人生、あせらず楽しもう!

御覧いただきまして、ありがとうございます。今の日本人には「感謝と謙虚」が必要です。権力によってメディアコントロールされたテレビや新聞に惑わされないために自分で調べて分析する事が大切です。何事も決して周囲に押し流されてはいけません。真実は自分で見つけ出すものです。

なぜ、京都市バスが金閣寺前を通らなくなったのか?4

連続ブログとして、シリーズ化して書いていますが、最終的な結論にはなかなか行きついていません。推測だけで確固たる情報(確証)がないからです。整理して見ると以下の通りです。

 

先日、ツイッターリツイートした京都市議会議員の菅谷氏の5月30日の書き込みに「産業交通水道委員会で審議される予定の陳情に関し、現地の様子を視察。現在、京都市北区金閣寺周辺のバス停は、今年の市バスのダイヤ改正により、60年間使用され続けてきた2カ所のバス停(北行きと南行きで合計4カ所)が休止となり、元に戻して欲しいと要望する声があるようです」と書かれていました。不思議な事は、60年間もあったバス停が突如無くなるというのは、おかしな話だと思います。市バスの経路変更がただの交通渋滞だけが本当の理由なのでしょうか?なぜ、そこまでして京都市交通局は市バスの経路変更をしたいのか?金閣寺は昔から海外からの観光客も多かったはずです。それを今になって無くすということは、何かもっと別の理由があるのではないかと思います。この件について、何度もブログで書いてきました。

 

産業交通水道委員会とは、京都市議会議員の集まりで京都市議会のひとつの委員会です。「行政に対する監視機能や政策提案・立案機能など、議会の権能を十二分に発揮することにより、市民の皆様の負託に応え、京都市の更なる発展はもとより、市民福祉の向上を実現していかなければなりません」と挨拶されています。その委員会で「木辻通」の周辺住民からの陳情として、市バス路線を元に戻す取り組みをされていたということです。

 

5月26日の京都新聞の記事に、赤坂町町内会長からも京都市交通局に要望書が提出されたと書かれています。京都市議会議員の菅谷氏がツィーター書き込んだ日に近いので、おそらく市会議員も同行されていると思います。市民からの陳情で市会議員が動いているのです。

 

一方、金閣寺前の「木辻通」の観光渋滞により定時運行ができないので、京都市交通局が「蘆山寺通」に市バスの経路変更を恣意的に行った結果、「蘆山寺通」は路線バスの過剰運行状態となり、二次災害である人身事故が連続して起きています。「蘆山寺通」の住民は、誰も陳情していません。京都新聞にも書かれていませんし、京都市議会のサイトにも陳情はありません。おとなしく辛抱しているのです。

 

ここで、肝心なのが金閣寺の動向です。今年6月の京都新聞に「金閣寺の敷地内で違法な開発行為。北山大塔の推定地、京都市埋文研の研究員が是正求める」という記事がありました。金閣寺文化財保護法に違反して、北山大塔(七重の塔)の基壇である可能性が指摘されていた盛り土の一部を勝手に削っていたということです。これ以外にも無許可で石垣や園路、広場を整備したということです。これに対して、京都市文化庁が黙認、放置しているということです。京都市文化庁金閣寺を常に監視しているとは思えません。この記事のように誰かが密告しないと事実は表沙汰にされません。

 

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重要な事は、京都市バスの経路変更と金閣寺の北山大塔(再建計画?)に関連性があるのかどうかということです。もし、京都新聞に書かれた文化財保護法違反が発覚しなければ、金閣寺は七重の塔を建てるために基礎工事を始めていたかもしれません。その際に路線バス、つまり京都市バスの通行が邪魔になるため、事前に金閣寺京都市交通局京都市を通じて要望していたのかもしれません。その部分の確証は何もありませんが、疑惑は残ります。ただ、新聞記事となってしまっている以上は、計画があれば中止または延期になっていると思います。

 

※追記していますが、下記のブログ記事をご覧ください。驚きます。

なぜ、京都市バスが金閣寺前を通らなくなったのか?2 - 人生、あせらず楽しもう!

 

京都市交通局が来春の年度替わりにどのような行動をとるかで、ある程度判断できます。経路変更した本当の理由がどちらなのかということです。交通渋滞なのか、金閣寺に言われたからかということです。仮に金閣寺からの要望であっても、その理由を正直には言いません。

 

市バスの経路変更を元に戻した場合は、周辺住民や市議会議員の要望を受け入れたということです。しかし、現状のまま経路変更を見直さないということであれば、交通渋滞が理由なのか、それとも金閣寺の要望を受け入れたのかということです。もし、その後に七重の塔の工事(金閣寺の屋根工事:9月~12月)が始まれば、間違いなく京都市交通局金閣寺の要望を受け入れていたということになります。つまり、京都市交通局の市バス経路変更の理由が交通渋滞であるというのが最初からウソだったという事です。 

 

なぜ、京都市交通局の京都市バスは赤字体質なのか?

この件については、これまで京都新聞など様々なメディアや京都の市会議員、大学教授などがいろいろ議論していますが、根本的に市営バスが手を広げ過ぎた営業をしているからです。つまり、走り過ぎて無駄が多過ぎるのです。言い換えると、無駄な路線や本数が多いからです。その結果、生産性が低くくなるのです。

 

地下鉄網が少ない京都市は、市民や観光客の需要をすべて満たそうとすると市バスの台数や路線数はいくらあっても足りません。赤字は永遠に増え続けます。必要最小限の公共サービスで営業展開し、後は民間バス会社に丸投げして市場を解放すればいいのです。現在のような京都市交通局の民間バス会社への運行委託契約ではなく、完全に路線を民営化(手放す)すれば、京都市交通局のコストも抑えられます。無駄な予算(委託料や車両費など)が要らなくなるのです。そもそも、民間バス会社が撤退するような路線は、根本的にニーズはあっても採算が取れない路線(運行ルート)だということです。つまり生産性がない路線なのです。大型や中型バスで運行して採算がとれないのならば、小型バスにする必要があります。それでも利益が出なければ、路線バスを運行する必要がないルートです。市民はクルマがなければ、タクシーを使えばよいのです。実は平安京の都のエリアは自転車で十分移動できます。市バスより自転車の方が早く目的地に到着できます。市バスを使った「歩くまち・京都」ではなく、あらゆる無駄を省いて無駄を無くすのです。京都市交通局は、コスト(ほぼ人件費)のかかる市バスを政治の力により、市場ニーズのない儲からないルートまで市バスを何台も走らせているから赤字体質から一向に脱却できないのです。これを「政治バス路線」と言います。

 

西日本JRバスなどの民間バス会社は、ニーズがありそうな路線しか運行していません。無駄な路線はありません。京都バスは市バスと重複しないルートしか路線がありません。西日本JRバスのように市バスと重複するルートは決して走りません。しかも、運賃収入が少ない路線の便数は、それこそ一時間に1本、二時間に1本、三時間に1本、昼間は無しで朝夕に1本などの時刻表が普通にあります。それくらいの事をしなければ、コストは削減できません。市民の足としての行政がサービス網を減らすことができないという発想では、いつまで経っても赤字体質は一向に変わりません。路線を増やすと、ますます赤字が増えます。なぜなら、バスと運転手が必要になるからです。

 

今日、地方都市には大型の路線バスなど走っていません。規模を縮小してマイクロバスやワゴン車で運営しています。もちろん民間タクシー会社などが運営しています。自治体は運営していません。大型や中型バスではコストがかかり過ぎるのです。知恵を出せば、いくらでも方法がありますが、京都市はそれをしないのです。「従来通り」のお役所仕事です。路線や号系統を見直すどころか増やす事ばかりしているのです。なぜそうなるのかは、このブログで書いていますが、昔から京都に住む市民はその理由を知っています。

 
市バス各系統の営業係数(令和元年度)について(令和二年9月14日)

https://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/cmsfiles/contents/0000274/274911/besshi.pdf

 

この資料を見てください。 京都市交通局が市バス各系統の営業係数を公表しています。令和元年度は全84系統のうち21系統が黒字、63系統が赤字。平成30年度は84系統のうち33系統が黒字(実質は18系統)、51系統が赤字。赤字路線が八割で年々赤字路線が増えているのです。令和元年はまだコロナ禍が無かった年度です。いかにニーズがない路線にコストがかかる大型バスで市営バスを走らせているかがわかります。ニーズがあるのは、京都市内のメインストリートの大通りだけです。それを衣笠線と呼ばれる立命館大学までのルートなどを増やすから赤字運行になるのです。メインストリートだけ市バスが巡回していれば黒字になります。乗客があまり乗っていない細かいルートを走る路線が赤字を増加させる根本的な原因です。しかも、その路線の発着場所は京都駅や三条京阪四条烏丸など同じ地点です。その結果、重複路線が増えて行くばかりです。市バスの赤字体質は何も変わりません。路線バスのルートを重複させると、収益性が下がるのです。一台あたりの運賃収入、つまり生産性が下がるからです。

 

京都市交通局はドル箱路線の儲けで赤字路線を埋め合わせして運営していると言いますが、その考え方は建築会社などの工事物件毎の按分方式(ドンブリ勘定)であり、そもそも路線バス運営は日割り毎の収支を見ないといけないのです。グロスではなく、ネットです。労働者一人あたりの1時間の付加価値(利益)がいくらなのかまで細かい計算をしないと、本当の生産性はわからないのです。市バスの時刻表に営業係数が書かれていますが、あれは生産性ではありません。単なるコスト目安です。京都市交通局は、公営企業という役所だから節約する必要はないと言われそうですが、企業ならばそれくらい細かく分析しないと本当の経営状況を把握し戦略を立てられません。

 

立命館大学の交通アクセス問題にしろ、根本的には立命館大学が考えて創意工夫することであって、京都市交通局がそれに合わせる必要はないのです。要するに儲からない事をしているわけです。そんな事をするから、様々な問題や課題が発生するのです。結局、京都市交通局としての固定費が膨らみ赤字になるのです。立命館大学の学生は、京都市交通局にとってドル箱かもしれませんが、立命館大学衣笠キャンパスの学生を大阪や滋賀などに分散し、交通アクセス規模に見合った学生数を割り振り、学部移転すればいいだけのことです。実際に大学側は実行していますが、いまだに本校の衣笠キャンパスに学生や教職員を集中させるから、交通アクセス、つまり人の輸送問題が発生するのです。そもそも立命館大学が京都駅から遠い場所に土地を買って大学をつくるからこうなったのです。

 

同志社大学を見てください。今出川京田辺に分散し、しかも路線バスではなく、大量輸送ができる鉄道網の地下鉄とJR、そして近鉄の駅が近くにあります。そういう場所を選んでいるわけです。マンモス大学は、鉄道が主たる交通アクセスでないとスムーズに人が流れないのです。路線バスだけでは無理なのです。なぜなら、道路には信号があり工事があり交通渋滞があります。乗り合いバスは時間通りに運行できないからです。つまり、遅刻するということです。根本的に日本の大学が全寮制でない事にも起因しています。通学時間というムダな時間が発生するからです。欧米の大学生と違い、アルバイトに明け暮れる日本の大学生には根本的に関係がない話かもしれません。世界共通、大学は基本的に全寮制です。

 

そして京都市交通局京都市全域をすべて網羅しようとするから赤字になります。民間企業のコスト削減の概念を取り入れることによって黒字化でき、持続可能な公共サービスになるのです。破綻して組織がなくなると元も子もありません。民間にできる事は民間に任せないと少子高齢化多死社会の日本、特に地方自治体は存続することができなくなるのです。持続不可能な自治体です。

 

商売において売上が上がらない時は売上を上げるために販促活動(広告や新商品投入など)をしますが、それは商売の環境が変わらないという前提条件があります。特別な状況や時代にある時には、まずコスト(原材料や商品仕入)を抑えないといけません。路線バスと同じような旅客運送業界では航空会社が良い例です。即座に路線を廃便や減便して従業員をリストラしています。これをしない限り、毎月毎月売上が上がらないのに固定費(経費)だけが出て行きます。赤字幅がドンドン拡大するのです。放置しておくと会社が倒産します。銀行は、そういう所を見て企業にカネを融資するか判断しています。不良債権にしたくないのです。不良債権が増えると次は銀行が破綻します。

 

今の時代、地方公共機関が破綻しないとは限りません。少子高齢化多死社会の恐ろしさは、国家規模が縮小することです。人口が減ることは決して悪い事ではなく、それに見合った社会制度に変更しない事が国や地方を破綻させるのです。日本の役人(身分職)や政治家(貴族)は、この事がわからないのです。なぜなら、保身と出世しか興味がないからです。下を見ず上しか見ていません。国家にとって人は国民ではなく、税金を納める家畜としか見ていません。カネが足りなくなれば家畜に増税する、これが日本という社会主義国家です。若い方は、日本が社会主義国家だとは思っていないようですが、よく分析するとわかります。若い頃は、そんな事はどうでもよく、毎日が楽しければいいという発想ですが、そんな事も言っていられない状況に日本はなって行きます。日本は、どこから見ても社会主義国家です。決して民主主義国家ではありません。普通に暮らしているとわかりません。それは共産主義国家も同じです。洗脳されるからです。

 

2020年9月9日18時40分頃、「蘆山寺通」で再び人身事故発生。

薄暗くなった夕方、京都市バスが団子状態で山盛り「蘆山寺通」を行き交う中でバイクと自転車(ウーバーイーツ配達員?)が衝突しました。バイクも自転車も市バスが行き交う中で周囲が確認できないのです。しかも同じ場所です。つまり、道路が少し坂になっていって見通しが悪い場所です。そこには京都市バスの停留所があります。しかも十字路になっています。事故が起きやすい潜在的な環境を京都市交通局が作り出しているのです。

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何度もブログやツイッターで紹介していますが、京都市交通局金閣寺前の「木辻通」を通行していた市バスをすべて「蘆山寺通」に経路変更し、しかも小中学生の朝の通学時間帯に快速の立命館大学行きの市バスを数十台も増便し、以前から運行している号系統の調整も全くせず、とんでもない過剰運行状態にしているのです。西大路通」から立命館大学に行く路線バスすべてが「蘆山寺通」に集中運行しているのです。恐ろしいことです。

 

朝だけでなく、今回の事故が起きた時間帯も同じような過剰運行の中で起きたのです。市バスの通行量を減らし「蘆山寺通」を追越禁止にしないと、現状のままだと三度事故が起きる時には大事故になる可能性があります。取り返しがつかない事が起きれば、京都市交通局は一体どうするつもりなのでしょうか。責任を取れるのでしょうか?

 

京都府警は「路線バスの過剰運行」に気付いているのでしょうか?通常、頻繁に同じ場所で事故が続くと気付くはずですが、それはわかりません。若い警官では考察力が低いので、どこまで信頼していいものか不明です。この周辺をパトカーで警らする時間帯を朝晩にすると実態がよく把握できますが、運転している警官は若手です。中高年のベテラン警官で警らしないと細かい部分を見落とします。何より京都市交通局に指導できるかどうかです。事故処理だけでは、この問題は解決しないのです。

 

これは京都市交通局による恣意的な経路変更による二次災害なのです。一次災害は騒音や排気ガス(CO2)、道路路面の傷みです。廬山寺通と西大路通が交わる「わら天神」の交差点の西側(赤色部分)の約100メートルに、大型ダンプや清掃車(市バスと同じくらい頻繁に通過します)、観光バス、立命館大学シャトルバス、京都市バス、西日本JRバスが信号待ちで停車します。その車両積載重量でアスファルト路面がダメージを受け波上に起伏して危険な状態です

京都市建設局の土木事務所は定期的にパトロールして道路状況を確認していると京都市のサイトには説明していますが、まったく気付いていません。気付いていても、数年毎に舗装し直さないといけないので、面倒臭がって対応したくないのでしょう。以前のブログ「なぜ、京都市交通局金閣寺前(木辻通)の未使用のバス停を放置するのか?」でも書きましたが、役所がそのような姿勢で市民からの陳情を軽視していると、それこそ恐ろしい事故が発生する遠因になるのです。

 

見方を変えれば「蘆山寺通」はそれほど多くの路線バスや清掃車、大型ダンプ、観光バス、さらに緊急車両が通る道路なのです。大通りに匹敵する程、路線バスの通行量は一日1000回近いのです。こんなに路線バスが通行すると、それこそ数年に一度は道路を舗装し直さないとアスファルトが持ちません。しかし、市民からの陳情が無い限り放置されています。本当に京都市土木事務所はパトロールして状況確認しているのでしょうか?疑わしいです。

 

もっと根本的に考えると、仁和寺金閣寺を結ぶために昭和30年代後半に観光道路として衣笠山沿いに「きぬかけの路」が新設されましたが、決して立命館大学のために作られた道路ではありません。それを京都市交通局は何を勘違いしているのか、立命館大学のために市バスを増便すると豪語しているのです。立命館大学は学生と教職員の輸送手段の利便性を良くするために双方の目的が合致しているのです。もちろん、その裏には売上(学生や教職員の旅客収入)を狙っていることは言うまでもありません。

 

そのために立命館大学教授の同じ人物が「歩くまち京都」推進会議と「京都市交通局市バス地下鉄事業経営ビジョン検討委員会」の両方の会長をしています。そして「立命館大学衣笠キャンパスへの交通アクセス改善プロジェクト」の事業支援金として京都市は400万円を支出しています。もちろん市民の税金からです。これは明らかに変です。利益相反行為です。つまり、その立場にある人物が追求すべき利益や目的と、その人物が他にも有している立場や利益が競合ないしは相反しているのです。だから、京都市交通局立命館大学の官民癒着があると疑われても仕方がないのです。金銭の授受があれば、間違いなく違法行為です。証拠さえあれば、司法機関が介入できます。

 

立命館大学には、この400万円の使途明細を是非公開してもらいたいです。公開できないのなら疑われても反論できません。京都市も何に使われたかを把握しているのでしょうか?市役所の職員と大学側が一緒に飲み食いしたり、支援金の一部を懐に入れているのではないでしょうか?癒着という認識の欠如です。よくある話です。

 

さらに深く考察すれば、京都市の都市整備が場当たりで無計画であることが原因しているのです。西大路通から西行きの道路は、丸太町通を最後に北大路通まで東西の大通り(片側二車線以上)がひとつもありません。狭い通りしかないのです。今出川通北野白梅町で終わりです。西に行く大通りがありません。

 

京福電鉄北野白梅町まで延伸させずに今出川通の道路幅で西へ伸ばして仁和寺付近で合流させる車幅の広い道路を作るべきだったのです。そうすれば、仁和寺龍安寺等持院立命館大学などへのアクセスが画期的に良くなります。立命館大学へのアクセスが悪いのは、大通りが周囲にないことです。そして何と言っても大鉄道がないことです。こんな場所に移設した大学側の落ち度です。京福電鉄のような小鉄道ではダメなのです。京都産業大学と同じです。同志社大学などは街中にあり、しかも大量輸送ができる大鉄道の地下鉄があります。周囲は大通りです。非常に便利です。京都大学にしても、周囲を大通りに囲まれています。京都学園大学から京都先端科学大学として新しく移転した場所には地下鉄があります。周囲は大通りです。非常に便利です。

 

立命館大学は、最初にあった広小路でキャンパスを拡大するか、地下鉄やJRの駅に近い場所に移転するべきだったのです。衣笠に移転したのが大きな誤算です。今更遅いです。路線バスだけでは、一万人以上の学生数には対応できません。せいぜい二、三千人にまでです。地下鉄など大鉄道は一度に数車両で大量輸送できます。ケタ違いです。

 

京都市交通局と立命館大学には、官民癒着があるのでは?2

昔、大学生時代に最初は市バスに乗っていましたが、市バスだと満員で乗れない時や時刻表通りに来ない場合があり、また交通渋滞で授業に遅れる可能性もあり、二年生からバイクで通学するようになりました。その方が時間を有効に使えました。大学側も大きなバイク専用の駐車場を敷地内に数か所用意してくれていて、駐車場からすぐに学舎に行け大変便利であったことを思い出します。

大阪など遠方から通学する同級生は公共交通機関しかありませんので、だんだん毎日通学しなくなりました。結局、試験日だけ通学して卒業していきました。自宅が大学から半径50km前後以上の場所にある大学生は正直なところ下宿するべきです。その方が楽であり、時間にゆとりができます。無理して通学すると、それこそ遠距離通勤のようになり疲労困憊してしまいます。何といっても自主学習する時間が減って行きます。

本来、大学に進学するのは勉学に勤しむためであり、アルバイトや遊ぶためではありません。この部分を日本の学生も大学側も勘違いしています。日本の場合、勉強もせずに卒業でき学歴になるから、日本の大学は世界ランキングが低いのです。単なる就職予備校です。

日本の大学生は、欧米と違い、勉学よりアルバイトなどをする時間が多く、また大学側も毎日課題(宿題)を出しません。そして、何と言っても大学敷地内に学生寮がある全寮制の大学がほとんどありません。学外から通学する学生がほとんです。そのために、このような交通アクセスの問題が発生するのです。勉強する以前の問題であり、全く昔から変わっていません。日本は大学生が勉学できる基本的な環境が整っていないのです。欧米の大学と雲泥の差です。

 

こうした状況の中で、以下のような取組みがなされていますが、実際は市バスの増便を正当化しているだけで根本的な問題解決にはなっていません。

 

 京都市都市計画局が「歩くまち京都推進室」という部署を作って、なるべくクルマに乗らずに公共交通機関を利用して歩いて観光しましょうというスローガンで話を進めていますが、結局は京都市交通局の負債を減らすための事業計画(増収増客)でしかありません。

 

スローライフ京都」大作戦により「歩くまち・京都」を実現 地域や大学等と連携し,モビリティマネジメントに取り組みます
https://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/page/0000089929.html
https://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/cmsfiles/contents/0000089/89929/kouhoukekka.pdf

 

京都市都市計画局が平成22年10月18日の広報資料に「歩くまち京都」ということで「立命館大学衣笠キャンパスへの交通アクセス改善プロジェクト」 を事業化し、支援金(血税)として400万円を支出していましたが、通学方法を決めるのは個人の判断であり、市バスを増便するから乗るようにというものではないと思います。

大学側も駐輪場やバイク駐車場(衣笠山の斜面:歴史的風土特別保存地区の破壊)を用意しているようですが、立命館大学の場合は大学の敷地内に教職員用のクルマの駐車場がないことが不便です。また駐輪場も学外にあり距離があります。大学側は学舎ばかり増やして、学生数を増やそうという狙いだと思いますが、学生の立場からすると、とても不便です。それを市バス増便で解消しようとしても逆効果です。特定の場所に大勢の人が市バスで集中すれば付近で大渋滞が発生するのは当然です。この答えは、最初の文章で書きました。今も昔も同じです。路線バスでは大量輸送は無理なのです。鉄道でないと大量輸送はできないのです。そもそも、立命館大学は京都駅から遠すぎます。京都産業大学京都精華大学などもそうです。

 

事業名:立命館大学衣笠キャンパスへの交通アクセス改善プロジェクト

立命館大学衣笠キャンパスの全学生約18000人、教職員約1300人
・私立洛星中学校高等学校の全生徒約1300人

事業概要:
 ・立命館大学衣笠キャンパス(中略)学生は通学のみならず、クラブやサークル活動あるいはアルバイト活動等においても市内を移動している。その結果、授業開始時や終了時の衣笠キャンパス周辺は(京都駅や西院、円町などの鉄道駅においても)学生であふれ、自転車やバイクの交通事故が発生するなど、様々な交通問題の原因となっている。
・私立洛星中学校高等学校では、朝夕の登下校時に自転車の利用が集中している。

実施内容:
立命館大学衣笠キャンパスに通学する全学生への交通実態調査及び私立洛星中学校高等学校の全生徒の通学手段に関するデータ収集(省略)

・(中略)自転車バイクから公共交通機関や徒歩へのモーダルシフトを可能とする新たな提案を行うことによって、学生や近隣住民ひいては京都市全体の抱える交通問題の軽減に向けた取組(改善案の試行)を行う

 

最終的に結論ありきの事業計画であることがよくわかります。京都市も市バスを増便して学生に利用させて旅客収入を上げることを目指している取組みなのです。これでは何の解決にもなっていません。もっと言えば、立命館大学の教職員約1300人が自動車通勤できないので、その足として市バスを増便して欲しいということです。その結果、「蘆山寺通」に山盛り市バスが通行し、騒音や排気ガス(CO2)が増え、周辺住民が被害を受けているのです。しかし、実際は立命館大学行きの市バスは赤字だらけです。路線数と一日の本数が乗客数に対して多過ぎるのです。

 

私立洛星中学校高等学校の中高生は大阪や滋賀など遠方から通学している学生も多く、JR円町駅から歩いたり自転車で通学しています。市バスに乗ると遅刻してしまうからです。

 

立命館大学の「京都駅や西院、円町などの鉄道駅においても学生であふれ」という文章がありますが、すべて立命館大学生ではありません。京都には他にも大学がたくさんあります。

 

令和元年度「歩くまち・京都」推進会議の開催について
https://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/cmsfiles/contents/0000266/266846/kouhou.pdf

令和2年3月16日 付けの資料「歩くまち京都」推進会議委員を見てください。19名の内、教育関係者が半分近く8名もいます。しかも、会長が立命館大学教授です。副会長が京都大学大学院教授です。後は、経済団体、観光業、商店街など、すべて京都市交通局ステークホルダー(利害関係者)です。市民公募委員はたった2名です。これでは何も言えません。何回も書きますが、京都市京都市交通局にとって、都合が良い人間ばかりを集めた集会です。これでは、画期的な案は出ません。画一的な案しか出てきません。それでは何もならないのです。さらに、おかしいのは肝心の京都市バスや京都バス、西日本JRバスからの代表者がいません。彼らこそ専門家なのです。採算度返しの税金が投入される公営企業とは違います。

 

コロナ禍で立命館大学に学生がいないのに、立命館大学行きの快速やダイレクト便は運休していません。なぜでしょうか?それは教職員を乗せるためだからです。学生のためと言いつつ、実は立命館大学の教職員のためなの市バス増便なのです。そのために立命館大学の教授が「歩くまち京都」推進会議の会長をしているのです。同じ人物が「京都市交通局市バス地下鉄事業経営ビジョン検討委員会」の会長もしています。立命館大学衣笠キャンパスへの交通アクセス改善プロジェクト」の事業支援金の400万円は税金の無駄遣いです。念のために使途内容明細を京都市のサイトに是非公開していただきたいものです。大学教授の公金使い込みはよくある話です。本当にプロジェクトに使ったかどうかも判然としないわけです。ちなみに安倍政権時代に吉本興業に100億円も公金が投入され癒着批判されています。

 

国家公務員 倫理規程論点整理・事例集(令和2年新装版)

https://www.jinji.go.jp/rinri/04zentaiban_r2.pdf

 

京都市交通局と立命館大学には、官民癒着があるのでは?1

なぜ、このような記事を書くかと言いますと、たまたま立命館大学の衣笠キャンパンスの横にある市バス駐車場(衣笠操車場)が借地かどうか調べていました。すると、京都市交通局のサイトに「市バス地下鉄の経営ビジョン骨子案に関する市民意見募集について」(平成30年7月6日から平成30年8月5日)という、かなり前のお知らせを見つけました。

 

京都市交通局にとって都合が良い答申内容は別として、その中に「市バス地下鉄事業経営ビジョン検討委員会委員名簿」(任期は平成29年8月30日から平成31年3月31日までです。なお,役職所属団体等は平成31年1月時点のものです。)という資料があり、それを見て驚きました。なんと15名の委員のうち2名が立命館大学の教授です。しかも、他にも京都大学大学院、同志社大学京都産業大学の教授がいますが、委員長が立命館大学の名誉教授なのです。副委員長が同志社大学の教授です。なぜ、立命館大学名誉教授が委員長なのでしょうか?しかも、副委員長も同志社大学の教授。他に委員長に相応しい人がいなかったからでしょうか。京都造形芸術大学佛教大学など他にも京都の大学があるのに、なぜ立命館同志社などの有名難関大学の教授だけなのでしょうか?京都市交通局にとって、都合が良い人物だけを人選しているように思います。日本政府も同じ手をよく使います。※後でわかりましたが、この立命館大学の名誉教授は何年も連続で委員長をしています。また、別の京都市の都市計画委員会の委員長も兼務しています。権力が集中しているのです。

 

それにしても、令和2年度の京都市交通局「安全報告書 運輸安全マネジメントに関する取組状況」の資料表紙写真にしても、堂本印象美術館の前、つまり立命館大学横の衣笠操車場の前で撮影された市バスの写真です。なぜ、そこまでして立命館大学のご機嫌をとるような事をするのでしょうか。もしかして、京都市交通局天下り先(再就職先)が立命館大学の事務長かもしれません。もちろん運転手ではなく京都市交通局の幹部職員です。

 

以前のブログ「なぜ、京都市バス金閣寺前を通らなくなったのか?3」でも取り上げましたが、平成30年9月に立命館大学映像学部と連携した「地下鉄バス一日券」PR映像を制作する事なども、地方公共機関である京都市交通局が民間大学と広告業務の一部を企業連携させるということをしています。ここには、お金の流れがあると思います。都営バスや民営化した大阪シティバスでさえも、広告業務を企業連携させたという記事は見たことがありません。市バス関連の委員会の長も立命館、そして広告も立命館。これは官民癒着があると誤解されてもおかしくありません。

 

ちなみに自民党の広告代理店は「電通」です。昔の民主党は「博報堂」です。その広告予算は年間数百億円です。今回のコロナ禍で中小企業やフリーランスに支給される持続化給付金事業で「電通」が絡んでいます。政権政党である自民党と「電通」の深い結びつき(癒着)があります。このように広告費というものは、人件費に次いで企業や団体にとって莫大な費用負担です。なぜなら、売上を左右するのは広告だからです。それを民間の私立大学(ステイクホルダー)と企業連携させる京都市交通局は安易だと思います。それこそ経費削減を狙ったものかどうかはわかりませんが、もっと慎重になるべきです。立命館大学がなぜ映像学部を新設したのかも不思議です。何かの狙いがあるからです。おそらくCCP(The Chinese Communist Party:中国共産党)が得意とするメディアコントロールだと思います。

 

このような事実からも、以下の市バス路線に関して官民癒着があると捉えられても仕方がありません。立命館大学行きの市バスが昔から異常に多いのも、立命館大学に言われて京都市交通局がしているのでしょう。おそらく、市バスの駐車場である衣笠操車場の土地は、立命館大学の土地だと思います。市バスを立命館大学まで運行させるために立命館大学が破格の借地料(1円?)で誘致したのだと思います。その証拠に市バスの駐車スペースが立命館大学の敷地にまで入り込んでいるからです。立命館大学の「年表で見る立命館」に市バスの事が書かれています。そこに京都市交通局からの申し出で立命館は土地を貸したとあります。事実かどうかはわかりません。おそらく、その逆だと思います。立命館から京都市交通局に操車場の土地を貸すから立命館大学まで市バスを走らせて欲しいと言ったのでしょう。

<懐かしの立命館>キャンパスの最寄り駅・バス停今昔 | | 立命館あの日あの時 | 立命館 史資料センター準備室(旧・立命館百年史編纂室) | 立命館大学

 

急行102系統
京都市交通局の紹介では、外国人向け観光推奨バス路線と位置付け運行を開始。世界文化遺産等の京都の歴史的建造物が観光できるという意味を込めていますと説明されています。
※この市バス、いつのまにか当初のルートである「西大路通」を走らずに、なぜか京福電鉄北野白梅町駅の側道を西行し、洛星高校のところから「馬代通」を北上して立命館大学孔子学院(表向きは国際平和ミュージアム、米国では中国公館として認定)を通過しています。西大路通だけを通行すればいいのに、わざわざ裏通りの立命館大学が近いルートを運行しています。当初の趣旨とは違っています。国際平和ミュージアムで観光客を降ろしたいのでしょうか。なぜ、そこまでして立命館大学に忖度するのでしょうか?

 

52系統
上京区仁和学区における市バス利用の機運の高まりを受け、学区内の七本松通を経由
し、立命館大学衣笠学舎と二条駅立命館大学の朱雀学舎)や四条烏丸とを結ぶ系統を復活しています。これも、おかしな路線です。※前のブログに詳細記事あり。

 

快速205号系統と快速202号系統(立命館大学行き)の系統番号を
「快速立命館に変更
京都駅よりもまだ南にある九条車庫から発車しています。そこまでして路線をつくる必要があるのでしょうか?その理由は、九条車庫(九条営業所)はバスの駐車台数が一番多いので、そこから立命館大学行きの直行便を多発させるためです。さらに、京都市交通局の組合幹部が仕事をしているフリをするために運転していた無届け臨時バスの「幽霊バス」。その臨時バスの一台が立命館大学行きの快速202号系統だったのです。

※学生数を分散させるために、立命館大学は交通アクセスの良い市外に学部を移転しています。つまり衣笠キャンパスは学生数が減少しているわけです。にもかかわらず、市営バスが特定の大学のための周回バス(スクールバス)になっているのは変です。大学側が民間バス会社に委託して用意するべきです。もしくは欧米の大学のように大学内の全寮制にするべきです。

 

立命館ダイレクト号系統

京都市交通局のサイトには、西大路四条→西大路御池→西ノ京円町→立命館大学
となっています。「蘆山寺通」を通る路線以外に「馬代通」を運行する路線もあるようです。

最初に見たときは「幽霊バス」かと思いました。それが、下記の臨時バスと称して1時間に一、二本ペースで運行しています。これは臨時バスではありません。このような事を周辺住民に説明もせずに京都市交通局は勝手に平気でします。恐ろしい役所です。沿線住民が騒音と排気ガスで迷惑していても全く顧みません。市バスのバス停を家の前に置かれたら、どんなに嫌なことでしょう!市バスの車内外アナウンスが近所に響き渡り、昼夜問わずとてもうるさいです。

 

臨時バス

府立体育館前《島津アリーナ京都前》 発 臨号系統 西大路四条行き

府立体育館前《島津アリーナ京都前》 発 臨号系統 立命館大学行き

※これが「幽霊バス」の正体です。時刻表を見ると臨時バスでも何でもありません。これは号を付けるべき系統バスです。最終的に一台の市バスで西大路四条(阪急西院駅)から立命館大学まで行くわけです。しかし、京都市交通局も役所なのでコソコソします。なぜ、オープンにしないのか不思議です。何かやましい事(ヤミ専従)を今でもしているのでしょうか。ちなみに「馬代通」沿いに立命館大学のインターナショナルハウス大将軍や孔子学院(表向きは国際平和ミュージアム、実は中国公館)を通過しています。肝心な事は、ヤミ専従をするために無届けで市バスを走らせる行為を京都市交通局が長年に渡って何とも思っていなかった事です。

 

これまでのブログでいろいろな角度から京都市交通局の恣意的な市バス経路変更について分析してきましたが、金閣寺前の「木辻通」を通行する市バスをすべて「蘆山寺通」に経路変更したことは、従来から通行する市バスとJRバスに加え、さらに市バス路線が3系統も加わり「蘆山寺通」が山盛りの路線バスだらけとなりました。その結果、特に京都市バスの古い車両のエンジン音の騒音や排気ガス(CO2)、道路の傷み(家屋への振動)など、周辺住民の住環境を破壊していることに対して何ら対策もしない慇懃無礼京都市交通局です。東京の都営バスや大阪市の民営化された大阪シティバスとは全く違います。環境保全に対する取組みが一切ありません。

 

京都市交通局は、自転車操業の借金地獄で首が回らないため、売上(旅客収入)アップの施策(増収・増客=増便)以外には全く関心がない公営企業です。民主主義社会で地方公共機関の役目は市民のためにあるのです。市バス地下鉄事業経営ビジョン検討委員会というのは、立命館大学の利便性をよくする事を目的にした審議会なのです。その証拠に大赤字運行の市バス重複路線の統廃合は一切されません。※そして、何よりその委員会のトップが長年にわたり同じ人物、高齢の立命館大学名誉教授だからです。後になってわかりましたが、他にも京都市の委員会の会長を兼務しているのです。一人の人間に権力が集中する事を避けるのが民主主義社会です。

 

なぜ、京都市バスは立命館大学行きの号系統が多いのか?増やす必要はありません。減らしましょう!2

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この記事には「52系統(立命館大学前-四条烏丸)は2018年に21年ぶりに再登場した。ルートは以前と異なるが、主要経路が似ている(京都市交通局)」と書かれています。

 

なぜ、52系統を再登場させたのか?

京都市交通局の平成29年度の京都市交通事業白書には、次のように書かれています。

(ウ)系統の新設
平成30年3月17日
上京区仁和学区における市バス利用の機運の高まりを受け、学区内の七本松通を経由し、立命館大学二条駅四条烏丸とを結ぶ系統の試行運行を開始しました。

 

ここで不思議なのは、なぜ立命館大学が出てくるのでしょうか?その根拠は何なんでしょうか?京都市交通局の資料やお知らせは、いつもそこが不明瞭なのです。だから「仁和学区における市バス利用の機運の高まりを受け」という曖昧な表現は詭弁で、実は立命館大学の朱雀キャンパスと衣笠キャンパスを結ぶための路線を増やすよう立命館大学側から言われたからだと思われても仕方がないのです

 

もし「仁和学区における市バス利用の機運の高まりを受け」という説明が詭弁でなければ、地域主体のMM(モビリティ・マネジメント)路線の開発であるならば、そのエリアだけを循環させるルートになぜしないのか疑問です。なぜ、立命館大学まで運行する必要があるのでしょうか。

 

資料を探し推察すればわかります。平成22年10月18日の西陣デマンド交通の住民ニーズ調査と実施計画策定という資料に、「仁和学区の住民数は2200人」とあります。仁和学区は、市バスがよく通行する今出川通千本通丸太町通が近いエリアです。「蘆山寺通」よりも狭い裏通りの「七本松通」に路線バスのニーズなどあるわけがないです。現代はインターネットや大型量販店の時代です。古い小売店ばかりの商店街には買物客は来ません。消滅して行くだけです。京都市交通局は、何を基準に路線バスのルート選択をしているのでしょうか?何度も書きますが、権力に影響されて決めていると思います

そこで、その根拠となる資料を見つけました。

スローライフ京都」大作戦により「歩くまち・京都」を実現 地域や大学等と連携し、モビリティマネジメントに取り組みます!(都市計画局 歩くまち京都推進室)

 https://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/page/0000089929.html

https://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/cmsfiles/contents/0000089/89929/kouhoukekka.pdf

この資料を見ると、京都市交通局が重点的に市バスの便数を増やしているエリアがわかります。恐ろしいことに、京都市がその事業毎に支援金(血税)を出しているのです。立命館大学に400万円も出しています。西陣デマンド交通を考える会には83万8千円です。活動内容はアンケート収集と資料作成です。最初から答えが出ている事(市バスの増便)に数百万円も税金を投入する京都市の無駄使いには呆れます。何か変です。京都市が時代に遅れているのか、日本が世界から取り残されているのか。おそらく両方です。

 

京都市バスの運営目的は既に公営企業の領域を超えてしまっています。民間のタクシー会社と同じで、どれだけ客を拾うかという観点で捉えています。市民の住環境の破壊、つまり騒音や排気ガス(CO2)、道路の路面の傷みなど全く考慮せず、ひたすら売上だけに固執しているのです。恐ろしい末期状態です。

 

以前のブログで、京都市バス立命館大学行きの号系統がなぜ多いのか?について書きましたが、もう一歩踏み込んで考えると、立命館大学を始終点、もしくは通過する路線バスの半分以上が立命館大学の関連施設を必ず経由しているのです。立命館大学からお金をもらっているのでしょうか?官民癒着があるのでしょうか?

 

京都市バス立命館大学の関連施設)

15系系統(立命館 衣笠キャンパス立命館 朱雀キャンパス)

52号系統(立命館 衣笠キャンパス立命館 朱雀キャンパス)

55号系統(立命館 衣笠キャンパス立命館 朱雀キャンパス)

59号系統(立命館 衣笠キャンパス立命館大学インターナショナルハウス宇多野)

M1号系統(西園寺記念館衣笠セミナーハウス、第二尚友館、第三尚友館、原谷グラウンド、原谷サッカーグラウンド、立命館小学校<北大路バスターミナル>)

急行102系統(国際平和ミュージアム孔子学院※表向きは国際平和ミュージアム、米国では中国公館として認定)

快速立命館立命館 衣笠キャンパス、国際平和ミュージアム孔子学院)

立命館ダイレクト(立命館 衣笠キャンパス、国際平和ミュージアム孔子学院)

臨時バス 西大路四条発 府立体育館前《島津アリーナ京都前》経由 立命館大学行き

    (立命館大学インターナショナルハウス大将軍、国際平和ミュージアム

     孔子学院、立命館 衣笠キャンパス


西日本JRバス(立命館大学の関連施設及び産学連携) 

高尾京北線(立命館 衣笠キャンパス立命館大学インターナショナルハウス宇多野、京北プロジェクト)

立命ライナー(立命館 衣笠キャンパス立命館 朱雀キャンパス)

 

このように路線バスを羅列すると、いかに立命館大学行きが多く、しかも京都市バスとJRバスが同じ路線を重複して運行しているかがわかります。52号系統などは「仁和学区における市バス利用の機運の高まりを受け」という理由付けなら、わざわざ立命館大学を経由しなくても、千本通今出川堀川通、丸太町を循環させていればいいのに、立命館大学を始終点にしています。これは立命館大学という権力者に京都市バスが利用されているからです。門川市長は「市民の足を守るため」と言っていますが、実際は観光客(神社仏閣送迎)と立命館大学の学生も含めた教職員の足を守るためです。京都市民が頻繁に立命館大学に行くようなことなどありません。

歴代の京都市長は、立命館大学から多額の政治献金をもらっているのでしょうか?その見返りとして、市バスやJRバスを立命館大学を経由するように便宜を図っているのでしょうか?権力を握ると何でもできます。

 

市バスの路線数が少ない嵐山や山科のような地区へ、京都市内に偏った市バスを系統整理して割り振るようなことは京都市交通局はしません。なぜなら、京都市バスの半分以上は赤字路線です。それでも立命館大学など一部の権力者を優先するような路線配分、さらに偏向的な路線の系統数を減らさないどころか増やしているからです。

そこには、公平さというものが微塵も感じられません。何度も書きますが、地方公共機関が市民のためではなく、一部の権力者や利益によって動かされているような状態では民主主義は終わりです。 

 

京都市交通局は、不採算路線の排除もせず、立命館大学行きの系統数や便数を増やしていると、そのうち取り返しがつかない状態になります。京都市交通局の市バス事業は、規模の縮小と固定費(人件費+経費)の削減をしないと近い将来に破綻すると思います。

その証拠に「京都市交通局の資料で、京都市バスの現状を調べました!」のブログで書きましたが、立命館大学行きに関しては、ここ数年に新規路線となった号系統が赤字路線なのです。つまり、事業性がないのです。昔からある号系統のみ黒字です京都市交通局がいかに税金の無駄遣いをしているかがわかります。市バス車両は、市民からの借金(地方債)で購入しているわけです。一台2千万円以上します。818台も所有しています。恐ろしい数です。

 

 

門川市長は表現が間違っています。京都市バスは「市民の足を守るため」ではなく、正しくは「大学と観光客の足を守るため」です。

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この記事によると、門川市長は「回復には相当の歳月が必要で過去に類を見ない減収は避けられない、(中略)経費削減に全力を挙げると同時に市民の足を守るため、国にしっかり要望していかないといけない」と述べたと書かれています。

 

門川市長は、いくつか間違った表現をしています。まず市バスは「市民の足を守るため」ではなく、観光客による増収増益を狙っている京都市(市営バス)なので「観光客の足を守るため」が正解です。これまでブログで書いてきましたように、観光客を除いた市バスの利用者数は年々減少し続けています。にも関わらず、京都市交通局立命館大学行きの号系統を増やしたり増便しているのです。「大学の足を守るため」です。

 

先日も馬代通を19時過ぎで誰も歩いていないところに臨時の立命館ダイレクト号系統のバスが通行しているのです。もちろん、誰も乗っていません。さらに、観光客もいないのに、金閣寺-二条城 直通バスなどを運行しているのです。よくこんな無駄なことを京都市交通局もするよなと思いました。余程、借金返済のために売上金(運賃収入)が欲しいのかと思いました。まるでタクシー会社の流し(巡回)です。コロナ禍の中で民間バス会社なら、こんな経費を無駄にするようなことはしません。需要がない時には、いくら供給しても結果は出ません。

 

その次に、門川市長は「経費削減に全力を挙げる」と言っていますが、口先だけです。これまでの実績がありません。京都市交通局は、あらゆるリストラをやり尽くしたことなど全くゼロです。完全民営化(株式会社)計画すら出てこないです。市バス二台を投資ファンド会社に売却して再びリース契約したことぐらいです。ポーズに過ぎません。何の経費削減にもなっていません。京都市バスのバス保有台数は、完全民営化(株式会社)した大阪市営バスの約二倍もあります。京都市内は、正直なところ市バスが多過ぎます。どれだけ税金を垂れ流して、客も乗っていない無駄な路線や車両を増やしてきたことでしょう。これでは経費削減に全力を挙げる以前の問題だと思います。まずは、市長の歳費と退職金を半分にしてから、議員と職員の給与を減額し、それから過剰な行政サービスを無くすことです

 

そして、一番悪い事は「国にしっかり要望していかないといけない」と門川市長は言い放っていることです。これは情けないの一言です。長年、地方交付税交付金補助金に頼りきった姿勢から抜け出していないのです。なぜ、京都府京都市だけで何とかしようとしないのか、すぐ「お上」に頼ろうとするのか。それなら無為無策ということを言っているようなものです。言葉通りの「自治体」ではありません。相変わらず中央集権国家です。なんのための市長なのか。なんのために府長がいるのか。それでは雛壇のお飾りです。日本は米国にしがみつき、地方自治体は政府にしがみつき、日本のサラリーマンは会社にしがみつき。主婦は旦那にしがみつく。そして短い一生が終わるのです。人生は一度限り、よく考えた方がいいです

 

歴代、元役人ばかりが首長になる京都ですから、地方行政力が全く無いに等しいです。だから、今のような状況になったのです。大阪市など、民間人の政治家が地方行政力を発揮している「自治体」もあります。門川市長のような官僚主義的な概念だから、いつまで経っても、日本は大昔から続く「大きな政府」の社会主義のままなのです。「小さな政府」になれないのです。官僚が地方を統治する制度を古代中国では郡県制と言います。京都は中国の秦の時代のままです。元官僚が支配しているです。

 

本来の民主主義社会とは、個人が尊重され、国民が直接に国の代表者である首相や大統領を選ぶのです。そして民間主導の経済社会です。日本は政治家が首相を選んでいるのです。そして、市民が行動しても何も受け入れられない社会、これが伝統的な日本の統治体制、つまり役人による統制された社会の官僚制社会主義国家です。だから、市民をバカにしているような行政をするのです。そして、市民も何の疑いもなく、それに従います。

 

話は変わりますが、欧米の観光都市に比べ、京都市だけかどうかはわかりませんが、日本の街の大通りにゴミ箱が全くありません。最近は駅にもありません。昔はゴミ箱がバス停にもありました。それがいつのまにかテロとの戦いという米国のスローガンに押し流され、日本のあらゆる公共の場でゴミ箱がなくなりました。ところが、米国などに行くと必ず大通りの交差点などには、いまだに大きなゴミ箱が置いてあります。米国だけでなく英国もそうです。大通りだけでなく公園にもゴミ箱があります。ゴミ箱がないから日本に来る観光客や国内の観光客が、道路に空き缶や食品容器、使い捨ての傘などを捨て行きます。結局、それを始末しているのは周辺住民です。

 

役所は、このようなことに全く無頓着です。ゴミ箱を置けば、爆発物などを入れられるとすぐ言い訳をしますが、日本はテロの対象国家ではありません。オウム真理教革マル派など、国内にいる破壊活動行為をする組織はいても、海外からの大規模なテロ行為は皆無です。もともとテロ行為は宗教戦争です。キリスト教の十字軍に対するイスラム教の聖戦活動(ジハード)です。日本は仏教国です。

 

最近、京都市内の公園の公衆トイレが綺麗に建て直されていますが、これも京都市が観光客に対する好印象を狙った宣伝活動のひとつです。観光客が今ほど多くなかった頃の京都市内の公衆トイレは、古くて臭くて汚い状態でした。京都市がしているのは、典型的なスポット行政です。光が当たる所にしか対処しないのです。

 

京都市交通局は、市バス車両をセールアンドリースバック契約に切り替えています。大丈夫ですか?

京都市交通局の7月27日のお知らせに「株式会社リアライズコーポレーションによる市長表敬訪問等について」という記事がありました。その中に資料が添付され、それをよく読むと、今年4月に株式会社リアライズコーポレーションと市バス車両のリース契約を締結しましたとあります。リースによる車両調達を公営バス事業者として初めて「セールアンドリースバック方式」という契約方式で締結したと書かれています。

 

問題は、通常のリース契約ではなく、なぜ「セールアンドリースバック方式」なのかということです。

 

セールアンドリースバック方式について
京都市交通局保有の車両を株式会社リアライズコーポレーションに売却し、リース料を支払い、バス車両を借り受けるもので、これにより手元資金を確保したうえでバス車両を使用できると共に、車両調達に係る単年度当たりの費用負担を平準化が図れるものです」と書かれています。

 

 つまり、京都市交通局がこれまで買った市バス車両を、株式会社リアライズコーポレーションに一旦売却し、改めてその車両をリース契約で京都市交通局が使用するということです。通常のリース契約と違うところは、京都市交通局が現在所有する市バス車両の売買代金(中古車売却代金)を京都市交通局が一旦手にすることができ、しかもこの会社に売却した市バス車両は毎月のリース料金で今まで通り使用することができるという金融システムだと思います。新車の車両購入をリース契約するのなら、わざわざリースバック方式にはしないはずです。この部分を以下で説明します。

 

この契約方法は自宅を売却するリースバック方式とよく似たシステムだと思います。自宅を売ってまとまった資金が手に入り、家賃を払う必要はありますが、自宅に住み続けることができるというものです。もうひとつ、リバースモーゲージという銀行との契約があります。これは不動産の所有権は譲渡せず、契約の不動産を担保に融資を受けることができるシステム(不動産担保ローン)です。市バスは動産なので、担保にはできませんから、銀行ではお金を借りることはできません。しかし、銀行の融資以外で動産を担保にお金を融通することができるのです。

 

老後資金が足りないので、家を一旦リース会社に売ってそのまま家賃を払って住み続けるという契約、元々米国発です。航空機でも言えますが、一機何百億円もする旅客機を航空会社が買取っていたら、資金はすぐに底をつき破産します。そのために協調融資(シンジケート・ローン)もしくは航空機リース契約で導入コストを抑えて、資金繰りを良くしているのです。

 

乗用車で言えば、カーリース(オートリース)という新車を購入する時にローン契約ではなく、リース契約で車を借りるシステムがあります。新車購入時に頭金などまとまった資金がなくても車を購入できます。しかし、所有権は、あくまでもリース会社にあります。購入者は使用権だけです。この方式の契約は、一見するとローン(月賦)よりリース契約の方が毎月の支払金額が抑えられ楽になりますが、盗難や事故を起こした時に問題が発生します。というのは、あくまでも所有権はリース会社にあるからです。全損事故を起こした場合や車を盗まれた場合は、新車をもう一台購入して、それをリース契約が満了した時にリース会社に返却しないといけません。事故があった場合には修理して元の状態にして返却しないといけないのです。リース契約を満了する際は、事故や傷、破損により査定価格が値下がりした場合は、その差額分をリース会社に支払わないといけません。そして、気が変わってもリースやローンは中途解約はできません。リースを延長する再リース契約はできます。

 

今回、京都市交通局は、通常のリース契約ではなく、京都市交通局が自己所有する車両を「セールアンドリースバック方式」という車両買上げリース契約という方式に、なぜ変更したのでしょうか?それは818台もある市バスを現金化して、資金繰りを良くしようとしているのだと思います。言い換えれば、カネに困っているという事です。リースバック契約なので、売却した車両代金が手元に入るという最大のメリットがあります。しかも、売却した車両は毎月低額のリース料金で使用できます。これは言うなれば、銀行からお金を借りるのではなく、市バス車両を担保にリース会社から融資(借入)を受けるようなものです。実際に銀行融資枠やローン枠に影響させずに資金が調達できます。資金繰りが悪い会社にとっては好都合なシステムなのです。

 

簡単に言えば、会社が銀行にこれ以上お金を借りられないので、工場の機械をリース会社に売ってお金を工面し、それを月々安いリース料金で使用するようなものです。厳密に言えば、コロナ禍のために京都市の財政が火の車になってきたので、もうこれ以上、京都市からは財政支援が受けられない。京都市交通局は自らが資金調達しないといけないという事態になっているというポーズのようにも見てとれます。

 

そう言えば、ネット広告で新型コロナウイルスの特別定額給付金の寄付のお願いという京都市の広告を何度か見た覚えがありますが、その広告費用の方が寄付金額より多ければ何の意味もありません。

 

この記事には「市バス車両を約18年使用していますが,この期間と比較して,借入金の返済期間が5年間と短く,毎年の費用負担が大きくなっています。」と書かれています。京都市交通局は、市バス車両を5年の公営企業債(地方債)を発行して買取りで購入しています。つまり、市民からの借金です。金融機関のお金は個人から集められた資金です。それを金融機関は融資したり運用(公社債や株式などを購入)したりして儲けているわけです。もちろん、個人でも国債や地方債などを購入できます。社会主義の日本がお得意とする国民が貯めたお金を吸い上げるシステムです。

 

このブログで何度か書いていますが、民間のバス会社や運送会社などは、車両を買取りにしているところは極めて少ないと思います。なぜなら、大型バスや大型トラックは新車一台が二千万円以上します。少しでも資金繰りを良くするために、毎月の会計処理が経費扱いになるリース契約にしているはずです。そうすれば、車両にかかる重量税等の税金も車両の所有者であるリース会社負担になり、毎月のリース料金もローン(月賦)より安く、節税対策にもなります。

 

しかし、このセールアンドリースバック方式を調べてみるとデメリットもあります。良い事ばかりではありません。リース料金が相場より高く、リース期間によっては支払い総額が高くなり、所有権を移転する場合は、買戻し金額が売却額より高くなるようです。つまり、何かの事情でリース物件となった市バスを買戻したい時は売った値段より高い金額で買取らなければならないということです。そして、自宅を売却するリースバック方式と同じで、市バス車両の買値は安いはずです。決して相場より高い値段では物件を買いません。なぜなら、買主が儲からないからです。

 

これまで京都市交通局のサイトで公開資料を色々と調べてきましたが、バス車両を買取っているのか、リース契約しているのかわかりませんでした。これではっきりしました。恐ろしい財務体質です。人件費も含めて、経費削減の金銭感覚がまったくありません。長年赤字が続くのは当然です。なぜ、今まで役所は気付かないのでしょうか?コロナ禍で初めて危機感を味わって焦ってきたのだと思います。そうでなければ、もっと昔からリース契約で市バス車両を購入していたはずです。京都市交通局は、800台以上もある市バス車両をすべて買取っていたとは、開いた口が塞がらないです。「親方日の丸」という経営環境は恐ろしいです。困った時には、空(日本政府)からお金が降ってきます。そのためお金を使いたい放題し、税金を無駄遣いするのです。経費削減や節約という発想はまったくありません。お金が足りなくなったら、市長や府長がお上(日本政府)に頼みに行けばいいのです。しかし、日本はそんな時代がもう長くは続かないと思います。労働生産人口の激減で税収入(歳入)が大幅に減少して行くからです。

 

京都市交通局が市バス車両を買取る理由のもうひとつは、民間バス会社への運行委託契約が関係していると思います。リース契約やセールアンドリースバック契約は、あくまでも市バスの所有権はリース会社やリアライズコーポレーションにあるのです。リース物件である市バスを第三者に貸し出す行為は又貸し、つまり転リースと言います。不動産でも建物をリースで借りている人が第三者に又貸しする「転貸借契約」民法612条があります。この契約は民法上の制限があり、自由に第三者と契約を締結できないのです。つまり、京都市交通局が勝手に民間バス会社と運行委託契約を交わせないのです。民法612条には「賃借人は、賃貸人の承諾を得なければ、賃借物を転貸することができない」と書かれています。つまり、リース会社やリアライズコーポレーションの承諾なしに転貸借契約は禁止されているのです。市バスの運行委託契約自体がサブリースのような契約ですので、市バス車両が原因での事故(車両火災など)が起きた場合に責任の所在が問題となります。だから京都市交通局は、車両のメンテンナンスも含めた運転手の派遣と路線運行をセットにしているのです。しかし、これは本来の旅客運送事業ではありません。なぜなら、運転手は別の会社の人間だからです。

 

ひとつ注意しないといけないことは、もし株式会社リアライズコーポレーションが倒産した場合、市バス車両は差押えられます。市バス車両は、京都市交通局のものではなく、あくまでも株式会社リアライズコーポレーションの所有物です。

 

そして、この契約話は今年の4月に決まったということですが、少なくともその数ヶ月前にどこから案件化したのかということも気になります。これは推測ですが、門川市長は元京都市教育委員会教育長、その前の桝本前市長も同じ出身。現在の京都府長も元官僚(国土交通省)、前府長も元官僚(総務省)その前も元官僚です。京都市交通局のことなので、京都府は直接関係ないように見えますが、そんなことはありません。親分子分の関係です。つまり、首長は元役人がなるという社会主義の政治構造になっているのです。ということは、省庁関係からの案件紹介(政府からのトップダウン商談)があった可能性があります。ちなみに、株式会社リアライズコーポレーションの社長は金融庁の6月のセミナーで講演しています。人脈がなければ出来ないことだと思います。それにしても、京都の市長も府長も歴代、元役人です。官僚が統治するような古代中国の漢民族の郡県制では民主主義政治の改革などできないと思います。改革ができなければ、今の日本と同じで、どんどん落ちぶれて世界から置き去りにされ、時代遅れになっていきます。

 

また、この会社は社歴が長いとは言えません。株主に大手リース会社がありません。通常、リース会社を設立することは難しくありませんが、必ず信用保証するためにバックに大手リース会社や信販会社がいるはずです。所謂、資金源です。その部分が不透明です。そして、何よりこの会社が投資ファンド会社であることです。資金調達先がどこなのか気になります。ブラックマネーが流入していないければ良いのですが、お上(政府)からの紹介案件なので、京都市交通局も断れない契約(権力商談:利権)なのでしょう。

 

いずれにせよ、京都市交通局は姑息な手段ではなく、もっと抜本的に事業をリストラしないと長続きしないと思います。ちなみに大阪市営バスは民営化して、赤字路線や採算性の低い路線をすべて廃止し、約960台保有していた車両数を民間バス会社並みの541台にまで半減させています。大いに見習うべきです。

 

私のブログが、京都市交通局のご参考になれば幸いと存じます。

  

なぜ、京都市交通局は金閣寺前(木辻通)の未使用のバス停を放置するのか?

京都市交通局は、金閣寺前の道路である「木辻通」を走る市バスをすべて「蘆山寺通」へ通行するように恣意的に経路変更しましたが、いまだにバス停が残っています。なぜ放置しているのでしょうか?

 

金閣寺前の15坪ほどの土地に市バスのバス停がありましたが、この土地は間違いなく金閣寺の土地です。それを京都市交通局に借地していると思います。毎月どのくらいの金額で貸していたのでしょうか。30万円ぐらいでしょうか。今も京都市民の血税金閣寺に流れているわけです。税金の無駄遣いです。

 

京都市交通局は、市バスの経路変更を確定したのならば、バス停を撤去するべきです。未練がましく残しているのは、何か理由があるからでしょう。バス停は、道路法で道路管理者に占用許可を得て、その期間はバス停を置くことができるようです。許可期間を過ぎれば不法占となります。つまり、金閣寺前や木辻通沿いのバス停は、まだ占用許可期間中というこです。それにしても、金閣寺前付近を見て回ると何か腑に落ちない雰囲気が漂っています。京都市交通局にしろ、金閣寺にしろ、市民には言えない何かを隠していると思います。

 

あらためて「木辻通」の道路舗装面を見ると、路線バスや観光バスのせいで道路が擦り減っています。相変わらず、そのままの状態で放置されています。道路舗装しなおすには、本当に今がチャンスなのですが、全くしません。もし京都マラソンのコースにでもなれば、すぐに綺麗に舗装されます。これが京都市のスポットライト行政です。役所仕事は楽なものです。日本の公務員は、間違いなく民間企業では通用しないと思います。「親方日の丸」というのは危機感がありません。赤字でも天(政府)からお金が降り財政補填してもらえるからです。

 

以前のブログで「なぜ、市バスは「馬代通」を通行したくないのか?」でも書きましたが、「蘆山寺通」の道路補修工事を陳情した時、現場に来た耳にピアスをした京都市職員の男性が「舗装しなおしても、また舗装せんとダメですよ」と、いかにも面倒臭そうに言われたことがありましたが、もう一言いわれました。「お金(予算)はいっぱいあります」。だから、舗装工事はしてあげますよと上から目線で言いたかったのでしょう。この時に思ったことは、京都市京都府財政が厳しいはずなのに、この職員はわかっていないのかと思いました。やはり「親方日の丸」の元で働いていると危機感はゼロです。民間企業の社員と違い、切磋琢磨しなくてもボーナスがもらえます。クビになりません。

 

よく新聞やニュースで「公金横領」という記事があります。役所の場合、取引業者に値引き無しの請求書を用意させて代金を支払い、取引業者は実際に値引いた分の差額のお金を職員に預かり渡すという方法です。警察の場合は、架空の出張による交通費や宿泊費の伝票でお金を捻出させる方法です。これらは今も当り前のようになされていると思います。金額が大きいとニュースになりますが、少額なら役所内部でもみ消されます。

 

市バスの運転手なら「釣銭泥棒」(小銭ではなく紙幣)です。京都市交通局でも頻繁にありました。今もあると思います。発覚していないか、少額なのでニュースにならないだけです。ニュースになる時は数人の運転手が一度に出てきます。手癖が悪い人は一生なおりません。性格と同じです。油断した時に出ます。

 

以前のブログ「なぜ、京都市バスは乗客数が増加しているのに、経常損益が赤字になるのか?」で書きましたが、「蘆山寺通」の道路補修工事で交通整理をする警備員の方に向かって京都市バスの運転手が「市バスを止めたらあかんで!」とマイクで言い放ったことがありましたが、つい最近も「蘆山寺通」を通過する京都市バスの運転手が乗用車に対して、しばらく待っていればいいのに「(左・右)どっちですか?はっきりしてくださいな!」とマイクで言い放っています。聞き覚えのある声だったので、数年前の運転手だと思います。性格は一生なおりません。何かの時に出ます。

 

横浜市交通局は、国土交通省の「地域公共交通づくりハンドブック」通りにしています。

以前のブログで、京都市交通局の市バスの経路変更は、国土交通省の自動車交通局旅客課が作成した「地域公共交通づくりハンドブック」という冊子に書かれている通りにはなされていないと書きました。
国土交通省の自動車交通局旅客課「地域公共交通づくりハンドブック」>

https://www.mlit.go.jp/common/000036945.pdf

   

https://www.kanaloco.jp/news/social/entry-397227.html

今回、横浜市交通局は、神奈川県警と協議して危険度が高いと判断されたバス停を移設する方針を明らかにしました。これは市民にとって素晴らしい取り組みです横浜市交通局長は「個々のバス停で課題があるところは、安全性向上に積極的に関わっていきたい」と述べ、関係機関とともに危険解消に向けて努力する意向を示したと記事に書かれています。京都市交通局の姿勢とは雲泥の差です。しかし、これは死亡事故が発生してから丸二年も経過してから、横浜市交通局と神奈川県警が積極的になったということです。遅過ぎます。もっと言えば、横浜市交通局は、警察に言われないと危険な位置にあるバス停かどうかもわからなかったのでしょうか。本来、事故が起きないように未然に防止することが重要なのです。

 
「蘆山寺通」に横断歩道は無くても、狭い道路と交差する十字路付近に市バスの停留所があれば、市バスの停車時に死角が生じることぐらい自動車免許を持っている人間であればわかります。京都市交通局は、事故を誘発する「危険なバス停」は直ちに排除するべきです。市バスの場合、バス停の間隔が500mぐらいなら、次のバス停まで歩けば良いのです。メインストリートである「西大路通」まで歩けば、バス停ならいくつもあります。市バスもたくさん走っています。

 

なぜ、京都府警は京都市交通局に毅然とした態度で指導できないのでしょうか。事故が起きてから対応するだけでなく、事故を未然に防ぐことが大切なのです。そこには人命が関わっているのです。
 
この記事では、小学5年の女児が亡くなっているのです。それが、もし自分の子供や家族であれば、どんなに辛いことでしょう。亡くなった人は、いくらお金を積んでも戻って来ません。
 
何度も書きますが、このハンドブックには、以下のように説明されています。

第3章 地区別の地域公共交通の計画づくり(抜粋)

路線検討の注意点
・狭隘道路や交通規制により、路線設定が困難な場合であっても、そこを運行することがどうしても必要な場合は、関係機関と協議して解決策を見出すことが必要です。
路線バスと競合する路線は、空白地域の解消に貢献しません。すでに路線バスがある地域に、新規路線を二重投資することで路線バスが減便・退出することになれば、地域公共交通網全体に悪い影響を及ぼします。路線バスと競合する路線の設定については、慎重に検討する必要があります。
・路線検討については、担当課だけではなく、沿線地域に詳しい職員や住民を集めて検討する必要があります交通規制の状況、時間帯による渋滞の有無交差点などの安全性、沿線の立ち寄り施設に関する住民の利用状況などを確認し、沿線住民が利用しやすく、運行に支障のない路線にすることが必要です。
地域公共交通の導入目的に常に立ち返り、目的達成につながる路線を設定しているかを確認することが必要です。

第5章 地域とのコミュニケーション(抜粋)
(1)住民との協働による計画づくり
沿線住民から支持される地域公共交通をつくるためには、それを必要とし実際の利用が想定される住民と密接なコミュニケーションを取りながら計画をつくることが望まれます。(中略)生活の実態、住民の本音を、計画に反映することが求められます。住民が利用しやすい地域公共交通の実現に向けて、住民との協働により計画をつくるための要点として、下記事項をあげることができます。

≪ 住民との協働により計画をつくるための要点 ≫

(中略)
・地域公共交通の検討結果は、ホームページ上などで公開し、透明性を保つこと。
・地域公共交通は、住民とともに計画し、管理することを事前に説明すること。

とあります。ここに書かれている関係機関とは、つまり警察です。

 

今回の京都市バスの「木辻通」から「蘆山寺通」への経路変更にあたり、京都市交通局による周辺住民への聞き取りや説明は全くなされていません。京都市バスみずからが路線バスの過剰運行により渋滞を発生させ、二次災害のような交通事故が起きる状況が、今の「蘆山寺通」です。また、京都市バスと競合する路線をJR西日本バスが運行しています。まさしく、この二社はこの冊子に反する事ばかりしているのです。

 

 不思議でならないのは、国土交通省近畿運輸局がよく調べてから許認可しているのでしょうか?京都府警は、パトカーによる警ら中に気付かないのでしょうか?先日、人身事故があった問題の十字路に対して、市バスが過剰運行をしていることに何も感じないのでしょうか?警察は過去の事故報告書を管理していないのでしょうか?市バスについて調査すれば、数字となって結果が直ぐに出てくるはずです。

 

正義と秩序(治安)を維持することが、警察の役目だと思います。警察が権力によって左右されることほど、市民にとって辛いものはありません。

 

なぜ、京都市交通局は頻繁に市バス運転手を募集するのか?2

yaziup.com

この記事の中に「何故、市バス運転手は激減するのか」という項目がありました。このブログでも、京都市交通局の資料でいろいろ分析しましたが、その実態は予想通りでした。京都市交通局が市バス運転手を頻繁に募集している裏には離職率が高いからです。労働時間である拘束時間が長いのは、運転手にとって疲労の原因になります。運転手だけでなく、長時間労働は過労となり労働者にとって何ひとつ良いことはありません。このような昔からの日本人の美徳とも言える社畜と呼ばれる奴隷状態の長時間労働が日本人の生産性を低くしているのです。得をするのは経営者(雇主)だけです。24時間365日、会社が従業員を拘束できて、しかもサービス残業などのタダ働きをしてくれる日本の労働者ほど素晴らしいロボットはありません。いずれ日本の旅客運輸業界は外国人労働者になると思います。成り手が減っていくのです。既に建設労働者や交通整理員は京都市内でも外国人労働者が増えています。日本人の生産労働者が減少しているからです。

 

長距離トラックの運転手は、一週間に一度ぐらいしか地元(家)に戻れません。寝泊りはトラックの中です。自分の時間などありません。その割に給料は支給額で50万円には届かないでしょう。税金や社会保険料を引くと30万円台です。賞与などは運転手には寸志程度(数万円)しか支給されません。長距離トラックの運転手とは、どれだけの荷物をどれだけの距離、運転したかの仕事なのです。つまり、1kmにつき十円というような出来高払いなのです。それが実態です。そのために睡眠時間を減らした居眠り運転による事故が絶えないのです。これは高速バス運転手にも言えます。ちなみにクロネコヤマト宅配便の運転手も、ひとつの荷物につき百円の出来高払いです。荷物をどれだけ配達したかの出来高払いの仕事なのです。民間運送会社の運転手の基本給は10万円程度です。中小の運送会社なら5万円です。こうしないと民間企業は存続できないのです。基本給が安いという事は、何かの時にもらえる保障金額が非常に少ないという事です。

 

京都市バスの運転手も、出来高払い(運賃売上)にすれば、公務員待遇による厚遇(高給)がなくなり、京都市交通局も人件費を抑えられるようになるかもしれません。これで釣銭泥棒(運賃着服)も減少するでしょう。なぜなら、出来高払いなので運賃回収額を誤魔化すと、もらえる給与が減るからです。そもそも路線バスや清掃車の運転手を地方自治体が公務員として採用して運営していること自体がおかしいと思います。時代遅れです。民間企業で運営すればいいのです。既に大阪市などで実行されています。それを取り締まるのが役所の仕事です。京都市交通局のように、長年経常赤字になっても、莫大な累積債務があっても、京都市や国(交付金)が補填するような甘やかされた経営環境にいる限り、資本主義社会での独立企業としての黒字化は果たせません。なぜなら、イノベーション(変革)がないからです。公営企業は何だかんだ言っても役所です。親方が日の丸では、赤字でも経営し続けられるという甘え意識があります。市バスや地下鉄の運行委託や経路変更は変革ではありません。変革とは、市バスの完全民営化(株式会社化)や地下鉄の売却です。これによって、京都市は税負担がなくなるわけです。

 

日本航空は経営破綻後に税金(法人税)が免除されていました。それは再上場するまでの長い間です。一兆円に近い公的資金血税)によって再生した日本航空が民間企業の全日空と競争したり比較すること自体が間違っているわけです。なぜなら、税金を払っていないわけです。ちなみに、日本航空の大株主のひとつが京セラです。稲盛氏は日本航空からは無給であっても、しっかりと株式という見返りをもらっています。当時の民主党政権が決めたことです。

参考記事: JAL(日本航空)の経営破綻と公的資金の投入

この記事の中で、日本航空が経営破綻した原因が、現在の京都市バスと同じなのです。

・人件費が高すぎた
・「親方日の丸」の意識が強かった
・赤字路線が多かった

そして、日本航空が再生できたのは、稲盛氏の手腕でもありません。単純にリストラ(不採算路線の排除)と固定費の削減(人員と給与削減)を強行したからです。大企業は従業員が多いので人件費を削減(抑制)すれば、すぐに数兆円の黒字となり資金を確保できます。

 

話は元に戻し、「何故、市バス運転手は激減するのか」という記事の中で、国土交通省が調査した結果、以下のような実態を発表しているようです。

・1日の拘束時間が半日以上(12時間以上)
離職率は、1年で3割、4年後には5割
・35歳以降に年収が下がる
・女性ドライバーは全体の1%
・40~50代の中堅、ベテランドライバーの給料の激減は激しく、各社争奪戦
・6人に1人が60歳以上で、これからも増える傾向にあり
・正社員率は7~6割

 

記事には「新卒者や経験者に好待遇を出すバス会社もあるが、それが5年、10年続くわけでもない。(中略)各交通局では、免許所得に費用がかかる大型二種の費用補助や、ベテランドライバー同乗による回送車を使った実地訓練を行っているが、実際にドライバー拡大につながるかどうかが疑問だ」と書かれています。以前のブログでも書きましたが、運転手とは「同一労働・同一賃金」の最たる職業です。老若男女は関係ありません。なぜなら、誰が運転しても仕事の成果は同じだからです。にもかかわらず、京都市バスの運転手の給与は民間バス会社の2倍以上もあります。「同一労働・同一賃金」に反します。

 

大型二種免許は自腹で取得する方が、会社や組織に対して気兼ねなく辞めたい時には辞められると思います。それを採用者側に費用負担されていると借金しているようで、なかなか辞められないと思います。そこが、実は雇用者側の強みなのです。注意するべき点です。美味しい話には何かあります。タクシー会社も同じです。そして、運転手として採用されると、基本的には定年まで運転手です。事務職になるとか管理職になるということはありません。管理職は京都市の上層部から降りてきます。もしくは、国土交通省などから天下りがあると思います。事務職などは人事交流や別採用です。定年まで運転手、そこには夢も希望もありません。

 

なぜ、京都市バスは立命館大学行きの号系統が多いのか?増やす必要はありません。減らしましょう!1

昔から、京都市バス立命館大学行きの市バスが異常に多いです。高度成長期から成熟期の日本では、全国どこも勤労者や学生の数は多かったのですが、人口減少期の日本において東京や名古屋、大阪を除く地方都市では、団塊世代の定年退職者の増加、勤労者の高齢化と早期退職、少子化による学生数の減少、そして多死社会。つまり、観光客を除いた実質の路線バス利用者は減少しているのです。このことは、以前のブログで分析しました。

 

もともと京都市内は狭い盆地なので、メインストリートから歩いて行ける場所が多く、自転車があれば、東西南北を何時間もかからずに1時間ほどで縦横断できます。前々回のブログの「なぜ、京都市バスは「馬代通」を通行したくないのか?2」でも書きましたが、裏通りや表通りまで市バスが通らなくても、西大路通北大路通堀川通烏丸通などメインストリートだけに市バスを走らせておけば、後は歩いて15分以内には目的地に到着できます。中国の都を模倣した古都京都は碁盤の目のように設計された街なのです。わかりやすいです。歩くことは体に良いです。自転車は市バスのように有毒な排気ガス二酸化炭素含め)は排出しません。とても環境に良いです。

 

立命館大学へ行くのにも「西大路通」沿いにある平野神社の前の「小松原通」を歩いて行けば、10分で東門に到着します。渋滞する「蘆山寺通」を通る市バスに乗って終点の立命館大学まで行くより「西大路通」沿いのバス停で降りて歩いた方が早く確実に着きます。賢い学生はそうしています。わざわざ立命館大学の正面まで渋滞する市バスで行かなくても「西大路通」から歩けばいいだけのことです。昔は、京都市内のメインストリートにしか、市電が走っていなかった頃は立命館の学生は皆歩いていました。もちろん、立命館の職員もです

 

京都市交通局もメインストリートだけに市バスを走らせれば、市バスの台数を増やさなくてもよく、運転手も増やさなくていいのです。エンジン音がうるさくなった古い市バスの車両入れ替えコストも減らせるのです。消費するガソリン代も減ります。何より排気ガス(CO2)が減り、メインストリート以外の裏通りや表通りの交通渋滞や騒音問題も無くなります。環境保全には良いことだらけです。ここ数年で京都は排気ガス臭くなりました。地方都市の空気の臭いと比べるとよくわかります。

 

話は変わりますが、京福電鉄北野線の「等持院駅」が売名行為で「立命館大学衣笠キャンパス前駅」という日本一長い駅名に変更していますが、京都市交通局だけでなく、京福電鉄までもが、立命館大学の言いなりになっています。なぜ断れないのか、不思議です。今まで通りの「等持院駅」の方が風情があり、親しみがあり、観光客にもわかりやすいです。衣笠地区は大昔から立命館大学とは何ら関係がありません。立命館大学が勝手に移転し、あちらこちらを地上げして敷地を拡大しただけのことです。後からこじつけた立命館の歴史が作られているだけなのです。将来、立命館大学は「等持院」という寺の名前まで変えるかもしれません。「立命館大学衣笠キャンパス寺」がいいのではないでしょうか!日本一長い寺名で有名になり、受験生を呼び寄せられるのではないでしょうか。昔から売名行為が得意な大学です。

 

話を元に戻し、なぜ立命館大学行きの路線バスの数が恐ろしく多いのか?立命館大学行き、もしくは立命館大学前のバス停に停車する路線バスは以下の通りです。こんなに必要なのでしょうか、変だと思います。何か裏があると思います。もしかすると京都市交通局だけの判断ではなく、政治(日本共産党)が関わっているのかもしれません。過去のブログからも考えられます。

 

市バスに「M1」という原谷を往復する号系統がありますが、もともと原谷という場所は西陣織の工場があった場所です。そこに人が住み始め人口が増えたのです。山里なので、クルマ無しには生活できませんから、ほぼ100%のクルマ所有率です。なぜ、そこに市バスが走るようになったのか。それは立命館大学の原谷グランド、その後に立命館が学舎を建てたからです。あくまでも立命館大学の交通アクセスを優先させた政治バス路線なのです。ちなみに「M1」に乗る人は少なく赤字路線です。そのために、北大路バスターミナルまで延伸する便(立命館小学校)をつくり黒字化しようとしたのです。

 

京都市バス

12号系統(69本)、15号系統(37本)、50号系統(73本)、52号系統(9本)、55号系統(34本)、59号系統(62本)、急行102号系統(18本)、快速立命館(30本)、立命館ダイレクト(2本)、M1号系統原谷行き(26本)立命館行き(31本)北大路BT行き(5本)

西日本JRバス

高雄京北線(35本)、高雄京北線循環右回り(62本)

合計:462本/日

バス運行時間17時間:1時間あたり平均27本、平均2分22秒毎に1本のバスが運行

朝夕正午の時間帯は、片側車線の道路に1分間に三台以上の路線バスが団子状態で連続走行し、反対車線も同じような数の路線バスが走行。住宅街の中を路線バスが混み合って走っている異様な光景です。とても排気ガス臭く、エンジン音がうるさいです。京都市交通局は、地域住民の住環境を破壊をしているのです。信じられない行為だと思います。

 

テーマの答えは、学生のためではなく、立命館大学の教職員のために大学側が市バスの便数を確保しているのだと思います。学生の利便性ではなく、教職員のための「足」として、市バスを運用しているのです。その証拠に、立命館大学にはクルマの駐車場がありませんまた上記の路線バス以外に立命館大学がチャーターしている貸切シャトルバスも走っています。つまり、これは推測ですが、京都市交通局立命館大学の学生数を見込んで立命館大学を利用しているつもりが、立命館大学の教職員用によって逆に利用されているのです。だから、コロナ禍で学生がいなくても、市バスの運行数を減らさない、減らないのです。公共交通機関が一部の権力組織に利用されることほど情けないことはありません。本来、公共交通機関は市民のためにあるのです。その結果、赤字が増えるのです。

 

嵐山方面など市バスの便数が少なくて困っているエリアに立命館大学行きの号系統をいくつか廃止にして、そのバス車両を振り分ければ良いのに、京都市交通局はそうしません。市民の住環境より大学の交通アクセスを優先する売上重視で融通のきかない役所です。京都市は路線バスが公営企業、つまり公務員によって運営されている社会主義的な街です。役人によって統制された社会は社会主義です。民主主義は民間による経済社会です。京都市は何か変です。そのやり方は自民党の創設者のやり方に似ています。

  

京都市交通局の市バスの経路変更は、国土交通省の「地域公共交通づくりハンドブック」通りにはなされていません。

京都市交通局の市バスの経路変更は、国土交通省の自動車交通局旅客課が2009年に作成した「地域公共交通づくりハンドブック」という冊子に書かれている通りにはなされていないです。既に11年前に作られて古いようには思いますが、
 
国土交通省の自動車交通局旅客課「地域公共交通づくりハンドブック」

https://www.mlit.go.jp/common/000036945.pdf

 

「このハンドブックは、地域の公共交通の確保が大きな課題となっている昨今、その構築に当たっての考え方や手順等をできるだけ簡潔にまとめ、手引書となるよう作成したものです。地域公共交通の見直しや新規導入を考えている関係者が、同じ認識のもと連携し、地域の状況に即した施策、対処方法を見出す一助として頂ければ幸いです。」と説明されていますが、今回の京都市バスの「木辻通」から「蘆山寺通」への経路変更にあたり、金閣寺立命館大学などの権力者には連絡していても、周辺住民への聞き取りや説明は全くなされていないのです

 

その証拠に、このブログの「地域住民が京都市交通局に市バス運行経路の変更要望書を提出」でも書きましたが、京都新聞の記事になっています。

これは、京都市交通局による一方的な経路変更で、双方による協議がない民主主義の原理に反する行為だと思います。この事を誰が最初に国土交通省の自動車交通局旅客課に通報するかどうかです。

国土交通省 自動車交通局 旅客課

電話(03)5253-8111 直通(03)5253-8573

 

京都市交通局に連絡するより、市バスの経路変更を許可した国土交通省に連絡した方が早いです。京都市交通局に連絡しても、慇懃無礼な対応しかされないと思います。縦割り行政の日本なので、横のつながりが無い京都府警に連絡しても、事故が起きない限り、事故が起きても、京都市交通局の市バス運行については関与しません。

調べ直すと、国土交通省内でも、京都市交通局を直接監視している近畿運輸局に連絡する方がもっと対応が早いと思います。

国土交通省 近畿運輸局 自動車監査指導部

電話(06)6949-6448、6449

国土交通省 近畿運輸局 京都運輸支局 輸送・監査部門

電話(075)681-9765

 

この「地域公共交通づくりハンドブック」の26ページから27ページに次のような文章があります。

第3章 地区別の地域公共交通の計画づくり

路線検討の注意点
・狭隘道路や交通規制により、路線設定が困難な場合であっても、そこを運行することがどうしても必要な場合は、関係機関(京都府警)と協議して解決策を見出すことが必要です。
路線バスと競合する路線は、空白地域の解消に貢献しません。すでに路線バスがある地域に、新規路線を二重投資することで路線バスが減便・退出することになれば、地域公共交通網全体に悪い影響を及ぼします。路線バスと競合する路線の設定については、慎重に検討する必要があります。
・路線検討については、担当課だけではなく、沿線地域に詳しい職員や住民を集めて検討する必要があります交通規制の状況、時間帯による渋滞の有無交差点などの安全性、沿線の立ち寄り施設に関する住民の利用状況などを確認し、沿線住民が利用しやすく、運行に支障のない路線にすることが必要です。
地域公共交通の導入目的に常に立ち返り、目的達成につながる路線を設定しているかを確認することが必要です。

さらに「地域公共交通づくりハンドブック」の35ページには、

第5章 地域とのコミュニケーション
(1)住民との協働による計画づくり
沿線住民から支持される地域公共交通をつくるためには、それを必要とし実際の利用が想定される住民と密接なコミュニケーションを取りながら計画をつくることが望まれます。(中略)生活の実態、住民の本音を、計画に反映することが求められます。住民が利用しやすい地域公共交通の実現に向けて、住民との協働により計画をつくるための要点として、下記事項をあげることができます。

≪ 住民との協働により計画をつくるための要点 ≫

(中略)
・地域公共交通の検討結果は、ホームページ上などで公開し、透明性を保つこと。
・地域公共交通は、住民とともに計画し、管理することを事前に説明すること。

とあります。

 

京都市交通局みずからが路線バスの過剰運行により渋滞を発生させ、二次災害のような交通事故が起きる状況が、今の「蘆山寺通」です。また、京都市バスと競合する路線をJR西日本バスが運行している。まさしく、この二社はこの冊子に反する事ばかりしているのです。

 

 不思議でならないのは、国土交通省近畿運輸局がよく調べてから許認可しているのでしょうか?京都市交通局の言いなりになっているのでしょか?もし国土交通省からの出向も含めて天下りが存在するのなら、何でも許可されると思います。それが、天下り側の最大のメリット(人脈効果)なのです。

 

なぜ、京都市バスは「馬代通」を通行したくないのか?2

京都市交通局は市バスが金閣寺前の道路である「木辻通」を通らずに、「蘆山寺通」を通行するようにしましたが、よく考えて見ると新たな答えが浮かびました。それは単純なことです。

 

基本的に裏通りよりも表通りの方が人の流れがあります。さらに、メインストリート(西大路通)となれば、人の流れは倍以上になります。路線バスは人が少ない通りを走っていても乗車人数は伸びません。少しでも裏通りなど人通りが少ない道路を走る時間を減らして、人通りが多いメインストリートを走るかどうかで大きく売上(旅客収入)が変わります。これは路線バスだけでなく、タクシーも同じです。裏通りを走るよりも、大通りで待機している方が結果的に乗車率は上がるのです。

 

京都市交通局が市バスをなぜ「馬代通」に通行させたくないのか?という疑問の答えのひとつは「馬代通」は観光道路やメインストリートの裏通り(人通りが少ない)であるからだと思います。なぜなら、売上重視の京都市交通局が考えそうな事だからです。だから「馬代通」や「小松原通」に市バスを走らせても、乗車率は上がらない。「西大路通」の「わら天神交差点」を目指せだと思います。これは公共サービスという観点からではなく、経営という観点から見た場合です。しかし、陰謀論的には、以前のブログに書きましたように「馬代通」が「京都マラソン」のコースになったことは無きにしも非ずです。でも、よく考えると昔から「馬代通」には市バスを走らせていません。

 

立命館大学から出発する「馬代通」を走る市バスの中をよく見ると、快速立命館 号系統以外はほとんど学生は乗っていません。こんな事していたら、京都市交通局の赤字が増えるばかりです。京都市バスは、まるで立命館大学の貸切路線バスのように赤字でサービスして走っているのです。なぜ、そんな事をするのか不思議です。公営企業だから税金を使いたい放題で公共サービスを提供するという事でしょうか。そんな事をしていたら、京都市財政破綻すると思います。

 

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馬代通、蘆山寺通、木辻通の三差路に立って道路を眺めると、なぜ「蘆山寺通」ばかりに市バスを走らせているのか、本当に疑問に思います。なぜ、分散して市バスを走らせないのか。特定の道路に路線バスを過剰運行させると危険度が増す事ぐらい、誰にでもわかりそうな事です。諸事情があるにしろ、京都市交通局には、それがわからないのでしょうか?不思議です。

 

なぜ、京都市バスが金閣寺前を通らなくなったのか?3

ツイッターの書込みに気になる表現を見つけました。

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これは、JR西日本バスが京都市からの要請で新規路線、もしくは経路変更を行っていたということです。この情報が本当なのかどうかはわかりませんが、十分に考えられる事実です。そうなると、京都市バス金閣寺前を通行しなくなった原因が、渋滞ではなく「金閣寺」からの要請京都市経由で経路変更された可能性も十分あります。

よく考えれば、現在、金閣寺前の「木辻通」を通行せずに「蘆山寺通」を通行する西日本JRバスは、京都市バスより先に経路変更していたのです。数年前にJRバスも「木辻通」を走っているのを見た記憶があります。そして、立命館大学シャトルバスも、なぜか市バスの経路変更と同時に「木辻通」を通らなくなったのです。

 

以前のブログ「なぜ、京都市バス金閣寺前を通らなくなったのか?2」でも書きましたが、京都新聞の「金閣寺の敷地内で違法な開発行為 北山大塔の推定地、京都市埋文研の研究員が是正求める」という記事がありました。要するに、金閣寺がさらなる観光客を呼び寄せるため、金閣寺の敷地(バス停があった西側の土地)に七重塔「北山大塔」を創建するために事前に段取り良く、路線バスの通行を停止させておこうとしたのかもしれません。そのために、寺や神社の言いなりの観光都市である京都市金閣寺の言い分を受け入れ、京都市交通局に指示したのだと思います。

 

※追記していますが、下記のブログ記事をご覧ください。驚きます。

なぜ、京都市バスが金閣寺前を通らなくなったのか?2 - 人生、あせらず楽しもう!

 

元々、金閣寺の入口は狭い直角の道路に横断歩道があり、そこに観光客が押し寄せているため、乗用車や観光バスが混雑するのです。路線バスの運転手にとっては、難儀な場所だったと思います。金閣寺側は、そこに路線バスを通行させていると、観光客の流れが悪くなったり、万一事故が起きれば国際問題になりかねないので、京都市に路線バスを通行させるなと要請していたのかもしれません。

 

このような推測から判断すると、金閣寺前の「木辻通」に再び路線バスが通行する可能性は、金閣寺が別ルートの入口を作るか、金閣寺が無くならない限り皆無だと思います。

 

同じように考えると、立命館大学行きの市バスが昔から異常に多いのも、立命館大学から言われて、京都市交通局がしていることかもしれません。以前、立命館大学の映像学部と京都市交通局との企業連携(官民癒着)による市バスPR映像の制作がありました。このことからも推測できます。京都市立命館には何か特別な関係があるのです。

 

このような権威や権力に物を言わせる行為は、日常茶飯事にあります。テレビや新聞に流れるニュースの裏側に本当の真実が隠されています。決して表のニュースだけを鵜呑みにしてはならないのです。肝心な事は「なぜ、このニュースが今放送されているのか?」です。これは世界共通です。そこには何らかの目的と理由があるからです。