人生、あせらず楽しもう!

御覧いただきまして、ありがとうございます。今の日本人には「感謝と謙虚」が必要です。権力によってメディアコントロールされたテレビや新聞に惑わされないために自分で調べて分析する事が大切です。何事も決して周囲に押し流されてはいけません。真実は自分で見つけ出すものです。

京都市交通局の恣意的な市バスの経路変更による「蘆山寺通」への過剰運行に気付いた京都市議会議員がいました。

京都市交通局による恣意的な市バス経路変更による「蘆山寺通」への路線バス過剰運行に気付いた京都市議会議員がいました。しかし、それに対する京都市交通局の対応は、「一年で元に戻すのは困難」「路線変更の成果を判断する材料がない」ということです。なんという独断的な発想をする役所なのでしょうか。そんな考え方だから、永遠に赤字経営なのです。この京都市交通局現実から目をそらす姿勢は、市民のためではない何か別の力が働いているからなのでしょう。間違いないと思います。過去のブログでも書いています。

 

 

既に「蘆山寺通」では、昨年三回も交通事故が起きました。市バスが頻繁に通行する事によって、道路に死角が発生したり、市バスに気を取られてドライバーが歩行者や自転車などに気付かないことが原因で人身事故が起きました。京都府警も事故の度に周辺道路の交通状況を調べていましたが、それ以上の事はしません。 

 

もしも市バスの過剰運行による死角が原因で、交通死亡事故が発生した時、京都市交通局はその責任を免れるつもりなのでしょうか?

 

京都市交通局は「当事者ではないから」「証拠がないから」と言って見て見ぬふりをして逃げるでしょう。しかし、事故で家族を亡くした者は、京都市交通局を一生恨みます。京都市交通局の交通安全白書などに、いくら立派な事を書いていても、辻褄が合わない事を既に実際にしているのです。それは環境破壊です。

 

路線バスが特定の道路に集中して過剰運行すれば、騒音・振動・排気ガス・道路の傷みなど沿線住民の生活環境を変えてしまいます。京都市交通局の職員は、市バスが通る度に家が振動して眠れない日が数年も続いた苦しさを知らないでしょ。家の外に出れば、市バスが出す排気ガスで息苦しくなったことを知らないでしょ。毎朝毎晩、市バスの回送車が走る轟音で目が覚めることを知らないでしょ。どんなに不快で嫌な事か!

 

京都市市議会議員の要望に対して、京都市交通局の対応は「一年で元に戻すのは困難」「路線変更の成果を判断する材料がない」と返答したそうですが、元に戻す気がないから、そのような返答をするのです。路線変更の成果よりも、被害の方が重大です。市民を苦しめてまで、公共サービスを継続させる自治体があるのでしょうか。まるで社会主義国家です。大学と観光が中心の京都市は、根本的に考え方が間違っているのです。出世の事しか考えない行政職の公務員達の特徴です。市民の事より政策の成果、つまり手柄(出世)が重要なのです。

 

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市バス運行中の携帯電話の使用が京都新聞の記事になっていますが、それに対する京都市交通局のコメントには、実に形式的で「あってはならないことで真摯に受け止める。運行に影響がないよう万全を期す」です。毎回、同じコメントです。しかし、実態は2016年以降7回目の行政処分です。言葉に信憑性がありません。おそらく市バス過剰運行の「蘆山寺通」で交通死亡事故が起きた場合でも同じような事を言うのでしょう。本当に慇懃無礼な局です。

 

国土交通省 近畿運輸局から言われれば、すぐに経路変更など元に戻すのに、市民からの陳情にはなかなか反応しません。あのヤミ専従の幽霊バス(無届け臨時バス)の時がそうでした。テレビ報道となり、国土交通省 近畿運輸局に言われて初めて幽霊バスを止めたのです。京都市交通局は公営企業という役所です。運転手も含め職員は地方公務員です。京都市交通局労働組合の幹部(在籍専従)が乗務時間の短い臨時バスを運転して仕事をしているフリをし、労働組合からの給料と自治体からの給料の両方をもらっていたのです。これをヤミ専従と言います。その幽霊バスは立命館大学行きの特202号(快速202号)系統でした。市民にバレなけば、公務員は自分達の都合がいいように影でコソコソします。恐ろしいです。一体、京都市職員は誰のために働いているのでしょう。自分のためですか?それなら公務員(civil servant:公僕)になる資格はないです。辞めて民間企業で働くべきです。

路線バスが過剰運行すると、その道路が危険になるのは当然です。京都市交通局はわからないのでしょうか?

京都市交通局の前代未聞の市バス経路変更前から、市バスの立命館大学行きは「蘆山寺通」ばかりに集中して通行しています。なぜでしょうか。

  

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昔から「馬代通」から「小松原通」を経て西大路通に出るルートや京都府立体育館前(島津アリーナ京都)の道路から大将軍交差点に出る経路、さらに「馬代通」を南進して丸太町通に出るルートなど、立命館大学から大通りに出るルートは他にいくつもあるのに、京都市交通局は「蘆山寺通」ばかりに市バスを集中させて運行しています。

 

路線バスが特定の道路に過剰運行すれば、それだけ危険が増えるのです。道路の車線数が増えない限り、交通量が増えれば、それだけ事故が発生する確率も増えるのです。京都市交通局こんな事もわからないとは不思議です。 

 

今回の京都市交通局の市バス経路変更により、立命館大学発着の市バスのルートが唯一分散化されていた金閣寺前の「木辻通」へのルートが無くなり、12号系統や59号系統などが「蘆山寺通」を通行することで、東行の西大路通「わら天神交差点」が市バスの集中で信号待ちの交通渋滞が発生しやすくなっています。立命館大学への西行も同じです。路線バスの過剰運行で「蘆山寺通」が路線バスであふれるため、西大路通の市バス停留所「わら天神前」が市バスで混み合っている時は、西大路通で駐停車している回送車もあります。

 

一方、金閣寺前の「木辻通」は交通量が減って道路がガラガラです。観光客が多い金閣寺にとっては、願ったりかなったりです。京都市バスがなければ、観光客の乗用車や観光バスが一台でも多く駐車場にスムーズに入れるからです。考察すれば、京都市バスの12号系統や59号系統などが走っていた「木辻通」のルートを無くさずに、混み合うバス停である金閣寺前のバス停を無くして、西大路通金閣寺道のバス停を南北二箇所用意すれば、「木辻通」にある金閣寺前のバス停で市バスが停車することによる交通渋滞が解消されるのです。そうすれば「蘆山寺通」への路線バスの過剰運行も元の状態となり、市バス路線が分散化され、少しでも「蘆山寺通」を通る路線バスの台数が減ります。根本的に京都市バスは停留所の間隔が近過ぎます。それによって、交通渋滞が発生するのです。もちろん、路線バスの燃費も変わります。

 

しかし、よく考えて見ると、根本的な原因を作っているのは、金閣寺に向かう観光客のクルマと観光バスの交通量が原因です。交通量が増えれば「木辻通」が渋滞します。その道路を路線バスのルートにすると、さらに渋滞するのは当然です。金閣寺境内の駐車場入口が一箇所しかないことも大きく関係しています。もっと言えば「木辻通」経由の駐車場(金閣寺境内)ではなく、北大路通西大路通など別の場所に金閣寺が駐車場をいくつか分散して作ればいいのです金閣寺立命館大学と同じで京都駅からの交通サクセスが非常に悪いところにあります。路線バスしか交通手段がないのです。

 

観光地には交通渋滞という面倒な問題がつきものです。これを、どのように改善するかは難しいです。非協力的な金閣寺京都市交通局がどのように話し合うかという事になりますが、京都市寺と役所の仲が悪いのです。そのために渋滞解消策が物別れとなり、京都市交通局が恣意的な市バス経路変更に踏み切ったのかもしれません。※分析するにつれ、見方は変わりました。最近のブログを参考にしてください。

 

京都市交通局は、なぜ市バス混雑対策で経路を変更したのか?市バスを定時運行させることが本当の理由なのか? これが、このブログのテーマです。特定の一車線道路に路線バスが過剰運行するとその道路はクルマが混み合い、渋滞や交通事故が起きやすくなることぐらい誰にでもわかることです。さらに、路線バスが過剰に運行すると、その道路の傷みは早くなり、バスの騒音や振動、排気ガスで沿線住民の住環境が破壊されていきます。

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朝夕に交通量が多く、狭い片道一車線の「蘆山寺通」で京都市バスがバス停で客を降ろしている時、対向車線の市バス運転手は一旦停止して、やり過ごす運転手もいます。バス停がある特定の狭い道路に路線バスを過剰運行させると交通事故の危険性は高まります

 

この「蘆山寺通」には、京都市バス以外にも西日本JRバスの路線バス、さらに立命館大学シャトルバス(ヤサカ観光バス)も通行しています。国土交通省 近畿運輸局 京都運輸支局は、この事実を把握しているのでしょうか。それぞれの事業者に対して何か指導しているのかどうか疑問です。おそらく、何もしていないでしょう。

 

立命館大学も学生や教職員の利便性を追求することばかりに執着して、バスの経路となる道路の沿線住民の事をどれだけ理解しているのか疑問です。自分達の事しか考えない大学のやりそうな事です。大学は人材育成で社会貢献力は大きいはずですが、これでは意味がありません。昔から立命館は大学開発で、どれほど周辺住民に迷惑をかけてきたことでしょうか。

 

西日本JRバスも、京都市バスの59号系統や10号系統、26号系統、さらに京福電鉄北野線などと重複するような路線をなぜ運行するのか不思議です。結果的に過剰サービスは生産性を低め、無駄な労働につながります。交通量が多く狭い「蘆山寺通」や車線のない一部一方通行の「一條通」などを京都市バスと一緒になって運行しなくても、もっと広い「天神川通丸太町通」を通行して山陰本線の駅と接続すればいいのです。コロナ禍のタイミングで運行経路を見直す時期に来ていると思います。

 

これは京都市交通局に言えますが、観光客(乗客)を乗せることばかり考えず、過剰 運行による排気ガスによる環境破壊を考えることも大事です。例えば電気バスを増やすとか。いくら交通局の公開資料で環境(CO2削減)について考えているような事を書いていても、実際に行動が伴わないと何の結果もありません。一貫性のない行動は社会からの信頼性を失います。おとなしい市民が直接文句を言わないからといって、一方的に好き勝手することは民主主義のルールに反します。それは官僚制社会主義、ひいては独裁主義に通じるのです。

 

京都市交通局の一番の悪い癖は、市バスを走らせている道路の検証をしていない事です。ステイクホルダー(利害関係者)である大学や寺の言い分ばかりを優先させて路線を増やしたり増便したりしますが、その結果その道路でどのような問題が起きているのか、全く現場を検証していないのです。バス運転手からの都合がいい情報しかないのです。PDCA(Plan-Do-Check-Action)サイクルが全くできていません。それでは、いつまで経っても経営状況と同じで安全運行への取組みも改善されないのです。

 

路線バス会社の運転手によって、運転の仕方は様々です。

「蘆山寺通」を走る路線バスの運転の仕方には違いがあります。朝から晩まで「蘆山寺通」はたくさんのバスがひっきりなしに走っていますので、嫌でも観察できます。京都市バスと西日本JRバス、さらに立命館大学シャトルバスを運営するヤサカ観光バスです。ゆっくり走る運転、雑に飛ばす運転、静かな運転、うるさい運転など様々です。京都市バスが一番たくさん走りますので、運転手によって明らかな違いがわかります。運転の仕方を運営側は、極力均一になるように色々と教育研修していますが、最終的には人格が出ます。これは路線バスだけでなく、一般乗用車でも同じです。

 

よく京都市内を走る乗用車の運転マナーは良くないと言われます。これは県民性が出ているのです。同じ日本人でも地域によって明らかに性格や考え方が違います。さらに運転マナーが酷いのは、個人タクシーです。過去に夜遅く京都駅に着き、そこからタクシーで家に向かう途中、乗ったタクシー運転手が市バスの運転手に文句を言いに行っているのです。市バスの運転手もバスから降りて、そのタクシー運転手に相手しているのです。道路の真ん中での出来事です。客が乗っているのに、こんな事をする個人タクシーのドライバーがいました。また、それを相手にする市バスの運転手もどうかと思いました。頭がおかしいです。

 

路線バスの運転手も観光バスの運転手も乗客を乗せて運転するのが仕事です。一方、宅配便やトラックの運転手は荷物を載せて運転するのが仕事です。宅配の運転手もトイレをする時間がない程、一日に何百個も荷物を配達しています。長距離トラックの運転手は時間通りに荷物を届けないといけませんので、トイレも食事も運転しながらするドライバーもいます。もちろん、仮眠も睡眠もトラックの中です。これは本当の話です。

 

ドライバーの仕事は、一見気楽そうに見えますが、実際は違います。それは路線バスの運転手も同じだと思います。朝から晩まで何度も同じルートを往復する。運転手の仕事は全般的に拘束時間が長く12時間はあります。実際にやってみると、その辛さがよくわかります。「蘆山寺通」を過剰運行する路線バスを色々と追求していますが、個々の運転手を非難するつもりはありません。問題は路線バス運営側の経営方針です。

 

あのJR西日本福知山線脱線事故も、会社の経営方針で過剰運行となり、運転手が時刻表通りに運行しないといけないから超過速度となり大事故につながりました。企業責任であることは明らかですが、経営者責任はなく社長は無罪になっています。おかしな司法判断です。会社の業務命令が原因であることは間違いないのです。そうでないと、運転手は飛ばしません。

 

京都市バスの運転手にもいますが、西日本JRバスの路線バスは頻繁に注意喚起音「ピンポン、ピンポン」を鳴らして走ります。これは立命館大学前のバス停でも、京都市バスの運転手は注意喚起音を鳴らしませんが、西日本JRバスの路線バスの運転手だけが必ず鳴らして停車するのです。おそらく会社の教育方針であることは間違いないと思います。注意喚起音「ピンポン、ピンポン」は沿線住民にとって、本当に耳障りです。大通りならまだしも、朝から晩まで鳴らされると騒音です。昔は注意喚起音を鳴らさなくても運転していました。そもそも、こんな装置はありませんでした。

   

蘆山寺通を朝早くや夜遅くに京都市バスが注意喚起音声「ピンポン、左に寄ります。ご注意ください」を大きな音で鳴らして停車すると、これも本当に耳障りです。個人の空間への権利侵害という考え方がまだ日本では浸透していません。いわゆる、騒音公害です。日本人はウォシュレットのように些細な事を気にする民族なので、音声付きの方向指示器のような装置が当然のように普及したのです。こんな装置、他国にはありません。間違いなく騒音訴訟になります。

 

 

 

「歩くまち・京都」の実現を目指すため「スローライフ京都」を推進していますとあるが、結局、京都市バスを増便しただけです。

以前のブログ、「なぜ、京都市バス立命館大学行きの号系統が多いのか?増やす必要はありません。減らしましょう!2」でも書きましたが、京都市の都市計画局の歩くまち京都推進室という部署が10年ほど前に「スローライフ京都」大作戦(プロジェクト)により「歩くまち・京都」を実現-地域や大学等と連携し、モビリティ・マネジメントに取り組みます!ということを始めました。しかし、これは人が歩くのではなく、京都市バスを増便しただけなのです。無駄使いの悪い癖が直らない自治体です。

  

https://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/page/0000089929.html

平成22年10月18日 都市計画局(歩くまち京都推進室)

スローライフ京都」大作戦(プロジェクト)により「歩くまち・京都」を実現
地域や大学等と連携し,モビリティ・マネジメントに取り組みます!!

 

説明資料には、以下のように書かれています。

京都市では、「人が主役の魅力あるまちづくり」を推進し、人と公共交通優先の「歩くまち・京都」の実現を目指すため、本年1月に「歩くまち・京都」総合交通戦略を策定するとともに、「歩くまち・京都」憲章を制定しました。

この「歩くまち・京都」総合交通戦略に基づいて、京都市では、一人ひとりが歩く暮らしを大切にすることによって、クルマを重視したまちと暮らしから、歩くことを中心としたまちと暮らしに転換するための取組として、全国で初めて、大規模なモビリティ・マネジメント※を体系的に実施する、「スローライフ京都」大作戦(プロジェクト)を推進しています。

地域や大学等、本市と連携して取り組むモビリティ・マネジメントについて、本年8月に募集したところ、8件の御応募がありました。

この度、それらの中から、本市が支援する事業5件を選定し、歩くことを中心としたライフスタイルへの転換を目指して取り組んでまいりますので、下記のとおりお知らせします。 

※モビリティ・マネジメント(MM)とは

「かしこいクルマの使い方」を考えて実践していただくため、例えば、交通手段の出すCO2排出量の比較などを盛り込んだ動機付け情報や、個人の交通行動を考えるうえで最もわかりやすい情報である公共交通利用促進マップ、交通行動に関するアンケート、更にその結果のフィードバックなどを活用したコミュニケーションを図り、自発的な交通行動の変化を促すこと。

 

よく読むと、結局は京都市交通局による市バスの売上を増やすための営業戦略にしか過ぎないのです。正確に言えば「歩くまち・京都」ではなく「市バスのまち・京都」が京都市の狙いなのです。京都市交通局の赤字を少しでも削減したいのです。

 

路線バスもガソリン車であり、CO2排出量は乗用車より多いのです。さらに、よく考えると京都市が募集して応募があったのではなく、最初から立命館大学などから要望があって起案したのです。その部分に政治ロビー活動(私的な政治活動)をした市会議員がいたかどうかはわかりませんが、おそらく政治活動はあったと思います。立命館大学などの族議員がいるはずです。

 

市民からの要望がないアイデアを役人が起案するわけがありません。既に土台はこしらえられている訳です。そうでないと、役人の手柄にならないからです。つまり、出世するための評価にならないのです。その証拠に京都市は事業支援金を立命館大学に一番たくさん支出していました。その額は400万円です。資料作成に400万円もかかるのでしょうか。不思議です。

 

本当に「一人ひとりが歩く暮らしを大切にすることによって、クルマを重視したまちと暮らしから、歩くことを中心としたまちと暮らしに転換するための取組」ならば、立命館大学へ行くのにも「西大路通」から平野神社の前の「小松原通」を歩いて行けば、10分位で東門に到着します。路線バスの過剰運行による渋滞する「蘆山寺通」を通る市バスに乗って終点の立命館大学まで行くより「西大路通」沿いのバス停で降りて歩いた方が早く着きます。学生や教職員が市バスで立命館大学の正面まで行かずに「西大路通」から立命館大学まで歩けばいいだけのことです。歩くとはそういうことです。立命館大学の近所の衣笠中学校の生徒を見て下さい。西大路通よりさらに遠い柏野や翔鸞地区から20分以上もかけて歩いて通っています。

 

昔は京都市内のメインストリートにしか市電が走っていなかった頃は、学生も職員も皆文句も言わずに歩いていました。それを自分達が楽して早く大学に到着したいために、立命館大学路線バスを増便増発するように自治体に要望したのです。その結果、特定の道路に路線バスや立命館大学シャトルバスなどが過剰運行し、道路が傷み、騒音や振動・排気ガスで沿線住民の生活環境が破壊されているのです。

 

何事も楽をする人間がいれば、その裏側で苦労する人間がいるわけです。つまり、権力者の利便性を優先すると、その裏側には犠牲になる市民、庶民がいるのです。特定の道路に路線バスを集中して運行させれば、人間の生活環境に影響(騒音振動・排気ガス)するのは当然です。こんな事も大学側も役人もわからないのです。これが民主主義社会なのでしょうか。一方的な権力行使でしか過ぎないのです。共産主義的なやり方です。

 

以下の資料を見ると、すべて絵に描いた餅です。そもそも、民間企業でもない公営企業、つまり赤字になれば税金や地方債で資金が投入される地方公共機関が、なぜ「攻めの営業」をしないといけないのか?さらに経営評価にしても第三者機関を使わず、自分達だけで評価している点は公平性に欠けます。自分達の良いように甘い評価をする訳です。これは日本の役所の特徴です。いかにも役人による統制的な社会主義です。

 

https://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/page/0000249410.html

2020年3月30日 京都市交通局 経営計画
京都市交通局市バス・地下鉄事業経営ビジョン
 2019年度から2028年度までの10年間を期間とする経営計画
・交通局運営方針
 各年度の運営方針とその実績
京都市交通事業経営評価
 条例に基づく交通事業についての行政評価
京都市交通局経営レポート
 経営状況や様々な取組
・これまでの経営健全化に向けた取組
 これまでに策定した経営健全化計画等

 

最終的に路線バスによって大学の利便性(過剰運行)を追求すると、京都市の場合は交通局の人件費と維持費に莫大なお金がいるわけです。市バス事業の車両保有台数818台と運転手731人の経費です。京都市内のメインストリート(大通り)だけ路線バスを運行すれば、固定費を削減でき、恣意的にではなく実質的に「Walking in Kyoto」が実現できます。市バスの台数、路線数を減らす事が、本当の意味において「歩くまち・京都」であり、「DO YOU KYOTO?(環境にいいことしていますか?)」というキャッチフレーズの通りにCO2を削減することができるのです。

 

京都市は、景観条例の緩和など辻つまが合わない事が多いです。本当の政治は、上から見るのではなく、国民の目線、市民の目線、庶民の目線、弱者の目線で考えないといけません。市民を見下し敵視するような公務員の傲慢さでは良い街にはなりません。安倍前総理大臣が「経済を優先しないと国が滅びます」と国会で言っていたことを思い出します。国民より経済(大企業と富裕層)が優先なのです。新型コロナウィルスよりも日本経済が大事なのです。その結果、対策が後手後手になるのです。京都市と同じです。市民より大学と観光が優先なのです。優先した結果が財政破綻寸前の状態です。

 

 

京都市幽霊バス問題、今もヤミ専従をしているのでしょうか?

昔、京都市バスで「幽霊バス」(方向幕は臨時バス)というのがありました。これは、京都市交通局労働組合幹部が乗務時間の短い臨時バスを国土交通省に無届けで運転して仕事をしているフリをし、労働組合からの給料と自治体からの給料を両方もらっていた事件です。組合活動に専念していれば在籍専従ですが、無届けの臨時バスも運転して給料を二重に受け取ってるとヤミ専従です。地方公務員のバス運転手が、なんと年収1000万円前後!これは市バス運転手だけではありません。実は地方公務員の清掃車運転手や学校用務員、給食調理員の給料は民間企業の二倍です。地方公務員の高給が後を絶ちません。昔は公僕である公務員の給料の方が安く、そのため民間企業と比較して給料を決めていましたが、現在は逆転しているのです。公務員の方が厚遇なのです。これでは、まじめに働くわけがありません。給料が少ないと文句を言いながらも人は働きますが、たくさん給料をもらうと人間はサボって働かなくなるのです。その証拠に海外の政治家の給料や警察官、兵隊の給料を日本のそれと比べるとよくわかります。半分以下です。でも、海外の政治家は国のために一生懸命に働きます。

 

地方公務員も国家公務員の一般職にも労働組合があります。なぜ、公僕に労働組合が必要なのかわかりませんが、その労働組合を「職員団体」と呼びます。大別して3つの組合があり、自治労(連合)=民主党社民党の支持基盤、自治労連全労連)=共産党の最大の支持基盤、全労協社民党新社会党の支持基盤、地方自治体によって公務員の労働組合にも勢力の違いがあります。京都市自治労連共産党)が強いのです。京都市職員労働組合(市職労)がそうです。同じ地方公務員でも現業職(ゴミ清掃員、給食調理員、市バス運転手など)は労働組合を組織でき団体交渉権が認められています。例えば、京都市交通局京都交通労働組合です。これは自治労民主党)です。一方、警察官や消防職員については、労働基本権(労働三権)がすべて認められていません。もちろん、労働組合は作れません。これを認めると、欧米のように日本の警察官や消防士もストライキができます。不思議なのは、国家公務員には労働三権が認められていないのに労働組合を作っている事です。

 

日本国憲法第15条
1.公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2.すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
3.公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4.すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

「全体の奉仕者」の公務員が、なぜ労働組合をつくる必要があるのでしょうか?公務員は公僕です。一部の団体などの利益のために奉仕してはならないと憲法に書かれていますが、地方公務員は自分達のために労働組合活動をしています。これは違憲です。本当に変な国です。

 

この記事と同じような事を京都市交通局は2007年までしていました。「幽霊バス」(無届け臨時バス)は朝日放送の番組で取り上げられて、国土交通省 近畿運輸局からの指導で京都市交通局は問題の臨時バスの運行を停止したのです。テレビ局が報じるまで、近畿運輸局も知らなかったのです。仮に知っていても、知らぬ存ぜぬでしょう。公務員は市民にバレなければ影でコソコソします。公務員が同じ公務員のアラを探すようなことは積極的にはしません。会計検査院と同じです。政府のアラを発見しても追求しません。そのため役所はバレなければ、ヤリタイ放題。なんのための役所のチェック機関なのでしょうか。日本の役所は甘いの一言です。ぬるくてトロい社会主義の日本政府です。

 

以前のブログ記事でも書きましたが、現在も立命館大学行きには「臨時バス」があります。西大路四条から大将軍の島津アリーナ京都(京都府立体育館)を経て馬代通を北上し、立命館大学孔子学院(表向きは国際平和ミュージアム、米国では中国公館として認定)を通過する路線です。平日の昼間は1時間に一本、朝夕はニ、三本の運行です。これはヤミ専従かもしれません。京都市内には他にも「臨時バス」という名前の号系統があります。市民が監視しないと、地方公務員の現業職労働組合がある限り、組合活動に専念して本来の仕事をせずに給与をもらう高給の幹部職員が今でもいるかもしれません。おそらく、間違いなくいると思います。過去に不祥事が起きた京都市環境局、今の環境政策局も同じです。ちなみに当時の「幽霊バス」のひとつが立命館大学行きの快速バスだったのです。

 

同じ「はてなブログ」で2014年1月24日に掲載された記事で「京都市幽霊バス問題」について詳しく書いている人がいました。そこには、なんと!幽霊バスは臨時バスではなく、特202号(快速202号)系統という名前で九条車庫から立命館大学行きの市バスだったのです。ということは、今も西大路四条から立命館大学まで、目立たない裏通りの「馬代通」を走る臨時便(時刻表はあっても号系統がない)の市バスが怪しく見えたのも偶然ではなかったのです。やはり、立命館大学京都市交通局の自動車運送事業部門(市バス部門)との間には何かありそうです。それが政治的な関係であることは、おのずと推測できます。もしかすると、労働組合幹部が乗務時間の短い号系統「快速立命館」などを運転し仕事をしているフリをし、今もヤミ専従をしているかもしれません。地方公務員は市民に気付かれないようにズルい事をするのが上手いです。京都市の税金無駄使いを見ればよくわかります。また贈収賄事件が度々発覚します。これは京都の市議会議員や府議会議員の行政に対する監視が杜撰だからです。日々、当選する事ばかり考えているので、本当の民主主義社会での政治家の仕事を知らないのです。役人と仲良くしながら角が立たない行政をするのなら政治家は要りません。役人を突くのが政治家の仕事です。それが民主主義社会です。

 

このヤミ専従は、京都市交通局以外でも、大阪市役所や神戸市職員、さらに社会保険庁などでもありました。世間が騒がなくなっただけで今も間違いなく沢山あると思います。それが村社会の日本です。労働組合の幹部になる事は、地方公務員としては実は出世コースなのです。何度も書きますが、そもそも地方公務員の現業職や国家公務員に労働組合があること自体が恐ろしいことなのです。ストライキもできず、給料は人事院が決めるのに、労働組合によって公務員が自分達の身分職を堅持しようとする厭らしさが出ています。その最たるものが、実は市長選などの首長を決める際の公務員の選挙活動です。大阪市長・元大阪府知事橋下徹氏がプレジデント・オンラインのコラム記事で書いています。本当に日本は公務員天国、官僚大国、資本主義の仮面をかぶった社会主義国家です。行く末が恐ろしいです。権力を盾に役人の民間企業へのタカリ(天下りなど)がひどくなるばかりです。そして、国民への重税が横行します。※予想通り、岸田政権の政策です。中身のない政治家は役人の操り人形になります。国も地方も同じです。

京都市交通局の宣伝広告活動は、幼稚臭くないですか?不必要な事をしているのです。

いくら京都市が学生の街とは言え、アニメを活用している事自体、幼稚臭く、公営企業としての質を下げているように思います。大阪シティーバスや都営バスなどの宣伝広告活動とは明らかに違います。京都市交通局の宣伝活動は、「客寄せ」が露骨に出ているのです。派手な集客活動をするのは民間企業であり、公共機関のやるべき事ではないです。

 

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日本が世界でアニメ、つまり漫画大国として認知されていること自体、工業国から劣化しているように感じます。歴史上、芸術文化さらにスポーツが栄える国は国力が落ち衰えていきます。ローマ帝国しかり米国しかりです。世界は知っていると思います。日本が既に衰退している事をです。日本にいるとわかりません。

 

以前のブログでも、「路線バスや地下鉄をなぜ公務員が運営しないといけないのか!とてつもない税金の無駄遣いです」という記事を書きました。以下のような事を公務員、つまり公営企業として地方自治体が取り組む必要があるのか不思議です。敗戦後の復興時期ならば、国営企業として様々なことを政府、お上が取り仕切らないといけませんが、その期間はとっくに過ぎています。いつまでも官製ではなく、民営化していかないと社会が活性化しないです。人口を維持しないと国は発展しないという考え方が既に間違っていると思います。国土に見合った人口と食糧自給が大切です。日本はアンバランスな国です。だから不必要な無駄な事ばかりしているのです。

 

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※このようなことは民間バス会社がやるべき仕事であり、公共機関でやるべき事ではないと思います。

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※警察官や自衛官など治安や国防以外のことで制服まで着用して公務員(局である公営企業)がすることなのでしょうか?民間バス会社で出来ます。

 

公務員が増えれば増えるほど社会が停滞します。人口に対する公務員の割合や人数ではなく、日本は公務員の待遇が天国(厚遇)なのです。あの経済破綻したギリシャがそうでした。

 

民間企業では、仕事ができる人間とできない人間の割合は同じで全体の二割、残りの六割はどちらでもない社員です。これが公務員だと仕事ができる人間が一割、できない人間が四割、残り半分がどちらでもない公務員なのです。この割合の原因のひとつが、公務員は民間企業以上に縁故採用が多いのです。表向きはわかりません。

 

民間企業では社員が自然淘汰されます。ピラミッド型の社員構造です。一方、公務員は天下りという再就職があるために年功序列型です。アメーバー型です。仕事ができなくてもクビにならず、そのまま定年まで公務員でいられるのです。万国共通、資本主義の民主主義社会では組織にとって不必要な人間(仕事ができない社員)は年齢問わず解雇されます。それが日本の公務員の場合、自らが辞めると言わない限り、仕事ができなくてもクビにはならないのです。言い換えると、クビにできない身分職(権利保障)なのです。そもそも身分職という待遇自体が残っているのは社会主義です。恐ろしいです。

 

おそらく、京都市交通局の広報や営業推進には仕事ができない人間が就いているのでしょう。民間企業でも人事部や広報部には仕事ができない人間が多いです。仕事ができる人間は営業部など売上に直接関わる部署にいます。営業マンにとって、努力は認められません。結果がすべてです。このように分析して見ると、その組織が透けて見えてきます。停滞している組織には如実に症状があります。それは、会社や組織に関しての文句を言う社員が増加する事です。今の日本と同じです。高度成長期は文句を言う国民は少なかったです。それは、京都市交通局も同じで、昔はこんな幼稚な集客活動はしていなかったのです。

 

いつも間にか、日本のニュース番組や報道番組、情報番組にお笑いタレントが司会をしたりコメンティトしています。昔は局アナや専門家ばかりが出演していました。日本のメディアが幼稚臭くなっているのです。これはGHQの日本占領政策のひとつであったWGIP(War Guilt Information Program)がいまだに形を変えて続いているように思います。つまり「日本人アホ化計画」です。その国の国民レベルを下げれば、その国は自然に滅ぶというものです。ちなみに、戦後、自民党を支援したの米国CIAです。

 

  

こんな狭い片道一車線の道路に路線バス(京都市バス・西日本JRバス)と立命館大学のシャトルバスがたくさん走る。

これが蘆山寺通の実態です。こんな狭い片道一車線の道路に路線バスの京都市バスと西日本JRバス、さらに立命館大学シャトルバス(ヤサカ観光バス)が一日往復1000台近く走ります。

 

夜九時台や夜十時半頃も、立命館大学シャトルバスと市バスが轟音で連続走行しています。本当に夜中もうるさいです。安眠妨害です。

 

これまでのブログで書いてきましたように、路線バスがたくさん走る道路は必ず数年で道路が傷みます。路線バスは朝から晩まで走りますので、観光バスが通る回数など比較になりません。そして、大型車両が通過するたびに家屋への振動が起き、騒音と排気ガス(CO2)が発生します。人間の生活環境を変えてしまいます。これは、路線バス公害です。

 

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※ただでさえも狭い道路なのにセンターラインオーバーです。危険です。反対車線に市バスのバス停が見えます。

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排気ガス(CO2)をまき散らして市バスが轟音で走っています。ここは若干坂道なので、運転手がアクセルを踏むわけです。その時のエンジン音がうるさいです。

f:id:ilnyc:20201213174941j:plain※グーグルマップで蘆山寺通をストリートビューして見てください。この画像は更新され、市バスが何台も通過している様子が消されています。京都市交通局がグーグルに連絡したのでしょうか。実際、朝晩や昼には、両車線に市バスが1分間に二三台も行き交います。多い時は四、五台です。道路の傷みがひどくなります。沿線住民が通報しない限り、京都市交通局京都市土木事務所も何もしません。昔は、連絡しなくても道路を再舗装されていました。

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※これが立命館大学シャトルバス、もちろん西日本JRバスも通行します。にも「馬代通」や「小松原通」など道路があるのに、「蘆山寺通」ばかりに集中して通行しています。路面の舗装が持ちません。すでにアスファルトの表面が剥がれている所もあります。

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※路上駐車も当然あります。しかも、この道路は小中学生の通学路(衣笠中学校には特殊支援学級があります)です。路線バスが多いので危ないです。そして、京都市バスのバス停が二箇所あります。市バスの停車時に追い越す車両が多く、交通事故が多いです。非常に危険です。

 

路線バスの運営会社側は、この過剰運行に全く関心がありません。結局、道路の傷みにたまりかねて沿線住民が市に通報するのです。つまり、土木事務所による舗装です。道路舗装工事をする作業員の方も大変です、昼間工事すると交通渋滞が発生するので、夜間工事です。夜間工事は沿線住民も夜中うるさくて眠れません。道路の傷みにより沿線住民がどれだけ迷惑しているか、当事者である京都市交通局や西日本JRバス、そして立命館大学は何も知りません。知っていても我関せずでしょう。権力者とはそういうものです。京都市交通局も西日本JRバスも、立命館大学ステイクホルダー:利害関係者)の言いなりで増便するばかりです。これが民主主義社会なのでしょうか?

 

2020年になって蘆山寺通で交通事故が三回も起きました。京都市バスと西日本JRバスが立命館大学行きの路線バスを今年も増やしています。一体、どれだけ市バスを増やすつもりなのでしょうか?増やさなくても、立命館大学は「西大路通」から充分歩ける距離にあります。

 

これは、一見、観光公害のように思えますが、実は政治バス路線(採算度返しの政治ロビー活動による路線)による被害なのです。犠牲になるのは、いつも市民である庶民です。沿線住民の生活環境より大学と観光の利便性を優先する京都市、これが正しいことなのでしょうか。我が物顔で自分達の都合が良いように特定の道路に路線バスを躊躇なく集中運行させる。沿線住民の事は一切無視です。

 

不思議な事に、休日でも平日でも日によって市バスの運行量が変わるのです。立命館大学の入学試験以外に、立命館大学が何かの模擬試験会場などになっている時には市バスの走る回数が多いのです。おそらく、時刻表はあくまでも仮で立命館大学前の人手具合や天気で便数を恣意的に変更していると思います。実は、立命館大学発の市バスは大学の授業の終わる時間帯に合わせて作られているのです。いずれにせよ、立命館大学の意向で市バスの便数、つまり運行量が気まぐれで変わるのです。これは変だと思います。公共の路線バスが貸切路線バスのように運用されているふしがあるのです。※最近の市バス時刻表は号系統が一緒にしたものが付けられています。いい加減な時刻表は意味がありません。

 

そして、恐ろしい事に京都市はこんなプロジェクトをしていました。

 https://www.city.kyoto.lg.jp/kankyo/page/0000118482.html

「DO YOU KYOTO?」プロジェクト、平成9年に京都国際会館で開催されたCOP3で採択された京都議定書にちなんで、京都から世界に向けて発信する「環境にいいことしていますか?」という意味の合言葉のようですが、「KYOTO」という単語は名詞であって、動詞ではありません。こんな和製英語では世界に通じません。それに言葉だけではCO2は減りません。京都市は言っている事とやっている事が全く違います。実にいい加減です。

 

蘆山寺通の路線バスの過剰運行でたくさんの排気ガス(CO2)をまき散らしています。立命館大学の交通アクセスを優先するあまり、沿線住民の生活環境を破壊しているのです。排気ガス健康被害も発生させます。庶民、すなわち市民より教職員や大学生の方が大切なのです。これこそ人権(人間の権利)侵害です。大学公害です。

 

結局は、このプロジェクトは「ノーマイカーデー」という宣伝文句を利用して、通勤などでマイカーを使用しないで市バスを利用しましょうということですが、京都市交通局の赤字を減らすためのプロジェクトなのです。京都市内はマイカー通勤よりも、市バスの過剰運行による排気ガス(CO2)で環境破壊が起きています。内燃式エンジンの路線バスの台数を減らすことの方が環境にいいことです。減らせないのなら、ロシア(モスクワ)のように、すべての路線バスを100%電気バスにすることです。しかし、そんな予算(税収)は京都市にないでしょう。財政破綻寸前です。

  

よく考えて見ると、西大路通を走る京都市バスの八割は「蘆山寺通」を通過しています。西日本JRバスもしかりです。

京都市バスの「わら天神」バス停を通過する路線バスのほとんどが、「蘆山寺通」を通過しています。京都市交通局の恣意的な市バスの経路変更前は、金閣寺前の「木辻通」にも、もちろん市バス(12、59、急行102)が長年通行していました。それが観光客が増えて危ないという理由(正式には混雑解消)で「蘆山寺通」に変更して通行しています。

西大路通北野白梅町から北大路通まで通行する市バスは、以下の通り17種類あります。その内「蘆山寺通」を通過するのが、13種類(赤色)つまり八割近くも「蘆山寺通」を通行しているのです。ちなみに、西大路通りは片側二車線の大通りです。一方「蘆山寺通」は片側一車線の住宅街の狭い道路です。道路の使用環境が違います。

京都市バス

15505255・204・205・急行101・急行102・急行111・1259M1快速205快速202号立命館ダイレクト号

西日本JRバス

高雄京北線立命館ライナー

 

これを見て変だと思われない方もおられると思いますが、実際に「蘆山寺通」を一度ご覧になるとよくわかります。特に朝昼と夕方、夜です。異常に立命館大学シャトルバスや路線バス、特に京都市バスが走っています。路線バスがたくさん走る道路は必ず数年で舗装が傷みます。何度もブログで書いていますが、その結果、大型車両の通過による家屋への振動や騒音が発生します。これは人間の生活環境を変えてしまいます。

 

当事者である路線バス運営側は全く関心ありません。その証拠に京都市交通局の資料にも、西日本JRバスのサイトにも沿線住民への配慮のかけらも書かれていません。ステイクホルダー(利害関係者)の利便性と旅客収入の向上のことだけです。結局、道路の傷みにたまりかねて沿線住民が市に通報するのです。つまり、土木事務所による舗装です。このような事が起きること自体、民主主義社会ならば、おかしいと思います。加害者には何の罰も受けず、被害者が尻拭いをするのです。

 

本来、路線バス運営側は普段迷惑をかけている沿線住民に苦情などを定期的に聞き取り改善することが、CSR(Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任)だと思います。それが、まったくありません。日本の企業、もちろん公営企業も含めて、国際基準に準拠しているようなことを歌っている割りには実際は何もしていません。京都市交通局にしろ、西日本JRバスにしろ、安全運行や地球環境などとホームページには立派な事が書かれていますが、実際していることは違います。これは、その企業のガバナンス(governance:内部統制)、さらにコンプライアンスcompliance法令遵守にもつながっていきます。基本ができていないのに、応用ができるわけがありません。

 

社会的責任を果たせない企業が、約束事や法律を守れるわけがありません。あの関西電力日本郵便(かんぽ生命)など大手企業でさえも、社会的責任も果たせない安っぽい組織になっているわけです。なぜ、こうなるのか。それは日本社会の問題です。すべてが「ぬるい」、言い換えると曖昧な社会だからです。日本政府にしろ、役人にしろ、政治家にしろ、もちろん大企業でさえもです。

  

権力を持つものが、一方的に権力を行使することは独裁です。共産主義です。路線バス会社が権力を握っているわけではなく、誰かが路線バス会社に権力を行使しているのでしょう。それが政治家(族議員)なのか役人なのか、それともステイクホルダー(利害関係者)の立命館大学なのかどうかはわかりません。路線バス会社に「学生が一杯乗りますよ」と甘い言葉をかけて路線バスの本数を増やし、交通アクセスを良くしようと企んでいるのです。沿線住民の事など一切無視です。これが権力者です。

  

路線バスや地下鉄をなぜ公務員が運営しないといけないのか!とてつもない税金の無駄遣いです。2

引き続き、交通ジャーナリストの鈴木氏の東洋経済のオンライン版に掲載されていました記事を参考にして。京都市交通局の市バス運営を評価したいと思います。

 

toyokeizai.net

 

病院をはじめ、公営バスなどの民営化には「地方公営企業法」という法律があり、日本にある公営バスが現在24社あるそうです。そのほとんどが地方です。民営化方法には、民間バス会社に事業譲渡するのと、自治体が出資して株式会社化する方法です。後者は、地方の小さな自治体では財政的にも人的にも厳しいので無理だと思います。国鉄がJRになった方法は後者です。いずれにせよ、公営バスの完全民営化(株式会社)は増えています。既に日本の地方は少子高齢化多死社会で衰退の一途です。高齢者の割合が増えるとGDP(国民総生産)が下がります。あの韓国にも、実は日本は抜かれているのです。日本のテレビや新聞は政府御用達なので、真実であっても日本の評価を下げるような事実は報じません。

 

公営企業が株式会社として民営化する目的は事業の合理化です。つまり、経営効率が悪いような仕事はしないことが非常に重要なのです。交通ジャーナリストの鈴木氏は記事の中で「効率化をしなければならないのは、公営は無駄が多いからだと言われる。役所仕事と言われるように、事務方は細かく担当が分かれて人数が多い」と書かれています。その通りで、京都市交通局のように公営企業と言っても、実は「局」という役所です。株式会社ではなく、市営企業です。本来の民営化とは、組織を株式会社にすることです。公営企業では、まだ役所(=公務員)なのです。

 

京都市交通局は市バスの号系統を表示する表示幕をLED化したり、車内に次の停留所やその先の停留所名を表示する液晶モニターを付けたり、別に無くても差し支えないものに税金の無駄使いをしています。海外の路線バスには無駄がありません。本当に京都市は財政難である意識に欠けています。塵も積もれば山となるです。これは京都市交通局だけでなく、すべての日本の役所に言えます。本当に日本の役所仕事はヌルイです。ある地方の役所に勤務する人の話を直接聞いたことがありますが、夏季休暇などには休暇手当がもらえるらしいです。民間企業では信じられないことです。日本には、有給休暇など無い零細企業がたくさんあるのに、地方公務員だと小遣いまでもらえるのです。日本は公務員優遇社会であることがよくわかります。

 

米国の路線バスの表示幕はシンプルでわかりやすいです京都市バスのLED表示幕は細かすぎて文字がつぶれて非常に見づらく、昼間は視認性が非常に悪いです。単に漢字とアルファベットの違いではなく、センスが違うのです。どうも、京都市交通局は物事をシンプルにする発想力が乏しいと思います。これは日本人の特徴でもあります。物事を複雑化してしまう悪い癖があります。 日本語がその良い例です。

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京都市交通局はこんな不必要なものにお金をかけます。車内にカーアクセサリーを付けると死角になり事故につながります。これは自動車教習所で教えられる基本的なことです。さらに、この液晶モニターを大通りの屋根付きのバス停にも付けられています。日本人は盗みませんが、米国なら間違いなく夜中に盗まれます。時刻表だけバス停に貼っておけばよいものを、京都市交通局は無駄な事ばかりしています。

 

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さらに、交通ジャーナリストの鈴木氏は「予備車を含む車両数も多くて、営業所に遊んでいる車両は民営バスに比べて目立つ。車両も独自の特別仕様を擁する金のかかった車両が多い」と書いています。京都市バスは、この記事の典型例です。市バスが818台もあるのに、さらに61台も購入予定です。京都市は財政支援団体になるかもしれないのに、減らすどころか、一体どれだけ市バス車両を増やすつもりなのでしょうか。 しかも、この半数のバス車両は民間バス会社に運行委託しています。つまり、市バス車両を西日本JRバスなどの路線バス会社にレンタルして運賃売上を出しているのです。京都市交通局はバス車両の管理だけしているのです。

 

常々、思っていたことですが、京都市バスのバス停の間隔は、500mぐらいの近距離にバス停を設置しています。「蘆山寺通」から「西大路通」までのバス停の間隔は、たった300m前後しかありません。何を想定してこんな近くにバス停を置くのでしょうか。京都バスなどは、1000mぐらいの間隔だと思います。郊外になれば、それ以上の距離があると思います。バス停の間隔が狭ければ、それだけ路線バスの停車と発進する機会が増えるわけです。まず、後続車で交通渋滞が起きます。そして、何より路線バスの燃費も悪くなるのです。さらに、バス停付近の路面の傷みが増え、近所迷惑な注意喚起音や運転手のマイク音やアナウンスが付近に聞こえるのです。蘆山寺通は、京都市バスだけでなく西日本JRバスの運転手が鳴らす注意喚起音「ピンポン、ピンポン、ピンポン」が近所に鳴り響いています。蘆山寺通は、バス専用道路ではなく、鉄道線路でもありません。近所迷惑な「正午のサイレン」と同じです。

  

役所は「道路は京都市のものだから、市民は黙っておけ!」という考え方なのでしょう。民主主義ではなく、社会主義的な発想です。「役人は偉い」と市民を見下す姿勢については、これまでのブログで何度も書いてきましたが、他にも実体験がいくつかあります。市民は黙っていないで、どんどん事実を公開することが民主主義社会の基本だと思います。ロシア人のように連邦政府によって監視統制された社会で国民が黙って辛抱していては、何の変化もありません。黙っていると同じ人間である役人や首長に好き勝手されるだけです。現代日本特有の血縁関係による封建的で世襲的な身分社会にはウンザリです。ますます感謝と謙虚のない日本人が増えるばかりです。

 

路線バスや地下鉄をなぜ公務員が運営しないといけないのか!とてつもない税金の無駄遣いです。1

そもそも、なぜ?京都市交通局は公営企業と言いつつも、独立採算ではなく、毎年莫大な税金(予算)が投入され、路線バスや地下鉄を公務員が運営しているのか不思議です。あの国鉄でさえ民営化し日本航空も民営化しています。旅客運送事業を市営企業が今もなお運営していること自体が社会主義の特徴です!崩壊したソ連国営企業と同じです。タクシー運転手に公務員はいないのに、なぜ?路線バスや地下鉄を公務員がいつまでも運営しないといけないのか。これは、とてつもない税金の無駄遣いだと思います。これまで京都市は、どれ程の莫大なお金(血税)を京都市交通局に費やしてきたことでしょう。

 

米国のニューヨークなどの大都市の地下鉄や路線バスを運営しているのは、完全な独立公益会社であるメトロポリタン・トランスポーテーション・オーソリティー(MTA)です。私もよく乗ってマンハッタンを歩き回っていましたが、このMTAは州政府の局ではありません。独立法人です。つまり、京都市交通局のように密かに売上に補助金や負担金などの名目で税金が投入されません。このあたりが本当の民主主義社会の米国と大きな政府(お上)による中央集権国家の日本型社会主義の違いです。

 

本来の民主主義社会とは、個人が尊重され、国民が直接に国の代表者である首相や大統領を選ぶのです。そして、民間による経済社会が基本です。日本は戦況によって当選した政治家が首相を選び、市民の声は政府に届かず、行動しても何も受け入れられない社会、潰れかけた大企業は政府によって支援され、官僚によって統制された社会は、どこから見ても社会主義国家です。なんと言っても、日本では大昔に農民一揆はあっても、一度も市民革命が無い国です。これは民主主義国家ではありません。

 

日本の路線バス、特に公営バスについて詳しい交通ジャーナリストの鈴木氏の記事が東洋経済のオンライン版に掲載されていましたので、参考にしたいと思います。とてもわかりやすく現状分析されています。

 

toyokeizai.net

 

この記事の中に「公営バスの経営が改善されない理由は別のところにありそうだ。公営バスは公営企業であるがゆえに、公営だからと市民からの要望や議員・議会の意向によって路線やバス停が左右され、採算度外視の政治路線が優先される」という文章です。これまで分析してきた事と同じようなことが書かれています。京都市交通局などが最たる例ですが、採算度外視の立命館大学行きの路線を増やしたりします。赤字でも経営できる法人が生き残れる経済社会は資本主義ではありません。社会主義です。赤字を出しても倒産しない企業が存続できるのは、社会主義国家です。ソ連と同じです。

 

なぜ、立命館大学行きの市バスが多かったり、金閣寺前のバス停を無くして市バスが通らなくなったり、人通りも少ない西陣商店街を通過する号系統を復活させたり、高雄や京北町まで市バス路線を延伸させようとするのか。それは、やはり政治が絡んでいるからです。採算度外資政治バス路線なのです。

 

京都市右京区選出の市会議員が陳情する危険なバス停は直ぐ移動するのに、蘆山寺通の桜木町バス停ような危険なバス停があっても、陳情が無ければ、まったく放置されています。これは京都市交通局がいかに政治的な権力で動いているかを証明するものです。市バス車両のセールアンドリースバック契約への切替えも、実は政治家絡みの商談なのです。立命館大学の関連施設を通過する市バス号系統が多いのも、おそらく立命館出身の京都市長が関係していると思います。なぜなら、歴代の京都市長京都市教育委員会教育長がなるのです。観光と大学が主要産業の京都市と言われる所以がここにあります。いまだに着物を着て議会に出席したりするのは、いかにも観光客を呼び寄せるような古めかしい宣伝活動です。

 

2020年11月6日9時50分頃、「蘆山寺通」で三度、交通事故発生。

全体図

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詳細図

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先日、指摘していた場所でやはり事故が発生しました。京都市バスが5台も連続で運行していたバス停付近です。もちろん、遠因は京都市バスの過剰運行です。京都市交通局が何も対策を講じないからです。横断歩道とバス停の位置だけで危険なバス停になるとは限りません。路線バスが一度に複数台連続して通行したり停車したりすることも死角となり、それが原因で事故が発生します。

 

この蘆山寺通のバス停付近は、金閣寺に向かう道路である「木辻通」の分岐点です。ここが市バスの停車により詰まってしまうと交通渋滞がこの付近一帯に広がります。その長さは、立命館大学から「西大路通」まで渋滞することもあります。大通りの「わら天神交差点」から西行が詰まってしまうこともしばしばあります。

www.yomiuri.co.jp

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読売新聞の記事にもありますが、国土交通省近畿運輸局 京都運輸支局は、京都市内の路線バスのバス停をすべて調べているのでしょうか?京都市交通局や路線バス会社任せにしているのではないのでしょうか。「蘆山寺通」にある京都市バスのバス停(桜木町)二箇所は非常に危険度が高いはずです。今年、市バスの過剰運行で二度も連続で交通事故が起きました。そして三回目が起きたのです。京都府警は把握しているのでしょうか。一年間にこんなに頻繁に起きるた事は珍しいです。

 

これも京都市バスの恣意的な経路変更の結果です。西日本JRバスも含め、路線バスが「蘆山寺通」を一日に1000回近く通ります。さらに立命館大学シャトルバスや観光バスも通ります。住宅街の中をこんなに多くの路線バスが通行する片道一車線の狭い道路は京都市内に他にないと思います。役所は全く気にしていません。主要産業が観光と大学の街なので市民が犠牲になろうが何とも思っていません。市民をバカにしているのです。

 

京都市の観光政策による行き過ぎた行政サービスの結果、コロナ禍で京都市内の休日や夜間の道路は、乗用車より京都市バスの方がたくさん走っているくらいです。昔、京都市内の道路に市電が走っていた頃、ドライバーは市電が運転の邪魔でウンザリしていました。現在は路線バスの過剰運行で市バスが邪魔なのです。そのために、市バスを追い越そうとするクルマやバイクなどが増え、事故が発生するのです。非常に危険な状態です。過ぎたるは猶及ばざるが如しです。

 

京都市の税金の無駄使い癖が財政危機につながる事をまったく考えない市政の結果が京都新聞の記事です。京都市交通局は決して独立採算ではありません。公営企業です。毎年、莫大な税金が投入されています。市民にはバレないように市バスや地下鉄の「売上」に補助金助成金が補填されていることは公開資料には説明されていません。京都市バスや地下鉄の赤字(人件費と経費)をうめるために発行される地方債は京都市の借金です。首長が元官僚や役人上がりの京都では何も改革はできません。旧態依然です。政府に負んぶに抱っこです。お金に困れば、お上(政府)にお願いすることしか術をしらないからです。

 

京都市議会議員も市民の陳情だけに応えているようでは、学級員レベルです。自分の選挙区の危険なバス停を権力によって移動したことぐらいで満足しているようでは、歳費(高額な議員の給料)の無駄です。そのような事は本当の民主主義国家であれば、市民の力でできます。市議会議員の仕事は、役人任せの行政を監視し正しい方向に修正する事です。本来、政治家と役人は敵同士でないといけません。それを「仲良しごっこ」をしているようでは市政は終わりです。役人のやりたい放題は社会主義です。結果的に京都市議会議員の怠慢が京都市を凋落させているのです。

 

国会中継を見てください。相変わらず日本の大臣や首相の答弁は官僚が作成した資料を意味もわからず読んでいるだけです。市議会も同じです。政治家の怠慢です。これでは国や市が発展などする訳がありません。麻生大臣がはっきりとテレビで言っていました。「テレビは国民を言い聞かせるためにある」と恐ろしいです。黒でも白になるということです。嘘をテレビで流して国民を騙すのです。

 

テレビ以外にもあります。その典型的な例が歴史です。歴史小説家などの著作家によって、過去の人物が何とでも美談(嘘)で本を売るために塗りかられるのです。司馬遼太郎坂本龍馬などです。真実を見抜く目を養うことが重要です。鎌倉時代元寇で九州に攻めてきたのはモンゴル人ではなく、モンゴル帝国の属国となった中国人と朝鮮人です。学校の教師まで騙されて嘘を教えます。

 

自分達を特別視扱いする日本の公務員を放置すると好き勝手します。影でコソコソと自分達のお金でない公金(血税)を使いたい放題します。今現在も発覚していないだけで全国のどこかで、役人が公金を横領しているのです。金額が大きくなるとニュースになります。

 

誰かが監視しないと無政府状態の市民と同じです。役人や官僚の好き勝手(税金の無駄遣い)を食い止める事が政治家の仕事です。そして、政治家や役人の官民癒着(贈収賄)などを取締るのが警察や検察です。これらが全く機能していないのが今の日本です。庶民が知らないところで、司法機関までが権力によって動いているのです。つまり、大臣(政治家)は人事権を盾に役人の出世を餌にして役人を言いきかせているのです。日本の三権分立は絵に描いた餅です。

 

国家公務員 倫理規程論点整理・事例集(令和2年新装版)※地方公務員にも該当します

https://www.jinji.go.jp/rinri/04zentaiban_r2.pdf

 

日本の政治家は選挙に当選すると、まるで難関有名大学の試験に合格したかのように喜び、その後大学生になってからは全く勉強せずに遊んでばかりいる日本の大学生と同じように見えます。もちろん官僚などの公務員も同じです。権力や身分を得ると、保身と蓄財ばかりに執着する日本の伝統的な派閥政治による官僚支配の社会主義体制には国民はウンザリです。江戸末期の徳川幕府です。サムライが役人化して偉そぶるだけで政治能力がなくなったのです。そして政権を朝廷に還すのです。

 

日本の政治家や公務員は、あまりにも大人しくて従順で反抗しない日本国民を見下し過ぎです。バカにし過ぎています。東大卒の八割は、国家公務員一種試験に合格し官僚になる国です。官僚になるために小さい頃から一生懸命に勉強(暗記)する日本人、本来、公務員も政治家も国民の手本となるべき職業です。それが公務員になった途端、国民を見下し、好き勝手できる身分職になっています。バスの運転手まで公務員、おかしな国です。破綻したギリシャと同じです。全労働人口の四割が公務員です。日本は東大卒の八割が公務員の国です。日本人は、なんのために勉強するのでしょうか?社会主義国家での保身と蓄財のためです。それでは国は衰退するばかりです。   

 

なぜ、京都市バスに交通事故が多いのか?

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このふたつの交通事故は今年起きたものです。これ以外にも1月に京都市バス四条河原町交差点で衝突事故を起こしています。これからも増えると思いますが、これらの原因は何なのでしょうか?それは市バスが京都市内を過剰に運行しているからです。要するに走り過ぎなのです。京都市内の道路、特にメインストリート(片側二車線以上の大通り)をじっくり観察して見てください。ひっきりなしに市バスが走っています。見ていると恐ろしい光景です。まるで路線バスの天国のような街です。信用金庫だらけの京都の街と同じです。過剰営業、過剰サービス。いずれ淘汰されます。増え過ぎたものは、いずれ減ります。人口や株価と同じで、バランスを失うからです。

 

過剰運行は、実は運転手の過労につながります。過労による視力と反射神経の低下、さらにストレスは判断力の低下を引き起こします。朝早くから夜遅くまで同じルートを何回も何回も飽きるほど運転し続けると、咄嗟の判断力が落ちます。バスの運転手は、トラックの運転手のように荷物の積み降ろしがありません。運転席に座り続けていると、体の血流が鈍り、意識が薄らぎ判断力を落とすのです。赤信号でも交差点に進入したりするわけです。市バスが赤信号で交差点を横切っているのをよく見ます。信号無視です。こんな基本的な交通ルールも守れなくなるのです。気の緩みです。黄色は「止まれ」です。事故が起きて顔が青ざめてからでは遅いのです。※不慣れな運転手の増加については、後のブログで書いています。

 

人間にはヒューマンエラー(human error)という、うっかりミスがあります。ヒューマンエラーは無くすことはできません。人間は機械ではないからです。このことを日本社会は、まだ理解していないようです。日本はヒューマンエラーを前提に仕組みをつくる事に非常に疎い国です。なぜなら、島国の日本は大昔から集団社会主義なので「性善説」です。日本語をしゃべる黄色人種の日本人同士は、相手を家族のようにすぐ信用し疑うことを知りません。「振り込め詐欺」などが横行するのが代表的な例です。日本人は相手を尊重せず、誰でも自分と同じで何でも出来て当たり前という考え方です。「ひとは間違わない、ミスをしない」という意識が非常に強いのです。それが警察官への正義の期待です。警察官も人間です。間違いを犯します。

 

ヒューマンエラー対策は、日本の交差点の信号機のように「全赤」にするようなファジーシステムとは違います。交通ルール(法律)を緩めると守らない人間が増えていきます。日本のドライバーは「赤信号」でも止まらずに平気で無視する人が非常に多いです。二人に一人は黄色で止まっていません。なぜなら、三秒間の「全赤」信号機のせいです。米国で信号を無視すると必ず衝突事故になります。なぜなら、反対側の信号機はすぐに緑(日本ではなぜか青と言います)になるからです。昔の日本もそうでしたが、いつのまにか事故を減らすために警察が緩めたのです。海外でクルマを運転すると、日本の「ぬるさ(甘さ)」がよくわかります。米国では、すべての信号機にカメラが付いています。信号無視や一時不停止は画像解析で自動的に摘発されます。

 

話を元に戻し、京都市は観光客や大学の利便性を追求する余り、京都市内は市バスだらけになっています。おかげで京都市の財政は大赤字です。京都市交通局は市バスの路線数を増やし、便数を増やして、地下鉄部門の返済不可能な借金を返そうと必死で自転車操業(運転資金回収)をしています。そしてクルマやバイクは、増え過ぎた邪魔な市バスを追い越そうとします。それが事故につながるのです。昔、京都市内の大通りには市電が走っていました。ドライバーは市電が道路を塞ぎ、運転の邪魔となりウンザリしていました。現在は路線バスの過剰運行で市バスがドライバーにとって邪魔な存在なのです。京都市内の公共交通機関は路線バスだけでなく、地下鉄や私鉄もあります。その有効的な利用を京都市は促さずに、観光客などに市バスを利用させ運賃収入を増やそうと、路線を増やす事ばかり行い、結果的に重複路線が増え、物理的に地上の交通量が増えて事故につながっているのです。

 

京都市交通局は混雑対策と定時運行を理由に、そして市バスが観光客との接触事故を起こさないために、金閣寺永観堂の周辺を通行しないように経路変更しました。しかし、その結果、市バスの路線が特定の道路に集中し過剰運行となり、クルマやバイク、自転車、歩行者が関係する交通事故を増やしたのです。前回のブログで「蘆山寺通」に市バスが5台6台で連続走行するのも、これが原因です。京都市交通局市バス経路変更の結果、特定の道路に路線バスを集中して通行することになり、交通事故が増えたのです。観光公害や大学公害は、路線バスの過剰運行サービスが生み出した結果なのです。路線バスが増えれば増えるほど、その道路は物理的に危険になります。当然の事です。

 

京都市バスは、京都市の財政が逼迫している時にこそ、運行経路や路線数の見直しなど抜本的な削減を行うべきなのです。現状のままでは八方塞がりです。本来ならば、完全民営化(株式会社)するか。民間バス会社に京都市内の路線をすべて壌渡しないといけない程のレベルなのです。民間バス会社への運行委託(運転手の人材派遣)が「市バス民営化」と役人や議員は言っていますが、それは違います。なぜなら、市バス車両の資産管理と運営(運賃収入)は京都市交通局がしているからです。これが諸悪の根源です。つまり、路線バスのレンタルシステムなのです。

 

コロナ禍で日本の航空会社が数千億円もの追加融資を金融機関に要請していますが、欧米の航空会社は世界が元の状態に戻るには、2024年までは無理であると予測しています。それまで、果たして京都市の財政が持つかどうかです。地方交付税という税金が還流する無駄遣いが多い京都市交通局はサービスの縮小(ダウンサイジング)なしには、事業継続は難しいのです。これは京都市の財政にも、もちろん言えます。京都市は現状の行政サービスを市民に提供することは今後非常に難しくなります。日本の財政は無限大ではありません。生産労働者が減少し税収が減って行く国です。京都市交通局のように民間バス会社に市営バスの運行を委託していると、毎年毎年、莫大なお金(税金)が消えていきます。京都市自体も交通局を手放さないと財政負担は減りません。その課題を市議会議員も役人もわかっていないのです。お上(政府)に頼めば、いくらでもカネ(税金)がもらえる。だから、無駄な事を予算に組むのです。つまり浪費です。浪費が回り回って路線バスの事故を増やしたり、騒音や排気ガス公害を起こしているのです。

 

片側一車線の蘆山寺通を京都市バスが5台も連続で通行するのを見て思いました。これが安全運行なのでしょうか?

            <拡大図>


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             <全体図>

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京都市交通局の恣意的な市バス経路変更により、片側一車線の「蘆山寺通」は路線バスの過剰運行状態となり、特に市バスが団子状態を超えた串刺し状態で縦列走行しています。観光バスと違い、路線バスは各停留所で停車します。路線バスが何台も連続で走行することにより、乗客の乗り降りで道路が詰まってしまうのです。いわゆる交通渋滞が起きるのです。

 

この「蘆山寺通」は京都市バスの停留所だけで、西日本JRバスの停留所はありません。西日本JRバスは通過するだけです。しかし、立命館大学発の市バスに混じって路線バスが4台も5台も連続走行し、最初のバス停(桜木町)に路線バスが何台も停車すると、それを追い越したバイクやクルマが先の十字路付近で対向車と衝突する危険性があります。さらに西日本JRバスや立命館大学シャトルバス、観光バスが増えると、金閣寺から仁和寺に通じる観光道路「きぬかけの路」はバスだらけとなります。金閣寺前の交通渋滞を解消するために路線バスをすべて「蘆山寺通」に集中運行させる事は交通事故の危険性を高めます交通事故だけでなく、沿線住民の住環境破壊(騒音・振動・排気ガス)、そして道路の傷みが激しくなるのです。これは公害という社会問題です。※結果的に事故が起き、事故を防ぐために西日本JRバスなどは注意喚起音を鳴らすようになり、それがクラクションと同じでうるさく、騒音公害になったのです。

 

京都市交通局は「安全運行の確保」を掲げていますが、現実は市バスが黄色信号(黄色は止まれです)でも交差点に進入したり、渋滞中のアイドリングストップなども守られておらず、市バスが連続で何台も走行する事により、路線バスの過剰運行が特定の道路の交通事故発生率を高めているのです。京都市交通局はこんな事も予測判断できない役所(=公営企業)になっています。京都市交通局は特定の道路に路線数を増やすと、交通事故や住環境破壊が起きることを知らないのでしょうか。そうなる事を知っていても、権力者の言いなりになって沿線住民を犠牲にしているのです。日本特有の社会主義行政です。

 

路線バス会社がいくら運転手の社内研修をしても、安全運行の立派な資料をいくら作成しても、実際に運行している人間の質が悪ければ良い結果は出ません。あおり運転などクルマの運転は性格が表れます。性格は死ぬまで直りません。日本の政治と同じです。政治家や役人は「心が正しいところにない」のです。だから、日本が落ちぶれて行くのです。苦しめられるのは、家畜のようなおとなしい国民です。

 

京都市交通局 令和元年度 交通局運営方針実績

https://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/cmsfiles/contents/0000274/274755/2019_management_policy_results.pdf

 

京都市交通局の資料の中に以下のように書かれています。形骸化しているだけなのではないでしょうか。いわゆる「その時だけ」の行き当たりばったりです。

 

<重点取組>
公営交通を支える担い手の安定的な確保

より質の高い市バス運転士の育成

キャリア別研修の実施
全運転士を対象とした安全運転訓練車による研修を実施

 <事業戦略>
運輸安全マネジメントに基づく取組の推進
(市バス)
事故の分析と活用及びヒヤリハット情報の収集
安全意識向上ミーティングの実施 

市バスの有責事故削減に向けた教育訓練の徹底
・安全運転訓練車や外部機関を活用した車内転倒や接触等の事故防止研修の実施

利便性快適性の向上

市バスの旅客流動調査の実施と路線ダイヤの在り方の検討

・旅客流動調査の実施に向けた調査内容の検討の実施

 

これだけ立派な事が書かれていても、実際に道路で起きている事は違います。これまで、このブログで書いてきたことは私が目で見て耳で聞いてた事実です。結果は何ひとつ改善されていないのです。

 

「言うは易く行うは難し」と諺にもあるぐらいです。京都市バスは観光客や大学の利便性をあまりにも追及し過ぎたばかりに、市バスの路線数や便数を増やし過ぎたのです。市バスの方向幕を視認性の悪いフルカラーのLED表示化など、税金の無駄遣いをしています。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」です。

 

下の写真を見てください。ツイッターで偶然発見しましたが、こんな無駄な事に税金を遣っているんです。信じられないです。京都市交通局は市民の血税で運営していることの認識が無さ過ぎます。公営企業だから税金は投入されていないというのは大嘘です。であれば、株式会社にして完全民営化(株式会社)すればよいのです。※この写真は古いようですが、今の新しい市バスは無駄なものがいろいろ付いています。バスの中が狭くなるばかりです。だから混雑するのです。

 

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大阪市の水道事業の売却案は議会で否決されたのに、安倍前政権が大阪市内全域の水道メーターの料金徴収業務を仏ヴェオリアに委託。

www.chosyu-journal.jp

この長周新聞の記事に「府と市に分かれていた水道事業は統合し、民間への売却案は災害時の対応や安全性についての担保がないため議会で否決されたが、安倍政府が上下水道の運営権を地方議会の承認なく民間譲渡することを可能にしたPFI法施行から1カ月後、大阪市内全域の水道メーター検針・計量審査と水道料金徴収業務を仏ヴェオリアに委託している」とあります。最初は外資に業務を委託し、最後には営業権を売却する魂胆なのでしょう。日本政府、つまり安倍前政権は密かに恐ろしい事をしていました。海外に売るものがなければ、日本の水道事業まで売る。国土も売る。真面目に並んでいる人の列に横から入る人間を許すような国では、国民も真面目にしょうとは思わなくなります。総理大臣がまるで王様ように振舞う国、ウンザリします。

 

これは近い将来、京都市が財政支援団体になれば、あらゆるコストを削減をしますので、大阪市を見習って京都市も水道事業を売る可能性があります。

 

さらに「2015年までに70歳以上の高齢者が地下鉄やバスを利用できた敬老パスの有料化、(中略)コミュニティバス赤バス)の廃止など709億9500万円もの住民サービスを削減した。(中略)「民でできることは民へ」として、市営地下鉄や市営バスは民営化して公共から切り離し、一般廃棄物のごみ収集輸送事業や焼却処理事業などの現業部門も民営化した」と記事にあります。

 

おそらく、京都市もこれにならわないといけなくなります。二年後に京都市の財政は500億円も不足します。このようなリストラ(ダウンサイジング)をしないと財政支援団体から、さらに悪化し北海道夕張市のように財政破綻してしまいます。財政破綻すると住民サービスがどんどん消えてい行き、あらゆる税金が上がります。例えば、救急車も有料になります。

 

これからの時代、京都市だけでなく、日本の地方都市がいくつも財政破綻するのです。今までの税金無駄遣いのクセがなおらない事が原因であり、国の政策が規模の拡大ばかりで根本的な改革、むしろ改善を政治家や官僚、役人がしてこなかったからです。お金をバラまくことしか術を知らない日本の政治では、最後は国が無くなります。お金をいくらでも刷ればよいという現代貨幣理論(MMT)は帝国には通用しますが、小国がそれをすると破綻します。

 

日本経済がコロナ禍で落ち込んでいるとニュースでは言っていますが、実は日本経済自体がもう既に少子高齢化多死社会による縮小経済になっているのです。人口が日本の10倍以上もある中国を見てください。コロナ禍でもGDPはマイナスではありません。成長しています。日本政府は、日本が衰退し始めていることを世界に隠すために、安倍前政権や大阪維新の会も一緒になって、オリンピックや万国博覧会を開催して繁栄を見せかけるのです。

  

こうならないためには、まず国民が変わらないといけないのです。おとなしくしていると権力者に好き勝手にされます。黙っていては何も変わらないのです。変わらなければ国が消えます。

  

京都府立堂本印象美術館前のバス停は、いかにも京都市バスの上から目線です。

散歩していると、たまたま立命館大学衣笠キャンパスの前にある堂本印象美術館のバス停で気付きました。その停留所に停車する京都市バスの号系統が茶色の鉄柱に印刷されています。そして西日本JRバスもここで停車します。その茶色の鉄柱に何と印刷されていたか?「+JR」です。いかにもオマケのような表現の仕方です。何も知らない外国人が見れば、「プラスJR」という意味不明なものになります。こんな所にも役所の優越感が見て取れます。京都市交通局は、西日本JRバスに対して京都市バスのバス停を利用させてやっているだぞと言わんばかりです。利用客からすれば、その停留所がどこの所有物であろうと関係がないことです。いかにわかり易くデザインされているかということだけです。些細な事からでも分析できます。※このブログを書いた頃は、まだ市バスの運行委託を知りませんでした。つまり、市バスの59号系統を運転しているのは西日本JRバスの社員なのです。

 

なぜ、京都市バスの運転手の採用時に筆記試験があるのか。これは身分職である公務員として採用するからです。京都市交通局は公営企業という役所です。公務員は無試験(筆記試験無し)では採用しないのです。あらゆる公務員採用試験は、面接のみというものはありません。必ず形式的でも一次試験に筆記試験があります。いわゆる、中国(漢民族)の伝統的な官僚登用試験の科挙を今も日本は採用しているのです。中国では、清(女真族)の時代に科挙試験はなくなっています。人間の質は筆記試験ではわからないのです。欧米では、面接のみです。会話で物の考え方など人間の質がわかるのです。筆記試験では暗記力しかわからないのです。

 

最近、ハンコを止めるということでニュースになっていますが、ハンコも中国の伝統です。日本は奈良時代より以前から中国の文化を見習ってきました。それが今もなお残っているのです。1400年以上も経っているのに、なかなか中国由来の文化が止められないのです。おもしろい国です。

 

パソコンやスマホがいくら普及しても、複写機コピー機)がなくなりません。これも日本は中国から仏教と同時に伝わった紙文化から脱出できないのです。データでやり取りすることに、まだ慣れていないのです。役所は紙で書類を保管することで安心感を持つのです。日本の会社や教育機関などの事務所には、まだ膨大な枚数の紙のデータがあります。遅れた国です。

 

さらに、中国で大昔の春秋戦国時代諸子百家という学門の学派がありました。その中に孔子がいました。その孔子儒家儒教として、ひとの考え方となり信仰となりました。何かの記事で、日本に来た中国人が日本社会を見て、日本人は中国人以上に儒教の影響を受けている事に驚いたと書いてありました孔子の書いた「論語」は日本の義務教育でも教わっていますが、ここに書かれている五常仁義礼智信)という徳の精神が、今も日本人の心に刻まれています。この儒教精神は韓国にも浸透しています。そのため、日本人と韓国人は物の考え方が似ているので、会話しやすいという事も何かの記事で見たことがあります。日本人が礼儀正しくて大人しいのは、2500年前の漢人漢民族)に始まっているのです。これが日本人の民度につながっています。恐ろしいです。

 

こんな事を立命館大学が運営する孔子学院(表向きは国際平和ミュージアム、米国では中国公館として認定)では中国語以外にも教えているのでしょう。そして、中国政府(中国共産党)から莫大な資金提供(寄付)を受けているのでしょう。毎日新聞などは中国政府(中国共産党)から資金援助されていました。その代わり、中国の悪口を書かないということです。新聞だけでなくテレビ局にも、もちろん同じようなことはあります。立命館大学教授のテレビ出演が多いのも、民放やNHKをはじめとする放送機関に中国共産党人脈があるからでしょう。そして、立命館大学に映像学部があるのも、実は中共による日本のメディア業界への進出が目的なのです。その結果、テレビや新聞などにやたらに立命館大学の教師が出始めています。

 

動物園にいるパンダも同じで、中国政府(中国共産党)のプロパガンダ(宣伝)です。中国を批判しない友好国の動物園にしかいません。そして、一番恐ろしいのは、中国共産党員が大学教授や大企業の社員になって日本で働いていることです。いわゆる、スパイです。日本人でも、共産党員は大勢います。これは一種の宗教組織です。だから、いまだに日本の公安調査庁オウム真理教と同じく、日本共産党をマークしているのです。立命館大学がマークされているのかどうかはわかりませんが、調べれば沢山出てくると思います。

 

※このブログを書いた半年後に産経新聞孔子学院の記事がありました。

www.sankei.com