人生、あせらず楽しもう!

御覧いただきまして、ありがとうございます。今の日本人には「感謝と謙虚」が必要です。権力によってメディアコントロールされたテレビや新聞に惑わされないために自分で調べて分析する事が大切です。何事も決して周囲に押し流されてはいけません。真実は自分で見つけ出すものです。

路線バスの回送車はルートが定められているのでしょうか?「蘆山寺通」を通過する京都市バスの回送車は、とても多いです。

以前から不思議に思っていた事があります。それは、路線バスの回送車も指定ルートがあるのかどうかです。ネットで検索してみると、いくつかコメントがあります。

 

「回送の路線バスが路線外の道をときどき通ります。規定はないみたいです。」

「定まっていない為、短絡ルートで目的地(車庫や始発バス停)へ移動します。」

「回送ルートに関しては、基本的に役所などの認可は関係ありあません。各事業者が道路事情などを勘案して決めています。

「各バス事業者では回送経路を定めていて、このルートで走るように乗務員には指示しています。」

 

要するに、特に取り決めはないが、バス会社によって指定したルート以外は通行できないようにしているバス会社もあるということです。道路運送法等関係法令には回送車のルートまでは何も規制されていません。

 

「蘆山寺通」を通行する京都市バスの三割は回送車なのです。過剰運行している路線バスの交通量を減らす方法のひとつが、この回送車を減らすことなのです。市バスの12号系統や59号系統などが運行されていた金閣寺前の「木辻通」に回送車を走らせるだけでも「蘆山寺通」の過剰運行問題を軽減できます。しかし、京都市交通局は何の対策もしません。これだけ交通事故が増えているのに、京都市バスが当事者となる交通事故は一件しか起きていないからでしょうか。京都市交通局は、蘆山寺通の道路事情(市バスの過剰運行による交通量増加)を勘案するだけの責任感はないようです。

 

 

読売新聞の記事に「バス停付近の事故は、バス会社が重大事故の当事者にならない限り、国への報告義務はない。乗降客や歩行者が事故に遭いそうになり、バス運転手がひやりとした事例を自治体や警察と共有し、事故防止につなげることが重要だ。」と書かれていました。この記事を読んだ時には、正直、驚きました。「バス停付近の事故はバス会社が当事者にならない限り、国への報告義務なし」これでは何の対策もなされないわけです。警察も役所も国に報告する義務がなければ何もしません。つまり、危険なバス停といわれる場所で路線バスが死角となって起きた交通事故は、国土交通省に届けなくてよいということです。これでは、何のために危険なバス停を調べているのか、何の成果もないわけです

 

話を本題に戻し、なぜ、京都市バスの回送車が空いた「木辻通」を通らないのか。おそらく、京都市交通局は回送車でも指定ルート以外の道路は走らないことにしているのでしょう。しかし、これだけ「蘆山寺通」が路線バスの過剰運行状態となり、交通事故も多発しているのに、緩和策も講じないとすると、何か別の理由があるようにしか思えないのです

 

それは金閣寺です。坊主京都市交通局、つまり京都市に「木辻通」に市バスを走らせるなと言っているのかもしれません。これ以外に「木辻通」沿いに権力者が住んでいるような情報もありません。市バスの恣意的な経路変更の裏には、何かあるとしか思えないのです。税金の無駄遣いをしてまでも、京都市建設局が金閣寺から仁和寺までの「きぬかけの路」の歩道を石畳にしたり、何か変なのです。 わざわざ、お金をかけて石畳にしなくても、アスファルトの歩道で十分です。京都マラソンのコースだからでしょうか。衣笠山沿いの観光道路は、斜面から雨水が浸み出してきます。そのために、すぐに地盤が緩んでアスファルトが割れて凹むのです。おそらく役所は知らないのでしょう。知っていれば、石畳にはしないはずです。立命館大学付近の観光道路は綺麗に舗装しても三年も持ちません。大雨が降ると道路の割れ目から雨水が浸み出してきます。大昔には衣笠村の地域は水ハケがよくなく浸水していたようです。それを防ぐために小さな水路がいくつも作られています。立命館大学の教授でも気付かない事です。人は私利私欲に夢中になると目の前の些細な事に気付かないのです。京都市の行政もです。