人生、あせらず楽しもう!

御覧いただきまして、ありがとうございます。今の日本人には「感謝と謙虚」が必要です。権力によってメディアコントロールされたテレビや新聞に惑わされないために自分で調べて分析する事が大切です。何事も決して周囲に押し流されてはいけません。真実は自分で見つけ出すものです。

なぜ、京都市バスに交通事故が多いのか?

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このふたつの交通事故は今年起きたものです。これ以外にも1月に京都市バス四条河原町交差点で衝突事故を起こしています。これからも増えると思いますが、これらの原因は何なのでしょうか?それは市バスが京都市内を過剰に運行しているからです。要するに走り過ぎなのです。京都市内の道路、特にメインストリート(片側二車線以上の大通り)をじっくり観察して見てください。ひっきりなしに市バスが走っています。見ていると恐ろしい光景です。まるで路線バスの天国のような街です。信用金庫だらけの京都の街と同じです。過剰営業、過剰サービス。いずれ淘汰されます。増え過ぎたものは、いずれ減ります。人口や株価と同じで、バランスを失うからです。

 

過剰運行は、実は運転手の過労につながります。過労による視力と反射神経の低下、さらにストレスは判断力の低下を引き起こします。朝早くから夜遅くまで同じルートを何回も何回も飽きるほど運転し続けると、咄嗟の判断力が落ちます。バスの運転手は、トラックの運転手のように荷物の積み降ろしがありません。運転席に座り続けていると、体の血流が鈍り、意識が薄らぎ判断力を落とすのです。赤信号でも交差点に進入したりするわけです。市バスが赤信号で交差点を横切っているのをよく見ます。信号無視です。こんな基本的な交通ルールも守れなくなるのです。気の緩みです。黄色は「止まれ」です。事故が起きて顔が青ざめてからでは遅いのです。※不慣れな運転手の増加については、後のブログで書いています。

 

人間にはヒューマンエラー(human error)という、うっかりミスがあります。ヒューマンエラーは無くすことはできません。人間は機械ではないからです。このことを日本社会は、まだ理解していないようです。日本はヒューマンエラーを前提に仕組みをつくる事に非常に疎い国です。なぜなら、島国の日本は大昔から集団社会主義なので「性善説」です。日本語をしゃべる黄色人種の日本人同士は、相手を家族のようにすぐ信用し疑うことを知りません。「振り込め詐欺」などが横行するのが代表的な例です。日本人は相手を尊重せず、誰でも自分と同じで何でも出来て当たり前という考え方です。「ひとは間違わない、ミスをしない」という意識が非常に強いのです。それが警察官への正義の期待です。警察官も人間です。間違いを犯します。

 

ヒューマンエラー対策は、日本の交差点の信号機のように「全赤」にするようなファジーシステムとは違います。交通ルール(法律)を緩めると守らない人間が増えていきます。日本のドライバーは「赤信号」でも止まらずに平気で無視する人が非常に多いです。二人に一人は黄色で止まっていません。なぜなら、三秒間の「全赤」信号機のせいです。米国で信号を無視すると必ず衝突事故になります。なぜなら、反対側の信号機はすぐに緑(日本ではなぜか青と言います)になるからです。昔の日本もそうでしたが、いつのまにか事故を減らすために警察が緩めたのです。海外でクルマを運転すると、日本の「ぬるさ(甘さ)」がよくわかります。米国では、すべての信号機にカメラが付いています。信号無視や一時不停止は画像解析で自動的に摘発されます。

 

話を元に戻し、京都市は観光客や大学の利便性を追求する余り、京都市内は市バスだらけになっています。おかげで京都市の財政は大赤字です。京都市交通局は市バスの路線数を増やし、便数を増やして、地下鉄部門の返済不可能な借金を返そうと必死で自転車操業(運転資金回収)をしています。そしてクルマやバイクは、増え過ぎた邪魔な市バスを追い越そうとします。それが事故につながるのです。昔、京都市内の大通りには市電が走っていました。ドライバーは市電が道路を塞ぎ、運転の邪魔となりウンザリしていました。現在は路線バスの過剰運行で市バスがドライバーにとって邪魔な存在なのです。京都市内の公共交通機関は路線バスだけでなく、地下鉄や私鉄もあります。その有効的な利用を京都市は促さずに、観光客などに市バスを利用させ運賃収入を増やそうと、路線を増やす事ばかり行い、結果的に重複路線が増え、物理的に地上の交通量が増えて事故につながっているのです。

 

京都市交通局は混雑対策と定時運行を理由に、そして市バスが観光客との接触事故を起こさないために、金閣寺永観堂の周辺を通行しないように経路変更しました。しかし、その結果、市バスの路線が特定の道路に集中し過剰運行となり、クルマやバイク、自転車、歩行者が関係する交通事故を増やしたのです。前回のブログで「蘆山寺通」に市バスが5台6台で連続走行するのも、これが原因です。京都市交通局市バス経路変更の結果、特定の道路に路線バスを集中して通行することになり、交通事故が増えたのです。観光公害や大学公害は、路線バスの過剰運行サービスが生み出した結果なのです。路線バスが増えれば増えるほど、その道路は物理的に危険になります。当然の事です。

 

京都市バスは、京都市の財政が逼迫している時にこそ、運行経路や路線数の見直しなど抜本的な削減を行うべきなのです。現状のままでは八方塞がりです。本来ならば、完全民営化(株式会社)するか。民間バス会社に京都市内の路線をすべて壌渡しないといけない程のレベルなのです。民間バス会社への運行委託(運転手の人材派遣)が「市バス民営化」と役人や議員は言っていますが、それは違います。なぜなら、市バス車両の資産管理と運営(運賃収入)は京都市交通局がしているからです。これが諸悪の根源です。つまり、路線バスのレンタルシステムなのです。

 

コロナ禍で日本の航空会社が数千億円もの追加融資を金融機関に要請していますが、欧米の航空会社は世界が元の状態に戻るには、2024年までは無理であると予測しています。それまで、果たして京都市の財政が持つかどうかです。地方交付税という税金が還流する無駄遣いが多い京都市交通局はサービスの縮小(ダウンサイジング)なしには、事業継続は難しいのです。これは京都市の財政にも、もちろん言えます。京都市は現状の行政サービスを市民に提供することは今後非常に難しくなります。日本の財政は無限大ではありません。生産労働者が減少し税収が減って行く国です。京都市交通局のように民間バス会社に市営バスの運行を委託していると、毎年毎年、莫大なお金(税金)が消えていきます。京都市自体も交通局を手放さないと財政負担は減りません。その課題を市議会議員も役人もわかっていないのです。お上(政府)に頼めば、いくらでもカネ(税金)がもらえる。だから、無駄な事を予算に組むのです。つまり浪費です。浪費が回り回って路線バスの事故を増やしたり、騒音や排気ガス公害を起こしているのです。