人生、あせらず楽しもう!

ご覧いただき、ありがとうございます。今の日本人には「感謝と謙虚」が必要です。日本という村社会で権力者によって支配されたテレビや新聞に惑わされないために、自分で情報を調べ蓄積し分析し洞察する事が大切です。何事も決して周りに押し流されず、焦らずに自分で真実を見抜かないといけません。

西日本JRバスは、国語もできないのでしょうか?

蘆山寺通の路線バスに関わるネタが少ない中、西日本ジェイアールバスから 「交差点左折時における一旦停止を実施します」(2023年1月19日)というお知らせが発表されていました。これを見た時、真っ先に京都市営バスの運行委託されている市バス車両については、どうなるのか?という疑問がわきました。一番肝心な事である近所迷惑な注意喚起音「ピンポン!」を今後も鳴らし続けるつもりなのかどうかは明記されていません。役所や大企業が得意とする誤魔化しです。

 

このお知らせの文章には「西日本ジェイアールバスでは、2022年12月1日(木)より所属するすべての車両において、交差点左折時における一旦停止を実施いたします」と書かれています。西日本ジェイアールバスに所属するすべての車両とは、西日本JRバスの観光バスや路線バスが含まれます。ツィートに掲載されているステッカーの写真も西日本JRバスの観光バスと路線バスの後部です。しかし、西日本JRバスは京都市バスの路線をかなりの数、運行受託しています。つまり、市バスの運転手は西日本JRバスの社員なのです。ご存じのように立命館大学発着の市バスや「きぬかけの路」を通行する衣笠線と呼ばれる西日本JRバスの路線バスが通過する蘆山寺通は、京都市交通局が西日本JRバスに民間運行委託契約する号系統がほとんどです。さらに高雄線もそうです。

 

お知らせに「所属するすべての車両」と書くと、西日本JRバスの車両だけが対象となり、運行委託されている京都市営バスなどを運転する西日本ジェイアールバス社員(運転手)は対象外という事になります。それなら、このお知らせは何の意味もありません。なぜなら、自分達の西日本JRバスの車両だけが交差点での重大事故防止と安全の確保のために左折時に一旦停止し、他社の路線バスや観光バスなどの運行委託されている車両(路線)についての安全確保は知りませんという事です。これでは公共交通機関としての自覚が無さ過ぎます。事故を起こすのは、バスを運転する人間です。正しい表現は「所属するすべての社員(運転手)」です。運転手がバス車両を動かしているのであって、車両(機械)が自動でバスを運転しているのではないのです。いかにも元国鉄の発想がにじみ出た文章表現です。まるで運転手をロボット扱いしているような感じを受けます。運転手は、生身の人間です。だから事故を起こすのです。西日本JRバスは「ピンポン!ピンポン!ピンポン!」と注意喚起音を朝も夜も一日中、機械的に鳴らせば、事故が減る、事故は起きないと勘違いしているから、相変わらず不遜な態度と言われるのです。自分達の行動が誤っている事に気が付いていないのです。やはり利害関係がない第三者(市民)による監視が必要な企業のひとつです。

 

京都市バスの運行委託契約、交通事故が起きた場合、責任の所在は? - 人生、あせらず楽しもう!

 

以前のブログでも書きましたが、民間運行委託契約車両で事故が起きた場合、誰が責任を取るのかという事が重大な問題です。この記事の中で紹介しました朝日新聞の記事「はよ行かんか。こら」市バス運転手の暴言(2018年10月10日)で京都市交通局は明確に「運転手は、市が運行を委託している西日本ジェイアールバス大阪市)の社員。ドライブレコーダーの記録や運転手への調査から暴言を確認した」と書かれています。つまり、運行委託する側も受託する側も責任の擦り合いをしているのです。今回のお知らせで「交差点での重大事故防止と安全の確保」は西日本JRバスの車両だけ、西日本JRバスの社員が運転する京都市バスの車両は関係ないと言っているのです。本当に恐ろしい考え方です。この「お知らせ」の文章について、国土交通省は注意しないのでしょうか。社会を良くするために考えて行動することこそ、本当の民主主義の第一歩です。自分達の組織だけを優先させるのは、民主主義に反する横柄な行為です。ましてや、西日本JRバスは公共交通機関です。本当に恐ろしい企業です。

 

近年、集産主義の日本では欧米の個人主義をはき違えた考え方が横行しています。欧米の個人主義とは、相手を尊重することなのです。日本の場合は、自己中心的で相手を無視することが個人主義だと受け止められています。この考え方が京都市交通局の蘆山寺通への市バス経路変更による過剰運行にも、西日本JRバスの注意喚起音を鳴らしながら運行する近所迷惑な行為にも表れています。そこには、相手(沿線住民)を尊重するということが全くありません。両者は蘆山寺通の沿線住民の事なんて微塵も配慮していません。路線バス会社にとって沿線住民は関係ないということです。その証拠が、両者とも沿線住民へのヒアリングも説明も何もしていません。なりふり構わず自分達の都合がいいように一方的に勝手に決めます。まして市会議員ですら、住民からの陳情がなければ何もしません。選挙前になると大通りの交差点でスピーカーでうなっているだけです。そのくせ、ツィッタには自分達の行動(例えば食事の写真など)をツィートしています。要するに自分の事だけです。議員にとって尊重すべき相手とは、組織票となる労働組合などの団体です。票にもならない庶民は眼中にはないのです。企業献金労働組合が日本政治を悪化させているのです。前々回のブログでも書きましたが、利害があるモタレ合いの関係を断ち切らないと真の民主主義政治はできないのです。日本人は、窮地に陥ると「なりふり構わない」行動をします。本当に恐ろしい民族です。

 

ツィッタは、日本ではSNS(Social networking service)と言いますが、世界ではソーシャルメディア(social media)と呼びます。SNSなんて言っているのは、世界で日本ぐらいです。ソーシャルメディア(social media)とは、誰もが参加できる広範的な情報発信、社会的相互性を通じて広がっていくように設計された双方向のメディアです。一方的に発信するブログとは違います。京都の議員や役人さらに立命館大学京都市交通局、西日本JRバスなどが、蘆山寺通の路線バスの実情を知らないわけがありません。なぜなら、彼らも日々、自分達の情報をツィートしているからです。これは事実です。天皇制官僚統治型社会主義国の日本で民主主義社会のツールであるツィッタがどれほど機能するのか見物です。欧米の民主主義先進国の自治体などでは、市民から直接陳情されなくてもツィッタで市民の苦情に反応し処理しています。例えば道路の傷みなどです。もちろん、企業も大学もクレーム対応しています。それが「双方向のメディア」なのです。日本のように見て見ぬふりをする事が当たり前の社会とは違います。少しは遅れた日本社会が成長して欲しいものです。