人生、あせらず楽しもう!

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門川市長は表現が間違っています。京都市バスは「市民の足を守るため」ではなく、正しくは「大学と観光客の足を守るため」です。

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この記事によると、門川市長は「回復には相当の歳月が必要で過去に類を見ない減収は避けられない、(中略)経費削減に全力を挙げると同時に市民の足を守るため、国にしっかり要望していかないといけない」と述べたと書かれています。

 

門川市長は、いくつか間違った表現をしています。まず市バスは「市民の足を守るため」ではなく、観光客による増収増益を狙っている京都市(市営バス)なので「観光客の足を守るため」が正解です。これまでブログで書いてきましたように、観光客を除いた市バスの利用者数は年々減少し続けています。にも関わらず、京都市交通局立命館大学行きの号系統を増やしたり増便しているのです。「大学の足を守るため」です。

 

先日も馬代通を19時過ぎで誰も歩いていないところに臨時の立命館ダイレクト号系統のバスが通行しているのです。もちろん、誰も乗っていません。さらに、観光客もいないのに、金閣寺-二条城 直通バスなどを運行しているのです。よくこんな無駄なことを京都市交通局もするよなと思いました。余程、借金返済のために売上金(運賃収入)が欲しいのかと思いました。まるでタクシー会社の流し(巡回)です。コロナ禍の中で民間バス会社なら、こんな経費を無駄にするようなことはしません。需要がない時には、いくら供給しても結果は出ません。

 

その次に、門川市長は「経費削減に全力を挙げる」と言っていますが、口先だけです。これまでの実績がありません。京都市交通局は、あらゆるリストラをやり尽くしたことなど全くゼロです。完全民営化(株式会社)計画すら出てこないです。市バス二台を投資ファンド会社に売却して再びリース契約したことぐらいです。ポーズに過ぎません。何の経費削減にもなっていません。京都市バスのバス保有台数は、完全民営化(株式会社)した大阪市営バスの約二倍もあります。京都市内は、正直なところ市バスが多過ぎます。どれだけ税金を垂れ流して、客も乗っていない無駄な路線や車両を増やしてきたことでしょう。これでは経費削減に全力を挙げる以前の問題だと思います。まずは、市長の歳費と退職金を半分にしてから、議員と職員の給与を減額し、それから過剰な行政サービスを無くすことです

 

そして、一番悪い事は「国にしっかり要望していかないといけない」と門川市長は言い放っていることです。これは情けないの一言です。長年、地方交付税交付金補助金に頼りきった姿勢から抜け出していないのです。なぜ、京都府京都市だけで何とかしようとしないのか、すぐ「お上」に頼ろうとするのか。それなら無為無策ということを言っているようなものです。言葉通りの「自治体」ではありません。相変わらず中央集権国家です。なんのための市長なのか。なんのために府長がいるのか。それでは雛壇のお飾りです。日本は米国にしがみつき、地方自治体は政府にしがみつき、日本のサラリーマンは会社にしがみつき。主婦は旦那にしがみつく。そして短い一生が終わるのです。人生は一度限り、よく考えた方がいいです

 

歴代、元役人ばかりが首長になる京都ですから、地方行政力が全く無いに等しいです。だから、今のような状況になったのです。大阪市など、民間人の政治家が地方行政力を発揮している「自治体」もあります。門川市長のような官僚主義的な概念だから、いつまで経っても、日本は大昔から続く「大きな政府」の社会主義のままなのです。「小さな政府」になれないのです。官僚が地方を統治する制度を古代中国では郡県制と言います。京都は中国の秦の時代のままです。元官僚が支配しているです。

 

本来の民主主義社会とは、個人が尊重され、国民が直接に国の代表者である首相や大統領を選ぶのです。そして民間主導の経済社会です。日本は政治家が首相を選んでいるのです。そして、市民が行動しても何も受け入れられない社会、これが伝統的な日本の統治体制、つまり役人による統制された社会の官僚制社会主義国家です。だから、市民をバカにしているような行政をするのです。そして、市民も何の疑いもなく、それに従います。

 

話は変わりますが、欧米の観光都市に比べ、京都市だけかどうかはわかりませんが、日本の街の大通りにゴミ箱が全くありません。最近は駅にもありません。昔はゴミ箱がバス停にもありました。それがいつのまにかテロとの戦いという米国のスローガンに押し流され、日本のあらゆる公共の場でゴミ箱がなくなりました。ところが、米国などに行くと必ず大通りの交差点などには、いまだに大きなゴミ箱が置いてあります。米国だけでなく英国もそうです。大通りだけでなく公園にもゴミ箱があります。ゴミ箱がないから日本に来る観光客や国内の観光客が、道路に空き缶や食品容器、使い捨ての傘などを捨て行きます。結局、それを始末しているのは周辺住民です。

 

役所は、このようなことに全く無頓着です。ゴミ箱を置けば、爆発物などを入れられるとすぐ言い訳をしますが、日本はテロの対象国家ではありません。オウム真理教革マル派など、国内にいる破壊活動行為をする組織はいても、海外からの大規模なテロ行為は皆無です。もともとテロ行為は宗教戦争です。キリスト教の十字軍に対するイスラム教の聖戦活動(ジハード)です。日本は仏教国です。

 

最近、京都市内の公園の公衆トイレが綺麗に建て直されていますが、これも京都市が観光客に対する好印象を狙った宣伝活動のひとつです。観光客が今ほど多くなかった頃の京都市内の公衆トイレは、古くて臭くて汚い状態でした。京都市がしているのは、典型的なスポット行政です。光が当たる所にしか対処しないのです。