バスの赤字路線の廃止、便数も減らして系統整理する必要があります。そうすれば、運転手も増やす必要がありません。旅客収入に見合った経営計画を考えるべきです。拡大路線は失敗します。京都は大都市ではありません。日本は高度成長期ではありません。

 

京都市交通局の恣意的な「攻めの経営」は、これから本番の少子高齢化、多死社会の人口減少経済を考えると、誤った経営スローガンになります。京都市への観光客の増加、京都市の人口増が重なり合わない限り、京都市交通事業として拡大路線に進むと間違いなく大失敗します。既に地下鉄の拡張自体が首を絞めているのです。政府のリニア中央新幹線北陸新幹線と同じで費用対効果が相当低いです。京都市で言えば、京北町右京区にしてニュータウン化するために環境破壊のトンネル工事をいくつもしたことです。どちらも、需要と供給のバランスがありません。税金の無駄遣いです。ここに、なんと立命館大学もからんでいるのです。

 

何事も大風呂敷を広げてはいけません。結果的に市民が被害を受け、そのツケが将来にまわります。これからの日本に必要な事は、身の丈に合った政策なのです。いつまでも、米国に次ぐ経済国家ではありません。高度成長期など二度とありません。他国に抜かれても、市民が幸せな国を目指すべきなのです。

京都市交通局の資料で、京都市バスの現状を調べました!1

京都新聞の記事に「京都市バスの乗客数と経常損益」という、京都市バスの1日平均乗客数と経常損益の推移というグラフがあります。これをよく見ると、乗客数は2017年度以降は微増です。そして、経常損益は2014年度ぐらいから下降気味です。なぜ、このような事になるのでしょうか?ガソリン価格の高騰でしょうか。それとも、人件費の増加でしょうか。このグラフでは、あまりにも大雑把なので、全く中身が何もわかりません。また、この記事では市バス事業が赤字で市営地下鉄事業が黒字とありますが、京都市交通局の資料では両者とも経常収支は黒字です。なぜでしょうか?

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※この記事は既に消されています。

 

そこで、京都市交通局の「京都市交通事業白書」という資料からいろいろ分析しました。市バス事業の経常収支の中で、旅客収入(運賃売上)は平成4年をピークに実は下がっています。驚いた事に平成30年度の旅客収入は、なんと昭和58年(市電廃止5年後)の旅客収入と同じ程度なのです。観光客も増えて、乗車人数も増えているはずなのに、実は市バスの運賃収入は増えていないのです。驚きです。これは京都市民の乗客数が減っている事を意味します。

 

京都市は「学生の街」などと言われていますが、立命館同志社など一部の学部は補助金を出す自治体や税金や土地の安い市外に分散して移転しています。そして少子化に伴い学生数は減少の一途です。定員割れが怒ります。そのうち、大学は政府の補助金が十分もらえず、ほんとうに統廃合する大学が増えてくることでしょう。そして京都市内の子供の数も減少し、京都に住む人が将来的に減っていくのは明らかです。現在、京都市の人口はほとんど増加していません。むしろ昔から住む市民が高齢化し生産労働者から高齢者になって行きます。そして人口が減少していくのです。高齢者は食費と医療費以外の消費はありません。当然、高齢化する国はGDP(国民総生産)が下がります。日本のニュース報道でよく使われる「回復」という言葉はすべてウソです。自民党の独裁政治である内閣府からの命令で虚偽のニュース(印象操作)を流しているのです。いわゆるメディアコントロールです。だから、いかにも日本経済が回復しているなどと戯言を平気でメディアは流すのです。さらに日本は偏向報道が酷いです。日本国民は、自分で調べる、分析する癖を付けないとすぐに他人やテレビの言うことを信用して騙されてしまいます。真実は自分で見つけ出すものです。鵜呑みは危険です。まず疑ってかかる事が大切です。その結果、自分の頭で考える癖がつくからです。

 

話を元に戻し、さらに調べてみると、京都市交通局の市バス「営業係数の推移と系統別旅客数」という資料がありました。 この資料は市バスの系統別の損益状況がわかります。驚くべき事に!その中に「蘆山寺通」を通過する系統の三分の二が実は赤字路線、もしくは赤字ギリギリなのですつまり、現在のコロナ禍では、間違いなく「蘆山寺通」を通過する衣笠線と呼ばれる市バスはすべて赤字なのです。市バスを走らせれば走らせるほど赤字が増えるわけです。 ※予想通り、令和三年度はすべての市バス路線が赤字運行でした。

 

系統別には、52号と55号は赤字路線(小松原通を走る51号も)、15号とM1号はギリギリ、原谷行きのM1号がギリギリというのも疑わしいです。危ないのが50号と59号です。実質の黒字路線は12号だけです。急行102号は快速のため通過するのみです。つまり、立命館大学を経由もしくは発着する市バスは赤字路線だらけなのです。これらの数字は、日本政府が観光立国を目指すために大手広告会社の電通自民党の宣伝広告会社)を通じて、世界中に日本の広告をまき散らした平成26年度から平成30年度の結果です。広告に惑わされて日本に来た観光客が一番多かった時期です。そして電通からのカネ(賄賂)を受け取った米国などの観光雑誌会社が「Kyoto Japan」を世界一にしたのです。すべて仕組まれているわけです。安倍独裁政治は恐ろしいです。

 

「蘆山寺通」を通過する市バスは、それこそ民間バス会社に委託するか、規模を縮小して減便や廃路にしないと非常に収益性が悪いです。M1号系統という立命館大学の原谷グランド行きの市バスは、その最たる例です。路線の統廃合は不可避なのです。京都市の交通事業として、莫大な維持費がかかる地下鉄事業の長年の有利子負債をバス事業の黒字で補うことは非常に難しいです。ほぼ不可能でしょう。京都市交通局の収支は企業債や地方債、そして補助金や負担金などの税金で補填されていますが、市バスにも過去の累積赤字があります。これらの赤字経営体質には構造的な問題があるのです。つまり、売上に対する「人件費と経費」の固定比率が非常に高いことです。例えば、物販業で言えば、売価に対して原価が非常に高いのです。利益が薄いのです。このままの状態だとデフォルト(債務不履行)の懸念が生じます。

 

市バス事業は公共サービスとは言え、赤字路線を放置することは税金の無駄遣いです。資料には「平成30年度は、84系統のうち33系統が黒字(実質18系統のみ)、51系統が赤字となりました」とあります。つまり、京都市バスの運行路線は八割が赤字路線ということです。にもかかわらず、なぜ京都市交通局の資料では市バス事業は黒字なのでしょうか?不思議です。

 

もう一度、京都市交通局の「京都市交通事業白書」を見ると、市営バスの職員数は年々減少しています。昭和54年(市電廃止後)には3001人もいたのです。そこで現在の人件費と職員数から一人当たりの平均年収額を大雑把に算出しました。すると平成30年度が約809万円(職員数952人)、平成26年度が788万円(職員数882人)です。ここ数年、職員数が増え一人当たりの平均年収額が上昇しています。京都市営バスの固定比率(原価率)は90%以上です。例えば、100円の商品の仕入値が90円ということです。100円ショップより酷いです。これでは根本的に路線バス経営はできません。民間のバス会社やタクシー会社、運送会社で、これだけの高給な平均年収だと、とても黒字にはなりません。すぐに破産します。従業員の給料が多過ぎるのです。

 

また「その他の収入」として不動産収入や広告収入(市バス内外に貼られているポスター等)があります。その収入は景気によって左右される数字です。それが黒字化に貢献しているとは言え、基本的には運賃収入が路線バス運営の屋台骨です。長年の高額な人件費でも、なんとか黒字になっているからと言って、雑収入が目減りすれば、すぐに赤字に転落します。つまりギリギリの黒字なのです。 本業(旅客収入)だけ見ると、大赤字です。

 

まずは、運転手も含め職員の給与体系を今以上に見直す必要があります。人件費が高額過ぎるから経常収支が大きく伸びないのです。一人当たりの高額な人件費を減らさずに、全体の人件費を抑える方法は、職員数を減らすしかありません。所謂、リストラです。これを京都市交通局はしてきたわけです。しかし、運転手の人数を減らし過ぎると、運転手一人あたりの労働時間がさらに増えます。これは危険な方法です。人命を預かるバス運行会社で過労死や死亡事故が起きることはあってはならないことです。何より過労運転は事故の原因になります。運転手を減らすのであれば、当然に市バスの台数や本数、系統も減らさないといけません。今後は、路線や便数を増やすのではなく、不採算路線の削減と整理が必要なのです。抜本的な経営の見直しが必要です。横浜市などでは、黒字路線でも運転手不足で廃路にしています

 

市営バスの系統を整理もせずに、そのまま民間バス会社に赤字路線を委託しても、今度は民間バス会社がすぐに採算が取れなくなり、結局廃路になるのです。民間バス会社の方が経営はシビアです。「市民の足」としての公共サービス、「観光客の足」としてのバス運営の継続を考えるのなら、人件費の大幅な抑制か、市バスの減便や系統の整理による不採算路線の排除(路線の統廃合)のどちらかしかありません。結果的に、これが沿線住民への犠牲(過剰運行による騒音・振動・排気ガス(CO2排出)・道路の傷み等)を減らすことにもつながります。京都市バスは、とにかく走り過ぎなのです。

 

今のままの状態では、京都市交通局のバス運営事業は長く持たないと思います。これからの時代、観光客を当てにした経営計画は不確実性が高いです。いずれ完全民営化(株式会社)か、何かのターニングポイント(国家規模の出来事)がやってくると思います。これから始まる日本の少子高齢化多死社会の結果、日本社会で何が起こるのか?それは二度と回復しない不景気、衰退です。もう既に起きていますが、報道統制されています。日本の衰退化は、今以上にリストラ(ダウンサイジング)の時代に進んでいくのです。規模の縮小です。決して悪い事ではありません。日本の人口は、国土面積に対して多過ぎたのです。人口に見合った社会システムを再構築すればいいだけの事です。

 

これからの時代、京都市交通局の「攻めの営業(増収増客)」がいかに間違った戦略であったかが、今後結果として判明してきます。東京などの大都市と地方都市では、根本的に違うことを各自治体の首長が理解しないといけません。大きな政府(日本版社会主義)での地方の税金の無駄遣いは、いづれ政府の財政破綻につながります。歴史上、政府が無駄遣いをした結果、国民に重税が課せられ、それに反発してフランス革命アメリカ独立戦争が起きたのです。政府が無駄遣いを止めると、国が貧しくなるという考え方は間違っています。政府が無駄使いをすると、そのお金は大企業など一部の金持ち(富裕層)だけに流れ、国民は貧しくなるのです。国民が貧しくなると国力が低下します。歴史を学べば、未来がよくわかります。人間の歴史は、形を変えて繰り返されます。ほんとうに正直です。人間の歴史など、恐竜時代に比べれば微々たるものです。

 

「蘆山寺通」は、京都市バスの専用道路?

「蘆山寺通」は市バスの専用道路ではありません。住宅街の中の一般道路です。

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 続けて3台の市バスが連続で走行したりするのは日常茶飯事です。その反対車線には、停留所(桜木町バス停)に市バスが止まっていて、その後にもう一台の路線バスが停車していることなど、ごく普通にあります。路線バスだらけで見ていると恐ろしい光景です。

 

さらに怖い光景は、バス停に止まっている市バスを追い越そうとするクルマが何台もいることです。そして、一番怖かったのは市バスがバス停に停車しているのに、西日本JRバスの路線バスが追い越して行ったことです。この狭い片側一車線道路が、市バスや西日本JRバス、立命館大学シャトルバス(ヤサカ観光バス)で埋め尽くされているのを見ると何か変だと思います。このままこの状態を放置すると、路線バス、特に京都市バスが絡んだ大事故が起きるのは、もう時間の問題です。

 

実は、この「蘆山寺通」は高低差がある道路なのです。西(衣笠山)に向かって見ると、突き当りの家が消えて見えないぐらいに途中で下り坂になっているのです。その下り坂の手前に停留所があります。つまり、停留所に止まっている市バスを追い越そうとする乗用車の運転席からは、その反対車線から来る車がはっきりと見えないのです。京都市交通局は、このような状況を把握しているのでしょうか?京都府警もパトカーで警らしていますが、このことを知っているのでしょうか?疑問です。

 

なぜ、京都市バスは乗客数が増加しているのに、経常損益が赤字になるのか?1

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儲からない路線を民間の路線バス会社へ運行委託しても受託バス会社が撤退するのは当然です。これまでのブログでも書きましたが、民間企業は赤字経営をしているとおおよそ三年程で倒産します。ゾンビ企業は別です。民間バス会社は京都市バスの赤字路線を委託されても、利益計算すれば結果が明らかなことぐらい最初からわかっているはずです。それでも京都市交通局から委託料(売上補填)をもらえるので、受託するわけです。自治体から資金を提供されるゾンビ運行です。しかし、基本的に路線バスの売上金は、運賃×乗車人数の旅客収入です。そこから人件費、車両経費やガソリン代などの固定費を引けば、赤字か黒字かはすぐわかります。京都市交通局の市バス事業の原価率は、ほぼ90%以上です。つまり、ほとんどが人件費と経費の固定費なのです。利益はほんの少しです。いかに生産性が低いかがわかります。※このブログを書いた頃は、運賃売上が京都市交通局のものであることを知りませんでした。受託バス会社は運賃収入は委託先(公営企業)に盗られて委託料だけもらうのです。いくら乗客が増えても受託バス会社の売上には反映されないのです。

 

京都市交通局はドル箱路線を市営バスで運行し、儲からない路線(赤字路線)を民間バス会社に委託する方法で運営していますが、これでは最初から無理があります。民間企業と公営企業(=役所)では、資金調達の方法に明らかな違いがあるからです。民間企業は「親方日の丸」ではありません。政府が発行した国債日本銀行などが買い取り、その代金が地方自治体にバラまかれるという中央集権国家の資金の流れ(地方交付金)は民間企業(株式会社)にはありません。さらに地方債という地方自治体が発行する公債(国債と同様に市民からの借金)も民間企業にはありません。民間企業にとって、赤字経営を続けていると、資金調達先の銀行などからの企業評価が悪くなり、お金を借りられなくなるのです。銀行からの査定が低くなり貸し渋りになるのです。つまり、運転手の給与やガソリン代、車両リース代金などが支払えなくなります。大企業のように増資などにより、株を発行して市場から直接、資金をかき集めることは中小企業では無理です。銀行からの融資(借金)が唯一の資金調達方法なのです。

 

市バスの運転手の平均給与が47万円で民間バス会社の運転手の平均月給が45万円と記事にありますが、こんなに民間バス会社の運転手の給料は多くありません。市営バスの運転手は地方公務員です。つまり、その給与は運賃売上だけでなく市民から徴収された税金や政府からの地方交付金が原資です。時間外労働や賞与がきっちりと支給されるので、おそらく年収にすると700万から800万円ぐらいになります。しかし、運転手にこれだけの高額な給与を支払うと民間バス会社はどこもすぐに潰れます。なぜなら、運転手の給料はコスト(原価)なのです。運転手のコストを削減しないと会社は利益が出ません。だから、民間企業も役所もボーナスや退職金を支払わなくてよい非正規社員を増やすのです。市バスの民間バス会社への運行委託は、ある意味で人材派遣労働と同じです。これでは給料も上がらず、ヤル気も出ません。それでも民間バス会社は運行受託する市営バスの運転手を募集し続けるのです。理由は、コストである人件費を運賃売上に関係なく、委託料としてもらえるからです。これでは、ますます給料は伸びません。

 

以前「蘆山寺通」で道路補修工事が行われていた時に、交通整理をしている警備員の方に市バスの運転手が「市バス止めたらあかんで!」とマイクで言い放った時には、驚きと同時に怒りがこみ上がってきました。市バスは緊急車両でもないのに、この運転手は自分を何様だと思っているのでしょうか?これは明らかに市バスの運転手は公務員だから、お前らより偉いと言っているのです。上から目線です。同じ人間として情けなく思いました。日本人は社会的地位を身分と勘違いしています。なぜ、同じ人間なのに身分(階層)があり、それにこだわる日本社会と日本人がいまだにいるのか不思議です。インドのカースト制度ではありませんが、実は日本は身分職社会なのです。この運転手が京都市交通局の公務員ドライバーか、それとも西日本JRバスの運転手かどうかはわかりません。しかし、上から目線である事は確かです。

 

現在も日本は「士農工商」という江戸時代の封建(身分)社会が続いているのでしょうか。明治の戸籍には士族(元武士)とか華族(公家出身の貴族)とか、身分が戸籍簿に記入されていたのです。江戸時代の名残の身分に異常に執着していた年代の日本人が大勢いたわけです。それは形を変えて、このように今も残っています。江戸時代より前には僧侶が貴族と同じ身分であった事には驚きます。だから、京都では坊主が威張っているのです。坊主や神主は、宗教という詐欺商法で人間を騙して商売する詐欺師です。日本は、天皇制の官僚統治型社会主義国家で武家社会が残る国ならではの湿気臭い雰囲気がプンプンします。

 

話を戻し、京都市交通局の市バス事業が完全に民営化(株式会社)すれば、民間バス会社の資金繰りがいかに大変かわかるはずです。市営バスの経営には、税金の無駄遣いがいかに良くない事かわかるはずです。身分職のような公務員待遇の京都市バスの運転手や交通局の一般職員と同じような大手企業並みの高額給与を民間バス会社は支給できません。大赤字でもボーナスが出る会社は役所以外にはないでしょう。民間のバス会社だけでなく、タクシー会社や運送会社の運転手がどれほど安い給料で働いているか、どれほど無給労働サービス残業、タダ働き)を強いられているか、役所である京都市交通局はもっとよく調査するべきです。従業員千人以上の大手民間バス会社だけを対象にせず、従業員が三百人以下の中小の民間バス会社も含めて分析すれば、実態がよくわかるはずです。

 

ちなみに、米国の国内線の旅客機パイロットの年収は300万円程度です。日本の航空運賃が高いのは、航空機の運転手であるパイロットの数が少なく、パイロットの年収が2000万円と高過ぎるからです。仮に路線バス運転手の年収を高くするためには、運賃を二倍以上にしないと採算が取れないのです。運転手の給料が高いと、運賃も高くなる。これは常識です。

  

運転手とは、老若男女、誰が運転しても生産性が同じ「同一労働・同一賃金」の典型的な仕事です。このことを理解しないと市バスは経常黒字化はできません。コロナ禍で、どれだけ世界中のタクシー運転手やバス運転手が解雇されたことでしょう。身分保障された日本の公務員ドライバーにはわからないと思います。まして、京都市や交通局の一般職員は想像もつかないと思います。昔から民間企業、特に中小企業で働く従業員がどれだけタダ働き(半強制的なサービス残業)を強いられていることか!劣悪な労働条件で働かされている市民の事など、全く知らない役人(身分職)は大勢います。だから、元公務員が民間企業で働くと続かないのです。あまりにも待遇が悪いからです。逆に言えば、公務員は民間企業では使い物にならないのです。なぜなら働かないからです。役に立たないのです。働く事に対する姿勢が公務員と民間企業の社員では全く違うからです。

 

日本の公務員はすべて、自らを特別扱いしている限り、この国は良くなりません。役人は、同じ人間である国民を人間だとは思っていません。国民を見下しバカにして税金を納める家畜だと思っています。市民を市民として見ていないのです。逆に市民から自分達の身分をいかに守るかに拘っています。その証拠に特定の道路に路線バス、つまり市バスを集中的に通行させても何とも思わないのです。沿線住民の苦しみなど微塵も感じていません。ヤリタイ放題です。自分達の目的がかなえば、市民が苦しもうが関係ないのです。京都市交通局は、おそろしい役所です。ひとは身分職の公務員になると、市民を人間とは思わなくなるです。だから、市バスの運転手までもが、警備員に向かって「市バスを止めたらあかんで!」とマイクで言うのです。信じられない役所です。その証拠に警察に逮捕される市バス運転手が後を絶たちません。

  

京都市交通局への提案、

金閣寺前の道路渋滞による市バス遅延問題や混雑解消を解決する方法として、市バス12号系統と59号系統、さらに急行102号系統も「蘆山寺通」を通行し、また「快速立命館」や「立命館ライナー」と呼ばれる立命館大学行きのスクールバスと化した路線バスの増発で、「蘆山寺通」の市バス通過台数が著しく増加し、騒音や振動、排気ガス(CO2)が増えて困っています。「蘆山寺通」は市バスの専用道路ではありません。

 

ここで京都市交通局へのひとつの提案なのですが、例えば西大路通を北進する系統バスは「蘆山寺通」、西大路通を南進する系統バスは「馬代通~小松原通」「馬代通~今出川通京福電鉄側道)」「馬代通~京都府立体育館~大将軍」「馬代通~丸太町通」に分散させて通行するようにすれば、「蘆山寺通」への市バス過剰運行による道路の傷みや交通渋滞、騒音、振動、排気ガス(CO2)を緩和させることができると思います。

 

日本政府は観光立国を目指していますが、地方は少子高齢化の多死社会で人口が減少しています。京都市も含め、地方都市では根本的な人の流れが減少しています。そこに観光地や大学への路線バス網を過剰に増やしても、結果は赤字経営となるばかりです。中国や韓国からの観光客や大学生以外でバスに乗る人は根本的に減っているのです。

 

京都市交通局の営業推進は、恣意的な「攻めの営業」を前面に出していますが、あくまでも京都市バスは市営団体、地方公共機関の公営企業です。民間バス会社ではありません。京都市営バスが完全に民営化すれば、無駄なサービスはすべて削ぎ落とさないと経営は成り立ちません。当然、市バスの所有台数や運転手の人数を減らし、職員も公務員待遇から民間バス会社並みの給与水準に下げないと経営は成り立ちません。公共サービスとして赤字にならないためには、必要最小限のサービスだけを残し、過剰運行や不必要な業務サービスはすべて廃止することが重要です。つまり、規模の縮小(ダウンサイジング)です。企業経営において、ひとつの事業、ひとつの路線でも赤字で運行し続けることなどありえないのです。

 

京都市内を毛細血管のように走る市バスの路線数を見直し、重複路線を整理することが最重要課題です。西大路や北大路、今出川通など大通りだけを巡回する路線だけを残し、神社仏閣や大学などに直結するような細かなルートは廃路にして、ひとを歩かせるようにすれば、赤字運行路線が大幅に減少させることができます徹底的に無駄を排除するのです。財政破綻を回避するための唯一の方法は、出ていくお金を減らす事です。

 

立命館大学滋賀県草津市大阪府茨木市に学生を分散しています。現在の衣笠キャンパスの学生数はそう多くはありません。自動車通勤できない教職員がいるだけです。もちろん、すべての学生が通学しているわけではなく、下宿生も相当います。これからの時代、少子化で大学がスモール化して行くのです。抜本的な市バスの系統整理(減便や廃路)をする事が黒字化への近道です。売上(旅客収入)を伸ばすことよりも、リストラする方が効果は大きいのです。公共サービスは、規模を拡大すればするほど赤字が膨らみます。なぜなら、「採算度返し」で市民や権力者の要望を取り入れるからです。地方の交通ビジネスとは、限られたエリア内での閉ざされたビジネスです。成長のない地方で業務拡大する事などありえないのです。売上を伸ばそうとすると、それだけコストが膨らみ赤字になるのです。

 

中央集権の日本政府を当てにするのではなく、地方自治体自らが考えて実行することがこれからの時代に求められる本当の地方行政力です。これからの自治体は地方交付金に依存した財政体質から抜け出すことが肝心です。地方交付金は年々減額され、不足分を政府は臨時財政対策債という地方自治体が発行する地方債で補わさせているような国です。借金してもよいと政府が認めているのです。しかも、政府の帳簿にも載っていない。地方自治体も帳簿に載せていないという公債です。おそろしいです。

 

「親方日の丸」という意識は無くすことです。未来永劫、繫栄する国も企業も、この世にはありません。いつかは命と同じで消滅するのです。

 

官僚の統制による大きな政府の日本型社会主義では、国力は維持できません。観光を優先すれば、地域住民が犠牲になります。観光が主要産業の国というのは、やがて衰退します。世界の歴史を知れば、日本の未来がわかります。

  

地域住民が京都市交通局に市バス運行経路の変更要望書を提出。

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※この記事は一年以上前の記事のためかどうかわかりませんが、既に消されています。

 

日本人は昔から「お上」の言うことは、何でも大人しく受け入れてきた民族です。世界の中でも珍しいです。その反面、「お上」は市民からの陳情は、後回しにするか、全く応じてくれません。役所は、権力者である官僚や大臣や自治体の首長から言われたことには、すぐに反応し実行します。

 

民主主義社会の先進国のひとつと言われる日本で、国民の声は全く「お上」には届かず反映されない社会は、実は社会主義国家なのです。本来の民主主義社会とは、個人が尊重され、国民が直接に国の代表者である首相や大統領を選ぶのです。日本は、政治家が首相を選んでいます。これを間接民主主義という人もいます。市民が行動しても、何も受け入れられない社会、これが伝統的な日本の統治体制です。つまり、官僚による統制社会です。最近、元官僚が大学教授になったり、市長や知事・副知事になったりするケースが異常に多いです。官僚が支配する国は、間違いなく社会主義国家です。あの崩壊したソ連がそうでした。国民が官僚に押さえつけられた社会です。

 

その結果、何が起こるのか?国民がますます大人しくなり、役人や政治家、大企業のやりたい放題となるのです。そして、権力者に寄り添う人間が増えるのです。これは、もはや民主主義国家でも何でもありません。日本の法治主義は崩れていき、人治主義になっていきます。つまり、独裁政権国家です。中国の共産主義と同じで、言論統制基本的人権が無視された社会です。

 

しかし、これは伝統的な日本人の民族性です。歴史(過去)を学べば、今(現在)がよくわかります。歴史は繰り返されます。歴史上の人物は偶然現れたのではなく、その時代に必要に迫られて登場するのです。環境は変わっても、人間の本質は変わりません。日本社会は昔のままなのです。集団社会主義です。庶民に押し付けられた生き苦しさは昔から何も変わっていません。変わったのは生活環境だけです。考え方は同じです。そして、人種差別ではなく貧富の差別が酷くなっています。

 

日本人は昔から「お上」の言うことは、何でも大人しく受け入れてきた民族です。世界の中でも珍しいです。その反面、「お上」は市民からの陳情は、後回しにするか、全く応じてくれません。役所は、権力者である官僚や大臣や自治体の首長から言われたことには、すぐに反応し実行します。

 

ひとは、役人になった途端、住民を市民とは思わなくなります。税金を納める家畜としか思わなくなるのです。これは、政治家も同じ、当選した途端、自分を特権階級と勘違いするのです。