京都市交通局による恣意的な市バス経路変更による「蘆山寺通」への路線バス過剰運行に気付いた京都市議会議員がいました。しかし、それに対する京都市交通局の対応は、「一年で元に戻すのは困難」「路線変更の成果を判断する材料がない」ということです。なんという独断的な発想をする役所なのでしょうか。そんな考え方だから、永遠に赤字経営なのです。この京都市交通局の現実から目をそらす姿勢は、市民のためではない何か別の力が働いているからなのでしょう。間違いないと思います。過去のブログでも書いています。
既に「蘆山寺通」では、昨年三回も交通事故が起きました。市バスが頻繁に通行する事によって、道路に死角が発生したり、市バスに気を取られてドライバーが歩行者や自転車などに気付かないことが原因で人身事故が起きました。京都府警も事故の度に周辺道路の交通状況を調べていましたが、それ以上の事はしません。
もしも市バスの過剰運行による死角が原因で、交通死亡事故が発生した時、京都市交通局はその責任を免れるつもりなのでしょうか?
京都市交通局は「当事者ではないから」「証拠がないから」と言って見て見ぬふりをして逃げるでしょう。しかし、事故で家族を亡くした者は、京都市交通局を一生恨みます。京都市交通局の交通安全白書などに、いくら立派な事を書いていても、辻褄が合わない事を既に実際にしているのです。それは環境破壊です。
路線バスが特定の道路に集中して過剰運行すれば、騒音・振動・排気ガス・道路の傷みなど沿線住民の生活環境を変えてしまいます。京都市交通局の職員は、市バスが通る度に家が振動して眠れない日が数年も続いた苦しさを知らないでしょ。家の外に出れば、市バスが出す排気ガスで息苦しくなったことを知らないでしょ。毎朝毎晩、市バスの回送車が走る轟音で目が覚めることを知らないでしょ。どんなに不快で嫌な事か!
京都市市議会議員の要望に対して、京都市交通局の対応は「一年で元に戻すのは困難」「路線変更の成果を判断する材料がない」と返答したそうですが、元に戻す気がないから、そのような返答をするのです。路線変更の成果よりも、被害の方が重大です。市民を苦しめてまで、公共サービスを継続させる自治体があるのでしょうか。まるで社会主義国家です。大学と観光が中心の京都市は、根本的に考え方が間違っているのです。出世の事しか考えない行政職の公務員達の特徴です。市民の事より政策の成果、つまり手柄(出世)が重要なのです。
市バス運行中の携帯電話の使用が京都新聞の記事になっていますが、それに対する京都市交通局のコメントには、実に形式的で「あってはならないことで真摯に受け止める。運行に影響がないよう万全を期す」です。毎回、同じコメントです。しかし、実態は2016年以降7回目の行政処分です。言葉に信憑性がありません。おそらく市バス過剰運行の「蘆山寺通」で交通死亡事故が起きた場合でも同じような事を言うのでしょう。本当に慇懃無礼な局です。
国土交通省 近畿運輸局から言われれば、すぐに経路変更など元に戻すのに、市民からの陳情にはなかなか反応しません。あのヤミ専従の幽霊バス(無届け臨時バス)の時がそうでした。テレビ報道となり、国土交通省 近畿運輸局に言われて初めて幽霊バスを止めたのです。京都市交通局は公営企業という役所です。運転手も含め職員は地方公務員です。京都市交通局の労働組合の幹部(在籍専従)が乗務時間の短い臨時バスを運転して仕事をしているフリをし、労働組合からの給料と自治体からの給料の両方をもらっていたのです。これをヤミ専従と言います。その幽霊バスは立命館大学行きの特202号(快速202号)系統でした。市民にバレなけば、公務員は自分達の都合がいいように影でコソコソします。恐ろしいです。一体、京都市職員は誰のために働いているのでしょう。自分のためですか?それなら公務員(civil servant:公僕)になる資格はないです。辞めて民間企業で働くべきです。