人生、あせらず楽しもう!

御覧いただきまして、ありがとうございます。今の日本人には「感謝と謙虚」が必要です。権力によってメディアコントロールされたテレビや新聞に惑わされないために自分で調べて分析する事が大切です。何事も決して周囲に押し流されてはいけません。真実は自分で見つけ出すものです。

京都市バスは回送車が多い。運行効率が非常に悪く、収益性も低くなる。

「蘆山寺通」の朝六時から九時前までの間、一般車両の通勤通学の交通量に加え、京都市バスさらに西日本JRバスの立命館大学行きの直行バスが増え、早朝六時七時台から京都市バスの回送車が連続で何台も衣笠操車所に向かいます。路線バスの轟音で目が覚めてしまいます。夜は夜で十時半頃に市バスの回送車が何台も連続して轟音で走り去ります。正直なところ睡眠妨害もいいところです。役所は沿線住民のことなど顧みず、自分達の好き勝手に市バスを走らせることできますが、迷惑そのものです。これは騒音規制法違反です。

 

朝八時台には「快速立命館」号系統も含め、何台もの市バスが連続で数十秒毎に立命館大学に向かって通過します。そして、それらが回送車となって「蘆山寺通」を何台も折り返し通行しています。実に無駄な運行です。つまり、乗客が乗っていない空の状態で市バスを走らせているのです。ガソリンを無駄に使って赤字運行を増やしているのです。民間のバス会社や運送会社では、こんな無駄な事はご法度です。なぜなら、生産性がゼロだからです。つまり、利益率が減っていくわけです。日本人の生産性が低い原因が路線バス運行にも見られます。

 

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この地図でもわかるように、立命館大学から西大路通りへ出る東ルートは、「蘆山寺通」だけではありません。他にもいくつも道路があります。西へ向かうルートは59号系統以外は全くありません。立命館大学の横にある市バス駐車場(衣笠操車場)にあふれた市バスを回送車にするのではなく通常の運行便にすれば、少しでも旅客収入を得られ生産性が上がるわけです。西へ向かうルートを新規開拓すればいいのです。しかし、そんな事をしても午前中の立命館大学からの乗客はほとんどいません。なぜなら学生は授業中です。客もいないのに折り返し運行便にすると、ますます過剰運行で赤字路線がさらに赤字になります。つまり、衣笠地区には立命館大学生以外で市バスに乗る一般の乗客は高齢化でどんどん減って行き、観光客以外にはほとんど乗客がいないのです。夏季休暇などに立命館大学発の市バスの中をよく見ると誰も乗っていません。空で市バスが走っています。立命館大学着も同じです。京都市交通局は、こんな無駄な事を平気で長年続ける公営企業です。信じられません。

 

おそらく「快速立命館」号系統だけに限った事ではなく、京都市交通局は市バスの回送車率が比較的高いと思います。街で回送車が走っているのをよく見ます。これは、とても無駄な事です。旅客運送業にとって、空車で走ることが一番のガソリン代と人件費の無駄なのです。京都市は無駄をなくすとよく言っていますが、所詮、役所です。民間企業に比べれば、無駄に対する認識が非常に甘いのです。予算と同じで、カネは使い果たさないといけないという概念です。節約という発想は役所にはありません。カネが足りなかったら借金(市債発行)すればいい、足りなければ市長が日本政府に交付金を増やすようお願いしに行けばいいとすぐに考えます。一般の民間企業では、無駄をなくすために簡単に人もリストラします。役所では公務員は身分職なので、犯罪でも犯さない限りクビにすることはできません。民間企業では生産性が無い社員は簡単にクビになります。50歳を過ぎれば早期退職者を募集して経費を削減します。組織にとって人件費が最大のコストです。京都市は無駄を増やすのが多い自治体です。昔から有名なシガラミがあるからです。それを断ち切ろうともしない。それをすれば、己が危なくなるからです。むしろ、それをうまく利用すれば、物事が有利に動くのです。ズル賢い政治家はよく知っています。敵を味方に付けるのです。

 

市バスの回送車を減らして、どれだけの経費削減になるのかと交通局は言いそうですが、塵も積もれば山となるです。年間で計算すると数千万円以上になるはずです。なぜ、市バスの回送車率が高いのか?おそらく市バスの所有台数が多過ぎるのと、市バスの操車場の駐車台数が少ないからでしょう。だから、市バスを折り返して回送車にしているのです。市バスの駐車場が広ければ、回送車で走らせるのではなく他の便にも振り分けるため車両をプールできます。それができないので回送車で折り返さざるを終えないのです。さらに駐車台数が少ないと通勤通学の時間帯の車両が足りないために早朝に回送車を出発地点である衣笠操車場(駐車場)に駐車台数が多い営業所から回送車を立命館大学へ移動させているのです。実に無駄が多く、効率も悪く、生産性が低いです。これでは市バスの収益性が改善されないのは当然です。つまり、運転手もたくさん必要となり人件費が増えるわけです。ますます収益率が低くなります。いくらバス停に市バスのコストを表示しても何の解決にもなりません。労働者生産性と市バスの営業係数は全く別の数字なのです。

 

京都市交通局のバス保有台数と運転手の数と京阪バスや京都バスのそれらを比較すると明らかだと思います。民間バス会社は、余剰人員や車両を極力持ちません。でないと、経費の無駄になるからです。最小の努力で最大の効果を出すのが資本主義です。最大の資本(税金)で最小の利益しか出せないのは社会主義です。公営企業は社会主義でないと通用しない形態です。だから、万年赤字経営でも存続できるわけです。しかし、コロナ禍では、それも厳しいと思います。なぜなら、親方日の丸の財布も厳しくなるからです。

 

これからの時代、政府に頼る自治体は存続できないと思います。つまり、中央集権の大きな政府では国家運営は厳しいでしょう。つまり、日本政府が各自治体にカネを配るシステムです。小さな政府による独立採算型の自治体に日本社会が動いていかなければ、この先非常に厳しい国家運営になります。その根拠は日本の国家規模がどんどん縮小して行くからです。つまり、人口減少多死社会です。高度成長期(正しくは復興期)の制度のままでは、現在の日本の国家運営は正直無理なのです。日本人のほとんどが騙されていますが、この「高度成長期」という呼び方、実は政府とマスコミによって国民に刷り込まれた表現なのです。いかにも日本人の勤勉さによって奇跡的な復興を成し遂げた素晴らしい日本と世界から称賛されていると言われていますが、敗戦後、日本が復興できたのは世界銀行による莫大な融資で新幹線や高速道路を整備し、そしてGATT(関税及び貿易に関する一般協定)による関税引下げで日本の自動車などの輸出産業が急成長したのです。ドイツも同じです。ドイツ人も日本人と同じで勤勉とよく言われていますが、それは両国とも敗戦国家なのです。勤勉だけでは国は経済成長し発展しません。大国(米国)による「お膳立て」がないと復興はできないのです。この事を日本人のほとんどが知らないのです。その証拠に今の日本を見てください。どんどん衰退しているのがよくわかります。大国による「お膳立て」がなくなり、逆に利益を吸い上げられているからです。