人生、あせらず楽しもう!

御覧いただきまして、ありがとうございます。今の日本人には「感謝と謙虚」が必要です。権力によってメディアコントロールされたテレビや新聞に惑わされないために自分で調べて分析する事が大切です。何事も決して周囲に押し流されてはいけません。真実は自分で見つけ出すものです。

なぜ、京都市バスは立命館大学行きの号系統が多いのか?増やす必要はありません。減らしましょう!1

昔から、京都市バス立命館大学行きの市バスが異常に多いです。高度成長期から成熟期の日本では、全国どこも勤労者や学生の数は多かったのですが、人口減少期の日本において東京や名古屋、大阪を除く地方都市では、団塊世代の定年退職者の増加、勤労者の高齢化と早期退職、少子化による学生数の減少、そして多死社会。つまり、観光客を除いた実質の路線バス利用者は減少しているのです。このことは、以前のブログで分析しました。

 

もともと京都市内は狭い盆地なので、メインストリートから歩いて行ける場所が多く、自転車があれば、東西南北を何時間もかからずに1時間ほどで縦横断できます。前々回のブログの「なぜ、京都市バスは「馬代通」を通行したくないのか?2」でも書きましたが、裏通りや表通りまで市バスが通らなくても、西大路通北大路通堀川通烏丸通などメインストリートだけに市バスを走らせておけば、後は歩いて15分以内には目的地に到着できます。中国の都を模倣した古都京都は碁盤の目のように設計された街なのです。わかりやすいです。歩くことは体に良いです。自転車は市バスのように有毒な排気ガス二酸化炭素含め)は排出しません。とても環境に良いです。

 

立命館大学へ行くのにも「西大路通」沿いにある平野神社の前の「小松原通」を歩いて行けば、10分で東門に到着します。渋滞する「蘆山寺通」を通る市バスに乗って終点の立命館大学まで行くより「西大路通」沿いのバス停で降りて歩いた方が早く確実に着きます。賢い学生はそうしています。わざわざ立命館大学の正面まで渋滞する市バスで行かなくても「西大路通」から歩けばいいだけのことです。昔は、京都市内のメインストリートにしか、市電が走っていなかった頃は立命館の学生は皆歩いていました。もちろん、立命館の職員もです

 

京都市交通局もメインストリートだけに市バスを走らせれば、市バスの台数を増やさなくてもよく、運転手も増やさなくていいのです。エンジン音がうるさくなった古い市バスの車両入れ替えコストも減らせるのです。消費するガソリン代も減ります。何より排気ガス(CO2)が減り、メインストリート以外の裏通りや表通りの交通渋滞や騒音問題も無くなります。環境保全には良いことだらけです。ここ数年で京都は排気ガス臭くなりました。地方都市の空気の臭いと比べるとよくわかります。

 

話は変わりますが、京福電鉄北野線の「等持院駅」が売名行為で「立命館大学衣笠キャンパス前駅」という日本一長い駅名に変更していますが、京都市交通局だけでなく、京福電鉄までもが、立命館大学の言いなりになっています。なぜ断れないのか、不思議です。今まで通りの「等持院駅」の方が風情があり、親しみがあり、観光客にもわかりやすいです。衣笠地区は大昔から立命館大学とは何ら関係がありません。立命館大学が勝手に移転し、あちらこちらを地上げして敷地を拡大しただけのことです。後からこじつけた立命館の歴史が作られているだけなのです。将来、立命館大学は「等持院」という寺の名前まで変えるかもしれません。「立命館大学衣笠キャンパス寺」がいいのではないでしょうか!日本一長い寺名で有名になり、受験生を呼び寄せられるのではないでしょうか。昔から売名行為が得意な大学です。

 

話を元に戻し、なぜ立命館大学行きの路線バスの数が恐ろしく多いのか?立命館大学行き、もしくは立命館大学前のバス停に停車する路線バスは以下の通りです。こんなに必要なのでしょうか、変だと思います。何か裏があると思います。もしかすると京都市交通局だけの判断ではなく、政治(日本共産党)が関わっているのかもしれません。過去のブログからも考えられます。

 

市バスに「M1」という原谷を往復する号系統がありますが、もともと原谷という場所は西陣織の工場があった場所です。そこに人が住み始め人口が増えたのです。山里なので、クルマ無しには生活できませんから、ほぼ100%のクルマ所有率です。なぜ、そこに市バスが走るようになったのか。それは立命館大学の原谷グランド、その後に立命館が学舎を建てたからです。あくまでも立命館大学の交通アクセスを優先させた政治バス路線なのです。ちなみに「M1」に乗る人は少なく赤字路線です。そのために、北大路バスターミナルまで延伸する便(立命館小学校)をつくり黒字化しようとしたのです。

 

京都市バス

12号系統(69本)、15号系統(37本)、50号系統(73本)、52号系統(9本)、55号系統(34本)、59号系統(62本)、急行102号系統(18本)、快速立命館(30本)、立命館ダイレクト(2本)、M1号系統原谷行き(26本)立命館行き(31本)北大路BT行き(5本)

西日本JRバス

高雄京北線(35本)、高雄京北線循環右回り(62本)

合計:462本/日

バス運行時間17時間:1時間あたり平均27本、平均2分22秒毎に1本のバスが運行

朝夕正午の時間帯は、片側車線の道路に1分間に三台以上の路線バスが団子状態で連続走行し、反対車線も同じような数の路線バスが走行。住宅街の中を路線バスが混み合って走っている異様な光景です。とても排気ガス臭く、エンジン音がうるさいです。京都市交通局は、地域住民の住環境を破壊をしているのです。信じられない行為だと思います。

 

テーマの答えは、学生のためではなく、立命館大学の教職員のために大学側が市バスの便数を確保しているのだと思います。学生の利便性ではなく、教職員のための「足」として、市バスを運用しているのです。その証拠に、立命館大学にはクルマの駐車場がありませんまた上記の路線バス以外に立命館大学がチャーターしている貸切シャトルバスも走っています。つまり、これは推測ですが、京都市交通局立命館大学の学生数を見込んで立命館大学を利用しているつもりが、立命館大学の教職員用によって逆に利用されているのです。だから、コロナ禍で学生がいなくても、市バスの運行数を減らさない、減らないのです。公共交通機関が一部の権力組織に利用されることほど情けないことはありません。本来、公共交通機関は市民のためにあるのです。その結果、赤字が増えるのです。

 

嵐山方面など市バスの便数が少なくて困っているエリアに立命館大学行きの号系統をいくつか廃止にして、そのバス車両を振り分ければ良いのに、京都市交通局はそうしません。市民の住環境より大学の交通アクセスを優先する売上重視で融通のきかない役所です。京都市は路線バスが公営企業、つまり公務員によって運営されている社会主義的な街です。役人によって統制された社会は社会主義です。民主主義は民間による経済社会です。京都市は何か変です。そのやり方は自民党の創設者のやり方に似ています。