人生、あせらず楽しもう!

御覧いただきまして、ありがとうございます。今の日本人には「感謝と謙虚」が必要です。権力によってメディアコントロールされたテレビや新聞に惑わされないために自分で調べて分析する事が大切です。何事も決して周囲に押し流されてはいけません。真実は自分で見つけ出すものです。

2022年2月6日18時25分頃、「蘆山寺通」で七度目の交通事故発生。

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京都府警が伏せたのか京都新聞には掲載されていませんでしたが、遂に西日本JRバスの路線バスまでもが事故当事者になりました。すべての原因は、京都市交通局の身勝手な市バスの経路変更による「蘆山寺通」 への路線バス過剰運行です。一体、市議会議員も京都府警も何をしているのでしょうか。 立命館大学による政治ロビー活動の巣窟である「市バス・地下鉄事業経営ビジョン検討委員会」 の思う壺です。

 

そんな中、ネットで偶然見つけた資料があります。それは、一年前の「令和2年度 包括外部監査の結果報告書」(概要版)自動車運送事業の財務に関する事務の執行及び経営に係る事業の管理についてです。東京や大阪の路線バス会社では、環境保全(騒音・振動・排気ガス等)について必ずどんな資料にも明記されていますが、なぜか京都市交通局の資料には路線バスに対する環境保全の監査項目がひとつもありません。これは、以前から気になっていました。つまり、沿線住民(市民)への配慮が微塵も無いのです。令和3年度の資料も同じです。いくら公認会計士による財務監査と言えども、中身に書かれている事は路線バス運営全般に関わることです。そこに「環境保全」に関する項目が無いことは、おかしな事です。現代において、どのような企業でも、環境保全関係の法令や条例を無視するような事はできないはずです。公認会計士では、そこまで関与しないからか、それともステイクホルダー(利害関係者)である「市バス・地下鉄事業経営ビジョン検討委員会」(長年、立命館大学の名誉教授が委員長)からそう言われているからでしょうか。

これまで「蘆山寺通」で起きる交通事故は、ほとんが自家用車やバイク、自転車でした。それが、京都市交通局の恣意的な市バス経路変更と立命館大学からの要望で直行便が増え、さらに西日本JRバスまでもが立命館大学に増便した結果、市バスやJRバスの運転手が当事者になる事故が、この一年間で二度も起きました。これは明らかに路線バスの過剰運行状態がもたらした結果なのです。京都市交通局が言う「安全運行」など、何処にもありません。京都市のヤリタイ放題が市民(沿線住民)を苦しめているのです。本当に朝晩の市バスの走る台数は半端なものではありません。2台連続なんて当たり前、回送車も一緒になって4、5台連続で走っています。路線バスが通過する間隔は1分以下の秒刻みです。つまり、片側一車線の道路の両方向を数十秒毎に路線バスが通ります。空港の騒音問題と何ら変わりません。うるさくて目が覚めます。

 

今回の事故の詳細は京都新聞に掲載されなかったのでよく分かりませんが、路線バスとクルマの接触事故だと衝突音や急ブレーキの音がします。それが聞こえませんでした。しかし、救急車が来て搬送しています。京都府警も沿線住民に気付かれないように無音でパトカー数台が来て、何人もの警察官が西日本JRバス車両の前方右側の側面を入念に現場検証したり、蘆山寺通の交差点付近から事故を起こしたバス車両付近まで交通整理をしていました。もしかすると、路線バスと歩行者の事故だったのでしょうか。それなら、尚更おそろしい事です。このブログで何度も書いていますが、そのうち「蘆山寺通」で人身死亡事故が起きるのではないかと思います。それほど路線バスの過剰運行による市バスの往来が激しくなっているのです。子供や学生、高齢者の方は「蘆山寺通」に近寄らない方が身のためだと思います。非常に危険な道路になりました。狭い道路なのに平気で市バス(西日本JRバス運転手)が市バスを追い越すのです。信じられません。

 

しかし、よく考えて見ると、京都市交通局にしろ西日本JRバスにしろ、事故を起こして沿線住民に迷惑をかけるような路線バス会社には企業としてのガバナンスやコンプライアンスが実質的に無いのも同然です。特定の道路を路線バスの過剰運行状態にしても、なんとも思わないのです。本当に情けない路線バス会社です。沿線住民に「先日は、お騒がせして申し訳ございません。ご迷惑をお掛け致しました。」と謝りにも来ない無礼な会社です。沿線住民から逃げる事しか知らないのです。いくら道路は市のものであっても、路線バスを走らせて営業させていただいているという感謝の気持ちと謙虚な態度が全く見られません。その証拠に京都市バスの運転が荒いのは、乗客に対して「運んでやってるんだ」「乗せてやってるんだ」という意識が非常に強いからです。これは西日本JRバスも同じです。注意喚起音「ピンポン!」を鳴らして、歩行者や自転車をあおったり、音で邪魔者(歩行者)を蹴散らかしたり、市バスを運転する西日本JRバスの運転手が信号無視したりと無謀な運転が絶えないのです。朝から晩まで観察するとよくわかります。

組織はひとの集まりです。人は態度を見れば、どんな人間かすぐわかります。京都市交通局などは最悪です。市バスの経路変更を沿線住民には説明せず、地域の代表者(権力者)だけに説明に行くような組織です。組織の態度を見れば、どんな人間が働いているのかもすぐわかります。日本の政治家(貴族)が当選すれば国民の事など気にしないのと同じで、京都市の役人も市民の顔を見ずに行政を行います。顔を見るのは権力者と自分の家族だけです。

 

立命館大学も同じ、昔から大学の開発行為で周辺住民にどれだけ騒音などで迷惑を掛けてきたことでしょう。立命館大学周辺の土地を買いあさり、自転車の駐車場を増やし、事前の説明も何もなく我が物顔で衣笠山周辺の歴史的風土特別保存地区を破壊してまで校舎などの建物を立て広げているのです。西園寺記念館を立命館大学の敷地内ではなく、金閣寺の西隣に建てたのが動かぬ証左です。衣笠は西園寺家の土地だと思っているのでしょう。仮に条例や法律があっても何の意味もありません。いくらでも京都市が許可するからです。権力者とは、おそろしいものです。法律を無視して好き勝手ができます。法の下の平等も何もありません。日本は法治国家ではなく、人治国家です。それこそ「放置国家」です。感謝と謙虚がない傲慢な国や自治体はいずれ滅びます。そうでなければ、それは民主主義国家ではないということです。警察の存在意義もありません。なぜなら、出世や天下りのために、時の政権に影響されて動いているからです。