人生、あせらず楽しもう!

御覧いただきまして、ありがとうございます。今の日本人には「感謝と謙虚」が必要です。権力によってメディアコントロールされたテレビや新聞に惑わされないために自分で調べて分析する事が大切です。何事も決して周囲に押し流されてはいけません。真実は自分で見つけ出すものです。

京都市バスの急行102号系統の運行経路が公表されているルートと実際に運行しているルートが違うのです。1

この事実は、京都市交通局の恣意的な市バスの経路変更に対する分析を昨年5月頃から始めて、調べて行く内にわかったことです。路線バスが山盛り走る「蘆山寺通」に京都市バスの急行102号系統が走っているのを見たのです。そして、この号系統がどこから来ているのか気になり「馬代通」を歩いていると、なんと急行102号系統が走っていたのです。そこで、京都市交通局の公開資料を調べていると、下記の路線図を見つけました。何か変だなと思い、運行経路を見ると、当初公表されているルートと実際に運行しているルートが違うのです。公表されているルートでは北野白梅町から「西大路通」を北上するのに、実際は「馬代通」を北上して「蘆山寺通」を通り、そして「西大路通」を北上しています。わざわざ遠回りしているのです。

※赤線:実際の運行ルート

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市バス「急行系統」経路図(三枚目の別紙)

https://www.city.kyoto.lg.jp/gyozai/cmsfiles/contents/0000259/259833/12koutuu.pdf

 

さらに分析して行くと、洛星高校のアクセスサイトに交通機関略図があり、そこに京都市バスの急行102号系統の停留所(記号D)があります。これは洛星高校からの要望で経路を変更をしたのでしょうか。等持院に行くには遠すぎます。さもなくば、京都市交通局がまた恣意的に都合よく、立命館大学への路線数を増やすために経路変更したのでしょうか。以前から不思議に思っていましたが、いつまにか洛星高校の西側にバス停(等持院東町)が置かれていたのです。しかも、狭い道路を挟んで真向いにふたつです。万一、市バスが両方に停車すれば、狭い道路なので道路を完全に塞ぎます。この「馬代通」には、立命館大学が運営する3つの孔子学院(表向きは国際平和ミュージアム、米国では中国公館として認定)の内のひとつがあります。

 

役所は市民に気付かれないように本当に影でコソコソします。この経路変更は、京都市交通局のお知らせなどには一切公表されていませんでした。金閣寺前の「木辻通」を市バスが一切通らないようにした経路変更に乗じて、急行102号系統のルートも都合よく変更をしたのです。恐ろしい事をします。京都市交通局立命館大学の間には、何かあります。さらに金閣寺とのシガラミもです。※後々のブログで書いていますが、調べるとよくわかってきました。

 

令和元年の京都市交通事業白書には、「嵐電北野白梅町駅のリニューアルにより整備された駅隣接の停留所に急行102号系統の乗入れを行うとともに,京阪/叡電出町柳駅周辺の運行ルートも変更しました。」とあります。改修工事の計画段階からバス停を作るように京都市交通局から京福電鉄に要望していたのではないかと思います。なぜなら、あの狭い京福電鉄 北野白梅町駅にあった電車ホームの二両分のスペースを一両にして、市バスのバス停を作ったのです。単にバス停を置いたのではありません。直線の線路があった電車一両分を削って市バスが一台停車できるように工事したのです。すぐ横方向(西大路通)には、昔からの北野白梅町の市バス停があります。ほんと目と鼻の先です。京都市交通局京福電鉄は、何か提携関係があるのでしょうか。現在、京福電鉄は京阪グループになっています。不思議です。本来の急行102号系統のルートなら、あの新しいバス停は不必要なのです。※後からわかりましたが、急行102号系統は京都バスに委託運行され、運転手は民間、バス車両は市バスのようです。その京都バスは京阪グループになっています。つまり、つながりがあるわけです。

 

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※以前はホームが二つあり、直線の線路側を無くして、市バスの停留所にしたのです。

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実は、これは洛星高校への交通アクセスというよりも、立命館大学への路線数を増やすため北行きの急行102号系統を「馬代通」にわざわざ通行するために当初から計画されていたのです。急行102号系統は、観光のためではなく、大学のための急行系統だったのです。もっと言えば、立命館大学の教職員のための急行バスなのです。現場に行くとわかりますが、洛星高校と立命館大学北野白梅町から歩いて行ける距離にあります。

 

洛星高校のアクセスサイト(交通機関略図)

https://www.rakusei.ac.jp/access

 

京都市交通事業白書(令和元年)

https://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/page/0000073257.html

 

市バスの「急行系統」は資料にも書かれているように、元々の主旨は観光に便利な急行系統として開発されたルートです。それが洛星高校や立命館大学に便利なルート(市バスの等持院東町立命館大学の南門にも近い)に変更されているのです。しかし、その実態は、洛星高校の生徒は誰も市バスを利用していません。従来通り、JR円町駅まで徒歩か自転車で大勢が通学しています。市外から通う生徒が多いのです。

 

このブログで何度も取り上げていますが、京都市の都市計画局の市バス利用向上政策のひとつである地域や大学等と連携したモビリティ・マネジメントに起因しているのだと思います。そう言えば、今の京都府長の西脇氏は洛星高校出身の東大法学部卒の元官僚、門川市長は立命館大法学部二部卒です。なにか忖度しているのでしょうか。そんな事よりも、京都市にとって立命館大学の交通アクセス網の改善、つまり立命館大学行きの市バスを増やすことが最終目的なのです。廃止されていた市バス52号系統が復活したのがよい例です。あれは西陣地区のためではなく、立命館大学の朱雀学舎と衣笠キャンパスを結ぶための路線バスです。

 

立命館大学の周辺地図を見るとよくわかります。大学の各門から放射状に市バスのバス停を徐々に増やして移動配置し、京福電鉄等持院駅の駅名も立命館大学衣笠キャンパス前駅に変更しています。京福電鉄に市バスのバス停を作るように要望したのは、実は京都市交通局というよりも、立命館大学かもしれません。恐ろしいほど権力を使います。日本全国に立命館を広げようとする営業戦略が見えます。その背後には、中国共産党がいるのでしょう。

 

スローライフ京都」大作戦(プロジェクト)により「歩くまち・京都」を実現 地域や大学等と連携しモビリティマネジメントに取り組みます!(平成22年10月18日)

https://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/page/0000089929.html

 

日本の役所という所は、市民を無視して、一方的に勝手な判断で都合よく権力が行使できます。本当に日本は民主主義国家なのでしょうか。実は資本主義の仮面をかぶった社会主義国家です。自由がなく統制された社会です。日本人は資本主義が民主主義であると勘違いしている国民です。共産主義国家でも資本主義の国は隣にあります。中国やロシアです。日本を見ていると、市民が抑え込まれている感覚が非常にあります。同じ日本人同士が、なぜ職によって身分を作り、その職権で庶民にウソをつきバカにするのか、変です。そして、大学は自分達のために政治的な圧力を使い、その権力を利用して一部の市民が犠牲になることをいとわないという考え方が京都市行政にも浸透していることがおそろしいです。ちなみに京都市議会の議席数は自民党の次が日本共産党で占められています。他府県に比べると日本共産党議席が異常に多いのです。なぜ、そうなるのか?実は共産系の大学が関わているのです。

 

京都市交通局が市バスの定時運行のために「木辻通」から「蘆山寺通」への恣意的な経路変更に伴う路線バスの過剰運行の根本的原因は立命館大学 衣笠キャンパスへの交通アクセス改善プロジェクト」なのです。その結果、「蘆山寺通」は傷み、路線バスの凄まじい騒音や振動、排気ガスだらけになったのです。役所も大学も知らん顔です。自分達さえ便利になれば、一部の市民が騒音や排気ガスで苦しもうが関係ないのです。本当に血も涙もない情けない国になってしまたものです。まるで中国共産党です。国民の犠牲をいとわないのです。

 

いつから京都市は日本ではなくなったのでしょうか。なぜ、京都市交通局京都市)が立命館大学の言われるがままに言う事を聞くのか不思議です。学生や教職員がたくさん市バスに乗ってくれるからでしょうか。でも、赤字運行です。何かあります。知らないのは、ご覧の方と当方だけかもしれません。役人や市議会議員は、その恣意的かつ偏向的な理由を知っています。しかし、それを公言しません。なぜなら、自分の首が飛ぶからです。日本の政治家も役人も、そんなものです。身分(貴族)を得るために政治家となり、政治家になれば保身と蓄財一筋です。役人も同じです。役人になれば身分職となり市民の事より出世とカネ、そして退官後の就職先(天下り)しか興味がなくなるのです。市民の事は後回し、権力者のイイナリです。ひとは利益と権力に弱いものです。権力者に寄り添えば、ひとは能力が無くても楽して生きられるわけです。しかし権力者がいなくなれば、何もできません。京都市が最たる例です。

 

京都バスを見た時に気付いた事がありました。

普段は京都バスや京阪バスを見る事はほとんどありませんが、たまたま先日に京都バスの回送車が走っているのを見ました。その時に気付いた事があります。それは車内の中に不必要な物は一切装備していない事です。京都市バスは頻繁によく見ますが、無駄な物を付けています。座席は分厚いシート、車内には行き先案内モニターを付けたりと豪華絢爛です。一方、京都バスの座席は薄いシート、行き先案内モニターなど付けていません。そして、徹底的な違いがバスのエンジン音の大きさです。京都バスの方が静かなのです。京都市バスは車体が古いせいか、エンジン音が異常にうるさいのです。京都バスと公営企業の京都市バスでは規模の違いがあるにしろ、無駄遣いに大きな違いがあるのです。

 

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税金が投入されている公営企業が贅沢三昧な路線バス仕様車にしています。まして、京都市京都市交通局は破綻寸前(地方自治体で北九州市に次いで市民一人当たりの借金額がワースト二位)なのに、よくこれだけ無駄使いができるなと思います。京都市交通局は、コスト削減、節約という概念が一切感じられない公営企業(役所)です。そもそも日本の役所はどこも税金を無駄使いする事に抵抗感がありません。我々が日本社会を潤していると勘違いしているのです。

 

市バスの車内だけではありません、バス停にしてもメインストリートの大通りなどの市バスのバス停には最近になって、モニター(車内と同じもの)が取り付けられています。民間バス会社とは大違いです。いかに京都市交通局がお金を湯水のように使っているかがわかります。とても厳しい経営環境の中にいるとは思えません。副収入を得ようと路線バス全体を広告ラッピングしてみたり、民間バス会社以上に売上に固執する姿勢は変だと思います。あんな派手な広告の路線バスは古都の風情を壊していると思います。そんな肝心な事に気付かない京都市です。

 

京都市長は、二言めには「市民の足を守る」と言いますが、税金の無駄使いをして豪華絢爛の路線バスを購入することは必要なのでしょうか?民間バス会社のコスト削減、必要最小限の路線バス仕様車を見習うべきです。本来、路線バスは人を安全に時刻通りに運ぶ以上の事は求められていません。バスの乗り心地などは関係ないのです。それは運転手が粗い運転をするかどうかです。市民の足を守る前に、財政を守らないと京都市は破綻します。

 

京都市バスの近所迷惑な車内外へのいろいろな音声案内(バス運転手によるマイク案内も含め)にしても、おそらく民間バス会社、特に京都バスや京阪バスはしていないと思います。民間バス会社の知恵を公営企業の京都市交通局は見習うべきです。京都市交通局の実質100億円近い赤字に対して、新ダイヤによる市バス事業での約2億円/年の経費節減、地下鉄事業での約2000万円/年の経費節減は全く話になりません。京都バスがなぜ不必要な物は一切装備しないのか。もちろん資金的な事はありますが、何より少しでも車体重量を減らして燃費が悪くならないようにしているのです。京都市交通局には気付かない事です。これが、役所と民間企業の徹底的な違いです。

 

それこそ、日本航空のように稲盛和夫氏に頼んで京都市交通局財政赤字を改善してもらったらいかがでしょうか。想像を絶するリストラをすると思います。身を切るぐらいの事をしないと企業再生はできません。変わり映えのしない緊縮財政策では、立て板に水です。

 

京都市バスの新ダイヤのお知らせを見て、驚きました。2

前回のブログに引き続き、2021年1月23日付の京都市交通局の市バス新ダイヤを見て、腑に落ちない点がもう一箇所ありました。

https://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/page/0000279907.html

https://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/cmsfiles/contents/0000279/279907/bessi.pdf

 

1 市バス新ダイヤ
(1)実施内容

<省略>

 イ 西日本ジェイアールバスと連携した取組の推進
(ア)高雄地域における利便性向上に向けた取組
 ・ 均一運賃区間の拡大

 高雄地域(福王子以北)から京都駅・四条駅までの運賃(現行160円~530円)を市バス・西日本ジェイアールバス(以下「JRバス」という。) 双方で230円の均一運賃とするとともに,「バス一日券」や「市内中心フリー」定期券の利用範囲を高雄地域に拡大します。

 ・ 8号系統の延伸等

 市バス8号系統を栂ノ尾まで延伸することと併せ,市バスとJRバスとで等間隔なダイヤとするほか,福王子停留所以北で異なる停留所名称を統一します。

 

なぜ、西日本JRバスが走っている周山街道に市バスが入ろうとするのか?

高雄などは秋の紅葉シーズン以外は人が行かない場所です。昔から京北町まで西日本JRバスが運行しています。山奥の京北町右京区になったからと言って、路線バスのニーズが増えることはありません。コロナ禍前から、いつも西日本JRバスの高雄京北線のバスの中には、ほとんど乗客がいません。

もともと京北町美山町は山奥の山奥で、とても不便な場所です。京都市が大金をかけてトンネルをいくつも掘り、市内から車で30分程でアクセスできるようにしましたが、左京区の大原と同じで山里なのです。いくつも山を越えないと京都市街には出て来れないのです。そして何と言っても気候(標高が高い)が違います。冬には雪が積もるほどよく降り、路面が凍結します。台風や大雨の時期には、土砂崩れが起き道路が不通になります。なにかの本で「京北町ゴルフ場開発」に関する事を読んだことがあります。裏千家などが関わっていたそうです。結局、開発されなかったようですが、闇はありそうです。

とにかく周山街道国道162号線はダンプや木材を運ぶトラックが走っていますので、市街の一般道路とは違います。ガードレールの向こうは崖です。そこに市バスが割り込んで「蘆山寺通」と同様に、周山街道を路線バスの過剰運行にすると大事故が起きます。その事を京都市交通局は留意しないと取り返しがつかない事になります。日本人の従順でおとなしい運転手の事故が心配です。

 

京都市交通局がしていることは、山科の京阪バスの赤字廃止路線に市バスを走らせようとしたり、高雄地域に西日本JRバスと一緒に市バスを走らせようとしたり、「蘆山寺通」にしても、立命館大学に西日本JRバスが通過しているのに、快速立命館という号系統をつくって市バスを走らせ、路線バスの過剰運行を助長しています。

 

なぜ、高雄地域における市バスとJRバスとの等間隔なダイヤのように立命館大学行きの直行路線バスである「快速立命」と「立命ライナー」にも、最初から双方で話し合いで決めなかったのか不思議です。そこには、沿線住民への配慮がまったくない京都市交通局の姿勢があります。西日本JRバスとライバル関係なのに、都合が良い時にだけ「連携した取組の推進」という美しい表現を使っているとしか思えないのです。※後になってわかってきましたが、実は高雄や京北町に向かう市バスは西日本ジェイアールバスに運行委託されているのです。

 

京都市交通局は、ひとが並んでいる列に横から入ろうとする人間と同じような事を平気でします。そんなにしてまで売上(旅客収入)が欲しいのでしょう。京都市財政破綻寸前だからと言って、なり振り構わず、そんな事をしていると市民から足元をすくわれると思います。「鷹は飢えても穂を摘まず」という諺を京都市交通局は知らないのでしょうか。もっとアイデアを出して、斬新で効率的な路線を開発するなど、そちらに集中するべきです。市バスは重複路線が多過ぎるのです。路線の整理が重要なのです。

 

前回のブログで書きました立命館大学の交通アクセス改善のヒントは、「馬代通」と「東門」です。そして「西大路通」です。立命館大学の教職員や学生をもっと歩くようにさせればいいのです。これは、金閣寺前の「木辻通」を観光客に歩かさせようとする取組み(石畳歩道工事)と同じです。市民にとって便利な路線バスを追求すれば、それだけ市バスの赤字が増えます。なぜなら、ひとが歩いていない道路にも市バスを走らせないといけないからです。民間バス会社は、そんな損するような事は絶対にしません。なぜなら、そんな事をしていたら会社が潰れるからです。

 

イデアは、現場を知るといくつも浮かんできます。机上の空論と言われるように、部屋にこもって机に座って部下に指示するだけでは素晴らしいアイデアは浮かんできません。アンケートを回収して市場調査するよりも、実際に現場で情報収集する方が確実な分析ができます。アンケートはあくまでも理想であって現実ではありません。

京都市バスの新ダイヤのお知らせを見て、驚きました。1

3月の京都市交通局ダイヤ改正を確認すべく閲覧したところ、2021年1月23日付の京都市交通局の市バス新ダイヤを見て、腑に落ちない点が何か所かありました。

https://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/page/0000279907.html

https://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/cmsfiles/contents/0000279/279907/bessi.pdf

 

1 市バス新ダイヤ
(1)実施内容

<省略>

 イ 西日本ジェイアールバスと連携した取組の推進
<省略>

(イ)通学アクセスの充実を踏まえた快速立命館(快速205)号系統のダイヤの見直し
JRバスにおける「立命ライナー」の運行開始など,立命館大学への通学アクセスの充実を踏まえ,市バス快速立命館(快速205)号系統のダイヤを見直します。

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※朝七時から九時まで、一般車両も朝の通勤時間帯で混んでいる「蘆山寺通」を市バスと西日本JRバスが重複して、時刻表では5分から10分間隔の違いですが、実際にはそれ以外の号系統(12、15、50、52、55、59、M1、急行102)や回送車、立命館大学シャトルバスも走っています。実際には、数秒から数十秒毎に複数台が通行し、「蘆山寺通」の西行き(立命館大学前での客降ろしが原因)が交通渋滞で道路が詰まります。京都市交通局の恣意的な経路変更の結果、おそろしい騒音と排気ガスです。快速立命館を三本減らしたところで、実際は何も変わりません。根本的に「蘆山寺通」に市バスを過剰運行させていること自体が問題なのです。10種類の路線バスが団子状態で走っているのです。「充実を踏まえ」ではなく、「危ないから」が正確な表現です。「充実を踏まえ」という表現は、いかにも過剰運行という事実を隠すような言い方です。誤魔化すのが得意な役所です。改竄や不正と同じです。役人の得意技です。

 

 ウ 地域主体のモビリティ・マネジメントと一体となった路線・ダイヤの拡充
(ア)52号系統の本格運行化
御利用が着実に増加している状況を踏まえ,平成30年3月から試行運行していた52号系統を「本格運行」に移行します。

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※資料をよく分析すると、「着実に増加」などしていません。肝心の「七本松仁和寺街道及び七本松出水停留所のお客様数(人/日)」の目標である100人に全く達していないのです。但し書きには、令和2年2月以降は新型コロナウイルス感染症の影響を受けて減少していますと書かれていますが、根本的に「七本松通」には路線バスのニーズなどないのです。実際に現場に行けばよくわかります。

「52号系統のお客様数(人/日)」で令和元年4月~1月までで御利用目標 520人/日を少し超えていますが、これは立命館大学の朱雀キャンパスから衣笠キャンパスへの利便性が増えた事によって、立命館大学の教職員が利用しているか、もしくはJR二条駅から観光客が乗車しただけです。肝心の地元住民の利用は極めて少ないのです。乗客の人数ではなく、その中身を分析しないと正確な結論は出せません。それに、この数字が本当なのかどうかわかりません。下駄を履かしていることは十分ありえます。いわゆる統計不正です。52号系統の本数を増やしたいがために詭弁を弄しているのです。ただでさえも「蘆山寺通」は市バスの過剰運行で10種類もの路線バスが団子状態で走っているのに、52号系統を本格運行すれば、さらに市バスの本数が増え、騒音と排気ガスが酷くなり、事故が発生する確率が増えます。京都市交通局は、本当に現実を直視しない、おそろしい公営企業(役所)です。

 

以上のふたつの点について、京都市交通局の分析レべルの低さとウソに驚きます。これでは「蘆山寺通」への恣意的な市バス経路変更による過剰運行により、沿線住民への悪影響も正確に分析できないどころか、京都市交通局の現実から目をそらす姿勢が一向に改まっていません。この「新ダイヤのお知らせ」には、市バスの過剰運行や沿線住民の住環境破壊についての反省が一切言及されておらず、市バスの本数を若干増減させているだけです。本当にそれでも公営企業ですかと言いたくなります。まるで悪徳中小企業レベルです。法を無視して実行するのです。従順でおとなしい運転手の過労事故が心配です。

 

京都市交通局の市バス自己評価は、都合の良い自己評価でしかなく、いくら第三者機関(公認会計士など)による検証や住民への満足度を数値化しても、その後の施策に全く反映されていないのです。監督責任がある京都市も一切チェックがありません。これでは、京都市交通局のやりたい放題、税金の無駄使いが止められないのです。恐ろしい公営企業です。京都市が財政支援団体になる理由はノーチャック体制なのです。有識者会議である「市バス・地下鉄事業経営ビジョン検討委員会」のメンバー見てください。ステイクホルダー(利害関係者)である立命館大学の名誉教授が長年にわたり委員長をしています。公平性も何もありません。立命館大学行きの市バス路線を増やすための委員会なのです。

 

おそらく、この市バス新ダイヤの根拠は、京都市の都市計画局(歩くまち京都推進室)が企画した「スローライフ京都」大作戦(プロジェクト)により「歩くまち・京都」を実現~地域や大学等と連携し,モビリティ・マネジメントに取り組みます!(2010年10月19日付)です。「立命館大学衣笠キャンパスへの交通アクセス改善プロジェクト」<事業支援金400万円>と「西陣デマンド交通の住民ニーズ調査と実施計画策定」<事業支援金83万8千円>の実績を出したいのです。なお、事業支援金の内訳明細は公表されていません。何に使われたのか不明です。接待飲食に使われていたかもしれませんが、立派な癒着です。京都市立命館の関係を究明するメディアが全くないのが不思議です。

 

スローライフ京都」大作戦(プロジェクト)の結果である「通学アクセスの充実を踏まえた快速立命館(旧快速205)号系統の創設」と「地域主体のモビリティ・マネジメントと一体となった路線ダイヤの拡充として52号系統の復活 」を京都市交通局が決めた事については、以前のブログでも書いています。アンケートだけで綿密な市場調査も無く、税金の無駄使いによって無造作に増えた大量の市バス車両を遊ばしておくことができないので、なんとか一台でも多く運行させようとする姿勢が見られます。そうすれば、補助金が増えるからです。

 

京都市交通局立命館大学には、官民癒着があるのでは?2

https://ilnyc.hatenablog.jp/entry/2020/08/24/235725

 

京都市の都市計画局が予算化した事業なので失策と思われたくないので、いかにも成功事案としたいのでしょう。役人のやりそうな事です。だから、ウソでもいいから、成功しているような資料を作成しています。しかし、本当に現場を知る人間には、すぐバレます。何事も現場に行けばよくわかります。京都市交通局の役人も、都市計画局の役人も、実際に「蘆山寺通」や西陣「商店街」で朝から晩まで一週間、現場を見ればわかります。役所の資料が正しいのか、このブログで書いている事が正しいのか、すぐわかります。

 

この京都市交通局のお知らせの前置きに、「市バス・地下鉄両事業は,新型コロナウイルス感染症の影響により大幅な経常赤字となる見込みであり、且つ今後もお客様数の大幅な回復は見込めない極めて厳しい経営状況にあります」と書かれています。そのために新ダイヤにして、市バス事業で約2億円/年の経費節減、地下鉄事業で約2000万円/年の経費節減を見込んでいますとあります。しかし、この金額では全く経費削減になっていません。赤字は実質100億円近くです。もっと抜本的なリストラ(ダウンサイジング)をしないと京都市交通局は破綻するでしょう。コロナ禍は三年以上続きます。根本的に市バスの全81系統816車両(毎日新聞の記事では6台増車され822両になっています)が多過ぎるのです焼け太りです。

 

そして、次のようにも書かれています。「こうした中でも,市バス・地下鉄は日常生活に欠かせない公共交通機関として多様な都市活動を支えており,通勤・通学時間帯を中心に多くのお客様に御利用いただいています。」公営企業でなくても、民間バス会社や私鉄があります。民間企業の方が知恵があります。なぜなら、日本政府からの交付金はないからです。そのために創意工夫するのです。京都市内の公共交通機関をすべて完全民営化(株式会社)にして手放さないから、京都市自体が財政破綻寸前になるのです。日本の役所は上から目線ではなく、現場目線で物事を見られるようにならない限り、これからのスタグフレーション時代には維持するのは無理でしょう。近い将来、地方都市での自治体破綻は珍しくなくなります。連鎖的に増えます。

 

 

京都市交通局は、京都市内を網の目のように市バスを走らせようとしているのでしょうか?

京都市交通局のすることは本当に姑息というか節操がありません。京都新聞の次の記事を見てください。

コロナ禍で市バスの売上が激減したからと言って、京阪バスが走る京都市山科区に市バスを24年ぶり復活させようとしています。嫌がらせそのものです。京阪バスが撤退した赤字路線を市バスで復活させるというのが表向きの理由ですが、そんな事をしたら市バスの赤字がますます増えます。他社の路線を奪うような事をしたら、京阪バスが本気で怒ります。これは契約違反だと思います。京都市は信じられない事を考えます。

 

京都市は、そんなに京都市バスの売上が欲しければ、滋賀や大阪にも京都市バスを走らせたら、どうでしょうか。いかにも沿線住民の事より売上を優先する切羽詰まった役所が考えそうな事です。公営(税金の無駄使い)を背にして何をしでかすかわかりません。京都人のズルさが露骨に出ています。京都市交通局は、「鷹は飢えても穂を摘まず」という諺を知らないのでしょう。情けない役所です。

 

立命館大学行きの路線バスがやたらに多いのも、結局は赤字でも京都市バスの売上が欲しいからです。自転車操業の企業は運転資金が枯渇すると破綻します。だから赤字でも売上が欲しいのです。京都市交通局は、立命館大学のためではなく、市バスによる旅客収入を増やすためにしているのです。この記事ではっきりとわかりました。恐ろしいです。

 

京都市交通局にすれば、800台以上もの市バス車両を持っているのだから、京都市内を縦横無尽に市バスを走らせることができる。京都市内を網の目のように市バスを走らせれば、売上(旅客収入)が少しでも上げられると思っているのでしょう。いかにも切羽詰まった会社が考えそうなやり方です。京都市交通局は、市バスの恣意的な経路変更や沿線住民への配慮が無いなど、信じられない事ばかりします。沿線住民の事より売上を優先する切羽詰まった役所です。

 

こんな経営方針では、いずれ京都市交通局は破綻するでしょう。役所である公営企業と言えども、あくまでも損益勘定がある企業です。日本の企業には、赤字でも経営し続ける、経営できる事自体が間違った資本主義、つまり日本型社会主義なのです。

 

以前のブログでも書いていますが、本来、路線バスにしろ、清掃車にしろ、役所がする仕事ではありません。民間会社がする仕事です。そんな事をいつまでも地方公務員がしているから、京都市は万年財政赤字で行く末は財政破綻するのです。もっと賢くならないといけません。将来性のない自治体です。これでは市民が愛想を尽かして逃げて行くばかりです。

 

 

 

京都に電気路線バス導入へ 関西電力と京阪バスなどが締結式。

 

このような取組みを率先して京都市交通局はできません。京阪バスこそが本当に環境にやさしい路線バス会社です。いくら京都市交通局が交通安全白書や環境への取組みなどの資料を作って公開しても、根本的な温室効果ガス排出削減策や積極的な電気バスの導入などの具体的な取組みをせずに、資料で言うだけの公営企業とは大違いです。

 

京都市バスのように京都市内、特に「蘆山寺通」に路線バスを過剰運行させ、騒音と排気ガスをまき散らす事とは雲泥の差です。西日本JRバスも京都市バスと一緒になって沿線の住環境破壊をしているようでは同類です。

 

企業も人間と同じで、口先だけでなく本当に考えている人とそうでない人には明らかに行動に差が出ます。京都市交通局のような地方公共機関が公営企業という立場で沿線住民の事も顧みず、ただ売上(旅客収入)のことばかり追い求めている組織と、本当に路線バスが排出する温室効果ガス(CO2)削減に取組む企業との違いです。本気で考えている民間企業は、役人の猿知恵とは全然違います。なぜなら、民間企業は赤字でも税金で補填されないからです。税金を湯水のように考える役人や京都市交通局族議員では、浅知恵しか出てきません。最初から予算が無限に使えるのなら、そもそも市議会議員など政治家は必要ありません。京都市は役人が好きなだけ予算を使ってきたから、財政破綻寸前なのです。番犬がいない状態です。

 

経営戦略や社会的責任、企業統治を本気で考えないと民間企業は存続できません。公営企業のように何かあっても地方交付金や地方債などで財政補填され、身分保障されたノラリクラリの公務員が運営するのとは違います。

 

民間企業では何かあれば、すべて己に降りかかります。さらに民間企業の従業員には解雇もあります。無責任な行動はできないのです。公務員のように自分から辞めると言わない限り、クビにならない労働環境とは違います。「幽霊バス」(無届け臨時バス)を走らせるような事はできません。だから、本気で環境問題や経営課題に取り組む姿勢が民間企業には必要なのです。無駄を省くことは当然です。京都市交通局のように、民間路線バス会社では無駄使いはできません。無駄使いをしません。

 

採算度返しの政治路線と言われる市バスの不必要な路線、大学などのステイクホルダー(利害関係者)の言いなりになって、沿線住民の事は無視するようなことをする京都市交通局の姿勢は、社会主義そのものです。とても民主主義とは思えません。市民の事を二の次にして、役所(お上)の思い通りにできるのは社会主義の特徴です。中国やロシアと結果的に同じなのです。市民が犠牲になるのです。

 

 

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こんなに朝から晩まで市バスの騒音と排気ガスに悩まされる市民を無視するような役所が存在する社会は変だと思います。これは、民主主義ではなく、社会主義です。個人を尊重せず、全体を優先する社会です。

 

なぜ、京都市交通局は市バス運転手の募集条件が大型二種免許未取得者のみなのか?

ツイッターに、こんな写真がありました。

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表題の答えは、前々回のブログで引用しました京都市会議員の京都党のコラムに書かれていた事実からも推察できます。

なぜ、京都市交通局は頻繁に市バス運転手を募集するのか?3 - 人生、あせらず楽しもう!

 

つまり、京都市交通局の失策による民間バス会社の市バス運行委託契約の撤回です。元の状態となる市バスの直営化で市バス運転手が不足していることが原因なのです。これにより、委託先の民間バス会社(京阪バスなど)の運転手などが市バスの採用試験を受け、採用される現象が起き、民間バス会社の運転手が京都市交通局に盗られてしまい、民間バス会社から京都市交通局にクレームが出ているからだと思います。そのために未経験者のみの採用にしているようにも推測できます。一般企業の場合、同業他社への転職は厳しくなり、場合によっては訴訟にも発展するほどです。

 

現在の日本では、少子化で路線バスの運転手のなり手が少ない状態です。またコロナ禍で観光バスの運転手が仕事がない状態です。それを民間バス会社より待遇が良い市バス運転手(身分保障された公務員)を常時募集されると、そこに人材が集中します。運転手の奪い合いが起きているのです。これからの日本は本格的な少子化でますます若手の人材が激減します。運転手だけでなく、警察官や自衛隊員、建設作業員など体力が必要となる職業への人材が不足するのです。これは、日本が現在の国家体制を維持できなくなります。バブル崩壊後、私利私欲の政治家や官民癒着の役人が何もして来なかったからです。

 

さらに、以前のブログで書いた記事で引用した参考サイトを読み直すと具体的な理由が書かれていました。

なぜ、京都市交通局は頻繁に市バス運転手を募集するのか?2 - 人生、あせらず楽しもう! (hatenablog.jp)

 

記事には、次のように書かれています。

京都バス

自社の運転手と路線維持のために京都市バスとの委託契約を本年度中に徐々に縮め、解約する見通し。京阪バスと同様、会社経営が厳しいので、京都市交通局の言い分は受け入れません。

西日本JRバス

京都市内で高尾、周山まで自社路線を持ち、市バスの委託を受ける西日本JRバスも段階的に委託を減らす方針。※市バスと重複した路線を運営しているのは、将来的に京都市交通局から委託されるかもしれない事が前提にあったのかもしれません。それを京都市交通局が撤回したのかもしれません。それによって、「蘆山寺通」が現在のように路線バスだらけになったのです。

京都市バス

路線維持のために2019年1月末までに運転手の新規採用枠を目標100人としているが、到底達成できそうにない。※これにより経験者採用が底をつき、新規未経験者採用で運転手を募集せざるを得ない状態となっていますが、運転手の成り手は少ないです。

何故、市バス運転手は激減するのか?
不採算路線を抱えながら、路線沿いを限界集落にしないために路線維持に努めるのが各バス会社の現状だ。民間委託は車庫整理と並んで経営打開策の一つとして取られてきた。※車庫整理のために、朝晩の回送車が増加しています。これが近所迷惑となり、騒音や排気ガス公害、路線バスの過剰運行による住環境破壊になっています。毎日、朝から晩まで市バスの騒音が耳障りです。

・40~50代の中堅、ベテランドライバーの給料の激減は激しく、各社争奪戦

・6人に1人が60歳以上で、これからも増える傾向にあり

・免許所得に費用がかかる大型二輪の費用補助や、ベテランドライバー同乗による回送車を使った実地訓練を行っているが、実際にドライバー拡大につながるかどうかが疑問とあります。要するに、運転手も高齢化し、ベテラン運転手は待遇が良いバス運営会社に流れて行くということです。そうすると、待遇が良くない民間バス会社の人材は減って行き、路線バス事業を運営できなくなります。負の連鎖が起きるのです。

 

最初の写真をもう一度よく見てください。

・大型二種免許取得に要した費用は交通局が負担します。

・正規職員への登用制度があります。

おいしい話で人材を集めようとする組織には注意した方がいいです。大型二種免許は自腹で取得する方が、会社や組織に対して気兼ねなく辞められると思います。それを採用者側に費用負担されていると借金しているようで、なかなか辞められないと思います。そこが実は雇用者側の強みなのです。中には、辞められないように脅迫する会社もあります。注意するべき点です。おいしい話には何かあります。タクシー会社も同じです。よく分析しないといけません。一番いい方法は、そこで働く人、働いていた人に聞く事です。

 

そして、京都市交通局の言う正規職員とはどういう意味なのでしょうか?嘱託運転士とは「見習い」で、正規職員になるまでは公務員ではないということなのでしょうか。見習い期間がどれくらいなのかも書かれていません。この「正規職員への登用制度があります」と書かれていますが、制度があるだけかもしれません。何年経っても、正規職員になれないかもしれません。京都市交通局の経営方針と同じです。ウソをついて誤魔化すのが得意です。

 

これまでの京都市交通局の民間バス会社への委託対応ぶりを見ると、この運転手募集もどうも信じられません。それは、市バスの恣意的な経路変更沿線住民への配慮が無い事など、信じられない事ばかりする役所なので、信頼も信用もありません。沿線住民の事より、観光や大学による乗客数獲得(売上)を優先する役所です。切羽詰まった組織は何をしでかすかわかりません。恐ろしいです。そもそも公共機関が「売上重視」すること自体がおかしいのです。売上を重視するあまり、公序良俗に反する民間企業は問題視される時代です。そんなに売上を重視したければ、まず株式会社にすることです。

 

金閣寺前の「木辻通」が渋滞していたのは、金閣寺の駐車場が原因だった。

このブログを書き始めて、「蘆山寺通」で四度目の交通事故が起きましたが、京都市交通局の恣意的な市バス経路変更の表向きの原因は、金閣寺前の道路「きぬかけの路」つまり「木辻通」の渋滞です。かつては、西日本JRバスも「木辻通」を通行していましたが、定時運行ができないので「蘆山寺通」に経路変更したのです。結局は、京都市バスだけが最後まで経路変更せずに運行していました。ここには何かの圧力があったに違いないのです。

 

その市バスの混雑を解消するために「蘆山寺通」へ二系統、正確には四系統(12、59、M1、急行102)も京都市交通局は恣意的に市バスを経路変更させたのです。その結果、「蘆山寺通」には十系統以上もの路線バス(12、15、50、52、55、59、急行102、快速立命館立命館ダイレクト、M1原谷、M1立命館、M1北大路BT、西日本JRバスの高雄京北線、高雄京北線循環右回り、立命館ライナー)が通行しています。片側一車線の狭い道路に恐ろしい数の路線バスの系統数です。朝から晩まで路線バスだらけ、特に市バスの騒音と排気ガスが凄いです。道路の舗装が長くは持ちません。舗装が傷むと、次はそれが振動になるのです。路線バスによる住環境破壊です。その原因である京都市交通局は何もしません。

 

しかし、京都市交通局が言うところの「混雑対策」と「定時運行」ができない事は同じ意味なのでしょうか。前者は外国人観光客の増加により、地元住民が観光客の乗車が増えたがために市バスに乗車できないという混雑が発生したことを意味します。後者は観光客が増えたことにより「木辻通」の交通量が増え、交通渋滞が発生して市バスが時刻表通りに運行できなくなったということを意味します。京都市交通局は、どちらが原因で恣意的な市バスの経路変更をしたのでしょうか。「混雑対策」と「定時運行」は別の問題です。それとも他に本当の理由があるのでしょうか。

 

以前のブログでも書きましたが、京都市議会議員の井坂博文氏の京都市交通局の返答では、「一年で元に戻すのは困難」「路線変更の成果を判断する材料がない」と言われたとありました。路線変更の成果を判断する材料が無いのならば、元に戻すべきです。成果よりも、被害が発生しているわけです。被害とは「蘆山寺通」への過剰運行による交通事故発生率の上昇、騒音と排気ガス、路面の傷みと振動です。

 

京都市交通局の恣意的な市バスの経路変更による「蘆山寺通」への過剰運行に気付いた京都市議会議員がいました。 - 人生、あせらず楽しもう!

 

京都市交通局京都市議会議員のやり取りは、次の通りです。 

市バス12号、59号系統が路線の復活を求める要請行動

・路線が変更され、二つのバス停が休止になり、近所の方や高齢の方の足がなくなり、交通不便地域になっている。※蘆山寺通の桜木町のバス停や西大路通のバス停まで赤坂町などから歩くのは遠いです。

金閣寺への観光客が激増し「きぬかけの路」の交通混雑が激しく、時間通りのバス運行ができなくなっていた。※定時運行の困難。しかし、市バスは昔から始発に近いバス停でも時刻表通りには来ません。「きぬかけの路」は仁和寺竜安寺立命館大学金閣寺があり、市バスが遅れる原因は金閣寺前のバス停での乗り降りだけではありません。

・一方で新しく路線となった「蘆山寺通」は路線が集中し混雑が激しくなっている。今度は「路線の混雑化の解消」を図るべきではないか。※正論です。

 

以上の施行実施の現状を分析して、路線とバス停の復活を求めるのは当然の要望に対して交通局は「1年で元に戻すのは困難」「路線変更の成果を判断する材料がない」の一点張り。京都市交通局の現実から目をそらす姿勢の改善を強く求めると書かれています。そして、「路線変更とバス停の休止は、観光客の分散化が口実だった。」とも書かれています。つまり、京都市交通局は観光客の流れを変えるために「木辻通」に市バスを通らないようにするということなのでしょうか。しかし、「木辻通」は擦り減った道路の舗装工事よりも、京都市建設局が歩道を石畳仕様にする工事に着工しています。観光客に仁和寺から金閣寺まで歩くように促すためでしょうか。何か変です。辻褄が合いません。やはり、京都市交通局は何かを市民に隠しているか、ウソをついているのです

 

金閣寺前の「木辻通」の交通量が増えた原因は、単純に乗用車や観光バスで金閣寺に来る人が増えたからです。ここでよく考えて見ると、根本的な原因を作っているのは、金閣寺に向かう観光客の車と観光バスの交通量に対して、金閣寺境内の駐車場入口が一箇所しかないことが大きく関係しています。もっと言えば「木辻通」経由の大駐車場(金閣寺境内)だけでなく、昔の厚生年金会館の跡地である駐車場以外にも、北大路通西大路通に駐車場をいくつか分散して作ればいいのです。そうすれば、金閣寺への交通サクセスがよくなるのです。今現在の状態だと、コロナ禍が収束した時に、また元の状態に戻ります。立命館大学と同じで金閣寺も路線バスしか交通手段がないのです。

 

京都市交通局が言う市バスの「混雑対策」は既に西大路通のバス停を二箇所に分けるなどして解消できているようです。問題は、現在停止中である「金閣寺前」のバス停です。このバス停は正直なところ廃止しないと解決できないと思います。「木辻通」には、「総門町」というバス停もありました。このバス停だけを復活して「木辻通」に従来通り市バスを運行させれば、「蘆山寺通」への過剰運行が少しでも解消できるわけです。しかし、京都市交通局が拘る本当の理由は別にあると思います。

 

路線バスの「混雑対策」と「定時運行」は、結局は両方とも人と車の渋滞が原因です。金閣寺に向かう観光客が増えると「木辻通」が渋滞します。そこを京都市バスの経路にするとさらに渋滞するのは当然です。「木辻通」の車の流れが悪いから渋滞が発生するのです。その悪い流れの原因が、金閣寺の駐車場の数が少ないから渋滞が起きるのです。先程の「観光客の分散化」とは、路線バスは蘆山寺通、観光客は木辻通を通るという意味なのでしょうか。だから「きぬかけの路」を石畳にしているのでしょうか。それならば、本来の理由である市バスの混雑対策というのはウソです。定時運行にしても、市バスの59号系統のように仁和寺竜安寺立命館大学(堂本印象美術館)での観光客の乗り降りがあります。金閣寺前のバス停だけが原因ではないはずです。これもウソです。

 

観光地には交通渋滞という面倒な問題がつきものです。これを、どのように改善するかが難しいです。しかし、結局は観光地(二条城や金閣寺など)の駐車場の数次第で解決できるのです。需要と供給のバランスが崩れると問題が発生し、それが別の問題を生み出します。道路の渋滞は、騒音や排気ガスを発生させ、近隣住民が迷惑します。

 

京都市交通局は一体何を考えているのでしょうか。役所はウソツキなので注意しないといけません。おとなしい日本の国民は役人にやられないようにしないといけません。いずれにせよ、日本という国は政治家や役人が簡単に国民にウソをつきます。正義も何もありません。信用できる公僕がいない国というのは、まるで中国と同じです。残念です。中国人は家族以外は信用しません。 

 

なぜ、京都市交通局は頻繁に市バス運転手を募集するのか?3

前回のブログで、京都市会議員の京都党のコラム「京都市バス赤字転落を受けて」に真実の答えがありました。理由は簡単です。次のように書かれていました。

 

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「今回の直営化に伴い、委託先の民間バス会社の運転手が随分京都市の採用試験を受け、採用されているという当然ながら、アベコベな事象も起きている。この傾向は今後ますます顕著になり、管理の受委託からの撤退は今後も続く可能性が極めて高い。」

 

これは、民間バス会社(京阪バスなど)が京都市交通局からの業務委託契約が採算に合わないため撤回し出し、京都市交通局は元の状態となる市バスを直営にするために運転手が不足しているということです。少子高齢化による運転手の定年退職や若手の人材不足などの理由だけではなかったのです。単なる京都市交通局の失策です。そのために京都市交通局は頻繁に市バス運転手を募集しているのです。これにより京都市財政破綻へ一直線です。

 

昔から、京都バスや西日本JRバスなどの民間バス会社は、路線バスの後ろに「運転手募集」と書いています。いつも成り手が少ないのです。いわゆる、後継者不足の状態です。少子高齢化で老舗の企業が担い手がいないので、廃業する会社が増加しています。それと同じようなことが路線バス業界でも起きると思います。

 

次のようにも書かれています。

「今後も今回の様に直営化へ戻せば、最後は再び100%直営の赤字公営交通に逆戻りになることは必定だ。しかも、雇用はひとたび採用すると定年まで最長40年続く。40年後、京都市交通局がバスを今と同じように運転手が運行しているかは甚だ疑問だ。」

 

おそらく、2060年頃の日本は現在の日本とは大きく変わっていると思います。それは少子高齢化による人口減と縮小経済です。いまの国家予算は不可能だと思います。そして、現在の賦課方式の社会保障制度も立ち行かなくなっているでしょう。日本政府も京都市も呑気にしていますが、あちらこちらの地方自治体が財政破綻します。その結果、今のような公共サービスは提供できなくなります。つまり、京都市交通局は解散しているのです。市バス事業も地下鉄事業も完全に民間(近鉄電車、京阪電鉄など)に売却されているでしょう。

  

大阪市は市バス事業を民営化し、大阪シティバスになっています。その結果、大阪市の財政は負担が減り貯蓄ができています。路線バスや地下鉄など公共交通機関自治体が運営し続ける事自体がもう古いのです。戦後の復興期なら仕方がありませんが、高度成長期(正しくは復興期)も終わり、成熟期も終わり、衰退期に入っている国のすることではありません。世界を見渡せばわかります。資本主義社会では、日本のような大きな政府社会主義的中央集権国家)ではなく、小さな政府(連邦制民主主義国家)になることが国家繁栄の条件になっています。

 

日本の企業は赤字でも何十年と経営を存続させ存続できること自体が間違っているのです。これは資本主義ではありません。公営企業という社会主義を継続させていると、地方自治体は破綻します。ロシアの国営企業や欧州諸国を見れば、よくわかります。政府が社会保障、つまり医療や年金などを負担していると永遠に財政難になります。米国が日本の国民皆保険のような医療保険制度を確立しない理由のひとつが財政負担になるからです。だから民間保険会社に任せているのです。現代貨幣理論は、成長している国家のみで通用する考え方です。それを衰退している国家が真似をすると破綻します。さっさと市バスを完全に民営化し、地下鉄を民間に売却すれば、京都市の財政は楽になるでしょう。

 

京都党のコラム「京都市バス赤字転落を受けて」を読んで思ったこと。

このコラムは二年前の2019年3月19日に書かれたものです。まだ新型コロナウィルスが流行せず、京都市の観光客が最も多い時期に書かれたものです。この記事の中で何点か気付いた事を取り上げたいと思います。

 

赤字だった京都市バスが再生した理由は二つあると書かれています。

・人件費の削減や増客対策といった経営改革 ※ 増収増客を狙う「攻めの営業」?

・管理の受委託 ※市バスの外部運行委託を「民営化」と言う?

 

しかし、このコラムには大きな見落としがあると思います。この記事が書かれた時点でも、京都市の一般会計から京都市交通局へ「敬老乗車証負担金」として45億3600万円も売上補填として税金が投入されていたことに全く触れていない点です。この敬老乗車証負担金は最近導入された支援金ではありません。何十年も昔から継続されています。これ以外にも、京都市から京都市交通局へ、いくつもの補助金があります。そして、交通局は企業債(国債と同じ)を発行して借金をしています。この事を京都市会議員の方は知らなかったのでしょうか。知っていても書かなかったのでしょうか。「赤字だった京都市バスが再生した」というのは大きな間違いです。京都市交通局の長年の粉飾決算なのです。参考に過去のブログを掲載しておきます。

 

京都市交通局の売上には、京都市の一般会計から「敬老乗車証負担金」として45億3600万円も投入されていた! - 人生、あせらず楽しもう! (hatenablog.jp)

 

そして、京都市交通局の市バス運行委託についての内情も書かれています。「バスや路線そのものは京都市バス保有、管理監督をするが、運行だけを民間に委託するという制度で、現在市バスの50%が民間バス会社に委託されている。バスブランドは京都市バスだが、中身は民間バス。企業でいうところのOEMだ。」とあります。これは、OEM(original equipment manufacturer「委託者商標による受託製造」)というよりも人材派遣労働だと思います。運転手は製品ではありません。人材という部品です。

 

京都市交通局は公営企業(=役所)であり、京都市バスの運転手は公務員です。民間バス会社の運転手よりかなり年収が高く、身分保障(不解雇契約)もあります。そして、公務員の中でも現業者扱いで労働組合があるのです。この厚遇は路線バス運転手という職種の「同一労働・同一賃金」に反します。路線バス会社として、こんな高給な運転手を使っていると利益なんて出るはずがありません。そこで、京都市交通局は人件費の安い民間バス会社に運行業務を委託し、人件費の官民格差を利用した制度であると書かれています。しかし、現実は委託負担金(派遣運転手の人件費)という名目で京都市交通局から民間バス会社に売上補填金が支払われています。その金額が少ないため民間バス会社は撤退します。なぜなら、運賃収入は京都市交通局の売上になるからです。いくら乗客を乗せて運賃を稼いでも、交通局に売上を持っていかれるのです。民間バス会社は、京都市交通局のように京都市からの財政支援はありません。売上を増やし利益を出さないと会社は潰れるのです。これについても以前のブログでわかりやすく書いています。

 

民間バス会社の運行委託契約の撤退で「京都市が取った手法は、委託していた路線を直営に戻すという選択だった。」という事です。さらに民間バス会社の撤退を防ぐため、京都市交通局は委託料金を引き上げたために赤字転落になったとあります。当然です。少ない運賃収入では委託料金(派遣運転手の人件費)を賄えないからです。コロナ禍では運行受託する民間バス会社の方が得になります。なぜなら、運賃収入が少なくても京都市交通局から運転手の人件費は最低もらえるからです。公務員ドライバーの厚遇を削減するために民間委託したのを、また元に戻して直営(公務員ドライバー)にするというのは愚策です。これは京都市バスが黒字路線も含めすべて民間バス会社に委託し手放せばいいだけの話です。おいしい黒字路線だけを公務員直営の市バスが運営するというのは、虫が良すぎます。京都人のズルさが出ています。最終的には市バス事業を完全に民営化(株式会社もしくは売却)しないと京都市の財政を圧迫し続けるのです。つまり、民間路線バス会社のバス車両で運行するという基本的なビジネスです。現在の運行委託契約という民営化は「不完全な民営化」としか言わざるおえません。この運行委託契約というのは、運転手を民間人にすればよいという、いかにも身分職の公務員が考えそうな発想です。

 

問題は、この次の項目です。「食い違う京都市京阪バスです。これは、京都市交通局、ひいては京都市いかに社会主義的な自治であるかということです。目からウロコで驚きました。京都市交通局の言い分と京阪バスの言い分が食い違っているのです。これが、もし民間企業同士なら民事裁判になります。京都市交通局京阪バスを悪者にしているのです。京都人のイケズです。そして、京阪バスに恫喝しているのです。詳しくは、京都党の元サイトをご覧ください。

www.kyoto-to.com

 

その中で次のように書かれています。「役所というところはそもそも委託先や下請け先に対して「仕事を与えてやっている」「いい仕事だろう」というお上思想が強い。」これは京都市だけでなく、日本という中央集権国家全体がそうです。これを日本型官僚制社会主義と言われるものです。お上が民間に仕事を割り振るという護送船団方式です。仕事をもらった大企業は、下請け企業に対して威張り散らすという一種の階層社会になっているのです。そして、大企業は便宜を図ってもらった役人への見返りに金品や天下り先を提供するのです。京都市も同じです。さらに中央集権国家というのは地方の首長は中央から下りてくる事です。そうでなければ、首長が中央に媚びへつらうのです。とても民主主義政治にはなりません。

 

これ以外にも、京都市交通局の悪態が書かれています。一言でいうと、ウソを平気でつくズルい役所です。今回の恣意的な京都市バスの路線変更により「蘆山寺通」が路線バスの過剰運行となり、沿線住民が苦しむことも、最初から予測できたことです。本数が多い市バス路線を二系統以上も「蘆山寺通」に経路変更して、休止していた52号系統を復活させ、さらに立命館大学行きの路線バス「快速立命館」を増便し、挙句の果てには周山高尾ルートの西日本JRバスも一緒になって増便し、それらすべてを「蘆山寺通」に集中して通行させいるのです。これでは、ますます路線バスの騒音・振動・排気ガスそして道路の傷みが増えるわけです。本当に沿線住民の住環境を破壊しています。京都市交通局が、これほど市民を無視した質の悪い役所と思いませんでした。もう少しマシかと思っていましたが、非常に残念に思います。役所が市民の期待を裏切ると、最後は破綻です。京都市の人口が減り続ける理由がこんな所にも表れているのです。人口が減れば国も自治体も、ますます財政が苦しくなります。何事もバランスで成り立っているのです。

 

さらに、京都市交通局は「直営を堅持したいというエゴだ。自らの権益を手放したがる者はいないだろう。(中略)自分たちの力で黒字化できないからといって民間に委託することからはじまったのが、この管理の受委託の制度だ。(中略)管理の受委託をこれまで経営の前進だとするならば、今回の決断は後退だ。赤字に陥る今だからこそ、柔軟な発想で、方向転換が必要なのではないか。」と書かれています。その通りだと思います。しかし、今回の経路変更で京都市交通局がこんなに独断的な考え方の役所とは知りませんでした。沿線住民(市民)を一切無視しています。京都市交通局京都市からの資金援助が途絶えれば、すぐ経営破綻します。2032年に敬老乗車証負担金が京都市の財政難から半分になります。

 

最後に京都市バスに未来はあるか」と書かれています。もちろん、未来なんてありません。なぜなら、想定外のコロナ禍で世界全体で観光に関わる業種業態が沈んでいます。仮にコロナ禍がなくても、京都市交通局はいずれ過去の地下鉄事業の巨額の負債で首が回らなくなります。つまり、返済できない有利子負債です京都市交通局は、いわゆるゾンビ企業(ゼロ金利・低金利でないと存続できない会社)なのです。京都市京都市交通局に一般会計から財政補填し、政府が京都市に地方交付金で財政支援する仕組では、結局その財源は赤字国債なのです。京都市が地方債を発行できても、その買入先の銀行や生命保険会社の原資は国民のお金(金融機関の資金は国民のお金、ひとのお金で儲けている)です。借金です。おまけに地方交付金は年々減額され、不足分は政府が臨時財政対策債という地方自治体が発行する地方債で補っているのです。借金してもよいと政府が認めているのです。しかも、恐ろしいのは政府の帳簿には記載されていない科目、地方自治体も帳簿に載せていないのです。この話を知った時は、びっくりしました。それが年々増加しているのです。市場金利が上昇すれば、どれだけ日本の会社が倒産することでしょう。それほど日本には大企業・中小企業を問わず、ゾンビ企業がたくさんあります。京都市交通局自転車操業状態です。金利が上昇すれば借金の利息分も返せなくなるでしょう。それほど巨額な負債なのです。運賃収入は少子高齢化社会では増えません減る一方です。その事を交通局は知らないようです。日本の公務員とは、こういうものです。

 

さらに、京都市バスの「今回の直営化に伴い、委託先の民間バス会社の運転手が随分京都市の採用試験を受け、採用されているという当然ながら、アベコベな事象も起きている。(中略)役所が民間のおいしいところだけ吸い取って運行するという管理の受委託が既に制度破綻へカウントダウンしている」と書かれています。官から民へと言わる時代に逆の事をしている京都市は変です。京都市は景観条例を緩和したりと、目先の税収のために行政がおかしくなっています。市バスや地下鉄の中古部品を売る事ぐらいの持続可能(SDGs)な事しかしていないのです。ある意味、情けないです。タケノコの皮をはいでいくような経営です。いずれ売る物が無くなります。

 

そもそも路線バス事業をなぜ?公務員、つまり役所が運営しないといけないのかです。過去のブログでも書いていますが、民間バス会社なら儲からない路線は廃止します。もしくは、ダウンサイジング(路線統廃合)をします。そこには合理的な工夫(経営悪化防止)があるのです。それを赤字ならば税金で補填されるような公営企業(役所)が運営すると、税金を湯水のように無駄使いします。赤字なのに不必要な路線を増やしたり、車両を増やしたり、運転手を増やしたりと無駄使い癖がなおらず、創意工夫もしません。何事にも「従来通り」という役所特有の危機感の無さ、我々の後ろには「親方日の丸」がついている、カネならいくらでもあるという発想です。公営企業とは、つまり国営企業と同じで、社会主義共産主義国家の代表的な企業形態です。京都市交通局を公営企業ではなく、独立法人(民間企業つまり株式会社)にして税金が一円も投入されず、企業債(公債)も発行できないようにしないといけませんそうすれば、必死になって創意工夫(赤字路線廃止、重複路線統廃合)で無駄をなくそうとします。これが資本主義社会の企業です。現状は公営企業と言う単なる役所でしか過ぎないのです。社会主義です。

 

そして、一番気になるところは「そもそも、市営交通は圧倒的に民間バス会社に比べて有利なのだ。路線は実質的に自由に設置できるし、行政の協力も全面的に得られる。」とありますが、沿線住民にとってはトンデモナイ話です。一方的に経路変更したり、立命館大学金閣寺などのステイクホルダー(利害関係者)の言い分を優先するあまり、その結果、沿線住民の市民が犠牲となり、騒音(注意喚起音)・振動・排気ガスで苦しむのです。国土交通省が何らかの監視監督制度を設けないと無秩序に路線バス網が拡大します。しかし、お上に期待してもムダです。日本の役人は身分職、仕事をしなくてもカネがもらえるのです。真剣に仕事などしません

 

路線バスは、ガソリン車の乗用車と違い、軽油で走るトラックやダンプと同じでCO2を大量に排出し、二酸化炭素による環境破壊(大気汚染)の原因のひとつです。長野県の国道は、東京に向かう長距離トラックだらけです。高速道路を通らずに一般道を走って料金を浮かせるためです。その結果、道路は傷み、排気ガスなどで沿線住民が被害を受けています。昔は降雪地帯でのスパイクタイヤによる粉塵被害がありました。これと路線バスの過剰運行は同じなのです。「蘆山寺通」の路面をよく見て下さい。短期間で道路が擦り減って傷んでいます。

 

何度もブログで書いていますが、京都市交通局は一度も傷んだ道路の修復を土木事務所に依頼したことなどありません。その証拠に、金閣寺前の「木辻通」はいまだに道路が擦り減ったままです。よく見てください。市バスは京都市内のいたる所の道路を我が物顔で走り回り、道路を擦り減らし、近所迷惑な音声アナウンスや注意喚起音を鳴り響かせているのです。沿線住民は堪ったものではありません。騒音公害です。これが民主主義社会なのでしょうか。まるで共産主義社会にいるようです。役所による一方的な権力行使です。考えられない自治体です。

 

京都市交通局の恣意的な市バスの経路変更による「蘆山寺通」への過剰運行に気付いた京都市議会議員がいました。

京都市交通局による恣意的な市バス経路変更による「蘆山寺通」への路線バス過剰運行に気付いた京都市議会議員がいました。しかし、それに対する京都市交通局の対応は、「一年で元に戻すのは困難」「路線変更の成果を判断する材料がない」ということです。なんという独断的な発想をする役所なのでしょうか。そんな考え方だから、永遠に赤字経営なのです。この京都市交通局現実から目をそらす姿勢は、市民のためではない何か別の力が働いているからなのでしょう。間違いないと思います。過去のブログでも書いています。

 

 

既に「蘆山寺通」では、昨年三回も交通事故が起きました。市バスが頻繁に通行する事によって、道路に死角が発生したり、市バスに気を取られてドライバーが歩行者や自転車などに気付かないことが原因で人身事故が起きました。京都府警も事故の度に周辺道路の交通状況を調べていましたが、それ以上の事はしません。 

 

もしも市バスの過剰運行による死角が原因で、交通死亡事故が発生した時、京都市交通局はその責任を免れるつもりなのでしょうか?

 

京都市交通局は「当事者ではないから」「証拠がないから」と言って見て見ぬふりをして逃げるでしょう。しかし、事故で家族を亡くした者は、京都市交通局を一生恨みます。京都市交通局の交通安全白書などに、いくら立派な事を書いていても、辻褄が合わない事を既に実際にしているのです。それは環境破壊です。

 

路線バスが特定の道路に集中して過剰運行すれば、騒音・振動・排気ガス・道路の傷みなど沿線住民の生活環境を変えてしまいます。京都市交通局の職員は、市バスが通る度に家が振動して眠れない日が数年も続いた苦しさを知らないでしょ。家の外に出れば、市バスが出す排気ガスで息苦しくなったことを知らないでしょ。毎朝毎晩、市バスの回送車が走る轟音で目が覚めることを知らないでしょ。どんなに不快で嫌な事か!

 

京都市市議会議員の要望に対して、京都市交通局の対応は「一年で元に戻すのは困難」「路線変更の成果を判断する材料がない」と返答したそうですが、元に戻す気がないから、そのような返答をするのです。路線変更の成果よりも、被害の方が重大です。市民を苦しめてまで、公共サービスを継続させる自治体があるのでしょうか。まるで社会主義国家です。大学と観光が中心の京都市は、根本的に考え方が間違っているのです。出世の事しか考えない行政職の公務員達の特徴です。市民の事より政策の成果、つまり手柄(出世)が重要なのです。

 

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市バス運行中の携帯電話の使用が京都新聞の記事になっていますが、それに対する京都市交通局のコメントには、実に形式的で「あってはならないことで真摯に受け止める。運行に影響がないよう万全を期す」です。毎回、同じコメントです。しかし、実態は2016年以降7回目の行政処分です。言葉に信憑性がありません。おそらく市バス過剰運行の「蘆山寺通」で交通死亡事故が起きた場合でも同じような事を言うのでしょう。本当に慇懃無礼な局です。

 

国土交通省 近畿運輸局から言われれば、すぐに経路変更など元に戻すのに、市民からの陳情にはなかなか反応しません。あのヤミ専従の幽霊バス(無届け臨時バス)の時がそうでした。テレビ報道となり、国土交通省 近畿運輸局に言われて初めて幽霊バスを止めたのです。京都市交通局は公営企業という役所です。運転手も含め職員は地方公務員です。京都市交通局労働組合の幹部(在籍専従)が乗務時間の短い臨時バスを運転して仕事をしているフリをし、労働組合からの給料と自治体からの給料の両方をもらっていたのです。これをヤミ専従と言います。その幽霊バスは立命館大学行きの特202号(快速202号)系統でした。市民にバレなけば、公務員は自分達の都合がいいように影でコソコソします。恐ろしいです。一体、京都市職員は誰のために働いているのでしょう。自分のためですか?それなら公務員(civil servant:公僕)になる資格はないです。辞めて民間企業で働くべきです。

路線バスが過剰運行すると、その道路が危険になるのは当然です。京都市交通局はわからないのでしょうか?

京都市交通局の前代未聞の市バス経路変更前から、市バスの立命館大学行きは「蘆山寺通」ばかりに集中して通行しています。なぜでしょうか。

  

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昔から「馬代通」から「小松原通」を経て西大路通に出るルートや京都府立体育館前(島津アリーナ京都)の道路から大将軍交差点に出る経路、さらに「馬代通」を南進して丸太町通に出るルートなど、立命館大学から大通りに出るルートは他にいくつもあるのに、京都市交通局は「蘆山寺通」ばかりに市バスを集中させて運行しています。

 

路線バスが特定の道路に過剰運行すれば、それだけ危険が増えるのです。道路の車線数が増えない限り、交通量が増えれば、それだけ事故が発生する確率も増えるのです。京都市交通局こんな事もわからないとは不思議です。 

 

今回の京都市交通局の市バス経路変更により、立命館大学発着の市バスのルートが唯一分散化されていた金閣寺前の「木辻通」へのルートが無くなり、12号系統や59号系統などが「蘆山寺通」を通行することで、東行の西大路通「わら天神交差点」が市バスの集中で信号待ちの交通渋滞が発生しやすくなっています。立命館大学への西行も同じです。路線バスの過剰運行で「蘆山寺通」が路線バスであふれるため、西大路通の市バス停留所「わら天神前」が市バスで混み合っている時は、西大路通で駐停車している回送車もあります。

 

一方、金閣寺前の「木辻通」は交通量が減って道路がガラガラです。観光客が多い金閣寺にとっては、願ったりかなったりです。京都市バスがなければ、観光客の乗用車や観光バスが一台でも多く駐車場にスムーズに入れるからです。考察すれば、京都市バスの12号系統や59号系統などが走っていた「木辻通」のルートを無くさずに、混み合うバス停である金閣寺前のバス停を無くして、西大路通金閣寺道のバス停を南北二箇所用意すれば、「木辻通」にある金閣寺前のバス停で市バスが停車することによる交通渋滞が解消されるのです。そうすれば「蘆山寺通」への路線バスの過剰運行も元の状態となり、市バス路線が分散化され、少しでも「蘆山寺通」を通る路線バスの台数が減ります。根本的に京都市バスは停留所の間隔が近過ぎます。それによって、交通渋滞が発生するのです。もちろん、路線バスの燃費も変わります。

 

しかし、よく考えて見ると、根本的な原因を作っているのは、金閣寺に向かう観光客のクルマと観光バスの交通量が原因です。交通量が増えれば「木辻通」が渋滞します。その道路を路線バスのルートにすると、さらに渋滞するのは当然です。金閣寺境内の駐車場入口が一箇所しかないことも大きく関係しています。もっと言えば「木辻通」経由の駐車場(金閣寺境内)ではなく、北大路通西大路通など別の場所に金閣寺が駐車場をいくつか分散して作ればいいのです金閣寺立命館大学と同じで京都駅からの交通サクセスが非常に悪いところにあります。路線バスしか交通手段がないのです。

 

観光地には交通渋滞という面倒な問題がつきものです。これを、どのように改善するかは難しいです。非協力的な金閣寺京都市交通局がどのように話し合うかという事になりますが、京都市寺と役所の仲が悪いのです。そのために渋滞解消策が物別れとなり、京都市交通局が恣意的な市バス経路変更に踏み切ったのかもしれません。※分析するにつれ、見方は変わりました。最近のブログを参考にしてください。

 

京都市交通局は、なぜ市バス混雑対策で経路を変更したのか?市バスを定時運行させることが本当の理由なのか? これが、このブログのテーマです。特定の一車線道路に路線バスが過剰運行するとその道路はクルマが混み合い、渋滞や交通事故が起きやすくなることぐらい誰にでもわかることです。さらに、路線バスが過剰に運行すると、その道路の傷みは早くなり、バスの騒音や振動、排気ガスで沿線住民の住環境が破壊されていきます。

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朝夕に交通量が多く、狭い片道一車線の「蘆山寺通」で京都市バスがバス停で客を降ろしている時、対向車線の市バス運転手は一旦停止して、やり過ごす運転手もいます。バス停がある特定の狭い道路に路線バスを過剰運行させると交通事故の危険性は高まります

 

この「蘆山寺通」には、京都市バス以外にも西日本JRバスの路線バス、さらに立命館大学シャトルバス(ヤサカ観光バス)も通行しています。国土交通省 近畿運輸局 京都運輸支局は、この事実を把握しているのでしょうか。それぞれの事業者に対して何か指導しているのかどうか疑問です。おそらく、何もしていないでしょう。

 

立命館大学も学生や教職員の利便性を追求することばかりに執着して、バスの経路となる道路の沿線住民の事をどれだけ理解しているのか疑問です。自分達の事しか考えない大学のやりそうな事です。大学は人材育成で社会貢献力は大きいはずですが、これでは意味がありません。昔から立命館は大学開発で、どれほど周辺住民に迷惑をかけてきたことでしょうか。

 

西日本JRバスも、京都市バスの59号系統や10号系統、26号系統、さらに京福電鉄北野線などと重複するような路線をなぜ運行するのか不思議です。結果的に過剰サービスは生産性を低め、無駄な労働につながります。交通量が多く狭い「蘆山寺通」や車線のない一部一方通行の「一條通」などを京都市バスと一緒になって運行しなくても、もっと広い「天神川通丸太町通」を通行して山陰本線の駅と接続すればいいのです。コロナ禍のタイミングで運行経路を見直す時期に来ていると思います。

 

これは京都市交通局に言えますが、観光客(乗客)を乗せることばかり考えず、過剰 運行による排気ガスによる環境破壊を考えることも大事です。例えば電気バスを増やすとか。いくら交通局の公開資料で環境(CO2削減)について考えているような事を書いていても、実際に行動が伴わないと何の結果もありません。一貫性のない行動は社会からの信頼性を失います。おとなしい市民が直接文句を言わないからといって、一方的に好き勝手することは民主主義のルールに反します。それは官僚制社会主義、ひいては独裁主義に通じるのです。

 

京都市交通局の一番の悪い癖は、市バスを走らせている道路の検証をしていない事です。ステイクホルダー(利害関係者)である大学や寺の言い分ばかりを優先させて路線を増やしたり増便したりしますが、その結果その道路でどのような問題が起きているのか、全く現場を検証していないのです。バス運転手からの都合がいい情報しかないのです。PDCA(Plan-Do-Check-Action)サイクルが全くできていません。それでは、いつまで経っても経営状況と同じで安全運行への取組みも改善されないのです。

 

路線バス会社の運転手によって、運転の仕方は様々です。

「蘆山寺通」を走る路線バスの運転の仕方には違いがあります。朝から晩まで「蘆山寺通」はたくさんのバスがひっきりなしに走っていますので、嫌でも観察できます。京都市バスと西日本JRバス、さらに立命館大学シャトルバスを運営するヤサカ観光バスです。ゆっくり走る運転、雑に飛ばす運転、静かな運転、うるさい運転など様々です。京都市バスが一番たくさん走りますので、運転手によって明らかな違いがわかります。運転の仕方を運営側は、極力均一になるように色々と教育研修していますが、最終的には人格が出ます。これは路線バスだけでなく、一般乗用車でも同じです。

 

よく京都市内を走る乗用車の運転マナーは良くないと言われます。これは県民性が出ているのです。同じ日本人でも地域によって明らかに性格や考え方が違います。さらに運転マナーが酷いのは、個人タクシーです。過去に夜遅く京都駅に着き、そこからタクシーで家に向かう途中、乗ったタクシー運転手が市バスの運転手に文句を言いに行っているのです。市バスの運転手もバスから降りて、そのタクシー運転手に相手しているのです。道路の真ん中での出来事です。客が乗っているのに、こんな事をする個人タクシーのドライバーがいました。また、それを相手にする市バスの運転手もどうかと思いました。頭がおかしいです。

 

路線バスの運転手も観光バスの運転手も乗客を乗せて運転するのが仕事です。一方、宅配便やトラックの運転手は荷物を載せて運転するのが仕事です。宅配の運転手もトイレをする時間がない程、一日に何百個も荷物を配達しています。長距離トラックの運転手は時間通りに荷物を届けないといけませんので、トイレも食事も運転しながらするドライバーもいます。もちろん、仮眠も睡眠もトラックの中です。これは本当の話です。

 

ドライバーの仕事は、一見気楽そうに見えますが、実際は違います。それは路線バスの運転手も同じだと思います。朝から晩まで何度も同じルートを往復する。運転手の仕事は全般的に拘束時間が長く12時間はあります。実際にやってみると、その辛さがよくわかります。「蘆山寺通」を過剰運行する路線バスを色々と追求していますが、個々の運転手を非難するつもりはありません。問題は路線バス運営側の経営方針です。

 

あのJR西日本福知山線脱線事故も、会社の経営方針で過剰運行となり、運転手が時刻表通りに運行しないといけないから超過速度となり大事故につながりました。企業責任であることは明らかですが、経営者責任はなく社長は無罪になっています。おかしな司法判断です。会社の業務命令が原因であることは間違いないのです。そうでないと、運転手は飛ばしません。

 

京都市バスの運転手にもいますが、西日本JRバスの路線バスは頻繁に注意喚起音「ピンポン、ピンポン」を鳴らして走ります。これは立命館大学前のバス停でも、京都市バスの運転手は注意喚起音を鳴らしませんが、西日本JRバスの路線バスの運転手だけが必ず鳴らして停車するのです。おそらく会社の教育方針であることは間違いないと思います。注意喚起音「ピンポン、ピンポン」は沿線住民にとって、本当に耳障りです。大通りならまだしも、朝から晩まで鳴らされると騒音です。昔は注意喚起音を鳴らさなくても運転していました。そもそも、こんな装置はありませんでした。

   

蘆山寺通を朝早くや夜遅くに京都市バスが注意喚起音声「ピンポン、左に寄ります。ご注意ください」を大きな音で鳴らして停車すると、これも本当に耳障りです。個人の空間への権利侵害という考え方がまだ日本では浸透していません。いわゆる、騒音公害です。日本人はウォシュレットのように些細な事を気にする民族なので、音声付きの方向指示器のような装置が当然のように普及したのです。こんな装置、他国にはありません。間違いなく騒音訴訟になります。

 

 

 

「歩くまち・京都」の実現を目指すため「スローライフ京都」を推進していますとあるが、結局、京都市バスを増便しただけです。

以前のブログ、「なぜ、京都市バス立命館大学行きの号系統が多いのか?増やす必要はありません。減らしましょう!2」でも書きましたが、京都市の都市計画局の歩くまち京都推進室という部署が10年ほど前に「スローライフ京都」大作戦(プロジェクト)により「歩くまち・京都」を実現-地域や大学等と連携し、モビリティ・マネジメントに取り組みます!ということを始めました。しかし、これは人が歩くのではなく、京都市バスを増便しただけなのです。無駄使いの悪い癖が直らない自治体です。

  

https://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/page/0000089929.html

平成22年10月18日 都市計画局(歩くまち京都推進室)

スローライフ京都」大作戦(プロジェクト)により「歩くまち・京都」を実現
地域や大学等と連携し,モビリティ・マネジメントに取り組みます!!

 

説明資料には、以下のように書かれています。

京都市では、「人が主役の魅力あるまちづくり」を推進し、人と公共交通優先の「歩くまち・京都」の実現を目指すため、本年1月に「歩くまち・京都」総合交通戦略を策定するとともに、「歩くまち・京都」憲章を制定しました。

この「歩くまち・京都」総合交通戦略に基づいて、京都市では、一人ひとりが歩く暮らしを大切にすることによって、クルマを重視したまちと暮らしから、歩くことを中心としたまちと暮らしに転換するための取組として、全国で初めて、大規模なモビリティ・マネジメント※を体系的に実施する、「スローライフ京都」大作戦(プロジェクト)を推進しています。

地域や大学等、本市と連携して取り組むモビリティ・マネジメントについて、本年8月に募集したところ、8件の御応募がありました。

この度、それらの中から、本市が支援する事業5件を選定し、歩くことを中心としたライフスタイルへの転換を目指して取り組んでまいりますので、下記のとおりお知らせします。 

※モビリティ・マネジメント(MM)とは

「かしこいクルマの使い方」を考えて実践していただくため、例えば、交通手段の出すCO2排出量の比較などを盛り込んだ動機付け情報や、個人の交通行動を考えるうえで最もわかりやすい情報である公共交通利用促進マップ、交通行動に関するアンケート、更にその結果のフィードバックなどを活用したコミュニケーションを図り、自発的な交通行動の変化を促すこと。

 

よく読むと、結局は京都市交通局による市バスの売上を増やすための営業戦略にしか過ぎないのです。正確に言えば「歩くまち・京都」ではなく「市バスのまち・京都」が京都市の狙いなのです。京都市交通局の赤字を少しでも削減したいのです。

 

路線バスもガソリン車であり、CO2排出量は乗用車より多いのです。さらに、よく考えると京都市が募集して応募があったのではなく、最初から立命館大学などから要望があって起案したのです。その部分に政治ロビー活動(私的な政治活動)をした市会議員がいたかどうかはわかりませんが、おそらく政治活動はあったと思います。立命館大学などの族議員がいるはずです。

 

市民からの要望がないアイデアを役人が起案するわけがありません。既に土台はこしらえられている訳です。そうでないと、役人の手柄にならないからです。つまり、出世するための評価にならないのです。その証拠に京都市は事業支援金を立命館大学に一番たくさん支出していました。その額は400万円です。資料作成に400万円もかかるのでしょうか。不思議です。

 

本当に「一人ひとりが歩く暮らしを大切にすることによって、クルマを重視したまちと暮らしから、歩くことを中心としたまちと暮らしに転換するための取組」ならば、立命館大学へ行くのにも「西大路通」から平野神社の前の「小松原通」を歩いて行けば、10分位で東門に到着します。路線バスの過剰運行による渋滞する「蘆山寺通」を通る市バスに乗って終点の立命館大学まで行くより「西大路通」沿いのバス停で降りて歩いた方が早く着きます。学生や教職員が市バスで立命館大学の正面まで行かずに「西大路通」から立命館大学まで歩けばいいだけのことです。歩くとはそういうことです。立命館大学の近所の衣笠中学校の生徒を見て下さい。西大路通よりさらに遠い柏野や翔鸞地区から20分以上もかけて歩いて通っています。

 

昔は京都市内のメインストリートにしか市電が走っていなかった頃は、学生も職員も皆文句も言わずに歩いていました。それを自分達が楽して早く大学に到着したいために、立命館大学路線バスを増便増発するように自治体に要望したのです。その結果、特定の道路に路線バスや立命館大学シャトルバスなどが過剰運行し、道路が傷み、騒音や振動・排気ガスで沿線住民の生活環境が破壊されているのです。

 

何事も楽をする人間がいれば、その裏側で苦労する人間がいるわけです。つまり、権力者の利便性を優先すると、その裏側には犠牲になる市民、庶民がいるのです。特定の道路に路線バスを集中して運行させれば、人間の生活環境に影響(騒音振動・排気ガス)するのは当然です。こんな事も大学側も役人もわからないのです。これが民主主義社会なのでしょうか。一方的な権力行使でしか過ぎないのです。共産主義的なやり方です。

 

以下の資料を見ると、すべて絵に描いた餅です。そもそも、民間企業でもない公営企業、つまり赤字になれば税金や地方債で資金が投入される地方公共機関が、なぜ「攻めの営業」をしないといけないのか?さらに経営評価にしても第三者機関を使わず、自分達だけで評価している点は公平性に欠けます。自分達の良いように甘い評価をする訳です。これは日本の役所の特徴です。いかにも役人による統制的な社会主義です。

 

https://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/page/0000249410.html

2020年3月30日 京都市交通局 経営計画
京都市交通局市バス・地下鉄事業経営ビジョン
 2019年度から2028年度までの10年間を期間とする経営計画
・交通局運営方針
 各年度の運営方針とその実績
京都市交通事業経営評価
 条例に基づく交通事業についての行政評価
京都市交通局経営レポート
 経営状況や様々な取組
・これまでの経営健全化に向けた取組
 これまでに策定した経営健全化計画等

 

最終的に路線バスによって大学の利便性(過剰運行)を追求すると、京都市の場合は交通局の人件費と維持費に莫大なお金がいるわけです。市バス事業の車両保有台数818台と運転手731人の経費です。京都市内のメインストリート(大通り)だけ路線バスを運行すれば、固定費を削減でき、恣意的にではなく実質的に「Walking in Kyoto」が実現できます。市バスの台数、路線数を減らす事が、本当の意味において「歩くまち・京都」であり、「DO YOU KYOTO?(環境にいいことしていますか?)」というキャッチフレーズの通りにCO2を削減することができるのです。

 

京都市は、景観条例の緩和など辻つまが合わない事が多いです。本当の政治は、上から見るのではなく、国民の目線、市民の目線、庶民の目線、弱者の目線で考えないといけません。市民を見下し敵視するような公務員の傲慢さでは良い街にはなりません。安倍前総理大臣が「経済を優先しないと国が滅びます」と国会で言っていたことを思い出します。国民より経済(大企業と富裕層)が優先なのです。新型コロナウィルスよりも日本経済が大事なのです。その結果、対策が後手後手になるのです。京都市と同じです。市民より大学と観光が優先なのです。優先した結果が財政破綻寸前の状態です。

 

 

京都市幽霊バス問題、今もヤミ専従をしているのでしょうか?

昔、京都市バスで「幽霊バス」(方向幕は臨時バス)というのがありました。これは、京都市交通局労働組合幹部が乗務時間の短い臨時バスを国土交通省に無届けで運転して仕事をしているフリをし、労働組合からの給料と自治体からの給料を両方もらっていた事件です。組合活動に専念していれば在籍専従ですが、無届けの臨時バスも運転して給料を二重に受け取ってるとヤミ専従です。地方公務員のバス運転手が、なんと年収1000万円前後!これは市バス運転手だけではありません。実は地方公務員の清掃車運転手や学校用務員、給食調理員の給料は民間企業の二倍です。地方公務員の高給が後を絶ちません。昔は公僕である公務員の給料の方が安く、そのため民間企業と比較して給料を決めていましたが、現在は逆転しているのです。公務員の方が厚遇なのです。これでは、まじめに働くわけがありません。給料が少ないと文句を言いながらも人は働きますが、たくさん給料をもらうと人間はサボって働かなくなるのです。その証拠に海外の政治家の給料や警察官、兵隊の給料を日本のそれと比べるとよくわかります。半分以下です。でも、海外の政治家は国のために一生懸命に働きます。

 

地方公務員も国家公務員の一般職にも労働組合があります。なぜ、公僕に労働組合が必要なのかわかりませんが、その労働組合を「職員団体」と呼びます。大別して3つの組合があり、自治労(連合)=民主党社民党の支持基盤、自治労連全労連)=共産党の最大の支持基盤、全労協社民党新社会党の支持基盤、地方自治体によって公務員の労働組合にも勢力の違いがあります。京都市自治労連共産党)が強いのです。京都市職員労働組合(市職労)がそうです。同じ地方公務員でも現業職(ゴミ清掃員、給食調理員、市バス運転手など)は労働組合を組織でき団体交渉権が認められています。例えば、京都市交通局京都交通労働組合です。これは自治労民主党)です。一方、警察官や消防職員については、労働基本権(労働三権)がすべて認められていません。もちろん、労働組合は作れません。これを認めると、欧米のように日本の警察官や消防士もストライキができます。不思議なのは、国家公務員には労働三権が認められていないのに労働組合を作っている事です。

 

日本国憲法第15条
1.公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2.すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
3.公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4.すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

「全体の奉仕者」の公務員が、なぜ労働組合をつくる必要があるのでしょうか?公務員は公僕です。一部の団体などの利益のために奉仕してはならないと憲法に書かれていますが、地方公務員は自分達のために労働組合活動をしています。これは違憲です。本当に変な国です。

 

この記事と同じような事を京都市交通局は2007年までしていました。「幽霊バス」(無届け臨時バス)は朝日放送の番組で取り上げられて、国土交通省 近畿運輸局からの指導で京都市交通局は問題の臨時バスの運行を停止したのです。テレビ局が報じるまで、近畿運輸局も知らなかったのです。仮に知っていても、知らぬ存ぜぬでしょう。公務員は市民にバレなければ影でコソコソします。公務員が同じ公務員のアラを探すようなことは積極的にはしません。会計検査院と同じです。政府のアラを発見しても追求しません。そのため役所はバレなければ、ヤリタイ放題。なんのための役所のチェック機関なのでしょうか。日本の役所は甘いの一言です。ぬるくてトロい社会主義の日本政府です。

 

以前のブログ記事でも書きましたが、現在も立命館大学行きには「臨時バス」があります。西大路四条から大将軍の島津アリーナ京都(京都府立体育館)を経て馬代通を北上し、立命館大学孔子学院(表向きは国際平和ミュージアム、米国では中国公館として認定)を通過する路線です。平日の昼間は1時間に一本、朝夕はニ、三本の運行です。これはヤミ専従かもしれません。京都市内には他にも「臨時バス」という名前の号系統があります。市民が監視しないと、地方公務員の現業職労働組合がある限り、組合活動に専念して本来の仕事をせずに給与をもらう高給の幹部職員が今でもいるかもしれません。おそらく、間違いなくいると思います。過去に不祥事が起きた京都市環境局、今の環境政策局も同じです。ちなみに当時の「幽霊バス」のひとつが立命館大学行きの快速バスだったのです。

 

同じ「はてなブログ」で2014年1月24日に掲載された記事で「京都市幽霊バス問題」について詳しく書いている人がいました。そこには、なんと!幽霊バスは臨時バスではなく、特202号(快速202号)系統という名前で九条車庫から立命館大学行きの市バスだったのです。ということは、今も西大路四条から立命館大学まで、目立たない裏通りの「馬代通」を走る臨時便(時刻表はあっても号系統がない)の市バスが怪しく見えたのも偶然ではなかったのです。やはり、立命館大学京都市交通局の自動車運送事業部門(市バス部門)との間には何かありそうです。それが政治的な関係であることは、おのずと推測できます。もしかすると、労働組合幹部が乗務時間の短い号系統「快速立命館」などを運転し仕事をしているフリをし、今もヤミ専従をしているかもしれません。地方公務員は市民に気付かれないようにズルい事をするのが上手いです。京都市の税金無駄使いを見ればよくわかります。また贈収賄事件が度々発覚します。これは京都の市議会議員や府議会議員の行政に対する監視が杜撰だからです。日々、当選する事ばかり考えているので、本当の民主主義社会での政治家の仕事を知らないのです。役人と仲良くしながら角が立たない行政をするのなら政治家は要りません。役人を突くのが政治家の仕事です。それが民主主義社会です。

 

このヤミ専従は、京都市交通局以外でも、大阪市役所や神戸市職員、さらに社会保険庁などでもありました。世間が騒がなくなっただけで今も間違いなく沢山あると思います。それが村社会の日本です。労働組合の幹部になる事は、地方公務員としては実は出世コースなのです。何度も書きますが、そもそも地方公務員の現業職や国家公務員に労働組合があること自体が恐ろしいことなのです。ストライキもできず、給料は人事院が決めるのに、労働組合によって公務員が自分達の身分職を堅持しようとする厭らしさが出ています。その最たるものが、実は市長選などの首長を決める際の公務員の選挙活動です。大阪市長・元大阪府知事橋下徹氏がプレジデント・オンラインのコラム記事で書いています。本当に日本は公務員天国、官僚大国、資本主義の仮面をかぶった社会主義国家です。行く末が恐ろしいです。権力を盾に役人の民間企業へのタカリ(天下りなど)がひどくなるばかりです。そして、国民への重税が横行します。※予想通り、岸田政権の政策です。中身のない政治家は役人の操り人形になります。国も地方も同じです。