人生、あせらず楽しもう!

御覧いただきまして、ありがとうございます。今の日本人には「感謝と謙虚」が必要です。権力によってメディアコントロールされたテレビや新聞に惑わされないために自分で調べて分析する事が大切です。何事も決して周囲に押し流されてはいけません。真実は自分で見つけ出すものです。

苦情:西日本JRバスの路線バス運転手さん、何のためにクラクションが付いているのでしょうか?

西日本JRバスの路線バス運転手は、ソーシャルメディアやブログなどで、うるさく言われる道路だけ注意喚起音は鳴らさないようにして、何も言われないところでは注意喚起音をむやみやたらに鳴らしています。西大路通丸太町通などを通ると、京都バスは注意喚起音を一切鳴らしていませんが、西日本JRバスの路線バス(運行委託されている市バスも同じ)だけが注意喚起音を大きな音で鳴らしています。なぜ?こんな近所迷惑な騒音を発する違法行為を大企業が全く気にもせず続けているのでしょうか。音が方向指示器に連動している装置だからですか?そうではないでしょう。そもそも注意喚起音を装備したバスを購入している事が原因なのです。それは道路交通法道路運送車両の保安基準規定には定められていません。昔は無かった装置です。近所迷惑も顧みず、自分達の都合だけで京都市交通局や西日本JRバスが付けているのです。その理由を説明してもらいたいです。交通事故を減らすためという愚弄は通用しません。これは苦情です。

 

西日本JRバスの路線バス運転手は、朝夕の登下校する中学生や駐車車両に人影があるだけで「ピンポン!」や「ピンポン!バスにご注意ください」と鳴らします。なぜ?まず徐行しないのか、危なければ一旦停止すればいいだけのことです。もしくは、危険防止のためにクラクションを一回鳴らせばいいのです。あんな耳障りで近所迷惑な雑音を鳴らし続けなくてもいいのです。

 

路線バスは地下鉄とは違います。道路事情により時間通りには目的地には着かないのです。路線バス運転手は焦る必要はないのです。焦るから事故を起こすのです。何が大切な事なのかを自分で考えて運転すれば、何が正しい事で何が間違った事なのかを会社から命令されなくても、判断することができます。心が正しいところにあれば、「ピンポン!」なんていう雑音は鳴らしません。給料をもらうことだけに必死にならず、社会に良い変化をもたらすことを切望してください。ひとを助ける事が本当に大切な事です。人助けには喜びがあり、そこにこそ人間としての成功があります。だから、路線バスの運転手になったのでしょ。騒音を出す事は、決して人助けにはなりません。ひとを悲しませ、ひとを苦しめ、ひとを困らせているのです。胸に手を当てて考えて見てください。

 

ツィッタにも書かれていますが、日本に来る外国人は「日本はうるさい音が多い」ということです。確かに日本のコンビニやスーパーなどの店では必ずBGMが流れていますが、欧米に行くと、どこも無音で静かです。雑音がありません。BGMが流れていると、買物客や従業員の思考の邪魔になるからです。確かにその通りです。日本は村社会なので、他人への思いやり(最近の日本人にはない)はあったとしても、他人を尊重するという事に非常に疎い国です。行政しかり、教育しかり、宗教しかり、すべてにおいて今も変わりません。この文化が路線バスの注意喚起音や音声アナウンスにもつながっているのです。村だから近所迷惑というものは存在しないという発想です。日本は皆一緒の社会主義。海外の路線バスはクラクション以外に音が出る警音器は付けていません。そんな音を鳴らせば、すぐに市民から苦情が殺到し訴えられます。それが民主主義です。西日本JRバス、ひいては日本バス協会などは、このような世界の常識(モラル)を知らないようです。音声アナウンスや注意喚起音を鳴らされると、雑音は思考の邪魔になるのです。それが騒音公害です。日本は、まだまだ民主主義のレベルが低い国(官が統治する律令国家)です。少しでも民主主義のレベルを上げるためには、まず国民ひとり一人が自覚しないといけないのです。

 

西日本JRバスの路線バスは京都市内では立命館大学を経由する周山コースの一路線と快速立命館だけですが、実際は昔から京都市営バスの運行委託をしています。西日本JRバスは、いくつもの市バス号系統を走らせているのです。本来、このような騒音の苦情は市民(沿線住民)から言われなくても、大企業である西日本JRバスが事前に知るべき問題なのです。苦情がないから、沿線住民から言われないから、音を鳴らしても良いなどという道理はありません。ぬるくて緩い皆一緒の日本の村文化では、市民が苦情を言う勇気はないのです。なぜなら、村八分にされヤラれたくないからです。それに付け込んで権力者が何をしてもよいというのは決して民主主義社会ではありません。いつまで経ってもアカ抜けない中世のままの思考回路の日本社会です。唯一、戦後日本で変化したことは、良くも悪くも米国の属国になり、何事にも米国に頼る事に疑問を持たない民族になってしまったことです。自分達で考えて行動することができなくなったのです。国民ひとり一人が社会を良くするために考えて行動することこそ、本当の民主主義の第一歩です。