人生、あせらず楽しもう!

御覧いただきまして、ありがとうございます。今の日本人には「感謝と謙虚」が必要です。権力によってメディアコントロールされたテレビや新聞に惑わされないために自分で調べて分析する事が大切です。何事も決して周囲に押し流されてはいけません。真実は自分で見つけ出すものです。

金閣寺前の「木辻通」が渋滞していたのは、金閣寺の駐車場が原因だった。

このブログを書き始めて、「蘆山寺通」で四度目の交通事故が起きましたが、京都市交通局の恣意的な市バス経路変更の表向きの原因は、金閣寺前の道路「きぬかけの路」つまり「木辻通」の渋滞です。かつては、西日本JRバスも「木辻通」を通行していましたが、定時運行ができないので「蘆山寺通」に経路変更したのです。結局は、京都市バスだけが最後まで経路変更せずに運行していました。ここには何かの圧力があったに違いないのです。

 

その市バスの混雑を解消するために「蘆山寺通」へ二系統、正確には四系統(12、59、M1、急行102)も京都市交通局は恣意的に市バスを経路変更させたのです。その結果、「蘆山寺通」には十系統以上もの路線バス(12、15、50、52、55、59、急行102、快速立命館立命館ダイレクト、M1原谷、M1立命館、M1北大路BT、西日本JRバスの高雄京北線、高雄京北線循環右回り、立命館ライナー)が通行しています。片側一車線の狭い道路に恐ろしい数の路線バスの系統数です。朝から晩まで路線バスだらけ、特に市バスの騒音と排気ガスが凄いです。道路の舗装が長くは持ちません。舗装が傷むと、次はそれが振動になるのです。路線バスによる住環境破壊です。その原因である京都市交通局は何もしません。

 

しかし、京都市交通局が言うところの「混雑対策」と「定時運行」ができない事は同じ意味なのでしょうか。前者は外国人観光客の増加により、地元住民が観光客の乗車が増えたがために市バスに乗車できないという混雑が発生したことを意味します。後者は観光客が増えたことにより「木辻通」の交通量が増え、交通渋滞が発生して市バスが時刻表通りに運行できなくなったということを意味します。京都市交通局は、どちらが原因で恣意的な市バスの経路変更をしたのでしょうか。「混雑対策」と「定時運行」は別の問題です。それとも他に本当の理由があるのでしょうか。

 

以前のブログでも書きましたが、京都市議会議員の井坂博文氏の京都市交通局の返答では、「一年で元に戻すのは困難」「路線変更の成果を判断する材料がない」と言われたとありました。路線変更の成果を判断する材料が無いのならば、元に戻すべきです。成果よりも、被害が発生しているわけです。被害とは「蘆山寺通」への過剰運行による交通事故発生率の上昇、騒音と排気ガス、路面の傷みと振動です。

 

京都市交通局の恣意的な市バスの経路変更による「蘆山寺通」への過剰運行に気付いた京都市議会議員がいました。 - 人生、あせらず楽しもう!

 

京都市交通局京都市議会議員のやり取りは、次の通りです。 

市バス12号、59号系統が路線の復活を求める要請行動

・路線が変更され、二つのバス停が休止になり、近所の方や高齢の方の足がなくなり、交通不便地域になっている。※蘆山寺通の桜木町のバス停や西大路通のバス停まで赤坂町などから歩くのは遠いです。

金閣寺への観光客が激増し「きぬかけの路」の交通混雑が激しく、時間通りのバス運行ができなくなっていた。※定時運行の困難。しかし、市バスは昔から始発に近いバス停でも時刻表通りには来ません。「きぬかけの路」は仁和寺竜安寺立命館大学金閣寺があり、市バスが遅れる原因は金閣寺前のバス停での乗り降りだけではありません。

・一方で新しく路線となった「蘆山寺通」は路線が集中し混雑が激しくなっている。今度は「路線の混雑化の解消」を図るべきではないか。※正論です。

 

以上の施行実施の現状を分析して、路線とバス停の復活を求めるのは当然の要望に対して交通局は「1年で元に戻すのは困難」「路線変更の成果を判断する材料がない」の一点張り。京都市交通局の現実から目をそらす姿勢の改善を強く求めると書かれています。そして、「路線変更とバス停の休止は、観光客の分散化が口実だった。」とも書かれています。つまり、京都市交通局は観光客の流れを変えるために「木辻通」に市バスを通らないようにするということなのでしょうか。しかし、「木辻通」は擦り減った道路の舗装工事よりも、京都市建設局が歩道を石畳仕様にする工事に着工しています。観光客に仁和寺から金閣寺まで歩くように促すためでしょうか。何か変です。辻褄が合いません。やはり、京都市交通局は何かを市民に隠しているか、ウソをついているのです

 

金閣寺前の「木辻通」の交通量が増えた原因は、単純に乗用車や観光バスで金閣寺に来る人が増えたからです。ここでよく考えて見ると、根本的な原因を作っているのは、金閣寺に向かう観光客の車と観光バスの交通量に対して、金閣寺境内の駐車場入口が一箇所しかないことが大きく関係しています。もっと言えば「木辻通」経由の大駐車場(金閣寺境内)だけでなく、昔の厚生年金会館の跡地である駐車場以外にも、北大路通西大路通に駐車場をいくつか分散して作ればいいのです。そうすれば、金閣寺への交通サクセスがよくなるのです。今現在の状態だと、コロナ禍が収束した時に、また元の状態に戻ります。立命館大学と同じで金閣寺も路線バスしか交通手段がないのです。

 

京都市交通局が言う市バスの「混雑対策」は既に西大路通のバス停を二箇所に分けるなどして解消できているようです。問題は、現在停止中である「金閣寺前」のバス停です。このバス停は正直なところ廃止しないと解決できないと思います。「木辻通」には、「総門町」というバス停もありました。このバス停だけを復活して「木辻通」に従来通り市バスを運行させれば、「蘆山寺通」への過剰運行が少しでも解消できるわけです。しかし、京都市交通局が拘る本当の理由は別にあると思います。

 

路線バスの「混雑対策」と「定時運行」は、結局は両方とも人と車の渋滞が原因です。金閣寺に向かう観光客が増えると「木辻通」が渋滞します。そこを京都市バスの経路にするとさらに渋滞するのは当然です。「木辻通」の車の流れが悪いから渋滞が発生するのです。その悪い流れの原因が、金閣寺の駐車場の数が少ないから渋滞が起きるのです。先程の「観光客の分散化」とは、路線バスは蘆山寺通、観光客は木辻通を通るという意味なのでしょうか。だから「きぬかけの路」を石畳にしているのでしょうか。それならば、本来の理由である市バスの混雑対策というのはウソです。定時運行にしても、市バスの59号系統のように仁和寺竜安寺立命館大学(堂本印象美術館)での観光客の乗り降りがあります。金閣寺前のバス停だけが原因ではないはずです。これもウソです。

 

観光地には交通渋滞という面倒な問題がつきものです。これを、どのように改善するかが難しいです。しかし、結局は観光地(二条城や金閣寺など)の駐車場の数次第で解決できるのです。需要と供給のバランスが崩れると問題が発生し、それが別の問題を生み出します。道路の渋滞は、騒音や排気ガスを発生させ、近隣住民が迷惑します。

 

京都市交通局は一体何を考えているのでしょうか。役所はウソツキなので注意しないといけません。おとなしい日本の国民は役人にやられないようにしないといけません。いずれにせよ、日本という国は政治家や役人が簡単に国民にウソをつきます。正義も何もありません。信用できる公僕がいない国というのは、まるで中国と同じです。残念です。中国人は家族以外は信用しません。