人生、あせらず楽しもう!

御覧いただきまして、ありがとうございます。今の日本人には「感謝と謙虚」が必要です。権力によってメディアコントロールされたテレビや新聞に惑わされないために自分で調べて分析する事が大切です。何事も決して周囲に押し流されてはいけません。真実は自分で見つけ出すものです。

なぜ、京都市バスは「馬代通」を通行したくないのか?1

京都市交通局金閣寺前の交通渋滞を回避するために市バス12号系統や59号系統などを「木辻通」ではなく「蘆山寺通」へ通行するようにしましたが、実はJRバスは市バスより数年前にこれを実行していました。その理由は、渋滞で定時運行ができないからでしょうか?本当の理由はわかりません。

 

コロナ禍では「木辻通」を走る観光バスもタクシーもほとんどありません。しかし、今まで観光バスや路線バスが「木辻通」を大量に通行していたため、道路が擦り減りガタガタになっているところがあります。それは今も修復されていません。周囲の住民も無関心、京都市交通局京都市建設局の土木事務所も無関心です。もちろん金閣寺もです。役所は市民からの陳情が無い限り、自発的に道路舗装工事はしないのです。今なら観光客もいないので、道路舗装工事をするのには絶好のチャンスですが、誰も行動を起こしません。なんと無関心なのでしょうか。

 

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なぜ、京都市交通局は市バスを「馬代通」に通行させたくないのでしょうか?

これについては、以前のブログでも書きましたが、「馬代通」が「京都マラソン」のコースになったからかもしれません。「京都マラソン」が開催される前に、ランナーが金閣寺前の「木辻通」を走るのか、それとも「蘆山寺通」を走るのか、気になっていました。なぜなら、ただでさえも市バスが山盛り通行する「蘆山寺通」にランナーが何万人も走れば、道路はさらに傷み悪化するばかりです。結局、予想外に「馬代通」から「小松原通」そして平野神社の前の交差点を北上するという迂回コースになりました。これには何らかの力が働いた結果だと思います。仁和寺から北大路に向かうには金閣寺前の「木辻通」が一番の近道なのです。おそらく金閣寺京都市に「金閣寺前が騒がしくなるのは困る、観光客の集客に影響が出るから他の道路を走れ」と言ったのでしょう

 

ラソンコースが決定した後、京都市衣笠山沿いの観光道路である「きぬかけの路」や「馬代通」「小松原通」の道路状態を入念に確認して修繕していました。交差点の歩道も新しく作り直したりしていました。何度もブログに書きますが、マラソンコースに決まる前は道路が陥没していようが、ヒビ割れがあろうが、歩道が崩れていようが、京都市建設局も京都市交通局も見向きもしませんでした。上からの鶴の一声で変わりました。その変わりようには本当に驚かされます。京都市の代表的な「スポットライト行政」です。公園のトイレなど見栄えがする所だけを優先させるのです。決して市民目線ではありません。日本の役人中心の社会主義ならではのやり方です。

 

以前、「蘆山寺通」の道路修繕工事を陳情した時、現場に来た耳にピアスをした京都市職員の男性が「舗装し直しても、また舗装せんとダメですわ」と、いかにも面倒臭そうに言われたことがあります。公務員特有の仕事を増やしたくない症候群です。住民がなぜ連絡したのか、その真意を汲み取っていないのです。道路がガタガタで夜も眠れない程に市バスやトラックが通過する度に家が振動するから堪りかねて連絡したのです。

 

しかし、このマラソンコースの決定でも、いろいろあったように思います。普通に考えると「きぬかけの路」をまっすぐ走るコースになると誰もが思います。金閣寺の前から「西大路通」に出るコースです。おそらく、金閣寺の利害が京都市に関与したのだと思います。金閣寺の高僧が「観光客がたくさん来る金閣寺の前の道路をマラソンコースにするな」と言ったはずです。なぜなら、マラソンが開催されている時間帯は道路が封鎖され通行禁止となり、金閣寺に来る観光客が減り困るからです。観光客が少しでも減れば、金閣寺の収益が減るからでしょう。※後になってわかってきましたが、金閣寺の高僧と日本共産党にはつながりがあります。その事を後のブログに書いています。

 

市バスの経路変更にしても、マラソンコースの選定にしても、金閣寺の言い分がかなり影響しているように思います。なぜ京都市交通局京都市も、金閣寺の我がままを聞く必要があるのでしょうか?これは金閣寺、つまり相国寺足利将軍家鹿苑寺-金閣寺慈照寺-銀閣寺 )の権威があるからです。特に京都市政治が宗教に歯向かえない状態が今も続いているのです。古都税反対の拝観停止問題の時からです。それ以来、宗教が政治を利用するようになったのです。※後のブログで徐々に実態がわかり始めました。

 

どこの役所も権力者の利害が関係することを率先しますが、庶民が関わる事は無関心で後回しです。なぜそうなるのか?それは役人の出世にかかわる「手柄」があるからです。庶民の事など、どうでもいいのです。選挙に影響する事を最優先する市会議員、そして手柄を優先する役人、京都市にはそんな特権階級しかいません。議員や役人が市民のためにというのは美辞麗句です。当選しなければ政治家はタダの人間です。役人も出世できなければ、ただのサラリーマンです。

 

以前、法務局に後見人の手続きをしに行った時、参考資料を一枚コピーして欲しいと言ったら、若くて何も知らなさそうな偉そぶった係官が「国民の血税は1円たりとも無駄にできません」と断られました。こちらが困って相談に来ているのに、何という傲慢な態度だと思いました。それ以来、公務員つまり政府(お上)というのは、いざという時に何の当てもにならないと確信しました。彼らは自分の保身(出世)と蓄財にしか興味がなく、庶民をバカにし、市民には関心がないのです。国民は税金を納める家畜だと思っているのです。「そんなに血税を無駄にしたくないのなら、公務員の厚遇を止めればいいだろ!」と言いたかったです。

  

昔、公立高校の教師になった同級生が選挙前に私のところに来て、公明党の立候補者に投票してくれるよう粘り強くお願いしました。そこで「公務員が選挙活動をして良いのか?教師という立場でこのような活動をして良いのか?」と逆に詰問した後は来なくなりましたが、他でもしていると思います。このように地方公務員という立場でも、創価学会への熱心な活動が今も日常茶飯事に行われているのだと思いました。本当にしぶとい勧誘でした。宗教とは恐ろしいものです。※「自治労の正体」森口朗著を読んで、なるほどなと思いました。日本という国には決して民主主義社会ではありません。

  

話は元に戻し、なぜ「馬代通」に京都市交通局は市バスをもっと数多く通行させないのか?必ず真実があるはずです。これは京都市から京都市交通局へ「京都マラソン」のコースの道路保全を言われているようにも思います。あまり市バスを「馬代通」に通行させるなと。確かに「馬代通」は市バスの51号系統や急行102号系統、快速205号系統(快速立命館の復路)などが通行していますが、その本数は極めて少ないです。市バスが「馬代通」を通行しているのは、めったに見たことがありません。乗用車もほとんど走っていないほどのガラガラの道路です。道路舗装面も綺麗な状態です。※後になって見方を変えると、もしかすると「馬代通」には立命館の施設がいくつかあります。これが関係しているのではないかと思いました。さらに京都府警の小松原派出所もあります。警察による路線バスの取り締まりを気にしているのではないかとも思います。

 

以前、「馬代通」から「小松原通」を曲がる角に電柱が道路側に傾いていたことがありました。これも「小松原通」がマラソンコースに決まった後かどうかは、よく覚えていませんが、その三差路の道路幅や歩道が作り直されていました。これは市バスの運行ルートになったからなのでしょう。市バスが曲がれるように道路を改修したのです。

 

いづれにせよ、路線バスの「蘆山寺通」への集中運行、市バスの山盛り通行を止めさせるためには住民が立ち上がらないといけません。京都市交通局は借金(莫大な地下鉄の有利子負債)を返済しないといけないため、売上(旅客収入)を上げることに必死です。道路保全や沿線住民の住環境への悪影響など、まったく眼中にはありません。京都市交通局にとって「蘆山寺通」という道路は、京都市のものであって市民のものではないのです。だから、市バスをどこに走らせようが、道路をどう使おうが問題はないと考えています。沿線住民の市民をバカにしているのです。環境基本法憲法十三条も意味をなしません。これでも民主主義国家なのでしょうか。日本は役所の好き勝手ができる天皇制の官僚統治型社会主義国です。そして政治家も国民を無視して好き勝手できる。何か変な国です。恐ろしい村社会です。