人生、あせらず楽しもう!

御覧いただきまして、ありがとうございます。今の日本人には「感謝と謙虚」が必要です。権力によってメディアコントロールされたテレビや新聞に惑わされないために自分で調べて分析する事が大切です。何事も決して周囲に押し流されてはいけません。真実は自分で見つけ出すものです。

苦情:西日本JRバスの路線バス運転手さん、何のためにクラクションが付いているのでしょうか?

西日本JRバスの路線バス運転手は、ソーシャルメディアやブログなどで、うるさく言われる道路だけ注意喚起音は鳴らさないようにして、何も言われないところでは注意喚起音をむやみやたらに鳴らしています。西大路通丸太町通などを通ると、京都バスは注意喚起音を一切鳴らしていませんが、西日本JRバスの路線バス(運行委託されている市バスも同じ)だけが注意喚起音を大きな音で鳴らしています。なぜ?こんな近所迷惑な騒音を発する違法行為を大企業が全く気にもせず続けているのでしょうか。音が方向指示器に連動している装置だからですか?そうではないでしょう。そもそも注意喚起音を装備したバスを購入している事が原因なのです。それは道路交通法道路運送車両の保安基準規定には定められていません。昔は無かった装置です。近所迷惑も顧みず、自分達の都合だけで京都市交通局や西日本JRバスが付けているのです。その理由を説明してもらいたいです。交通事故を減らすためという愚弄は通用しません。これは苦情です。

 

西日本JRバスの路線バス運転手は、朝夕の登下校する中学生や駐車車両に人影があるだけで「ピンポン!」や「ピンポン!バスにご注意ください」と鳴らします。なぜ?まず徐行しないのか、危なければ一旦停止すればいいだけのことです。もしくは、危険防止のためにクラクションを一回鳴らせばいいのです。あんな耳障りで近所迷惑な雑音を鳴らし続けなくてもいいのです。

 

路線バスは地下鉄とは違います。道路事情により時間通りには目的地には着かないのです。路線バス運転手は焦る必要はないのです。焦るから事故を起こすのです。何が大切な事なのかを自分で考えて運転すれば、何が正しい事で何が間違った事なのかを会社から命令されなくても、判断することができます。心が正しいところにあれば、「ピンポン!」なんていう雑音は鳴らしません。給料をもらうことだけに必死にならず、社会に良い変化をもたらすことを切望してください。ひとを助ける事が本当に大切な事です。人助けには喜びがあり、そこにこそ人間としての成功があります。だから、路線バスの運転手になったのでしょ。騒音を出す事は、決して人助けにはなりません。ひとを悲しませ、ひとを苦しめ、ひとを困らせているのです。胸に手を当てて考えて見てください。

 

ツィッタにも書かれていますが、日本に来る外国人は「日本はうるさい音が多い」ということです。確かに日本のコンビニやスーパーなどの店では必ずBGMが流れていますが、欧米に行くと、どこも無音で静かです。雑音がありません。BGMが流れていると、買物客や従業員の思考の邪魔になるからです。確かにその通りです。日本は村社会なので、他人への思いやり(最近の日本人にはない)はあったとしても、他人を尊重するという事に非常に疎い国です。行政しかり、教育しかり、宗教しかり、すべてにおいて今も変わりません。この文化が路線バスの注意喚起音や音声アナウンスにもつながっているのです。村だから近所迷惑というものは存在しないという発想です。日本は皆一緒の社会主義。海外の路線バスはクラクション以外に音が出る警音器は付けていません。そんな音を鳴らせば、すぐに市民から苦情が殺到し訴えられます。それが民主主義です。西日本JRバス、ひいては日本バス協会などは、このような世界の常識(モラル)を知らないようです。音声アナウンスや注意喚起音を鳴らされると、雑音は思考の邪魔になるのです。それが騒音公害です。日本は、まだまだ民主主義のレベルが低い国(官が統治する律令国家)です。少しでも民主主義のレベルを上げるためには、まず国民ひとり一人が自覚しないといけないのです。

 

西日本JRバスの路線バスは京都市内では立命館大学を経由する周山コースの一路線と快速立命館だけですが、実際は昔から京都市営バスの運行委託をしています。西日本JRバスは、いくつもの市バス号系統を走らせているのです。本来、このような騒音の苦情は市民(沿線住民)から言われなくても、大企業である西日本JRバスが事前に知るべき問題なのです。苦情がないから、沿線住民から言われないから、音を鳴らしても良いなどという道理はありません。ぬるくて緩い皆一緒の日本の村文化では、市民が苦情を言う勇気はないのです。なぜなら、村八分にされヤラれたくないからです。それに付け込んで権力者が何をしてもよいというのは決して民主主義社会ではありません。いつまで経ってもアカ抜けない中世のままの思考回路の日本社会です。唯一、戦後日本で変化したことは、良くも悪くも米国の属国になり、何事にも米国に頼る事に疑問を持たない民族になってしまったことです。自分達で考えて行動することができなくなったのです。国民ひとり一人が社会を良くするために考えて行動することこそ、本当の民主主義の第一歩です。

 

注意喚起音「ピンポン!」はクラクションと同じ。むやみに鳴らすと「警音器使用制限違反」が適用される。

西日本JRバスの運転手が大好きな注意喚起音「ピンポン!」。バスの接近を歩行者に知らせるために注意喚起音を鳴らすのも、歩行者の飛び出しを注意するためにクラクションを鳴らすのも、実は交通違反なのです。

 

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注意喚起音「ピンポン」も含めクラクションの使用は道路交通法54条2項で制限されています。法令の規定外で警音器を鳴らしてはいけないのです。法令の規定とは「警笛鳴らせ」の道路標識がある区間のみです。峠のカーブや坂の頂上など見通しの悪い場所にあります。この標識のある所ではクラクションを鳴らしていいわけです。これ以外の場所で使用した場合には「警音器使用制限違反」が適用され違反点数無しの反則金を取られます。

上記の「おとなの自動車保険」のサイトで株式会社日本交通事故鑑識研究所が説明されているように、標識で指示された場所以外でクラクションを使用できるのは危険回避の場合のみです。鳴らさなければ事故の恐れがある状況であることが明確でなければいけません。車通りが多い市街地でのクラクションの乱用は、本当に重要な危険が察知できなくなる恐れがあります。よく乗用車で四つ角毎にクラクションを鳴らして徐行も一旦停止もせずに通過するドライバーがいます。クラクションの大きな音は周りの運転者の注意を引きつけてしまい、注意力を散漫にしてしまいます。そうした状況を引き起こさないためにも、「警笛鳴らせ」標識のほとんどは人里離れた山間部などに設置されています。むやみにクラクションを鳴らすことは避け、危険を回避するためにどうしても必要と判断した場合のみ使用するようにしましょう。と書かれています。

「蘆山寺通」の朝夕の通学で大学生が乗る自転車や歩く中学生に対して西日本JRバスの路線バス運転手が「ピンポン!ピンポン!バスにご注意ください!」と鳴らすのは、危険回避ではありません。なぜなら、一旦停止も徐行も減速もしていないからです。単に自分達が立命館大学に早く到着したいから鳴らしているだけなのです。エゴ(自己中)です。そんな通学路に路線バスを過剰運行させている事が悪いのです。つまり、京都市交通局と西日本JRバスが悪いのです。路線バスが増えれば増えるほど、その道路は事故の危険性が増します。注意喚起音は何の効果もありません。なぜなら、鳴らしているだけで一旦停止も徐行もしないからです。

 

何度も言いますが、西日本JRバスの運転手が注意喚起音やクラクションに頼って、徐行もせず減速もせず一旦停止すらせずに朝夕の通学時間帯に注意喚起音「ピンポン!ピンポン!バスにご注意ください!」と大きな音で鳴らすのは「警音器使用制限違反」なのです。鳴らすだけでは何の効果もないのです。警音器とは、救急車や消防車、パトカーのサイレン(警報音)すべて音が出る機器が含まれます。緊急車両以外は警音器の警報音を使用する事は法律で禁止されています。「ご注意ください!」というのは、明らかに警報音です。見通しのきかない交差点、曲がり角、危険防止するために止むを得ない時に鳴らしていいのなら、なぜ一時停止も徐行も減速もせず、西日本ジェイアールバスの運転手は注意喚起音を頻繁に使用するのか?答えは簡単です。そのようにバス会社で指導しているからです。間違った不必要な鳴らし方を教えているわけです。

 

kuruma-news.jp

くるまのニュースの記事に「大型車のアナウンスは、道路交通法道路運送車両の保安基準などを見てみても、規定はとくに定められておらず、メーカーなどの任意でアナウンス機能が採用されているようです」と書かれています。つまり、デンソーなどのメーカーが売上を上げるために勝手に新商品を作ってバスやトラックに装備しているわけです。昔は無かった装置です。ネットには、音声アナウンスの苦情がたくさん書かれています。それは当然です。騒音公害です。その典型的な例が京都市環境政策局のゴミ収集車です。まるで緊急車両のように大きな音で「左に曲がります、ご注意ください!」と停車中に鳴らしてゴミを収集しています。騒音による住環境破壊をしています。

 

自動車:道路運送車両の保安基準(2022年4月8日現在) - 国土交通省

道路運送車両の保安基準(警音器)第43条4項 

「自動車(緊急自動車を除く)には車外に音を発する装置で警音器と紛らわしいものを備えてはならない。ただし、歩行者の通行その他の交通の危険を防止するため自動車が右左折、進路の変更若しくは後退するときにその旨を歩行者等に警報するブザその他の装置又は盗難、車内における事故その他の緊急事態が発生した旨を通報するブザその他の装置については、この限りでない。」という事は注意喚起音も警音器です。注意喚起音はブザではありません。

 

世界の中で日本だけです。大型車が「左へ曲がります」などとアナウンスして右左折したりバックしています。外国人は感心して驚いているのではなく、日本という国の個人空間(近所迷惑)への尊厳はないのかという事です。現在も日本は皆一緒の村社会で個人が尊重されません。また「危険運転を注意したつもりで鳴らしたクラクションが、あおり運転だと主張され、ドライブレコーダーの録画映像とともに警察に届け出られたケースもあります。」と記事に書かれています。注意喚起音「ピンポン!」なども蘆山寺通の沿線住民をあおっているのです。本当に迷惑極まりないです。

 

サイトの最後に「無用のトラブルを避けるために、やむを得ない場合以外はクラクションを使わないのが懸命です。」と記事に書かれています。運転免許を取る時は、そう習っているのに、いつのまにか忘れ去られてしまう交通ルールです。注意喚起音も警音器なのです。この事を路線バス会社も運転手も見誤っているのです。道路交通法には、警音器(注意喚起音)を鳴らしながら危険な道路を通過して良いなどとは一言も書いていません。注意喚起などでクラクションや注意喚起音を使い過ぎていると、運転手が本当に危険な時なのかどうかの区別がつかなくなり、警音器の意味をなさなくなってしまいます。ただの近所迷惑な騒音です。これが西日本ジェイアールバス運転手の悪いマナーです。いまだに小さな音で鳴らす「物分かりが悪い姑息な運転手」や相変わらず大きな音で鳴らす「成らずもの運転手」もいますが、全く意味のない行動です。

 

ラクションにしろ、注意喚起音にしろ、それは迷惑な音であることは間違いありません。昭和52年に「東大阪ラクション殺人事件」というのがありました。クラクションを鳴らされて腹が立ったヤクザが相手に拳銃を発砲した殺人事件です。路線バスの運転手に限らず、一般ドライバーもクラクションを鳴らす時には細心の注意をするべきなのです。むやみに鳴らすと恐ろしい結果になる場合があります。現在もクラクションによるケンカは後を絶ちません。それは音声アナウンスや注意喚起音も同じです。それほど騒音を出す事には神経を使わないといけないのです。京都市バスのように車外にまで聞こえるアナウンスも騒音です。西日本JRバスの路線バス運転手のように、いくら「ピンポン!」を鳴らすのが大好きでも無造作に鳴らすと逆効果になります。どうも西日本JRバスの路線バス運転手は疎い人間が多いようです。やはり、こんな所にも企業体質や社風が関係しています。京都市交通局と同じで「自分達より偉い者はいない!」「天下のJRだ!」「俺達が運転しているバスに乗せてやる!」という特権意識からの不遜な態度です。環境とは恐ろしいものです。人間の性格や考え方まで変えてしまいます。

 

お知らせ:ツィッタで「西日本JRバス」では検索されません。

ピンポン!西日本JRバスも、やはり元国鉄です。日本郵政などと同じで国営企業出身の会社は自分達にとって都合が悪い事を隠します。ツィッタで西日本JRバスにブロックされたようです。「立命館大学」と同じです。「西日本JRバス」で検索してもツイートが表示されなくなりました。しかし「西日本ジェイアールバス」では、彼らのアカウントがないため検索できます。思った通りのバス会社でした、正々堂々としていない、クレームと向き合わず、嫌な事からは逃げる大企業です。コンプライアンスもガバナンスも形だけ、だから福知山線脱線事故という大惨事を起こしたのです。あれは会社の経営方針が招いた結果なのです。私鉄とのダイヤ競争で過密なスケジュールを組んだ結果、鉄道運転士に精神的なプレッシャーがかかり、時刻表通りに運行をしないといけないという運転士への重圧が速度超過でカーブに突っ込み起きた事故です。西日本JRの幹部達は、乗客の命よりも収益の事ばかり考えていた結果の大惨事です。京都市交通局とよく似ています。運賃売上の事ばかり考え、沿線住民よりも立命館大学金閣寺などの権力者の言いなりで、沿線住民への説明もなく市バスの経路変更や増便を平気で行う姿勢です。仮に住民説明会があっても、最初から結論ありきです。とても民主主義社会の役所がするようなやり方ではありません。その結果、市バスが経路変更された道路である「蘆山寺通」が路線バスの過剰運行となり、騒音や排気ガスの環境破壊が起きていても、お構いなしです。挙句の果てに市バスと西日本JRバスの路線バスが当事者となる交通事故が二度も起きました。

 

国鉄時代、労働組合のストを平然と何度も行っていた事を若い方はご存じではないと思います。一週間以上もストライキをして電車が止まっていたのです。国民がどれだけ困っていたことでしょう。通勤通学はできないし、貨物も運ばれないのです。もちろん、ストの目的は賃上げです。いわゆる春闘です。国鉄の駅員や鉄道員の態度の悪さ、さらに赤字体質と本当に酷い状態でした。今の京都市交通局とそっくりです。運転手の不祥事や経営健全化団体に再び転落しています。

 

戦前、国鉄は国営です。正式名称は「国有鉄道」です。国が運営していたのです。職員は国家公務員扱い、そのためストライキはできませんでした。しかし、戦後GHQによって日本解体のため反日左翼主義者たちが国鉄に目を付け、その結果、起きた事件があります。それが有名な「国鉄三大ミステリー事件」(下山事件松川事件三鷹事件)です。興味ある方はネットで調べてください。連続脱線事故です。たまたま起きた事故ではなく、国内最大人数を誇る国鉄の人員整理に反対する組合員(共産党員)の仕業に見せかけたGHQと政府による犯行です。国労国鉄労働組合)の組合員は、仕事もせず働かずに給料をもらっていたのです。京都市交通局の「幽霊バス」(無届け臨時バス)の状況とそっくりです。京都市交通局は公営企業という役所です。運転手も含め職員は地方公務員です。労働組合の幹部(在籍専従)が幽霊バスを運転して働いているフリをし、労働組合からの給料と自治体からの給料の両方をもらっていたのです。これをヤミ専従と言います。

 

さらに、東京では当たり前の通勤地獄、一極集中により乗客が多いから起きているので仕方ないと思われていますが、実はウソです。通勤ラッシュは乗客数に対して列車の輸送力の不足が原因です。輸送力増強が国鉄の役割です。戦前の国営列車なら国が列車の増発と搭乗職員の増強を図りますが、公営企業体となった戦後の国鉄には、それができません。なぜなら、列車だけでなく運転手、車掌、整備員も必要になり、職員の労働時間も増えます。これに国労が反対したのです。自分達の仕事が増えるからです。これ何かと似ています。そうです、京都市バスの路線とダイヤです。「京都市バスの路線・ダイヤの在り方に関する検討委員会」や「市バス・地下鉄事業経営ビジョン委員会」などと委員会を立ち上げても、一向に何も変わらないのです。なぜなら、京都市交通局の仕事が増えるからです。路線を増やす事しか能がなく、重複路線を整理したり効率的なダイヤを作り直したりしません。手っ取り早い簡単な事しかしないのです。この委員会、見せかけの審議会です。両方とも立命館大学の名誉教授が委員長を続けています。

 

「市民の足を守る」というのは詭弁で、立命館大学のために赤字でも市バスを運行する京都市。路線数を増やして立命館大学の利便性を良くすることだけ長年続けているのです。そこには「政治の力」が働いているのでしょう。朝晩以外は立命館発や立命館着の市バスの中をよく見ると、ほとんど乗客は乗っていません。そんな採算が悪い事をしているから、黒字路線や増便が必要な路線に市バスが足りず、京都駅前のバスターミナルで長蛇の列ができるのです。東京の朝の通勤地獄と同じです。乗客が多いから満員電車になるではなく、職員が本来の仕事をしていないから起きているのです。世界のどこの国の交通機関が、中古部品を売ったり、アニメキャラクターグッズを販売して儲けたりしていますか?あれは本来の仕事をしていないのです。市バスの路線の見直し、つまり重複路線の整理廃止など手間のかかる事はせず、手間がかからない簡単な事しかしない京都市交通局労働組合があるから仕事はしたくない。しなくても給料はもらえる。まさに「国鉄」と同じなのです。だから、京都市交通局は西日本JRバスとは気が合うです。京都市交通局が西日本JRバスとの連携による共同運行などとよく言っているのには、こういった事が関係しているのです。

 

西日本JRバスの路線バスの運転手が「ピンポン!ピンポン!ピンポン!」と大きな音を鳴らして路線バスを走らせるのも同じ、彼らはバス会社ではなく今でも自分達は国鉄マンという意識が非常に強いのです。まるで昭和の警察官のような帽子と制服を着ています。元は国家公務員、左翼的なストライキをして国民を困らせてきたという自負があるのです。だから、蘆山寺通などで近所迷惑な注意喚起音を鳴らして、沿線住民を困らせているのです。社会に対して横柄な態度は今も同じなのです。京都市交通局と同じで「自分達より偉い者はいない!」「天下のJRだ!」「俺達が運転しているバスに乗せてやる!」そういう特権意識が運転手の態度にも出ているわけです。企業風土、社風というものはそう簡単には変わりません。なぜなら、同じ組織で長年働いていると物の善悪に気付かなくなり、わからなくなるからです。宗教信者と同じです。他人や他社との比較、つまり客観的に物事が見れなくなるのです。過去の出来事を分析すると本当にその会社や組織の体質がよくわかります。たかがバスの運転手がこんなにも威張っている国は珍しいです。他国では私服で運転しています。米国では、バス運転手は黒人やヒスパニック系の人種の仕事です。白人はバス運転手を見下しています。実際に海外へ行くと本当に現実がよくわかります。

 

なぜ、京都市交通局は問題がある市バス運転手を業務に就かせているのでしょうか?

京都新聞の記事に「男性運転手はこれまでに交通事故を5回起こしているほか、接客や運転を巡り13回指導を受けている。同局によると「車線変更されて感情的になった」と話している。」とあります。

www.kyoto-np.co.jp

不思議な事に京都市交通局は懲戒解雇ではなく停職6カ月の懲戒処分、被処分者は退職願を提出し、退職が承認されているのです。依願退職が受理されているわけです。つまり、退職金が満額支払われます。この運転手は、おそらく22年勤続なので、2000万円近くの退職金を受け取れるのです。これは公務員だからクビになりませんが、民間企業なら依願退職の前に懲戒解雇処分となり退職金はゼロです。※後のブログで書いていますが、京都市交通局だけでなく公務員には労働組合があるため解雇にはならないのです。組合の背後には日本共産党などの政党も付いています。組合の力が強いのです。これが身分職です。

 

そして、その運転手が責任を取って辞めれば終わりではなく、そのような運転手を業務に就かせていた事に対して、雇い主責任である民法第715条の「使用者責任 」を京都市交通局は問われないのかということです。国土交通省 近畿運輸局 京都運輸支局は、京都市交通局に対して何も罰則がないのでしょうか。その市バスに乗車していた乗客がその運転手の行為によって精神的苦痛を受けたと京都市交通局に対して「使用者責任」による慰謝料の損害賠償請求をすれば、間違いなく裁判で認められると思います。中古車や中古物件などには「瑕疵担保責任」というものがあります。それと同じです。売主が欠陥があることを隠して販売した場合、買主は契約を解除ができるのです。

 

市バスの運転手だけではなく、現業職と呼ばれる環境政策局の職員にも日々倫理教育は必要です。大学生だから大人だから倫理教育なんてしなくていいという考え方が日本人を劣化させているのです。京都市は、市バスの運転手にしろ、ゴミ収集車の運転手にしろ、過去に何度も問題を起こしています。京都市は指導もできない連中を採用しているのでしょうか?また、なぜ京都市交通局は問題がある市バス運転手を業務に就かせているのでしょうか?何か理由があるから、そうしているのです。その理由とは何なのでしょうか?運転手の人数が足りないからでしょうか。それとも、京都市交通局の弱みを運転手が握っているからでしょうか?京都市民の皆さんは、ご存じの方が多いと思います。蘆山寺通を走る市バスを見てください。アクセルをふかして運転する運転手がほとんどです。ほんとうに節操がありません。今回の運転手と同じような運転手が京都市交通局には、まだまだ他にもいるのがよくわかります。

 

いずれにせよ、教育機関である学校、警察などの司法機関など扉に閉ざされた組織、大臣や官僚などの特権階級の実態は国民にはよく見えません。ネットやメディアを観察して分析する事ぐらいしかできません。政府が黒塗りにした公文書を開示しても、国民にとっては隠しているとしか見えません。内部告発者など真実を知っている人がどんどんリークできる社会が閉ざされていないオープンな民主主義社会だと思います。日本には、あまりにも隠し事が多過ぎます。典型的な「村社会」です。村社会だから他人の事がとても気になる。度が過ぎると、忖度という行動に出る。いまの日本の政治家と官僚の関係です。本来は役人と政治家は敵同士の関係でないといけないのです。それが役人の出世をエサに政治家と主従関係(内閣人事局)になっています。徳川幕府と同じです。自民党は戦後70年以上続く新たな幕府体制なのです。徳川家ではなく、岸・佐藤・安倍家です。京都市を見て下さい。役人と市議会議員がベッタリ関係です。だから、財政破綻寸前になるのです。そして、民主主義社会において重要な事は、政治家と役人を叩くのがメディアの役目です。それが日本では「御用メディア」と呼ばれ、政府の言う通りの記事を書いているのです。どこのニュースを見ても読んでも同じ内容。つまり、自分達で情報収集や取材をしていないのです。政府や警察に言われた通りに国民に伝えるだけなのです。メディアコントロールというものです。そこに批判や意見がまったくありません。次の動画のような報道をまったくしないのです。

「日本はとんでもない間違いをした」岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三…3代続く関係性から見える旧統一教会が目指した“国家宗教”【報道特集】|TBS NEWS DIG - YouTube

 

今回の市バス運転手の「あおり運転」は京都府警によって摘発されたものではなく、あおられた軽自動車の運転者から京都市交通局に連絡があり、バス搭載のドライブレコーダーで判明したという経緯です。この件を京都市交通局が伏せておくこともできたのに、そうしなかったのは公共交通機関の透明性を確保することが狙いだったのでしょう。仮に京都市交通局が伏せれば、この軽自動車のドライバーが警察に通報するかどうかは疑問です。警察に連絡すると被害者と加害者の前科などあらゆる事がバレます。京都市交通局京都府警に軽自動車のドライバーの犯罪歴照会をしたのかどうかはわかりませんが、京都府警のOBを受け入れる企業や組織は、それが簡単にできる事を皆さんはご存じでしょうか。役人の天下り(官僚の再就職)が今も絶えないのは、役人の人脈による受け入れ先企業の特権が担保されるからです。これが天下り最大の目的です。警察を通じて個人の犯罪歴を調べることができるのです。だから、金融機関などは元警察官僚などのお偉いさんの再就職先として迎えるのです。

 

京都市交通局には700人以上の運転手がいますので、いろいろなタイプの人間がいると思います。神経質な運転手、頑固な運転手など。これは西日本JRバスも同じです。すべてのドライバーが優秀な人格であれば申し分ありませんが、そのような事は無理でしょう。よく言われるように「2:6:2の法則」です。それが京都市交通局の場合は、5:5なのか4:6なのかはわかりません。何度も言いますが、大人になっても倫理教育は大切です。昭和時代の日本人の特徴は「みんな一緒」「誰かに頼る」「言わなくても分かる」です。人間は他人から言われなければ分からないし、自分で行動しなければ誰も助けてくれないのです。特に日本の政治家や官僚などの特権階級には倫理教育が必要です。彼らの頭は昭和時代のままで倫理感よりも優越感ばかりです。そして政治家が宗教団体に頼っているのです。だから国民が苦労するわけです。現代版の「お殿様」「お姫様」です。きっと京都市交通局も昭和時代のままなのでしょう。問題がある市バス運転手をクビにできない公営企業(役所)、つまり日本では公務員は身分職なのでクビにならないのです。政治家が選挙にこだわるのは、政権を取るためだけではなく、何より貴族であり続けることが目的なのです。「お殿様」「お姫様」になって、優雅な生活を続けたいのです。国民が苦しんでいてもです。今の日本のお偉いさん達は、そんな事はどうでもいいのです。今だけ自分だけです。

京都市バスの運行委託先について、

ヤフー知恵袋」に京都市バスの外部運行委託先について書かれていました。それによると、京都市交通局の各営業所で市バス車両をどの民間バス会社が運行するか分けているようです。

烏丸営業所:直営(交通局で採用されたバス運転士:京都市職員)
錦林車庫:京都バス
西賀茂営業所:直営
梅津営業所:直営&西日本JRバス
九条営業所:直営&京阪バス京阪バスの撤退で西日本JRバスに移行)
洛西営業所:近鉄バス
横大路営業所:阪急バス&MKバス

 

さらに、各車庫に所属する路線バスの号系統も書かれていました。※ただし、この情報は2016年1月28日のもので古いです。立命館大学のスクールバスのような「快速立命館」や復活?した52号系統などはありません。最新情報は交通局のサイトに公開されています。

<すべて直営>
西賀茂車庫 

1、4、9、1215、37、46、51、55、67
烏丸車庫 

特37、101、北1、北3、北8、204、206

<直営と委託が混在>
梅津車庫
直営 3、27、特27、32、100、201、M1、特205、岡崎・東山・梅小路Express
西日本JRバス 8、特8、10、11、26、59、75、80、93、特93、臨202、水族館・東山ライン

九条車庫
直営 202、快速202、205、快速205、207、208、祇園Express
京阪バス 5、6、31、50、65、71、特71

<すべて委託>
錦林車庫

京都バス 17、MN17、102、203、MN205

洛西車庫

近鉄バス 28、29、33、特33、42、70、73、78、91、特南1、四条河原町ショッピングライナー、西1、西2、臨西2、西3、特西3、MN特西3、西4、特西4、西5、臨西5、西6、西8

横大路車庫
阪急バス 13、特13、臨13、18、特18、19、20、22、43、69、81、南1、南2、特南2、南3、南5、水族館シャトル、100円循環バス
MKバス 16、84、臨南5、南8

 

これだけ詳しく書かれていると52号系統がどこの車庫に所属し、直営か委託かは高い確率で推測できます。また二条駅の西側に市バス待機場という市バスが10台とめられる駐車場があります。そこには特18号系統が止まっています。こんな事を調べるのに、いちいち時間は割く必要はなくネットで調べればすぐわかります。二条駅西口発着の市バスは特18号系統以外に18と69があります。阪急バスの委託運行です。

 

※最新の京都市バスの直営&外部運行委託先については、京都市交通局のサイトにありました。五年毎に「京都市自動車運送事業 管理の受委託の受託者募集」で変更しているようですが、実際は交通局の言う事を聞く民間バス会社が選ばれているのです。京都市交通局:営業所別担当系統一覧

 

なぜ、こんな事を調べるのか?それは、いまだに一部の運転手がしぶとく「ピンポン、ピンポン、ピンポン」や「ピンポン、バスにご注意ください」と近所迷惑な注意喚起音(騒音公害)を鳴らしたり、信号無視や危険な追越しなど無謀な運転をする路線バスの運転手がどこに所属しているのか、さらに西日本JRバスの車両以外でも、市バスの号系統で委託運転手かどうかを特定できるからです。おおよそ推測はついていますが、59号系統は西日本JRバスの運転手です。驚いたのは、50号系統が以前は京阪バスで運行委託されていたことです。最近、京阪バスに運行委託されていた路線は、西日本JRバスに変更しているようです。50号系統は西日本JRバスが運行しています。なぜなら、注意喚起音「ピンポン!」を鳴らして運転しているからです。人間の癖や習性は分析するとよくわかります。必ず表に出ます。

 

2019年に京阪バスはすべての運行委託から撤退し、その号系統は交通局に直営戻しになっているようです。それで京都市交通局はバス運転手を100人ほど増やしたわけです。人件費のコスト増で赤字幅が増えました。さらに2007年3月に12号系統とM1号系統は梅津営業所に、15号系統?と55号系統は九条営業所に、それぞれ移管されています。つまり、梅津営業所に所属する市バスは直営(公務員運転手)と西日本JRバスに運行委託されているのです。九条営業所の運行委託先が京阪バスから西日本JRバスに変更されているのです。さらに梅津営業所に臨時15号系統という立命館大学行きの市バスがありますが、これも西日本JRバスの運行委託、なるほど15号系統も注意喚起音「ピンポン!」を鳴らすわけです。最新情報では、M1と52号系統は梅津車庫所属の直営です。おそらく現在では12号系統も15系統も梅津車庫所属になっています。どうりで12号系統までも注意喚起音「ピンポン!」を鳴らすわけです。運転手は西日本JRバスの運転手です。つまり、立命館大学行きの市バス運転手のほとんが西日本JRバスの社員であるという事がわかります。※M1号系統も「ピンポン!バスにご注意ください」と鳴らす運転手がいます。おそらく、西日本JRバスの社員が運転しているのかもしれません。誰かに指摘されない限り、役所や企業の悪態はバレません。第三者が常に監視していません。

 

京都市交通局は、経営が厳しい西日本JRバスの路線バス会社に市バスの運行委託を密かに増やしているようです。交通局と仲が悪い京阪バスが市バス運行委託契約をすべて撤回したことによって、直営となった号系統を交通局の言いなりである西日本JRバスに運行委託させているのです。西日本JRバスにとっては、コロナ禍で運賃収入が期待できない中、運転手の人件費(運行委託料)を交通局からもらえるので、喜んで受託します。これこそ影でコソコソする日本の役所特有の習性です。「自分達より偉い者はない!俺達が民間に仕事を割り振っているんだ!だから、お前らは俺達の言う事を聞け。言う事を聞く会社には仕事を与える。」そういう心情が京都市交通局の運転手の態度にも出ているわけです。だから市バスの運転が粗いのです。これは日本の公務員特有の考え方(身分職)です。官僚制社会主義国家そのものです。さらに西日本JRバスの運転手も京都市職員の運転手と同じ制服を着て市バス車両を運転しています。見分けが付かず、外見は京都市交通局の運転手(公務員ドライバー)に見えるため、態度が大きくなり交通ルールを無視した横柄な運転をするのです

 

梅津車庫所属の回送車ならば、西大路通を走らず「きぬかけ路」経由で天神川通を走ればいいわけです。それで市バスの経路分散ができ、蘆山寺通の渋滞が少しでも減るわけです。しかし、沿線住民の騒音公害を減らすために、そんな気の利いた事は役所は絶対にしません。彼らは公務員であるため「従来通り」の仕事しかせず、変化を恐れ、仕事が増えるのを嫌い、権力者(市長)の言う事なら出世がかかているので何でもします。これが日本の公務員の特徴です。そして、「幽霊バス」(無届け臨時バス)と呼ばれるヤミ専従執行役員ダイヤであった立命館大学行きの特202(快速202)号系統は九条車庫所属でした。快速立命館(市バス車両)と立命館ライナー(西日本JRバス車両)の運転手は、どちらも西日本JRバス 京都営業所(南区吉祥院)の路線バス運転手になっています。いずれは衣笠線(50番台と10番台)と呼ばれる立命館コースはすべて西日本JRバスの路線バス運転手になるのでしょう。このような事が明確にわかってくるわけです。

 

京都市交通局:民間バス事業者と共に運行する系統における乗車券等の取扱いについて

 

※一般的に労働組合執行役員になるのは出世コースです。労働組合幹部は、民間の大企業でも社長に昇格したり、公務員ならば選挙に立候補して議員や首長になる人もいます。本来の仕事よりも組合の仕事がメインです。「幽霊バス」が問題なのは、国土交通省に無届けで路線バスを運行していたからです。執行役員が本来の仕事をせずに高い給料をもらっていた事は問題ではありません。京都市交通局のいい加減な業務体制が問題なのです

 

路線バス会社によって、運転の仕方に特徴があります。これは日本人と同じで県民性があるのです。海外の人ではわからない、日本人だとその違いがよくわかります。その微かな違いを感じ取る事によって、現在起きている事を分析できます。直営の市バス運転手に逮捕者が多い事や西日本JRバスの運転手がマイクで罵倒したり、運転中に携帯電話を使用する横柄な態度、その組織の特性が二社はよく出ています。この西日本JRバスの運行姿勢が今の注意喚起音の使用にもよく表れています。原因は、国鉄時代の社会への横柄な態度(左翼的)がいまだに変わっていないのです。わざとノロノロ運転をして排気ガスをまき散らしたり、エンジン音をうるさくするためにアクセルを踏み込んで加速したり、わざと道路の窪みの上を通って振動させてみたりするのです。

 

企業文化(社風)というものは、おそろしいです。観察すると本当によくわかります。人間と同じで悪い癖は直らないのです。昔の京都市環境局の職員や市バス運転手に逮捕者が多い原因については、あえて書きませんが、京都の皆さんはよくご存じだと思います。問題は、なぜ?そのような連中が多いのかです。他の路線バス会社は京都市交通局のような犯罪集団ではありません。なぜ?あの組織の人間だけが逮捕されるのか、その答えは、口利きなどによる選考採用があるからです。

 

人間というものは、路線バスの運転手に限らず、所属する組織や会社、宗教、あるいは外国(特に米国)に洗脳されると右も左もわからなくなり、本来の自分を見失います。日本という島国は村社会であるため、ひとに洗脳されやすいです。いかに洗脳されない自分を確立するかがとても大事です。洗脳されなくなると世の中が透き通って見えるようになり、物事の関連性がよくわかります。京都市環境政策局の軽トラのゴミ収集車の運転手が近所迷惑も省みず、いまだに信号待ちの右左折で音声アナウンスを大きな音で流すこともです。日本は今も国ではなく「村社会」なのです。観察するとよくわかります。世界で住所に町名があるのは日本ぐらいです。町内会や運動会というのは村社会の名残です。なぜ?日本の政治家に世襲議員が多いのかもです。日本には市民がいないのです、「村民」という村人だけなのです。これは日本人の行動を理解する上で、すべてのキーポイントになります。ウィキペディアを是非お読みください。歴史上、市民革命も民主主義もなかった国、それが律令制天皇制の日本という村です。今も変わっていません。変わったの外見だけ、日本人の頭の中は奈良時代から変わっていません。一度も自分達の手で法律も宗教もつくった事がない民族です。すべて海外のコピーから始まっているのです。

京都市交通局の「まぢピンチ」という経営状況「見える化」策を見て思う。2

毎回、京都市交通局の市バス・地下鉄 経営状況等の「見える化」についてを見て思う事は、悪い数字を並べても良い結果はでません。良い数字を並べても、それは過ぎ去った過去の自慢話です。未来および現在の企業経営で大切な事は「改善」です。原因を分析ばかりしていても、良い結果など出てきません。持続可能な事業運営を目指すのなら改悪策ではなく、改善策を考えて取り組み続けないといけないのです。物事は途中で止めたり、何もしなければ良い結果は出てこず、悪い結果しか出ません。政治家や役人は、路線バスの重複路線の統廃合や地下鉄の運行本数を減らすことは改悪策だと勘違いしていますが、リストラやダウンサイジングは企業が生き残るための改善策なのです。京都市バスの中途半端な不完全民営化(民間バス会社への運行委託契約)こそが改悪策なのです。

 

経営状況の「見える化」サイトの説明に「市バス・地下鉄を次の世代に引き継ぐために、経営状況等の「見える化」を通じて、一人でも多くのお客様に市バス・地下鉄の厳しい現状を御理解いただき、御利用につなげてまいりたいと考えております。」という上から目線の表現(二重敬語)は大きな間違いです。お願い営業は、昭和時代の古い営業スタイルです。日本の役所の最大の欠点はプロセスを改善しない事です。「従来通り」では、今の時代には通用しないのです。それが身分職である役人には、全くわからないのです。職員も役所で働いていると、その事に全く気付かないのです。まして利権(献金)や組織票のために利害関係者の言い分しか聞く耳を持たない政治家も同じです。正しくは「市バス・地下鉄を次の世代に引き継ぐために、経営状況等の「見える化」を通じて一層のコスト削減と経営改善に邁進し、一人でも多くのお客様に市バス・地下鉄を快適に御利用いただけるよう職員一同、努力いたします。」これが提案型営業の正しい言葉遣いの説明文句です。日本の政治家や役人は、企業の顧客第一主義ではありませんが、市民第一主義、国民第一主義ではなく、国民を顧みず自分第一主義、カネ第一主義、出世第一主義だから日本がちっとも良くならないのです。日本社会では身分や権力を得ると別人になる人間がほとんどです。

 

※「おります」という言い方は政治家や役人がよく使う言葉で、上から下に向かって言う言葉使いです。「残念」を「遺憾」という言い方と同じで、彼らは気付いていませんが、市民からすると非常に癪に障る言い方です。社会的身分の違いだけで同じ人間であることを彼らは理解していないのです。身分は権力、庶民とは違うでは、何も良くなりません。

 

話は変わりますが、日本人がするスポーツ競技は、九割以上が欧米人が考え出したものです。日本人は、それを模倣しているだけなのです。日本人が考え出したスポーツは、相撲・柔道・剣道・空手・合気道弓道など武芸しかありません。いかに日本人が創造的な発想に弱いか、よくわかります。日本人はハードウェアには強いが、ソフトパワーがないのです。アニメや漫画があるではないかと言われそうですが、欧米にだって昔からあります。日本人は国際会議や世界イベントで見せ方が劣ります。欧米、特に米国人は見せ方が非常にうまいです。その最たる物が「映画」です。なぜ、世界中の人々が米国映画を好んで見るのか?それはそこに夢や希望があるからです。なぜ、ひとが山に登ろうとするのか?それは頂上で絶景が見られるという希望があるからです。なぜ、戦争するのか?それは資源や領土を奪えるという夢があるからです。夢、つまり目的のない戦争は誰もしません。そして、スポーツに夢中になると、その国は国力が衰退するのです。オリンピック発祥の地アテネギリシャがその例です。

 

京都市交通局の市バス・地下鉄 経営状況等の「見える化」の資料には、ひとつも夢や希望がありません。だからダメなのです。そんな資料を見ていても、少しも楽しくありません。楽しくなければ、売れない本と同じで誰も読みません。営業マンでも、よく売る営業マンと売れない営業マンの大きな差は、相手に物を売るのではなく「夢」を売るのがうまいかどうかなのです。これは営業だけに言える事ではなく、宗教も同じです。ある意味、詐欺も同じです。相手に「夢」を持たせれば、簡単に人を騙すこともできるのです。それは政治も同じです。いかに国民に「夢」や「希望」を持たせるような演説ができるかどうかなのです。田中角栄がそうでした。それで政治家は国民を騙して当選し政権につけるのです。その後、国民を無視して「政治の力」で自分が好き勝手できるのです。

 

国民に「夢」や「希望」が無くなって行くと、どうなるのか?まず少子化が始まります。そして、国の将来に「夢」や「希望」が無くなると、税金が上がり、金利が下がって行きます。国力が落ちると金利を上げることができなくなるのです。路線バスで言えば、乗客が減り運賃が上がって行きます。さらに運転手など従業員の給料が下がり、運転手が減り整備士も減って行きます。そして余ったバス車両が売られていくのです。現在の日本で起きている現象は、京都市交通局の「まぢピンチ」と同じです。大事な事は、生き残るためには改善策を考えないといけないわけです。日本国民の同意に由来しない自民党の「政治の力」の行使は、改善策でも何でもありません。戦後の日本をウソ(テレビ)によって改悪し続けているのです。

政治バス路線とは「政治の力」で路線バスの数を増やすことです。

このブログで「政治バス路線」という単語を使い出したのは、過去のブログで交通ジャーナリストの鈴木氏の記事(東洋経済オンライン版)を読んでからだと思います。「公営バスは公営企業であるがゆえに、公営だからと市民からの要望や議員・議会の意向によって路線やバス停が左右され、採算度外視の政治路線が優先される」と書かれていました。

ilnyc.hatenablog.jp

 

そして、京都市議会議員の井坂博文氏のサイトにある2020年3月4日の予算委員会議事録「ダイヤ改正に伴う問題噴出」に今回のテーマに関わる部分がありました。それは、社会福祉協議会社協)という単語です。

2020年3月4日(水)ダイヤ改正に伴う問題噴出…予算委員会 « 日本共産党京都市会議員 井坂博文

この社会福祉法人 全国社会福祉協議会社協)という団体の事は今までよく知りませんでした。ホームページを見ても、1908年に渋沢栄一が設立し、1951年に全日本民生委員連盟、同胞援護会と合併、1955年に 「社会福祉法人全国社会福祉協議会」に改称、ちなみに文鮮明統一教会を設立したのが1954年です。1987年には新霞が関ビル竣工とあります。社会福祉法に基づきすべての都道府県・市町村に設置されている非営利の民間組織で地域住民や社会福祉関係者の参加により、地域の福祉推進の中核としての役割を担い、さまざまな活動を行っていますと紹介されています。令和3年度の決算報告書を見ると、主な収入は会費と寄付そして事業収入(積立金の無利子貸付)で合計47億円ほどです。

社会福祉協議会とは|全国社会福祉協議会

 

しかし、こんな組織にも問題となっている宗教団体が入り込んでいたのです。下記の記事には「教団は全国の社会福祉協議会社協)にカネをバラまき、災害時には選挙活動と同様にボランティア要員を派遣していた。(中略)旧統一教会地方自治体に相次いで寄付を行っていたが、多額の寄付は全国の社協にも及んでいた。」と書かれています。これは昔から続いていたのです。注目すべきは、統一教会自治体にも寄付をしているのです。なぜ、統一教会社協に寄付していたのかです。そこには当然、目的があるわけです。おそらく「政治の力」を得るためです。官僚の天下り先、社協族議員もいることでしょう。もちろん、統一教会信者の公務員もいるでしょう。教師も含め京都市職員の中にも、どれほど多くの創価学会員がいるかわかりません。統一教会の政界進出と同じです。ちなみに「京都市バスの路線・ダイヤの在り方に関する検討委員会」 の委員に社会福祉法人 京都市社会福祉協議会の会長(産廃会社会長)が含まれています。何か闇がありそうな臭いがします。

www.nikkan-gendai.com

 

先般の京都市への多額の寄付、京都市はよく調査したのでしょうか?善意の寄付だから相手を調べず受け取るという時代ではありません。まず相手を疑ってかかるのが当然なのです。そのカネの出所はどこなのかが重要です。バカみたいに喜んでカネを受け取ると後悔する事になります。

www.sankei.com

 

話を戻し、京都市交通局の市バスの経路変更について、担当部長は社協から説明に来いと言われて説明会を行い、京都市交通局が自ら説明に行った先は金閣寺だけです。沿線住民への説明会はありません。これは明らかに民主主義に反します。政治バス路線と同じで「政治の力」で立命館大学に言われる通りに市バス増便を採算度外視で長年しているのです。そして、京都市政教一致により金閣寺から言われた通りに金閣寺前の道路に市バスが走らないようにしたのです。本当の民主主義社会であるならば、こんな事はしません。1車線の道路に路線バスを集中させて走らせれば、どうなるかぐらい誰でもわかります。民主主義社会ならば、路線バスのルートを分散させる事をまず考えます。特定の利害関係者や権力者の言う事をそのまま受け入れる政治は専制主義国家のやり方です。

ilnyc.hatenablog.jp

 

政治家と宗教団体の癒着、これは国会議員だけではなく、地方議員にも間違いなくあると思います。中国共産党さらに日本共産党立命館大学の関係。統一教会地方自治体や社協との関係。自民党の組織票宗教団体のひとつである統一教会(8万人)。統一教会だけでなく創価学会(860万世帯1000万人)も同じです。公明党の組織票宗教団体です。政教分離憲法に明記されているのに、それができない日本。そして、政教一致を肯定する「政治の力」。一体この国はどうなっているのでしょうか。法が「政治の力」で無視され、「政治の力」の前では警察も公安も裁判官ですら無力になるのです。本当に恐ろしい国です。三権分立ができていないのです。とても法治国家とは言えません。日本は奈良時代の中世のままなのです。

 

現在の中国では宗教が禁止されています。さらに中国の土地はすべて国の土地であり、一般人が土地の所有権を取得することはできません。そのため富裕層の中国人が日本の土地を買っています。日本は奈良時代から宗教も自由、個人が土地を所有することもできます。しかも、いまだに宗教と政治が一体化しています。どちらの国家が国民にとって幸福なのでしょうか?中国ならば、森友学園の問題も文化庁による統一教会の名称変更問題も起きないわけです。杜撰な民主主義の独裁政治ほど国民にとって恐いものはありません。誰かがくい止めないといけないのです。ヤリタイ放題政治は国を滅ぼします。それこそ放置国家です。

 

エムケイ株式会社の路線バス参入を阻止した京都市長は独禁法違反ではなかったのか?

ツイッター京都市バスの情報収集をしていると、色が変わった市バスらしき写真を見つけました。そこには「ケイルック K-LOOP 京都の観光循環バス」と書かれています。

京都の観光名所をダイレクトにつなぐ観光ループバスK'LOOP

京都の送迎バス事業など - K.LOOK 株式会社ケイルック

そう言えば、20年程前にMKタクシーが市バス事業に参入する際、京都市長がそれに対して拒否発言した事により、MKが路線バス事業に参入できなくなり、その代わりに京都市バスの運行委託先になってしまうということがありました。しかし、今よく考えて見ると、これは京都市バス独占禁止法違反ではないのかという疑問が生じます。この事について、2014年に「はてなブログ」で記事を書いている人がいました。

 

より古い資料ですが、2006年に「規制緩和に伴う新規参入事業者と公営バ ス事業者の対応 京都市を事例として」という論文を当時の立命館大学院生が書いています。この論文には、路線バスによる環境破壊問題(騒音・振動・排気ガス公害)が一切触れられていない点が物足りません。やはり、昔から立命館の経営方針が学生にも染みついているようです。京都市のやり方とよく似ています。立命館に市バスを増便せるためのロビー活動の一環です。

 

規制緩和に伴う新規参入事業者と公営バス事業者の対応-京都市を事例として

 

本ブログでも、昨年の3月に路線バスの独占禁止法について書いていますが、前出の論文やブログ記事は時間の経過に伴い、路線バス事業者間での重複区間のダイヤや本数などの調整行為が2020年5月に独占禁止法の対象外となるよう特例法で政府で可決され、11月には施行されています。いわゆる、共同運行というものです。しかし、後になって「独占禁止法の対象外」となるよう特例法で可決されたという事は、当時は独禁法違反だったという事です。

 

国土交通省は、路線バス会社同士が同じ路線を競うように運行することを推奨していた。 - 人生、あせらず楽しもう!

 

MKタクシーが市バス事業に参入しようとした当時、下記の国土交通省の資料(8枚目)を見てもわかるように、明らかに京都市長が市バスよりたった20円安い運賃で京都市内のドル箱路線である大通りの循環経路にMKが路線バス事業を展開しようとしたのを阻止したことは、独占禁止法に抵触すると思われます。

 

乗合バス等地域交通における競争政策のあり方について
国土交通省総合政策局公共交通政策部(平成30年12月19日)

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/miraitoshikaigi/chihoushisaku/dai1/siryou5.pdf

 

事の始まりから終わりまでを「エムケイタクシー路線バス参入問題」というブログでは詳しく書かれています。この中で気になったのが「京都市長の諮問機関『京都のバス事業を考える会』の最終答申に基づき、(中略)MKが循環路線バス事業計画は取り下げました。」と書かれています。この京都市長のやり方は、今と同じで市バスや地下鉄の経営方針を決める「京都市交通局 市バス・地下鉄事業経営ビジョン検討委員会」などとそっくりなのです。つまり、委員会と称して実はステイクホルダー(利害関係者)の集まりです。京都市長の言いなりになる人間ばかりを集めて、さも当然のように反対意見や議案を却下させる方法です。形式的な議論だけで結論は最初から決まっているわけです。批判を排除する独裁者がよく使う手です。

 

おそらくMKの循環路線バス事業計画を阻止する交換条件として、京都市はMKが用意していた大型バスの処理方法などでMKが損しないような美味しい話をチラつかせたのは間違いないでしょう。独禁法違反だけではなく、規制緩和と逆行するような事を当時の京都市長は実行していたのです。なぜ、そのような事をしたのか?それは、京都市バスの民間委託契約を優先させるためです。

 

以前のブログで書いていますが、京都市バスの民間委託契約は人件費のピンハネ工作です。だから、そのあと民間バス会社(京阪バス)の契約撤回が続出したのです当時の立命館大学院生が書いた論文では、「コンテスタブル市場」という言葉を使っています。つまり、保護主義的産業規制により新規市場参入を困難にして価格協定(カルテル)等の不完全競争手段により寡占企業が利益を享受することです。現在の京都市がしている事は何ら変わっていません。京都市内では、市バスの民間委託契約(共同運行)によって運賃が統制されているのです。そして何より京都市交通局が所有する市バス車両を使用する事が大前提(条件)なのです。なぜ、京都市(交通局)が市バス車両の所有に固執するのかは、後々のブログで書く日が来るでしょう。

 

株式会社ケイルックの京都観光ループバス「K'LOOP(ケーループ)」が、なぜ認可されたのか?市バスの運賃の二倍ほどする割高(500円)の路線バスではない観光バス扱いのため、市バスと競合しないと判断されたのでしょう。現在は休止している市バスの100番台の「洛バス」と同じルートでも、京都市交通局は市バスの方に観光客や市民は乗ると高を括っているのでしょう。これが保護主義的産業規制の発想です。しかし「ウサギとカメ」という寓話ではありませんが、京都市交通局にとって油断大敵です。なぜなら、株式会社ケイルックの財務状況と、破綻寸前の京都市京都市交通局では、経営状況が明らかに異なります。役所の代表的な考え方である「カネに困った時には御上に頼む」で税金の無駄遣いが無くなりません。税金の垂れ流しです。公営企業だから、独立した会社だと言い張っている人には真実はわかりません。その証拠に組織名が「〇〇局」となっています。いまだに郵便局と言っている人と変わりません。あれは日本郵政という民間企業です。

 

京都市交通局の「まぢピンチ」という漫画で若者に経営不振を訴えるような事しかできない役所と、切磋琢磨と創意工夫する民間バス会社では規模の違いはあるとは言え、企業としての将来性が違うのです。「コロナの影響で駅ナカの売上や広告料収入が落ち込んでいる!原油高で燃料代が増えて収入が落ち込んでいる!」とアニメで叫んでも、何の解決にもなりません。そういう状況であるならば、市バスの路線数を減らしたり、地下鉄の本数を減らしたり、あらゆるコストダウンの手を尽くせばいいのです。

 

「悩むより考える」という習慣が、残念ながら日本の役所にはないようです。税金を御上にせびるしか役人に能はないのです。特に京都市にはありません。じっとしていても、空からカネが降ってくるような環境にいる限り企業再生は無理でしょう。予算が足りないと、すぐに地方債や企業債さらに交付金補助金に頼ろうとする体質では財政再建なんてできません。京都市は、まるで貴族のような議員や身分職の役人が自ら身を削るような事をする自治体ではありません。しかし、時代という環境が変わっていきます。環境に適合できない動物は死んでいくわけです。京都市も同じです。

 

京都市は、政教分離していない地方自治体。

日本国憲法 第二十条

①信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

 

日本国憲法 第八十九条
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

 

日本では、憲法に書かれていても、政治が宗教を利用し、宗教が政治を利用しています。これは漫画好きの稚拙な京都市交通局にも言えることです。金閣寺前の市バス経路変更は政教分離ができていないから起きた事なのです。

金閣寺前を通る京都市バスを廃止した本当の理由は?これかもしれない。2 - 人生、あせらず楽しもう!

 

何気なく、さも当然のような事が実は憲法に違反しているのです。

www.asahi.com

mainichi.jp

政教分離とは、国家と宗教を切り離して考えるべきであるとする原則です。過去にも最高裁で色々な判決が下されていますが、その時々によって明確な基準がありません三重県津市で市体育館の起工式を神社の地鎮祭で行い、市長が神職への謝礼、供物代金等の費用を市の公金より支出しました。津市の市議会議員が憲法第20条と第89条違反であるとして、市長に対して損害補填を求める訴訟を起こしましたが、「宗教的活動」にはあたらないとして認められませんでした。しかし、これは立派な宗教的活動です。

 

京都仏教会の「宗教と政治検討委員会」の洗建氏は、自公連立と政教分離というテーマで次のように述べています。最高裁政教分離の原則とは「国家の宗教的中立性の原則、ないし国家の非宗教性の原則である」、そのため宗教団体の政治活動には言及していない。政教分離とは国家と宗教の分離なのであり、決して政治と宗教の分離ではないことを心に留めておかなければならないと述べています。要するに、創価学会が支持母体である公明党は問題ではない。韓国発祥(文鮮明北朝鮮出身)の統一教会(現在:世界平和統一家庭連合)と親密な関係の政治家も問題ではないということになります。もちろん、京都市長祇園祭参加もです。しかし、この概念が原因で様々な事件事故が起き、被害が発生しています。またテロが起ころうとしています。日本の場合、国家とは何を指すのか?天皇でしょうか。政治は国家の一部ではないのでしょうか?こんなおかしな事が長年何も問題視されない国なのです。警察も公安も最高裁判所ですら、どこも政教一致を取り締まらない。取り締まれない。日本とは、そういう国だからなのでしょうか?

 

京都市は観光都市という大義名分で神社仏閣から税金と取らずに祭りなどの行事に市長が積極的に参加していますが、明らかに宗教的な活動に参加しているのです。仮に議員バッジを付けず着物を着て個人として参加していると主張しても、市長は公人なのです。憲法第二十条に書かれている国及びその機関とは、もちろん議員も地方自治体の公務員も含まれます。しかし、その判断を日本の裁判所に委ねても、間違いなく「宗教的活動」にはあたらないと判決が出るのです。市長が自信をもって着物を着て長年参加している理由がそこにあるわけです。京都の祭り(祇園祭、五山送り火葵祭時代祭)は天皇の行事に関係しているわけではありません。明らかに神社や寺の行事です。それに市長が参加する事は、立派な宗教的活動です。信教の自由はあくまでも個人(私人)であり、国及びその機関(公人)が参加する事は憲法違反です。京都市も「村社会」から抜け出せない村人なのです。

 

数年前に台風21号で京都市内の神社の拝殿が倒壊しましたが、その修復費用に政府が一億数千万円の補助金を出しています。これも一見問題ないように思えますが、明らかに憲法違反なのです。日本国憲法 第89条に「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」とあります。しかし、大阪高等裁判所の判決では「文化財保護法80条による史蹟名勝天然記念物の現状変更の制限につき損失補償に関する規定を欠くことをもつて、直ちに同条が憲法29条3項に違反するとはいえない」とあります。これも実は明らかに憲法違反なのです。文化財保護法で類推解釈しているだけなのです。

 

何度も言いますが、日本では憲法に書かれていても、政治が宗教を利用し、宗教が政治を利用する現実が何の問題もなく、そこら中で行われているのです。なぜ、日本国憲法にこの条文があるのか、それは現在の日本の姿である政教一致を防止するために当時のGHQ(連合国総司令部=米国)が条文に入れたのです。米国は日本がこうなる事を予測していたのです。しかし、その効果は皆無に等しい状態です。そして、この政教一致京都市の古都税問題にも、つながっているのです。なぜ、政治と宗教が一緒になると悪いのか?それは人間の歴史、国家の歴史を見ればよくわかります。つまり、独裁政治と独裁者が登場するからです。なぜ独裁が悪いのか?それは権力者(独裁者)が市民と法律を無視して好き勝手にヤリタイ放題できるからです。最終的に独裁者は戦争を引き起こします。

 

是非、皆さん、自由民主党憲法改正草案をお読みください。憲法二十条を部分削除しようとしているのです。政教分離の条文を消したいわけです。自分達の都合がいいように憲法まで政治の力で変えるのです。政治の力で内閣人事局によって裁判官も含め官僚人事を掌握し、放送法によってメディアをコントロールする自民党です。

constitution.jimin.jp

日本国民のほとんどがずっと知らずにいましたが、自公連立というのは、自民党統一教会が支持母体の宗教政党だったのです。だから自民党公明党が一緒になっているのです。政教一致の政党同志が手を組んでいるということです。昔、統一教会と深い関係がある会社(株式会社ワコム:上場企業)が取引先にありました。その社員から聞いた話では、毎月の給料から二三万円を献金(寄付)として天引きされているというのです。日本人が汗水流して働いたお金を韓国の宗教団体に吸い上げられ、その先は北朝鮮にカネが流れ、ミサイルの資金になっている。本当に恐ろしい事です。戦後、日本は他国の宗教団体によって目に見えないように侵略されているのです。日本は、何ておとなしい国なんでしょうか。お人好しにも程があります。

 

この会社以外にも、下鴨神社の近くにあった京都プリンスホテル統一教会関連企業でした。学生時代にバイトしていた人間が社員に統一教会に入るよう勧誘されたらしいです。政治家だけでなく、統一教会の信者が経営している企業は今も日本にいくらでもあります。もちろんメディアや芸能界にも浸透しています。統一教会の信者は禁酒禁煙です。昔、この取引先のクルマに乗ってタバコを吸おうとした時、「タバコは吸わないで下さい」と言われた事をいまだに鮮明に覚えています。信者は宗教に騙されている事にまったく気付かないわけです。

 

さらに、旧統一教会被害対策本部の元参議院議員で京都周山出身の両親が日本共産党員の立命館大卒である有田芳生氏によれば、1986年の中曾根政権時代に、統一教会は後任総理のために女性信者向けに京都市右京区の嵐山にある嵯峨亭を買収し公設秘書研修所を作り、無償で働く美人私設秘書の講座を開催していたのです。おそらく、京都の自民党議員にも統一教会の美人秘書を使っていた議員がいたのではないのでしょうか。京都市議会議員の中にも統一教会の力で当選した人間がいるでしょう。分析すればすぐわかります。なぜ?警察も公安も、どこも統一教会を取り締まれないのでしょうか?有田氏が警視庁幹部から直接言われたその答えは「政治の力だった」という事です。つまり、政治的圧力です。司法が手も足も出せないのです。既に戦後から日本は国家としては終わっていたのです。とても民主主義政治とは思えません。朝鮮半島由来の宗教の力で選挙を制していたのです。奈良時代からちっとも変わらない日本です。律令制度による専制政治なのです。

 

京都市交通局の「まぢピンチ」という経営状況「見える化」策を見て思う。1

アニメ好きの幼稚臭い京都市交通局が「まぢピンチ」というイラスト付きの市バス地下鉄の経営レポートという独自サイトを作ったようですが、Webサイトは職員が作ったものではないことは明らかです。Webデザイナーによる制作で、おそらく競争入札ではなく随意契約でしょう。これについては説明されていません。イラストの作成については、幼稚臭い京都市会議員までがソーシャルメディアに反応して交通局に問い合わせていますが、確たる証拠(実名非公開)もなく、宗教団体に力を借りる政治家と平気で嘘をつく役所の言う事など最初から全く信用していません。市の入札に議員が関わっている話はよくあることです。イラストよりも経営レポートの中身の方が肝心です。昔、京都に本社がある大手サラ金会社のアイフルがチワワのCMで若年の圧倒的な認知度を稼ぐ手法を使っていましたが、京都市交通局のアニメ広報活動はそれと同じです。路線バス会社が、なぜアニメに頼らないといけないのか?京都市はいつも市民を無視したズレた事をします。若者を味方につけて大衆迎合する事が役所の仕事とは、とても思えません。本当に京都市、日本は幼稚臭いです。だから落ちぶれて行くのです。

 

さて、経営レポート自体には目を引くような新しいものは何もなく、相変わらずの破綻寸前の経営健全化団体(民事再生)になった公営企業(役所)です。むしろ見栄えをよくするために京都市交通局にとって都合がいい数字だけしか出していません。それが逆に墓穴を掘っていることに京都市交通局は気付いていないのです。

 

京都市交通局:トップページ

京都市交通局│見える化

 

それでは、経営レポートの中身を分析したいと思います。資料をブログに直接貼り付けことは避けたいと思います。なぜなら、資料の下に「Copyright (C) 2022 京都市交通局 All Rights Reserved.」と書かれていますので、無断で転載する事は禁止されています。サイトのトップ画面には、5つの項目別に「1日当たりのお客様数(令和元年度と令和3年度の比較)」、経営状況として「これまでの経営健全化の取組とその成果」「運賃収入の速報値」「経営評価」、そして「市バス・地下鉄 経営状況等の「見える化」について 持続可能な事業運営を目指して」という説明があります。正直なところ、すべての数字はこれまでの京都市交通局のサイトで公開されていた資料の抜粋です。それをグラフや作表にして見やすくしただけです。問題は、京都市交通局にとって都合が悪い事は一切無視していることです。そこのところを突いていきたいと思います。

 

まず、「1日当たりのお客様数」でコロナ禍前の令和元年度と令和3年度の比較を棒グラフにしていますが、もっと昔の数字がありません。過去のブログでも指摘していましたが、京都市営地下鉄の利用客は当初の見込みを達成したことは一度もありません。地下鉄だけでなく、京都市バス乗客数も昭和55年度が59.8万人、年々減少して観光客が多かった令和元年のピーク時でも35.7万人です。令和元年の市バス乗客数は昭和55年と比較すると、24.1万人も減っているのです。新型コロナウイルス感染症の影響により,市バス・地下鉄合計1日19.5万人が減少し,厳しい経営状況にあります。」と説明されていますが、これはコロナ禍のせいだけではないのです。こんなウソを平気でつく役所です。正直、おそろしいです。

 

次に、経営状況の「これまでの経営健全化の取組とその成果」で地下鉄事業の中に高金利企業債借換えによる利息軽減が127億円とあります。京都市交通局の有利子負債総額は、なんと3750億円です。しかも、地下鉄の累積資金不足は令和34年度には最大1406億円、今現在も毎年1000億円の資金不足です。令和3年12月の京都市交通局市バス・地下鉄事業経営ビジョン検討委員会の答申(案)資料2 を見ると、なんと令和70年以降も地下鉄事業の累積資金不足はゼロにはならないのです。

 

京都市:第4回「京都市交通局市バス・地下鉄事業経営ビジョン検討委員会」について

 

「交通局では,厳しい経営状況を改善するため,これまでにも様々な経営健全化策に取り組んできました。」とありますが、結果は何も変わらず、むしろ悪化しているのです。取り組み方が間違っているのです。地下鉄事業部門は、二度目の経営健全化団体になっています。市バス事業も累積資金不足は右肩上がりです。令和4年度の資金不足額が57億円(予測値)、それが令和20年度には590億円の資金不足(車両更新費用)に膨れ上がるのです。市バス事業も経営健全化団体は確実です。運転手の給与削減や運行業務の民間委託では、屁のツッパリにもならないのです。「新給料表の導入(バス運転士 平成11年度 9,260千円→ 令和2年度 5,596千円 ※民間バス会社の運転手の平均給与費5,576千円とありますが、これは大手で中小では年収460万円です)」や「交通局独自の給与カット(平成12年~平成23年度に最大7%の給与カット)」なんて微々たるものです。今までの運転手(公務員)厚遇が資金不足をさらに増やしていたのです。大赤字でも、おそらく間違いなく今年も夏のボーナスが出ています。民間企業なら出ません。なぜ、公務員の市バス運転手がそんなに高給だったのかは、あえてここでは書きません。ここで書かなくても、京都市民はその理由を知っている人が多いはずです。


さらに恐ろしいのは、経営状況の「これまでの経営健全化の取組とその成果」で市バス事業の中に、バス車両更新期間の見直しを14年から18年に伸ばしているのです。市バスの路線を増やし過ぎたため、820台以上のうち今後更新車両が500台以上あり、その資金を削減すべくこんな事を実行した結果、エンジン音がうるさい古い車両が増え、京都市北区の蘆山寺通は騒音公害になっています。しかも市バスの経路変更と立命館大学への増便で、それこそ爆音状態で市バスが何台も走り去っていきます。暴走族となんらかわりません。暴走族以上だと思います。夜なんてうるさくて眠れません。住環境破壊を公営企業である役所がしているのです。信じられない事をします。そして、古い市バス車両は炎上する可能性もあるわけです。国土交通省が古い大型バスほど炎上(火災)しやすいと言っています。

 

かなり以前のブログで、京都市交通局の経営資料の作り方はヘタクソだと書いていましたが、それならプロに作ってもらった方がいいと書きました。この経営レポートの独自サイトを見た時、それを実行したのかなと思いました。しかも、ゆるキャラ付きで何も知らない若者を騙して味方に付けようとする根端が丸見えです。市バスの車内がプラネタリウムのような「七夕バス」の運行など、こんな事して遊んでいるバス運営会社など世界広しといえども京都市交通局ぐらいだけでしょう。ほんとうに無駄なことをします。本来の旅客運送業務に集中するべきです。

 

まだまだ突っ込みどころがたくさんありますが、すべて書いているとブログが長過ぎて飽きられます。最後にひとつ、市バス運行業務等の民間委託(管理の受委託)の推進で「平成12年に全国公営バスで初めて実施し,平成19年に事業規模の2分の1まで委託化→ 平成12年~平均 約13億円/年の経常支出削減」とあります。これもブログを読んでいただいている方はご存じだと思いますが、その後に運行委託契約(バス運転手の人材派遣)の撤回が増えて市バスの直営化戻しで、公務員の運転手を100人以上も新規採用しているのです。この事にまったく触れていません。本当に汚い役所です。事実を隠して市民を騙すことに罪悪感がないのです。詐欺師と同じです。行く末は、市バス完全民営化(株式会社化)と地下鉄売却しか道は残されていないでしょう。つまり、持続不可能な京都市交通局の解散です。

 

これからの日本にはダウンサイジングが必要不可欠です。自民党が掲げる成長や回復が持続可能な社会に必ず必要なものではなく、むしろ整理と整頓が必要なのです。日本政府の御家芸である「先延ばし」が持続不可能な国になる一番の原因です。そして、政治家の間違った「決断と実行」は国民を不幸にします。世界は知っています、知らないのはテレビで洗脳されている日本人だけです。日本人の最大の欠点は、もの忘れが激しい事です。だから同じ失敗を何度も繰り返すのです。村社会では、事なかれ主義が原則のようです。真実を言うと村八分にされる社会です。

 

京都市バスの信号無視が多いのに京都府警が検挙しない理由は、

過去のブログ記事で一番よく読まれているのが、「市バス止めたらあかんで!」と運転手がマイクで言い放った事を書いた文章です。

なぜ、京都市バスは乗客数が増加しているのに、経常損益が赤字になるのか?1 - 人生、あせらず楽しもう!

そして、先日ネットニュースで出ていたのが、名古屋市の市バスが信号無視で警察に検挙された記事です。しかし、京都市バスも信号無視が多い事で有名ですが、なぜ京都府警は検挙しないのでしょうか?

 

一般車両の速度超過や一時不停止などの違反を道路で隠れるようにして警察官が見張っていますが、路線バスが捕まっているのを見た事がありません。それには理由があるのです。決して京都市バス車両を運転する西日本JRバスの運転手が安全運転しているからではありません。それとも、中京警察署(元京都市交通局の建物&敷地)の横にある京都市バスの壬生操車場(京都交通労働組合:市バス運転手の労働組合)、警察が事前にバス運転手に交通取締り情報を流すぐらい隣同士の仲が良いからでしょうか?さらに政治家や権力者が絡むと政治の力で警察は手も足も出せないからでしょうか。

その理由とは、路線バスを警察が検挙すると運行ダイヤに乱れが発生し乗客の迷惑になるからです。それにより損害賠償を請求されるかもしれない恐れがあるからです。しかし、警察が路線バスを取り締まらなくなると、どうなるのか?その答えは、今の京都市バスの運行態度が物語っています。つまり、警察に検挙されないため、図に乗った無謀な運転をする運転手が蔓延するのです。市バスの運転手が警察をなめているという事です。

 

組織とは人です。組織が乱れていると、そこで働く従業員も乱れるのです。その逆もまた真なりです。この記事は先日の日本郵政の情けない社員の事件ですが、明らかに組織が腐敗している現象のひとつです。京都市に不祥事が多いことでもよくわかります。

なぜ、組織が腐敗するのか、それは人です。その悪い典型例がヤクザ、暴力団です。人には持って生まれた性格というものがあります。考え方は環境によって変わります。日本の民間企業だけでなく役所にも言えますが、職員や社員が腐敗する典型的なパターンは、社長も含め役員など上層部に起因しているのです。最近よく耳にするブラック企業、間違いなくトップが悪いのです。重力がある世界では、物事は水のように上流から下流に流れます。首長や社長などのトップによって、組織は大きく変わります。もちろん、自治体も国家もです。トップの性格が悪い組織には、性格の良い人間は去って行き、結果的に悪い性格の人間しか残らない組織になるのです。なぜなら、指揮命令系統はトップダウンだからです。ボトムアップというのは業務改善だけであって、社風と呼ばれる組織の雰囲気はトップが作り出しているのです。雰囲気が悪い会社には良い人間はいません。仮にいたとしても、いずれ去って行きます。当然です、人生の価値観が違うからです。もしくは、良い人間が悪くなってしまいます。物事の考え方が変わってしまうのです。残ったのは悪い人間ばかりの組織です。これが人間社会の鉄則です。組織として、悪い人間を少しでも良くするには「教育」するしかないのです。それでもダメなら、解雇するしかありません。

 

話を元に戻し、警察が路線バスを取り締まらなくなると、最終的に交通事故が増えて行きます。これは路線バス会社が当事者となる事故だけでなく、間接的に路線バスが増加することによる誘発事故が増えるのです。その典型的な例が「蘆山寺通」の路線バス過剰運行です。市バスが金閣寺前の「木辻通」から「蘆山寺通」に経路変更され、さらに立命館大学への増便により「蘆山寺通」が市バスの過剰運行で非常に危ない道路になってしまったのです。ここ二年で交通事故が七件発生、そのうち路線バスが当事者になった事故が二件です。交通事故の危険性だけでなく、路線バスによる騒音・振動・排気ガスなどの住環境破壊も起きています。しかし、京都府警は路線バスの事故が増えていても、何ひとつ「蘆山寺通」の問題には介入しようとはしません。たとえ、京都市交通局の「市バス・地下鉄事業経営ビジョン委員会」 や京都市の「産業交通水道委員会」のメンバーに京都府警の幹部が入っていても同じです。これは冒頭に書いた通りの理由です。警察は民事介入することによる損害賠償請求を恐れているのです。警察は犯罪の検挙(逮捕)はしますが、公共交通機関には指導(行政)はしないのです。それをするのは国土交通省の仕事です。つまり、警察は犯人を捕まえるだけで、行政指導をするのは役所の仕事なのです。この国の古くからの特徴です。警察官というのは、もともと明治維新以降に地位がなくなった武士がなる職業です。

 

京都府警は、市バスに頼った公共交通網しかない京都市の路線バス運行ダイヤを阻害するような事は一切関与しません。だから市バスが信号無視や速度超過、警音器使用制限違反などの交通違反をしていても、警察官は見て見ぬふりです。いくら市民が目を光らさせて苦情を言っても何も変わらないのです。その結果、何が起きるのでしょうか、このブログで書いていることの堂堂巡りです。何も改善されない京都市です。日本は本当に法治国家の民主主義社会なのでしょうか。権力者が警察、つまり司法ですら好き勝手にコントロールできる社会、とても民主主義国家とは思えません。恐ろしい村社会です。

 

金閣寺前を通る京都市バスを廃止した本当の理由は?これかもしれない。2

このブログで色々な角度から、金閣寺前の「木辻通」に路線バスである京都市バスや西日本JRバス、さらに立命館大学シャトルバス、そして観光バスが走らなくなった本当の理由を分析していますが、これまでに掲載した100を超えるブログを改め読むと、金閣寺の高僧である有馬頼底という存在が気になるのです。下記の記事を読むと、正直なところ尋常ではない人物です。※この記事は必ず読んでください。

facta.co.jp

 

さらにツイッターで「有馬頼底」という検索をすると、思わぬツイートがいくつもありました。そして、ウィキペディアにも出身や経歴が細かく書かれています。正直なところ、門川市長や日本共産党志位和夫穀田恵二)も、有馬頼底には頭が上がらない事がよくわかります。権威に近い権力者です。政治が宗教を利用するのではなく、宗教が政治を利用しているのです。まるで創価学会のようにです。京都市議会で日本共産党が強いのも、京都仏教会との関係があるのでしょう。つまり、金閣寺の高僧が京都市長に「木辻通」に路線バスを通らないようにしてくれと頼めば、京都市交通局がいとも簡単に市バスを「蘆山寺通」に経路変更するのは当然です。いわゆる、ディープステイト(闇の政府)と同じです。京都には、表の世界からは見えない裏の世界があるようです。ヤクザな世界です。以下のブログで書いていました。京都市交通局が市バス経路変更の事前説明に行った先である「金閣の会長」とは、実は京都仏教会の会長である有馬頼底の事だったのです。

 

京都市バスの経路変更で、京都市交通局がわざわざ事前説明に行った先は誰なのか? - 人生、あせらず楽しもう!

京都市バスの経路変更で、京都市交通局がわざわざ事前説明に行った先は誰なのか?2 - 人生、あせらず楽しもう!

なぜ、京都市バスが金閣寺前を通らなくなったのか?2 - 人生、あせらず楽しもう!

 

話は変わりますが、こんなブログ記事を発見しました。立命館大学創始者とされる西園寺公望(先祖は藤原家)とは、ずいぶんイメージが異なるリアルな話です。こちらの方が納得させられる地名の由来です。立命館大学がある衣笠山周辺の小山には、天皇の火葬地(天皇陵)が多くあります。なぜ?衣笠山だけに天皇陵がないのか、以前から不思議に思っていました。このブログ記事を読んで、実は「衣笠」「千本」という地名は平安時代の庶民の風葬地帯だったのです。昔、原谷に行く途中に火葬場(現在は公園)があったことも理解できます。そのため古い人は原谷の事を「蓮華谷」といいます。市バスのM1号系統が走っているルートです。

 

百人一首に出てくる「衣笠山」とは、山に雪が降り積もったように見せるために白い絹(衣)を傘(笠)のように山にかけたというのは作り話で、実際には風葬で死体に衣をかけたという事に由来した地名なのです。山にではなく、死体に「衣」をかけたのです。百人一首は、鎌倉時代初期に藤原定家が京都小倉山(嵯峨野)の山荘で書いた色紙和歌に基づくものです。つまり、「衣笠」が平安時代風葬地帯であった事を藤原定家がカモフラージュしたのです。「千本」についても同じで、木が道沿いに1000本あった大通りではなく、墓のまわりにある卒塔婆(墓石の後ろにある細長い板)が至る所にあったからだそうです。広沢池の周辺も、応仁の乱の時に数万人の死体を埋めた場所です。だから、いまだにタンボや畑が広がり、土が肥えているのです。そして、衣笠や原谷は風葬地だったので土地の値段が安かったわけです。だから、立命館が衣笠に大学を移転したのでしょう。西園寺家と衣笠(金閣寺ではなく)というのは後付けの由来話なのです。

blog.kanko.jp

blog.kanko.jp

 

京都市交通局が市バス混雑緩和のために金閣寺前の「木辻通」から「蘆山寺通」へ市バスを経路変更したという作り話(口実)は、実は裏で金閣寺から京都市への申出による結果なのです。京都市立芸術大学移転整備工事での門川市長の動きと同様、この金閣寺の動きにも権力者同士のヤリトリがあるわけです。「きぬかけの路」を石畳にした事も同じ、表向きは観光客を歩かせるため、実は京都仏教会から言われたからです。なぜなら「市バスの経路変更」と「観光客を歩かせるための石畳歩道」は全く逆の施策だからです。観光客が歩けば市バスに乗らなくなる、つまり運賃収入が減るという事です。市バスの売上を増やそうとして、学生数が減少している立命館大学行きの路線を増やしているのと同じなのです。その結果が赤字運行です。腑に落ちないことが京都市交通局京都市には非常に多いです。闇の権力(ディープキョウト)が強いのでしょう。市民には決してわからないように密かに予算が赤字でも平気で実行される。まるで作られた昔話のように。それが京都市の行政です。その証拠に豪華な茶室や漆塗りのエレベーターが市役所にあるでしょ。権力の象徴です。

 

問題は、なぜ有馬頼底が金閣寺前の道路から市バスを排除したのかという事です。60年近くも「木辻通」に路線バスが運行していたのに、なぜ突然取り止めたのか。古都税復活話と関係するのでしょうか。それとも、何かの大規模な工事を金閣寺がするのに市バスの往来が邪魔になるからでしょうか?そう言えば、数年前に金閣寺の大駐車場の北側の山の斜面の木を伐採し歩道を作っていました。何かを企んでいるのでしょう。ちなみに西園寺(藤原家)から足利義満日明貿易で儲けたカネで買ったのが今の金閣寺鹿苑寺)です。立命館金閣寺と昔から繋がっているわけです。西園寺記念館を立命館大学の敷地内ではなく、金閣寺の西側に建てたのが動かぬ証拠です。

 

 

敬老乗車証負担金と京都市バスの将来、

本日の読売新聞オンラインに敬老パスの廃止・見直しについての記事が出ていました。これは以前からの関心事項のひとつです。このブログで何度も記事にしていますが、高齢者がバスや電車に割安で乗れる敬老パスは、「敬老乗車証負担金」という補助金が各自治体から交通機関に投入されています。

www.yomiuri.co.jp

京都市交通局の場合、毎年45億3600万円以上ものお金が一般会計の予算に組み込まれています。コロナ禍前の平成30年度の市バス総運送収益217億円に対して経常支出198億円、差引き19億円の経常黒字です。しかし、売上の中身を分解して見ると、13億円も広告収入などがあり、さらに「敬老乗車証負担金」が売上の中に入っています。つまり、負担金がなければ、京都市交通局の市バス部門は毎年大赤字状態が続いているという事です。

 

産経新聞など新聞各社は、昨年に京都市の財政難で敬老乗車証を75歳に段階的に引き上げるという記事がありました。そこには「同制度は昭和48年に創設。当時は対象者が約7万人だったが、社会の高齢化に伴い対象者は年々増加し、当初3億円だった市の負担額は17倍の52億円にのぼっている。」と書かれています。毎年、京都市は敬老乗車証負担金を増やしているのです。同時に市バスの売上も伸びているわけです。しかし、その金額が49年間で17倍になるという凄まじい増え方です。ここが疑わしい点です。高齢者の数が50年前に比べて20倍近く増えているのでしょうか?利用者数も同じように17倍に増えているのでしょうか?京都市の場合、本来の敬老パス負担金ではなく、地下鉄や市バスの赤字補填金ではないのでしょうか。

www.sankei.com

つまり、敬老パスを利用する高齢者が増えているから、敬老乗車証負担金も増えているというのが正論なのか、敬老乗車証負担金を増やしているから市バスの売上が伸びているという論点があります。三年前の朝日新聞デジタルの記事には次のように書かれています。「横浜市では利用者1人あたりの月間のバス乗車回数を15回と想定し、市がバス事業者に助成金を払っている。ところが、市が利用者から回答を得たアンケートによると、乗車回数は月25回。バス事業者が乗車実績に見合う助成金を受け取っていない状況が浮き彫りになった。」とあります。

www.asahi.com

朝日新聞に書かれているような、交通機関が敬老乗車証負担金の金額が少ないと悲鳴をあげるような書き方をした記事は京都市交通局にはありません。むしろ、財政難で利用者の年齢を上げ所得制限などで市の負担率を減らし、「市は23年度からは敬老乗車証制度の見直しにより、事業費は52億円から32年度に25億円に減る見通しだ。」と書かれています。京都市の場合、敬老パスの実際の利用率ではなく、京都市交通局への予算割当てなのです。これまでの公式資料を見ると、京都市民の市バスの利用者数は極端には伸びていません。むしろ横ばいで減少傾向です。観光客が増えただけなのです。にも拘らず、敬老乗車証負担金が毎年増え、49年前の17倍になるというのは不思議な事です。

www.nikkei.com

財政難で京都市の敬老乗車証負担金が減らされることにより、10年後の京都市交通局の売上金額は27億円減る事になります。コロナ禍前の平成30年度の数字から推測すると、おそらく経常黒字はゼロもしくはマイナスになります。京都市京都市交通局自体の存続を諦めることになるでしょう。つまり、京都市内は民間バス会社の路線バスだけになるということです。民間バス会社のバス車両が少ないという理由で市バスの運行委託契約が今もなお存続されていますが、これこそが税金の無駄遣いなのです。そして、何より京都市にしろ交通局にしろ、赤字運行についての認識が非常に甘いということです。企業で赤字経営を続けるという事は倒産を意味するのです。

 

長年、赤字経営京都市交通局は、地下鉄事業を私鉄各社に売却し、市バス事業を株式会社化することにより、市バスの過剰運行と重複路線の統廃合を実現することができます。なぜなら、赤字運行は株式会社ではできないからです。京都市も長年の財政難を克服できます。歓迎すべき事です。これが資本主義社会での民主主義政治です。京都市は官僚制社会主義政治から一日も早く卒業するべきです。京都市交通局は、米国の巨大金融機関のように「大きすぎて潰せない」というわけではありません。京都市は、尻に火がついているのに市長も含め市議会議員が身を削る覚悟がないからです。地方自治体が交付金に頼り切った行政をしている限り、借金は減らずに増え続け、最後は破綻するのです。日本をダメにしたのは、日本の政治(政治家)が悪いから。そして、官僚(役人)が悪いから。これは京都も同じです。

京都市営地下鉄が経営健全化団体になる原因は、東西線の利用率が低いから。

いつものようにネットで何かを調べる場合には、検索単語(キーワード)が重要です。今回は「京都市営地下鉄 東西線延伸 赤字」と入力してみました。すると、いろいろ出てきます。その前に公営企業としての全国の市営地下鉄の現状と課題を把握しておくために、以下の参考記事も読んでみました。

www.dir.co.jp

toyokeizai.net

koumu.in

以上の記事を読むと、地下鉄を建設するには莫大な建設費用がかかるため、地方自治体の財政支援が必要となり、まず最初は公営企業として運営することが鉄板のようです。その際に企業債を発行し、その有利子負債(企業債)を返済し、減価償却して行くためには長い年月がかかります。しかし、肝心な事は旅客運賃収入が確実に伸び、しかも想定していた地下鉄利用者数を上回らないと借金は永久に返済することができないということです。つまり、運賃収入で賄なわれることが公共交通機関の土台なのです。これが出来ていないために、京都市営地下鉄は何度も経営健全化団体に転落しています。そして、運悪くコロナ禍となり、乗客が一挙に減少した結果、莫大な運転資金不足となり、京都市が地方債を発行しても賄いきれない状態になっているのです。おまけに、京都市財政破綻寸前です。にもかかわらず、京都市交通局の職員には、大企業並みの高額な給与と賞与が支払われています。民間企業ではありえない話です。京都市の地方債を買取ってくれる金融機関があるからと言って、毎年湯水のように地方債や企業債を発行していますが、そのシステムがいつまで続くかわかりません。何事もバランスで成り立っています。

 

そもそも、京都市営地下鉄東西線というのは、東は京都市山科区六地蔵)を結び、西は西京区洛西ニュータウンまで延伸する計画でしたが、財政難で太秦天神川でストップしてしまった状態です。ちなみに、京都市交通局太秦天神川駅の地上に建設された新しい建物のサンサ右京(京都市所有地)に古びた壬生車庫から本庁舎を引っ越しています。議員バッチと同じで役所の見栄えを気にしているのでしょう。ミテクレだけで中身がありません。※後で知りましたが、洛西ニュータウンからさらに長岡京市、そして六地蔵につなげる計画もあったのです。つまり、新しいトンネルをいくつも作り京北町右京区にして京都市のエリアを広げて、人口を増やし税収入を増やそうとしているのです。役人や政治家の魂胆が丸見えです。だから、下図の環状線のような地下鉄をつくる事よりも、東西南北に地下鉄を伸ばす事を優先させたのです。

 

しかし、京都市の都市開発というのは、本当に場当たり的で大阪市などと比べるとセンスが全くありません。京都市の人口を増やして税収入を上げることが自治体の戦略かもしれませんが、東京都などのように道路や地下鉄を環状に建設しないことが、観光客も含め利用客が不便と感じ、利用者数も増えなくなるのです。京都市内で言えば、なぜ北大路通西大路通に地下鉄を通さなかったのか不思議です。そして、北大路ー西大路ー八条通(京都駅)ー東大路ー北大路と地下鉄を環状線にした方が観光地への交通アクセスも良くなるのです。それを市バスで補おうとした結果、莫大なバス車両数とほぼ全線が赤字運行というミスマッチが起き、長年赤字経営となるわけです。あまつさえ、路線バスの騒音と排気ガス京都市内の住環境も破壊されているのです。どうりで京都市の人口が減るわけです。大阪市よりマシかもしれませんが、京都市内中心部は空気が排気ガス臭いです。

 

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なぜ、高齢化し人口が減少している洛西ニュータウンまで地下鉄を延伸する計画を立てたのか?これについては、次のようなコメントがネットにありました。「京都市営の東西線は、六十年前の高度経済成長期に京都市の人口が200万を越すという妄想のままに敷設された失敗鉄道なのです」という事です。現在の京都市の人口は約145万人で減少傾向です。これは、東西線だけでなく烏丸通を走る地下鉄南北線も開発当初の予定利用者数を大きく下回っています宝ヶ池にある国際会議場まで延伸して、どれだけの人が利用したのでしょうか。地下鉄南北線も対工事費用では大赤字です。毎年、利用者数が増えても、当初の予定利用者数に達しないと地下鉄の採算は取れないのです。これは市バスも同じです。あの52号系統がそうです。立命館大学のために廃止にした路線バスを復活しましたが、当初の予定利用者数にも達していません。にもかかわらず、デタラメな理由で本格運行して増便しているわけです。いつも乗客はガラガラ、誰も乗っていません。乗っていても数人、それでは赤字になります。京都市の目測(気まぐれ)の甘さがこんな所にも出ています。おそらく政治的なシガラミがあるのだと思います。立命館大学の路線、いわゆる政治バス路線です。東海道新幹線の駅で言えば、滋賀県米原駅」などの政治家駅です。需要がないのに権力(政治の力)で供給するわけです。結果的に京都市営地下鉄は役所を結ぶためにつくられた地下鉄網、役人優遇路線です。立命館の各キャンパスや学校施設を結ぶ市バス網と同じです。

 

本題となる、なぜ東西線の利用率が低いのかという事ですが、その答えは市バスが地下鉄と同じルートを重なるように何台も走っているからです。京都市内を見て下さい。市バスがいまだに網の目のように細かい道路を端から端まで重複して走っています。せっかく大通りに地下鉄を走らせても、地上では路線バスが「従来通り」たくさん走っています。四条通を見てください。地下には阪急電鉄の地下鉄が走っているではありませんか。なのに四条通には市バスが一杯走っています。市民は日本で一番高い運賃の地下鉄には乗らずに「従来通り」に路線バスが走っていれば、バスに乗るでしょう。なぜなら、発着点が京都駅や三条京阪などの主要な駅だからです。地下鉄に乗らなくても市バスが目的地から目的地まで走っているわけです。その結果、地下鉄の当初予定利用者数にますます達しないわけです。地下鉄の売上を上げたければ、路線バスとの重複ルートを見直し、号系統の統廃合をしないといけないのです。それを面倒臭がって、京都市交通局は長年何十年放置して来たために地下鉄の売上が伸びず、過剰な路線数による市バスの赤字運行が一向に減らないのです。その結果、売上は伸びず、赤字赤字と幼稚なアニメで訴えるだけで結果的に経営健全化団体に転落し、行く末は京都市交通局のデフォルト(債務不履行)です。

 

企業努力とは、簡単にできる事を優先するのではなく、複雑で手間と時間がかかる事を優先し実行しないとコストは削減できず、経営改善もできないのです。こんな事が役人にはわからないのです。時間(未来永劫に先延ばし)と資金(交付金=税金)はいくらでもあると思っているからです。だから、無駄遣いが後を絶たないのです。京都市に限らず、日本には真摯な態度で仕事をしない公務員(身分職)や議員(貴族)がいかに多いことでしょう。特に国会議員(お殿様お姫様)は、テレビに映っていない時は遊んでいます。また仕事をしていない議員ほど国会中継でテレビ映りが良い一番前の席に座って、いかにも仕事をしているフリをします。顔を売るためです。それでも年間三千万円近い歳費(給料)がもらえるわけです。日本の身分制度は何も変わっていません。奈良時代からの律令体制、今も幕府政治のままです。日本をダメにしたのは、日本の政治(貴族政治家)が悪いからです。そして官僚(身分職の役人)が悪いからです。これは京都も同じです。これはテレビでは言いませんが、世界でも有名な話です「日本は政治家の質が悪い」と言われています。世襲のお殿様お姫様が政治をしている国はいずれ滅びます。国難に出くわした時に首が回らなくなるのです。米国に頼るしかない属国日本です。いずれその時が来ます。

 

京都市交通局と建設局による観光客分散化計画による「きぬかけの路」石畳歩道工事

金閣寺から仁和寺までの「きぬかけの路」の歩道を石畳にする工事は、実は京都市建設局だけで考えられた事案ではありません。京都市交通局京都市バスの混雑緩和(観光客の乗車混雑回避)のために観光客の分散化を考え出したからです。その主たる施策が金閣寺前の「木辻通」に市バスを走らせない事です。その結果、「蘆山寺通」が路線バスの過剰運行による環境被害(騒音公害、交通事故等)を受けているのです。

 

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この事実を知ったキッカケは、京都市会議員の井坂氏のサイト(活動日誌)に書かれていた「ダイヤ改正に伴う問題噴出…予算委員会 2020年3月4日」です。皆さんも、この質疑応答文は必ずお読みください。いかに役所(交通局)が市民を馬鹿にしているかがよくわかります。※サイトは消滅していますが、画面保存しています。

 

 

以前のブログでも書いていますが、長年にわたり金閣寺前の「木辻通」を走っていた市バス12号系統と59号系統を京都市交通局が「蘆山寺通」に経路変更した理由は、増え過ぎた観光客によって市バスの乗り降りによる混雑が発生、市バスが定時運行ができなくなったからという京都市交通局の詭弁(口実)です。本当の理由は別にあるのです。そこで交通局は市バスを経路変更させるだけでなく、根本的に市バスに乗ろうとする観光客を減らすために「きぬかけの路」を石畳にして観光客を歩かせようと計画したのです。この観光客分散化計画による歩道工事で一時的に「蘆山寺通」は連日交通渋滞が発生しています。

 

京都市バスの経路変更で、京都市交通局がわざわざ事前説明に行った先は誰なのか? - 人生、あせらず楽しもう!

なぜ、金閣寺の前の道路「木辻通」には、やたらと歩道に柵があるのでしょうか? - 人生、あせらず楽しもう!

 

しかし、京都市財政破綻寸前状態なのに、このような税金の無駄遣いをよくも考え出したなと思います。実際に現地を見てみるとよくわかります。まず、歩道を綺麗に石畳にした後で、水道やガス管工事によって石畳の歩道が所々アスファルト舗装になっています。虫食い状態です。また、馬代通付近は数年前から「京都マラソン」のコースになったため綺麗に歩道工事がされていました。それを再び壊して作り直しているのです。京都市は、もっと冷静に考えるべき、どれだけ現地調査や分析をしたのでしょうか。ひとつ申し上げると、歩行者を歩きやすくするために歩道を広げ道路を狭めると、交通渋滞や交通事故が発生しやすくなります。知らないのでしょうか。道路交通学の基本です。その典型的な例が四条通です。本当に道路が狭くなりました。不便極まりないでしょう。

 

そもそも観光客が2.4キロもある仁和寺から金閣寺までの距離を歩くのでしょうか?歩道を石畳にすれば、いったいどれだけの観光客が歩くのでしょうか? 京都市は観光都市と言いつつも、昔から「蘆山寺通」にしろ「馬代通」にしろ、まして「西大路通」ですら、道路に観光案内地図がまったく無いのです。ゴミ箱もない。まず、観光客を歩かせるためには、歩道を綺麗にする事よりも、道案内版を充実させるべきなのです。国内だけでなく、海外からの観光客すべてがスマートホンや地図を持っているわけではありません。まして、日本の標識は日本語だらけです。最近になって、やっと京都府警も派出所を「POLICE」と表記していますが、ほんの数年前まで「KOBAN」と表記していたのです。これには驚きました。外国人にわかる訳がありません。日本人でも、知らない街で地図を持っていても、方角がわからなければ、どちらに行けばよいかわかりません。今いる位置がわからなければ、ひとは道に迷うのです。これは登山の基本です。観光客にも当てはまります。

 

本当に京都市は遅れた観光都市だと思います。中国や韓国に先を越されている事に全然気付かないからです。まったく危機感や焦燥感がありません。正直言いますと、路線バスに頼っている観光都市は遅れているのです。都市計画が発達した観光都市は、大量輸送できる地下鉄網で整備されているのです。排気ガスを出さずに環境保全ができるからです。都市計画の基本です。一体、京都市は今まで何をしてきたのでしょうか。これから先も税金の無駄使いをするのでしょう。国家公務員よりも高い給料をもらう京都市職員、大企業並みの生涯賃金3億円で全国でもトップレベルの厚遇地方公務員。そして市民を顧みない行政を市議会議員までもが役人と一緒になってしている変な自治体です。一刻も早くリセット(財政破綻)した方が市民のためです。