人生、あせらず楽しもう!

御覧いただきまして、ありがとうございます。今の日本人には「感謝と謙虚」が必要です。権力によってメディアコントロールされたテレビや新聞に惑わされないために自分で調べて分析する事が大切です。何事も決して周囲に押し流されてはいけません。真実は自分で見つけ出すものです。

京都市バスの信号無視が多いのに京都府警が検挙しない理由は、

過去のブログ記事で一番よく読まれているのが、「市バス止めたらあかんで!」と運転手がマイクで言い放った事を書いた文章です。

なぜ、京都市バスは乗客数が増加しているのに、経常損益が赤字になるのか?1 - 人生、あせらず楽しもう!

そして、先日ネットニュースで出ていたのが、名古屋市の市バスが信号無視で警察に検挙された記事です。しかし、京都市バスも信号無視が多い事で有名ですが、なぜ京都府警は検挙しないのでしょうか?

 

一般車両の速度超過や一時不停止などの違反を道路で隠れるようにして警察官が見張っていますが、路線バスが捕まっているのを見た事がありません。それには理由があるのです。決して京都市バス車両を運転する西日本JRバスの運転手が安全運転しているからではありません。それとも、中京警察署(元京都市交通局の建物&敷地)の横にある京都市バスの壬生操車場(京都交通労働組合:市バス運転手の労働組合)、警察が事前にバス運転手に交通取締り情報を流すぐらい隣同士の仲が良いからでしょうか?さらに政治家や権力者が絡むと政治の力で警察は手も足も出せないからでしょうか。

その理由とは、路線バスを警察が検挙すると運行ダイヤに乱れが発生し乗客の迷惑になるからです。それにより損害賠償を請求されるかもしれない恐れがあるからです。しかし、警察が路線バスを取り締まらなくなると、どうなるのか?その答えは、今の京都市バスの運行態度が物語っています。つまり、警察に検挙されないため、図に乗った無謀な運転をする運転手が蔓延するのです。市バスの運転手が警察をなめているという事です。

 

組織とは人です。組織が乱れていると、そこで働く従業員も乱れるのです。その逆もまた真なりです。この記事は先日の日本郵政の情けない社員の事件ですが、明らかに組織が腐敗している現象のひとつです。京都市に不祥事が多いことでもよくわかります。

なぜ、組織が腐敗するのか、それは人です。その悪い典型例がヤクザ、暴力団です。人には持って生まれた性格というものがあります。考え方は環境によって変わります。日本の民間企業だけでなく役所にも言えますが、職員や社員が腐敗する典型的なパターンは、社長も含め役員など上層部に起因しているのです。最近よく耳にするブラック企業、間違いなくトップが悪いのです。重力がある世界では、物事は水のように上流から下流に流れます。首長や社長などのトップによって、組織は大きく変わります。もちろん、自治体も国家もです。トップの性格が悪い組織には、性格の良い人間は去って行き、結果的に悪い性格の人間しか残らない組織になるのです。なぜなら、指揮命令系統はトップダウンだからです。ボトムアップというのは業務改善だけであって、社風と呼ばれる組織の雰囲気はトップが作り出しているのです。雰囲気が悪い会社には良い人間はいません。仮にいたとしても、いずれ去って行きます。当然です、人生の価値観が違うからです。もしくは、良い人間が悪くなってしまいます。物事の考え方が変わってしまうのです。残ったのは悪い人間ばかりの組織です。これが人間社会の鉄則です。組織として、悪い人間を少しでも良くするには「教育」するしかないのです。それでもダメなら、解雇するしかありません。

 

話を元に戻し、警察が路線バスを取り締まらなくなると、最終的に交通事故が増えて行きます。これは路線バス会社が当事者となる事故だけでなく、間接的に路線バスが増加することによる誘発事故が増えるのです。その典型的な例が「蘆山寺通」の路線バス過剰運行です。市バスが金閣寺前の「木辻通」から「蘆山寺通」に経路変更され、さらに立命館大学への増便により「蘆山寺通」が市バスの過剰運行で非常に危ない道路になってしまったのです。ここ二年で交通事故が七件発生、そのうち路線バスが当事者になった事故が二件です。交通事故の危険性だけでなく、路線バスによる騒音・振動・排気ガスなどの住環境破壊も起きています。しかし、京都府警は路線バスの事故が増えていても、何ひとつ「蘆山寺通」の問題には介入しようとはしません。たとえ、京都市交通局の「市バス・地下鉄事業経営ビジョン委員会」 や京都市の「産業交通水道委員会」のメンバーに京都府警の幹部が入っていても同じです。これは冒頭に書いた通りの理由です。警察は民事介入することによる損害賠償請求を恐れているのです。警察は犯罪の検挙(逮捕)はしますが、公共交通機関には指導(行政)はしないのです。それをするのは国土交通省の仕事です。つまり、警察は犯人を捕まえるだけで、行政指導をするのは役所の仕事なのです。この国の古くからの特徴です。警察官というのは、もともと明治維新以降に地位がなくなった武士がなる職業です。

 

京都府警は、市バスに頼った公共交通網しかない京都市の路線バス運行ダイヤを阻害するような事は一切関与しません。だから市バスが信号無視や速度超過、警音器使用制限違反などの交通違反をしていても、警察官は見て見ぬふりです。いくら市民が目を光らさせて苦情を言っても何も変わらないのです。その結果、何が起きるのでしょうか、このブログで書いていることの堂堂巡りです。何も改善されない京都市です。日本は本当に法治国家の民主主義社会なのでしょうか。権力者が警察、つまり司法ですら好き勝手にコントロールできる社会、とても民主主義国家とは思えません。恐ろしい村社会です。