この間、北野白梅町の交差点で信号待ちをしていると、横断歩道の信号が赤で歩き出す人を見ました。その人は交差点の信号機の音を聞き間違って、別の信号機の音が鳴り出すと目の前の信号機を見ずに横断歩道を渡り出したのです。近づくクルマに引かれずに済みましたが、路線バスが鳴らす注意喚起音といい、公共の場で気安く音を鳴らす日本社会というのは恐ろしいと思いました。それが原因で事故につながっているのです。
以前のブログで警音器を頻繁に使用すると、本当に危険な時とそうでない時の見境がなくなるという事を書きました。よく四つ角で警音器を鳴らして通り過ぎるドライバーがいます。挨拶代わりに警音器を使用したりしていると、本当に危険なのかどうかがわからなくなるのです。もちろん、それを聞く側の歩行者にも言えます。
日本の警察が何を基準で横断歩道の信号機で音を鳴らすかどうかを決めているかは知りませんが、歩行者が信号機を見なくなる可能性もあるという事を把握しているのでしょうか?海外、特に米国の繁華街の信号機では音を鳴らしています。日本の警察が米国をマネたのかどうかは、ともかくとして、日本の大通りの交差点では信号機の音だらけで本当に役立っているのかどうかはわかりません。単なる騒音としか思えないのです。
ウィキペディアに音響装置付信号機の騒音の問題と対策が書かれています。そこには、やはり近隣住民らの苦情が多く、夜間から翌朝にかけて音を止めている場合が多いようです。視覚障がい者の命を守るために作られた装置とは言え、音を発する装置は基本的に騒音になるため、その是非の判断は難しいです。警視庁のサイトに設置場所の基準について説明されていました。視覚障害者等の利用頻度が高い、盲学校、リハビリテーションセンター、役所等の公共施設を含む地域に優先的に設置するようにしていると書かれています。しかし、実際には至る所に設置されています。これも警察の裏金問題と同じで、何か闇がありそうな気がします。典型的なのが、天下先企業です。
日本人というのは、なあなあ文化の見て見ぬふりをする村人なので、あらゆる方面で真実を隠します。御上と言えども、信用も信頼もできません。疑ってかかて丁度いいくらいです。よく世間で「まわりは変わらないから自分が変わる、他人のせいにするより自分の行動を変える」と言いますが、これこそ村人の発想で自己犠牲と呼ばれる考え方です。個人主義の欧米人には通用しません。日本にとって必要な事は、アンシャンレジームを壊す事です。大昔から日本人に一番足りないもの、一番苦手な事です。中国や欧州のマネだけしてきた日本、戦後は米国に染まり切っている日本、それでは変われません。
冒頭で書いたように信号機の音を聞き間違って、視覚障害者の方が赤信号で横断歩道を渡り出す事は十分あり得ます。どこかの西日本JRバスの路線バス会社のように音だけ鳴らせば安全が確保できると思ったら大間違いです。西日本JRバスの路線バスが鳴らす音を何かの音と聞き間違って、人が動き出したら、どうするのでしょうか。何事も過ぎたるは猶及ばざるが如しです。これは日本人の欠点です。