人生、あせらず楽しもう!

御覧いただきまして、ありがとうございます。今の日本人には「感謝と謙虚」が必要です。権力によってメディアコントロールされたテレビや新聞に惑わされないために自分で調べて分析する事が大切です。何事も決して周囲に押し流されてはいけません。真実は自分で見つけ出すものです。

なぜ、京都市交通局は金閣寺前(木辻通)の未使用のバス停を放置するのか?

京都市交通局は、金閣寺前の道路である「木辻通」を走る市バスをすべて「蘆山寺通」へ通行するように恣意的に経路変更しましたが、いまだにバス停が残っています。なぜ放置しているのでしょうか?

 

金閣寺前の15坪ほどの土地に市バスのバス停がありましたが、この土地は間違いなく金閣寺の土地です。それを京都市交通局に借地していると思います。毎月どのくらいの金額で貸していたのでしょうか。30万円ぐらいでしょうか。今も京都市民の血税金閣寺に流れているわけです。税金の無駄遣いです。

 

京都市交通局は、市バスの経路変更を確定したのならば、バス停を撤去するべきです。未練がましく残しているのは、何か理由があるからでしょう。バス停は、道路法で道路管理者に占用許可を得て、その期間はバス停を置くことができるようです。許可期間を過ぎれば不法占となります。つまり、金閣寺前や木辻通沿いのバス停は、まだ占用許可期間中というこです。それにしても、金閣寺前付近を見て回ると何か腑に落ちない雰囲気が漂っています。京都市交通局にしろ、金閣寺にしろ、市民には言えない何かを隠していると思います。

 

あらためて「木辻通」の道路舗装面を見ると、路線バスや観光バスのせいで道路が擦り減っています。相変わらず、そのままの状態で放置されています。道路舗装しなおすには、本当に今がチャンスなのですが、全くしません。もし京都マラソンのコースにでもなれば、すぐに綺麗に舗装されます。これが京都市のスポットライト行政です。役所仕事は楽なものです。日本の公務員は、間違いなく民間企業では通用しないと思います。「親方日の丸」というのは危機感がありません。赤字でも天(政府)からお金が降り財政補填してもらえるからです。

 

以前のブログで「なぜ、市バスは「馬代通」を通行したくないのか?」でも書きましたが、「蘆山寺通」の道路補修工事を陳情した時、現場に来た耳にピアスをした京都市職員の男性が「舗装しなおしても、また舗装せんとダメですよ」と、いかにも面倒臭そうに言われたことがありましたが、もう一言いわれました。「お金(予算)はいっぱいあります」。だから、舗装工事はしてあげますよと上から目線で言いたかったのでしょう。この時に思ったことは、京都市京都府財政が厳しいはずなのに、この職員はわかっていないのかと思いました。やはり「親方日の丸」の元で働いていると危機感はゼロです。民間企業の社員と違い、切磋琢磨しなくてもボーナスがもらえます。クビになりません。

 

よく新聞やニュースで「公金横領」という記事があります。役所の場合、取引業者に値引き無しの請求書を用意させて代金を支払い、取引業者は実際に値引いた分の差額のお金を職員に預かり渡すという方法です。警察の場合は、架空の出張による交通費や宿泊費の伝票でお金を捻出させる方法です。これらは今も当り前のようになされていると思います。金額が大きいとニュースになりますが、少額なら役所内部でもみ消されます。

 

市バスの運転手なら「釣銭泥棒」(小銭ではなく紙幣)です。京都市交通局でも頻繁にありました。今もあると思います。発覚していないか、少額なのでニュースにならないだけです。ニュースになる時は数人の運転手が一度に出てきます。手癖が悪い人は一生なおりません。性格と同じです。油断した時に出ます。

 

以前のブログ「なぜ、京都市バスは乗客数が増加しているのに、経常損益が赤字になるのか?」で書きましたが、「蘆山寺通」の道路補修工事で交通整理をする警備員の方に向かって京都市バスの運転手が「市バスを止めたらあかんで!」とマイクで言い放ったことがありましたが、つい最近も「蘆山寺通」を通過する京都市バスの運転手が乗用車に対して、しばらく待っていればいいのに「(左・右)どっちですか?はっきりしてくださいな!」とマイクで言い放っています。聞き覚えのある声だったので、数年前の運転手だと思います。性格は一生なおりません。何かの時に出ます。