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御覧いただきまして、ありがとうございます。今の日本人には「感謝と謙虚」が必要です。権力によってメディアコントロールされたテレビや新聞に惑わされないために自分で調べて分析する事が大切です。何事も決して周囲に押し流されてはいけません。真実は自分で見つけ出すものです。

路線バスが過剰運行すると、その道路が危険になるのは当然です。京都市交通局はわからないのでしょうか?

京都市交通局の前代未聞の市バス経路変更前から、市バスの立命館大学行きは「蘆山寺通」ばかりに集中して通行しています。なぜでしょうか。

  

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昔から「馬代通」から「小松原通」を経て西大路通に出るルートや京都府立体育館前(島津アリーナ京都)の道路から大将軍交差点に出る経路、さらに「馬代通」を南進して丸太町通に出るルートなど、立命館大学から大通りに出るルートは他にいくつもあるのに、京都市交通局は「蘆山寺通」ばかりに市バスを集中させて運行しています。

 

路線バスが特定の道路に過剰運行すれば、それだけ危険が増えるのです。道路の車線数が増えない限り、交通量が増えれば、それだけ事故が発生する確率も増えるのです。京都市交通局こんな事もわからないとは不思議です。 

 

今回の京都市交通局の市バス経路変更により、立命館大学発着の市バスのルートが唯一分散化されていた金閣寺前の「木辻通」へのルートが無くなり、12号系統や59号系統などが「蘆山寺通」を通行することで、東行の西大路通「わら天神交差点」が市バスの集中で信号待ちの交通渋滞が発生しやすくなっています。立命館大学への西行も同じです。路線バスの過剰運行で「蘆山寺通」が路線バスであふれるため、西大路通の市バス停留所「わら天神前」が市バスで混み合っている時は、西大路通で駐停車している回送車もあります。

 

一方、金閣寺前の「木辻通」は交通量が減って道路がガラガラです。観光客が多い金閣寺にとっては、願ったりかなったりです。京都市バスがなければ、観光客の乗用車や観光バスが一台でも多く駐車場にスムーズに入れるからです。考察すれば、京都市バスの12号系統や59号系統などが走っていた「木辻通」のルートを無くさずに、混み合うバス停である金閣寺前のバス停を無くして、西大路通金閣寺道のバス停を南北二箇所用意すれば、「木辻通」にある金閣寺前のバス停で市バスが停車することによる交通渋滞が解消されるのです。そうすれば「蘆山寺通」への路線バスの過剰運行も元の状態となり、市バス路線が分散化され、少しでも「蘆山寺通」を通る路線バスの台数が減ります。根本的に京都市バスは停留所の間隔が近過ぎます。それによって、交通渋滞が発生するのです。もちろん、路線バスの燃費も変わります。

 

しかし、よく考えて見ると、根本的な原因を作っているのは、金閣寺に向かう観光客のクルマと観光バスの交通量が原因です。交通量が増えれば「木辻通」が渋滞します。その道路を路線バスのルートにすると、さらに渋滞するのは当然です。金閣寺境内の駐車場入口が一箇所しかないことも大きく関係しています。もっと言えば「木辻通」経由の駐車場(金閣寺境内)ではなく、北大路通西大路通など別の場所に金閣寺が駐車場をいくつか分散して作ればいいのです金閣寺立命館大学と同じで京都駅からの交通サクセスが非常に悪いところにあります。路線バスしか交通手段がないのです。

 

観光地には交通渋滞という面倒な問題がつきものです。これを、どのように改善するかは難しいです。非協力的な金閣寺京都市交通局がどのように話し合うかという事になりますが、京都市寺と役所の仲が悪いのです。そのために渋滞解消策が物別れとなり、京都市交通局が恣意的な市バス経路変更に踏み切ったのかもしれません。※分析するにつれ、見方は変わりました。最近のブログを参考にしてください。

 

京都市交通局は、なぜ市バス混雑対策で経路を変更したのか?市バスを定時運行させることが本当の理由なのか? これが、このブログのテーマです。特定の一車線道路に路線バスが過剰運行するとその道路はクルマが混み合い、渋滞や交通事故が起きやすくなることぐらい誰にでもわかることです。さらに、路線バスが過剰に運行すると、その道路の傷みは早くなり、バスの騒音や振動、排気ガスで沿線住民の住環境が破壊されていきます。

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朝夕に交通量が多く、狭い片道一車線の「蘆山寺通」で京都市バスがバス停で客を降ろしている時、対向車線の市バス運転手は一旦停止して、やり過ごす運転手もいます。バス停がある特定の狭い道路に路線バスを過剰運行させると交通事故の危険性は高まります

 

この「蘆山寺通」には、京都市バス以外にも西日本JRバスの路線バス、さらに立命館大学シャトルバス(ヤサカ観光バス)も通行しています。国土交通省 近畿運輸局 京都運輸支局は、この事実を把握しているのでしょうか。それぞれの事業者に対して何か指導しているのかどうか疑問です。おそらく、何もしていないでしょう。

 

立命館大学も学生や教職員の利便性を追求することばかりに執着して、バスの経路となる道路の沿線住民の事をどれだけ理解しているのか疑問です。自分達の事しか考えない大学のやりそうな事です。大学は人材育成で社会貢献力は大きいはずですが、これでは意味がありません。昔から立命館は大学開発で、どれほど周辺住民に迷惑をかけてきたことでしょうか。

 

西日本JRバスも、京都市バスの59号系統や10号系統、26号系統、さらに京福電鉄北野線などと重複するような路線をなぜ運行するのか不思議です。結果的に過剰サービスは生産性を低め、無駄な労働につながります。交通量が多く狭い「蘆山寺通」や車線のない一部一方通行の「一條通」などを京都市バスと一緒になって運行しなくても、もっと広い「天神川通丸太町通」を通行して山陰本線の駅と接続すればいいのです。コロナ禍のタイミングで運行経路を見直す時期に来ていると思います。

 

これは京都市交通局に言えますが、観光客(乗客)を乗せることばかり考えず、過剰 運行による排気ガスによる環境破壊を考えることも大事です。例えば電気バスを増やすとか。いくら交通局の公開資料で環境(CO2削減)について考えているような事を書いていても、実際に行動が伴わないと何の結果もありません。一貫性のない行動は社会からの信頼性を失います。おとなしい市民が直接文句を言わないからといって、一方的に好き勝手することは民主主義のルールに反します。それは官僚制社会主義、ひいては独裁主義に通じるのです。

 

京都市交通局の一番の悪い癖は、市バスを走らせている道路の検証をしていない事です。ステイクホルダー(利害関係者)である大学や寺の言い分ばかりを優先させて路線を増やしたり増便したりしますが、その結果その道路でどのような問題が起きているのか、全く現場を検証していないのです。バス運転手からの都合がいい情報しかないのです。PDCA(Plan-Do-Check-Action)サイクルが全くできていません。それでは、いつまで経っても経営状況と同じで安全運行への取組みも改善されないのです。