人生、あせらず楽しもう!

ご覧いただき、ありがとうございます。今の日本人には「感謝と謙虚」が必要です。日本という村社会で権力者によって支配されたテレビや新聞に惑わされないために、自分で情報を調べ蓄積し分析し洞察する事が大切です。何事も決して周りに押し流されず、焦らずに自分で真実を見抜かないといけません。

なぜ、金閣寺の前の道路「木辻通」には、やたらと歩道に柵があるのでしょうか?

グーグルマップのストリートビュー金閣寺前の道路である「木辻通」を見ていると、やたらと歩道に柵がされています。なぜでしょうか? 金閣小学校に通う小学生を守るためでしょうか、それとも観光客が道路に出ないようにするためでしょうか? 一方、「蘆山寺通」にはひとつもありません。なぜでしょうか?

 

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廃止された衣笠総門町バス停付近

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廃止された金閣寺前バス停付近 ※道路がタイヤで削られて窪んだままです。

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金閣寺入口付近

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この歩道の柵は、昔はこんなにたくさんありませんでした。いつのまにか増えていき、「木辻通」の歩道の七割ぐらいが柵をされています。これは、何かの権力が働いていると思います。誰かが京都市を言い聞かせたのです。金閣寺から仁和寺につづく観光道路「きぬかけの路」を石畳にしていたのは、京都市建設局です。これらの写真を見て、もうひとつ気づく事があります。それはゴミ箱がひとつもない事です。観光客はゴミの捨て場がないので、道路にゴミを捨てます。掃除しているのは住民です。

 

話を元に戻し、歩道の柵は歩行者が道路に飛び出すのを防止するためだと思います。しかし、なぜ?「木辻通」にだけにあんなにたくさんの柵があるのか不思議です。「きぬかけの路」を仁和寺まで見ていると、仁和寺の周辺にも歩道の柵があります。京都市は、何かの基準を設けているのでしょうか。実は、京都市の都市計画局、建設局、交通局というのは、同じ役所なのでつながっています。国の省庁はタテ割りですが、自治体は人事交流があるので、ヨコの繋がり(人脈)が緊密です。つまり、どこかの局で出た要望は必ず別の局で受け入れられるのです。京福電鉄嵐電 北野白梅町駅のリニューアルの際、役所も含めた事前の住民説明会があった事を京都市会議員の井坂氏がサイトに書いています。住民説明会と言っても、最初から結論ありきで修正変更はされません。一方的に役所が決め込んでいます。とても民主主義社会とは思えません。専制政治社会主義です。

2020年3月4日(水)ダイヤ改正に伴う問題噴出…予算委員会 « 日本共産党京都市会議員 井坂博文

  

おそらく、京都市バスが「木辻通」を走っている時期に交通局から建設局などに歩道の柵を作るように働きかけていたのでしょう。そこに議員が絡んでいるかどうかまではわかりません。「木辻通」に異常に柵が多いのは、京都市交通局からの要望でしょう。もっと考えれば、なぜ「きぬかけの路」を建設局が石畳にしたのか、これも交通局とつながっているわけです。観光客の市バス乗り降りによる混雑で定時運行ができないから「きぬかけの路」を石畳にして観光客を歩かせようとしていたのです。結局、京都市交通局は市バス自体を「木辻通」から撤退させました。残ったのは石畳歩道と柵だけです。これによって市バスが経路変更された「蘆山寺通」は朝から晩まで市バスの轟音、排気ガス、傷んだ道路による家屋への振動で沿線住民は夜も朝も昼も寝られません。こんな事を平気で京都市はします。憲法十三条(すべて国民は個人として尊重される)に違反しています。※もしかすると権威を持つ金閣寺の高僧侶の仕業かもしれません。こちらの可能性の方が高いです。

 

役所とは、役人にとって都合が良い事(出世と天下り)が優先され、都合が悪い事や見返りがない事(手柄にならない評価)は無視されます。京都市交通局は、市バスがよく走る道路が傷んでいても、建設局には一切連絡しません。しかし、市バスが通る道路が通学路で生徒が大勢歩いていたり、観光客がたくさん歩く歩道であれば、安全対策として建設局に言ってすぐに柵を作らせます。安全運転を阻害する事や交通事故に直接つながるような事には一生懸命になりますが、それ以外の事には無頓着です。「木辻通」の写真を見ると、その実態がよくわかります。そして「蘆山寺通」の路面を見れば一目瞭然です。路線バスの過剰運行による傷みがあっても、今まで何もしたことがない京都市です。京都マラソンや観光客が歩く道路「きぬかけの路」は何度も毎年補修しても、山盛り路線バスが集中して通る道路「蘆山寺通」は放置したままなのです。なぜなら、役人の出世や天下り、評価される手柄にはならないからです。出世が絡む人事評価されない仕事は役人はしないのです。市民のためになっでも評価されない仕事はしないのです。他国では考えられない公務員です。